[PR]
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
鬼平犯科帳 鬼平罷り通る
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
夕刻より平蔵は清水御門役宅の裏から、
ぶらりと気晴らしに出かけたその最中に事は起こった。
平蔵が思いつきで出かける事はよくあり、別段変わった行動ではない。
その時々で行く先は気分次第ということは多々あるものの、
目的もなくというのがいつもの事。
十二月に入って、さすがに冷え込みも厳しくなり始め、
夕刻ともなると日差しの失せた道は底冷えを運んでくる。
(ちょいと寒くなってきたな)懐に両手を入れて、
(さて本日はどの道筋を選ぼうか)と塗笠を上げて見る先に
いつも立ち寄る居酒屋の明かりが目に入った。
(うむ ちょいと引っ掛け温まって帰ろう)
「いらっしゃいやし」
「おう いつもの奴を二本程持ってきてくれ、
それに何か適当にみつくろってな
この居酒屋は伊丹の丹醸柱焼酎の剣菱を出していた。
このすっきりとした辛口の男酒が平蔵の好みに
合っていたのであろうか。
「きょうの酒肴は何だえ? おう たたき牛蒡か」
「へぇ 大浦牛蒡が手に入りやしたもので、
藁束で泥をこすり落として、すりこぎ棒で軽く叩いて
筋離れさせやす、こいつを一寸五分ほどに切りそろえて
鍋に酢を少々、煮上がったものを取り上げて、
白ごまをホウロクで炒り上げてさましたあとで
すり鉢にて軽く摺ります。
酢に味醂、昆布とカツオの出し汁に塩少々を入れて
煮立てたところへゴボウを入れて汁気を飛ばし、
ゴマを加えて和えます。
「ウム いやなんだなぁ この牛蒡の香りとゴマの香りの
程よい絡み方がふ~ さすがに上手ぇ、
火の落とし所が肝だな?」
「恐れいりやす お武家様にかかっちゃぁ叶いませんや」
そんなやりとりをしながら徳利が二本あいてしまった。
「おう 済まぬもう一本持ってきてくれ、程よく体も温まり
夜道もこれだと大丈夫であろうからのう、ところで親父女房の
(おふじ)の顔が見えぬが・・・・・」
平蔵の言葉を聞いた親父の顔が一瞬戸惑いを見せたのに平蔵は気づいた。
奥から追加の酒を運んできた親父に「うむありがとうよ
お前ぇも1杯ぇどうだ?」と盃を向ける。
「ととととんでもねぇ!」亭主の語気の強さに平蔵はますます
疑念を抱いた。
「さようか、まぁ無理には勧めるめぇ」と盃を出した。
亭主の得利を持った手が小刻みに震えている。
「おい お前ぇ熱でもあるんじゃぁねえか」と、
おやじの額に手を当てつつ盃を干した。
「いえ 熱などございやせん へぇ」そう言って
そそくさと奥に引っ込んだ。
しばらくして「ぐへっ!!と表の方で声がした。
「親父 お前ぇ酒に何を仕掛けた! ぐはっ!!」
何かを吐くような音とともにドウと倒れる音がした。
そのあと奥のほうで「ギャッ」と言う悲鳴が二度ほどして
静まり返った。
火付盗賊改方長谷川平蔵暗殺を外部に漏らすまいと
町奉行も盗賊改めも隠密裏に動いたのは言うまでもあるまい。
もしこれが巷に流れるようなことあらば、
この時とばかり盗賊どもが暴れまわるに違いないからだ。
そうこうしている間にも時は瞬く間に流れ去り、
江戸の町を雪が白く染めてゆく頃となった。
どこから漏れたのか、(長谷川平蔵死す)の風評が立った。
明けて睦月半ば、東に砺波(となみ)平野、
西に金沢平野の広がりを見せる倶利伽羅峠に綱切の甚五郎一党が
金沢に向けて越そうとしていた。
峠の頂上付近にポツリと地蔵堂が建っている、
その縁に腰掛けて握り飯をつまみながら、
「それにしてもお頭、平蔵の最後があまりにもあっけねぇんで、
ちぃっとばかりがっかりしやしたねぇ、
もっと骨があると想っておりやしたもんで」
「だがよ、これで俺は兄貴の敵が討てたんだ、
お前ぇが平蔵の動向を探り、決まって帰り道は行きつけの
(かどや)に立ち寄ることを突き止め、平蔵の先回りをして、
女房に短刀突きつけて亭主を脅し、
酔って警戒心をなくした頃合いを見計らって酒に毒を仕込ませ、
奴に飲ませたそのあとお前ぇは亭主と女房を刺し殺して
ずらかったわけよなぁ」
「そのとおりでさぁ、見たら野郎血へどを吐いて
くたばりやがったんだぜ、 ざまぁ見ろってんだ。
半年もかけて平蔵の動きを見はった甲斐があったってぇ事よ、なぁ!」
その言葉の終わらないうちに、
「誰が血反吐を吐いてくたばったってぇ言うんでぇ」
藪から棒に地蔵堂の中から声が飛んで来た。
何ぃ!!」驚いて甚五郎が振り返った。
地蔵堂の扉が観音開きに開け放たれ、旅姿の男がぬっと現れた。
「誰だ 手前ぇ」
「お前ぇの手下(てか)に毒を盛られた長谷川平蔵よ」
「てめぇ死んだはずじゃぁ・・・・・・」
予期もしない平蔵の出現に、甚五郎は残忍な眼をいっぱいに
見開いたまま持っていた水筒をとり落としてしまった。
「残念だったなぁ網切の甚五郎、あの時俺は親父に
(女房のおふじの顔が見えねぇが)、と聞いたら、
亭主の返事がこわばった。
そのあと酒を運んできたので「お前ぇもどうだと勧めたら、
いつもなら盃を受けるのに、そん時ばかりは手を振って断りやがった、
こいつは何かあるなと勘づいたってことよ。
そこで俺は亭主に(熱でもあるんじゃァねぇか)と
ヤツの額に手を当てて目線を防ぎ、その隙に盃の酒を
俺の懐紙に飲ませたってぇ寸法だ。
お陰で女房殿に着物がシミになったと小言を食らっちまった。
それから先は、その手下(てか)の後を密かにつけ、
お前ぇの盗人宿を探り当てたのよ。
だがいつまでたってもお前ぇは現れねぇ、
しかもそいつらが一人づつ別々に出たまま帰えってこねぇ、
そこで九兵衛が申しておった、
お前ぇたちがここを通って江戸に入ぇったってぇ事を思い出してなぁ、
昨日からこうして待ち伏せておったのよ、今にして思えば、
そいつが俺のとどめを刺さなかったのが運の尽きってぇことだなぁ」
「けど 俺が見た時にぁ確かに血反吐を吐いて・・・・・」と
野尻の虎三
「おうさ お陰で掌の傷がこうして残っておるわ、
酒をこぼして血を少し溶けば、おめぇ、
結構な血反吐に観えるんだぜぇ へへへへへっ!
俺のからくりが引導代わりよ、網切り甚五郎、
この倶利伽羅峠がこの世とあの世の渡し場と観念いたせっ!」
「くくくっ 糞野郎!!」
甚五郎は道中差を引き抜きざま平蔵に襲いかかった。
「甚五郎!手前ぇだけは俺が手で地獄に送ってやる、
なぶり殺しにしても飽きたらぬ奴、きさまなどどのような
死に様であろうと地獄の閻魔様とて手加減はしねぇ、
これまで貴様が手にかけてきた人々の恨みを思い知れ!!!」
平蔵は河内守国助を腰だめのまま一気に甚五郎の顎から頬にむけて
切り上げ、二の太刀で右腕を切り落とし、
さらに三の太刀で残る左腕を切り落とした。
甚五郎は顎を打ち砕かれて物も言えず、
ひざまずいたまま形相凄まじく平蔵を睨みながら仰向けに
ドスッ と崩れた。
数日前から降り続いた雪は甚五郎の両腕から吹き出す血潮を
音もなく吸い込み、辺り一面まるで真っ赤な花が咲いたように観えた。
「地獄花を咲かせやがったか」
平蔵は河内守国助をビュッと血振りして鞘に収めた。
あまりの出来事に腰の砕けた野尻の虎三と文挟の友蔵は、
その拍子に雪に足を取られもんどり打って転げたところを
沢田小平次と小林金弥によって逃さず打ち倒された。
倶利伽羅峠は金沢平野をはるか下に見下ろしたもやの中、
白くけむっているばかりであった。
数日後、清水御門前の平蔵の役宅に京極備前守より
「下屋敷に出ませい」という通達があり、
平蔵はこの度の事件の引責を言い渡されるであろうと与力、
同心たちに伝えて出所した。
かみしも姿の正装での出所である。
平蔵より事後報告を聞いていた備前守が
「筆頭老中よりそちのやり方に対して引責を求めて参った、
さすがのわしもこれ以上逆らい切れるものではない」
其の言葉に平蔵は腹を切る覚悟を決めており、
白装束の上に着衣しての正装であった。
「わしはなぁ平蔵(今の世の中長谷川平蔵を置いて
他に誰にこのお役が務まりましょうか、
おられるならば即刻お申し出くだされ)と
言ってやったらばな、誰も一言も申さなんだ、はははは
さぁ近う寄れ盃を取らす」
「ははっ!!」
感慨無量の面持ちで杯を飲み干し、
懐より懐紙を取り出し盃を拭おうとするを、
「そのままそのまま・・・・・」
「ははっっ!!」
「いやご苦労であった」平蔵はこの備前守の言葉に
心から救われた面持ちであった。
役宅に戻った平蔵を与力、同心全員が打ち揃って出迎えた
裏庭には密偵たちがこれも全員揃ってかしこまり平
蔵の無事を待っていた。
「お前ぇたちにも心配をかけたなぁ、ありがとうよ」
誰も言葉を一言も発せなかった、
ただただ涙のあふれるまま平蔵を迎えた。
いつの間にか雪が音もなく降り始めていた。
「雪か・・・・・・この世の地獄も極楽も
みんな消せるものならばなぁ」
平蔵はそのまま立ち尽くしていた。
時代劇を10倍楽しむ画像入り講座 http://jidaigeki3960.sblo.jp/
というのが事の発端のようではあった。
庶民を守るものが庶民に不安を与えることは如何なものか。
幕閣にもその意見を声高に述べるものも現れ、京極備前守も抑えきれず、
このような処置になったと言うのが大筋の見方のようである。
清水御門前の役宅は門を閉め、門番も中に入ったまま人の出入りの気配も全くなく、
不気味なほどだと谷中三崎町の法受寺門前の花屋鷹田(たかんだ)平十の耳にも
達していた。
この男、鷹田の平十は品川の上郎上がりの女房おりきと暮らしており、口合人を
十五年もやってきた盗賊の間では名の知れた男である。
そこへ網切の甚五郎の配下、野尻の虎三から、腕の立つ助っ人をお頼みしてぇと
網切の甚五郎からの口合話が持ち込まれた。
断るわけにもいかず、さりとてこの網切の甚五郎の悪どい評判はいやというほど
聞かされている。
なまじの助っ人では務まりもしまいし、第一この網切の甚五郎のやり方が気に入らなかった。
盗人にもそれなりの仁義というものがある。
(殺さず・犯さず・貧しき者からは奪わず)せめてそれが盗人にも三分の理だと
思っている平十は困り果て、同じ口合人の本所相生町で表向き煙草屋を営んでいる
舟形の宗平に困り事を持ち込んだ。
この舟形の宗平は初鹿野音松の盗人宿の番人をしていた頃平蔵に捕縛された経緯が
ある男である。
宗平が少しばかり年上ということもあり、「お願い致します、舟形のどうか私を
すけておくんなさい。
いやね、あっしだってこんな急ぎ働きのおつとめなさる網切のお頭の持ち込み話しは
出来ればお断りしたいのですが、その後のことを思うと、女房のおりきに
類が及ぶんじゃァないかってね・・・・・
困り果てて相談をと言うわけさ、何とか・・・どうにかならないかねぇ」
ほとほと困った様子で差し出された茶をすすっている。
「平十さん、ご覧のように私も年で、今じゃぁ気質の煙草屋で何とか暮らし向きも
溜息ほどだが続いております、だからと言って、昔はご同業のよしみってぇものもありますから、
どうでしょう間に入る人をご紹介することでこの場を繋ぐってぇことは出来ないものでしょうかね?」
宗平はそう断って平十の顔を見た。
「分かりました、これでやっと私も肩の荷が下りたような気分でございますよ、
所でその仲立ちのお方は何とおっしゃるのでございましょう?」
馬蕗の利平治さんと言います。
元は上方にいなすった頃は高窓の久五郎お頭のなめやくを受けていたお人さ」
宗平はじっこんの間柄でもある馬蕗の利平治を仲介役に薦めた。
「上方で、さようですか、ならば間違いもございませんでしょう、
何しろ網切のお頭の所業はこの道では知らぬ者とておりますまい。
血なまぐさい事では盗人仲間でさえ一目も二目も置いているお人ですからねぇ、
これで私も今夜から枕を高くして休むことが出来ます、ほんに ほんにありがとうございます」
平十は涙を流さんばかりに喜び、幾度も幾度も宗平に両手を合わせて伏し拝んだものだ。
翌日、本所石島町の船宿(鶴や)に平十の姿があった。
「もし、ちょっとお伺いをいたします、こちらに馬蕗の利平治さんはおられますでしょうか?」
出迎えた小女は「どのようなご用事でございましょう?」と怪訝な顔で問い返した。
「相生町の舟形の宗平さんより、こちらにお伺いするよう伺ったもので鷹田の平十と申します」
小女は「ああ それならばどうぞお入りなさってくださいまし・・・・・」と
言いながら丁場の方をチラと見やる。
先ほどまでいた主の粂八の姿は見えず、丁場の机の横にそろばんが立てかけてあった。
小女は客を二階へ案内し、茶を運んできた。
程なくそれらしい男が部屋を訪ねてやってきた。
「鷹田の平十さんで?・・・・・馬蕗の利平治でございやす」と 色黒のこの男、
まさに馬蕗(ゴボウ)の様に顔も手足もひょろ長く、(なるほどその名が表している)と
平十は一人合点したものである。
丁度その頃鶴やの奥座敷、主の部屋に小房の粂八の姿があった。
押し入れを開け、中にはった粂八は隠し階段を引き下ろし、静かにゆっくりと登っていった。
この部屋は、鶴やの持ち主で伊予の大須藩士森為之介のものであったが、
平蔵を付け狙う暗殺者金子半四郎の兄を切り倒して脱藩したのちに、
密かに身を隠して営んでいた店である。
平蔵と岸井左馬之助と居合わせた事件にて、暗殺者から身を隠す暫くの間預かっているもので、
その間に粂八が部屋を改造し、盗み見が出来るようにした小部屋である。
当の森為之介はすでに江戸に女房と二人して戻り、この鶴やの料理人として復帰しており、
時折平蔵をしてうならせる料理の達人でもある。
話はそれたが、馬蕗の利平治と鷹田の平十との会話は当然粂八がすべてを聞き、
又顔の確認もしてのけたのは言うまでもあるまい。
この平蔵暗殺計画の一部始終はその翌日粂八と馬蕗の利平治によって平蔵の耳に達していた。
網切の甚五郎はかつて向島の料亭(おおむら)の奉公人を含む二五人を惨殺して、
平蔵を待ち構えていた「大村事件」の張本人であり、平蔵に父親の土壇場の勘兵衛を
殺された恨みを持ち、執拗に刺客を放つなど、幾度も平蔵は窮地に追い込まれていた。
この網切りの甚五郎が舞い戻ってきたという事は平蔵に計り知れない威圧を与えた。
その 甚五郎が平蔵の暗殺目的に江戸にまたもや舞い戻ってきたということは尋常ではない。
(余程の覚悟であろう、それならばこちらとてそれ相応の手立てを講じねば
再び大村事件のようなはめに落ちるやも知れぬ)平蔵は深い溜息をついた。
(俺だとて、親を殺されれば事の善悪は別にして相手を憎むであろう、
それに関して甚五郎の気持ちは解らぬでもない、だが仇を打つということで
関係のないものにまで手を下すことは人間のやることではない)。
馬蕗の利平治に紹介された浪人大崎重五郎を鷹田の平十が訪ねたことも
すでに平蔵の耳に達していた。
だが、それ以後ぷっつりと網切りの甚五郎の足取りが途絶えてしまった。
いつ又あの網切りの甚五郎が江戸市中を恐怖のどん底に陥れるかと想像するだけでも
身の毛がよだつ思いである。
何としても捕まえねば、これ以上やつをのさばらす訳にはいかぬ。
平蔵は密偵たちを軍鶏鍋屋の五鉄に召集した。
翌日夕刻、清水御門前の長谷川平蔵役宅は大門が閉ざされ、
門番までも引きこもって全く人の気配が消えてしまった。
長谷川平蔵逼塞(ひっそく)の噂はこうして市中に拡がったのである。
平蔵としてみれば、この度の甚五郎の目的が我が身の暗殺であるなら、
それを逆手に取れば良いという考えに至ったわけである。
一日中張り付くことよりも、時間を決めて行動するほうが相手にわかりやすく、
その間密偵たちも休息をとれるし、都合が良いであろうと考え、
その旨を京極備前守に密かに書面を持ってお伺いを立てた、
当然使者は筆頭与力佐嶋忠介である。
佐嶋仲介は平蔵に借り受けられるまでの間、同じ御先手組頭堀立脇の筆頭与力であった。
このような経緯から平蔵の役宅が逼塞の沙汰がおりた事となった。
時代劇を10倍楽しむ講座 http://jidaigeki3960.sblo.jp/
木草学者小野蘭山
春もようやくその翠色の深みを増し、猫は1日日向でゴロゴロ、
まぁこんな時は兎も同じかもしれませんなぁ。
我らが愛すべき同心木村忠吾も御多分にもれず、春にいそしんでおるようで、
本日も御役目の市中見廻りの合間を縫ってのお茶屋通い・・・・・・
壁に耳あり障子に目ありということわざもトント忘れてのしけこみであった。
夕刻清水御門前のお役宅に戻った忠吾を「お頭が待っておられるぞ」と
筆頭同心の酒井祐助が耳打ちした。
「えっ おかしらが?」と忠吾はけげんな顔で平蔵の部屋に向かった。
「おかしら木村忠吾只今戻りました」
「んっ おう忠ちゃんちょいとおいで、で、本日のお勤めはいかがであった?」
「はぁ お言いつけ通り加賀屋の佐吉を1日微行いたしまして、
上野幡随院門前町の小料理屋に入るのを確かめ、一時ほど見張りましたが
何も変化なく、それで・・・・・」
「うんうん で、立ち戻ったと言う訳じゃな?」
「はい全くそのとおりでございます」
「フンフン その時お前ぇ店の前で色っぽいおなごに出会わなんだかえ?」
えっ!! どうしてそれを」と、この平蔵の思いもよらぬ問に
目の玉をまん丸くして見返した。
「この大馬鹿もん!」平蔵は忠吾を一喝した。
「ははっつ!!」忠吾にとってまさに青天のへきれき、
平蔵の鋭い語気に肝をつぶして平蜘蛛のごとくひれ伏した。
「お前が店先で出会ったおなごは(おとき)と申す佐吉の色女だ、
おときが身をすり寄せてお前の懐に手を挿し入れたであろう、
お前は鼻の下を伸ばし、おときの身八つ口から胸乳にすかさず手を
挿し入れはせなんだか?」
「ええっ!!!!!」あまりの信憑さに忠吾は真っ赤になり
「どどどどうしてそのような!!」と思わず問い返した。
「愚か者めが!おときはお前の懐に十手が忍んでおることを確かめ、
奥に潜んでおった佐吉に目配せを送ったのよ、
佐吉は慌てて裏口から逃げ出しおった」
「どうしてそのような事をおかしらはご存知で」
忠吾は平蔵のあまりの言葉を飲み込めず戸惑いながら問い返した。
「この粂八が向かいの小料理屋の2階からすべてを見ておったのよ」
「粂八!!きさまぁ」思わず忠吾はいきり立った。
「愚か者!己の所業を粂八に転嫁するとは情けない、恥を知れ恥を!」
平蔵の言葉の激しさに忠吾は顔面蒼白となり
「ははははっ!」後ずさりしつつ畳に頭を擦りつけた。
「粂八はわしが指図でその女おときをずっと張っていたのよ、
そこへお前がノコノコとやってきて、くだんの行いに及んだという訳だ。
粂八はすぐさま佐吉を追いかけたが、2階から下りて
向かいの裏手に回るにゃぁ時がかかりすぎた、
結局お前ぇの愚かな行いのために、佐吉ともどもおときまで網の中から
消えちまったと言うことよ」平蔵は吐き捨てるように忠吾を睨みつけた。
「ははっ 全くもって誠に申し訳もござりませぬ、
この木村忠吾一生の不覚でござります」忠吾は畳の下に穴があくのではないかと
想われるほど平頭して上げることもできなかった。
それ以後加賀屋の佐吉とおときの消息はぷっつりと途切れてしまった。
数日後、平蔵は忠吾のあまりのしょげかたに、少々胸が痛み
「おいうさぎ、本日は市中見廻りについて参れ」と
忠吾を伴って先に寄った覚えの(くじらや)に足を向ける。
客もまばらな奥に座り、「おやじ 今日はもう山鯨はあるまいのう」
平蔵は冬場のみという猪鍋はもう無いと想ったからである。
「へい あいすまんこって!」と亭主は頭を下げ、
「ハマグリ飯なぞいかがなもんで?」と伺ってきた。
「おう そいつは美味そうだなぁ、よしそいつを二人前ぇ頼む、
その前に何ンだ、くじらと、こう」と酒を引っ掛ける仕草に
「へい すぐにお持ちいたしやす」と二つ返事で引っ込んだ。
「えっ!あの くじらでございますか!」案の定忠吾は目を丸くして問い返した。
「うむ まぁ食ってからのことよ」平蔵はにやにや笑いながら
出てきたくじらを口に運ぶ。
「あっつ これはまた歯ごたえもよろしゅうございますな、
しかし、何と申しますかコンニャクを食っているようなところも
ござりますが・・・・・・」
たまらず平蔵「わはははははっ 忠吾!お前ぇの申すとおり、そいつはコンニャクだ。
元々は 山鯨と申してな、イノシシを食わせておったが、今はその肉が手に入らぬ、
おまけにここらは人足寄場も近いとあって、懐のちょいと寂しいお前ぇでも
くじらが食いてぇ、そこんとこをこの親父が工夫して、このコンニャクが
くじらに化けたと言うことよ、なぁ親父」平蔵は過日仕込んだ講釈を忠吾に聞かせた。
「へへへへ そのとおりでさぁ、おまたせいたしやした」
「おお 出てきたぞ忠吾!こいつはなぁ、米を洗ってザルにあげておき、
砂抜きしたハマグリに酒を入れて煮立て、煮えたら貝を取り除き、
身に醤油と生姜汁を入れて軽く煮立てる。
いい湯加減であったはずなのにだんだん熱くなって、こう蛤が口をパクパク
その身だけを鍋から出してよけておいて、身は最後に飯の上にあずけるのよ。
蛤の煮汁に鰹と昆布のだし汁を混ぜて、米と一緒に炊きあげてな、
炊き上がりの蒸らし直前に、先ほどの蛤の身を入れて蒸す。
こうすると形も崩れにくく味もしっかりつくと言う訳よ、なぁ親父!」
「いや こいつは驚いたねぇ、そこまで言われちゃぁこちとら鉢巻取らねばなんめぇ、
あははははは」親父は頭をコンコン叩きながら大笑いである。
それを観た忠吾が「おかしらは何でもよくご存知とは存じておりましたが、
まさか蛤飯の作り方までご存知とはいやはやなんとも・・・・・・」と
羨望の眼で平蔵を見ると、
「実はな、過日猫どのに教わったのよ、わはははは・・・・・」
「何だぁ それにしてもおかしらはお人が悪い、村松様の受け売りとは」
忠吾は平蔵の答えに呆れた表情である。
「よいか忠吾、人の意見も己が身に取り込み、咀嚼致さばそれはおのが意見となる、
知識とは泉のごとく湧き出るものでもない。
教えを請い、学ぶ気持ちで眺めれば風とて今の季節を教えてくれる。
本日はお前に人足寄場を見せてやろうと想うてな、人はこの世の吹き溜まりと申すが、
俺はそこに花を咲かせたい。
世をすねるだけではなく、まっとうに生きることを見つける手立てにしてほしいのよ。
泥田の中から蓮は咲く、身は落としても心まで落とさせてはならぬ」。
この事業は、平蔵が火付盗賊改方長官と兼務という形で遂行しているもので、
肥大化しつつある江戸を更に拡げるために石川島干拓工事に刑罰の軽い罪人を
使役につかせ、三年という刑期の中で手に職を付けさせて、自立構成させる
授産所を兼ねている。
平蔵が時の筆頭老中松平越中守定信に、この人足寄場の建議を申請し、
受理された大仕事である。
人足寄場からの帰り、忠吾が寄場の出口付近で何やら屈みこんでいる男を見つけ
「何やら怪しゅうございますな」と平蔵を見返し、
「ちょっと見てまいりましょう」とその男に近づいた。
「おい お前 こんな所で何を致しておる俺は火付盗賊改方だ」と威嚇するように正す。
「ああこれは失礼をいたしました」男は立ち上がって何やら手に持っているものを見せた。
「なんじゃぁそれは?」忠吾はいぶかしそうにその差し出されたものを見やる。
「はい 草木絵図でございます」と穏やかな口調で答えた。
「草木絵図とな?」今度は平蔵が口を挟む。
「どれどれ おお これはまた見事な」平蔵は絵師中村宗仙の絵をよく見ているので、
その絵が本物かまがい物かは区別が付く。
「いやご無礼つかまつった、ところでなぜかような場所で草木をお描きで?」と尋ねた。
「私は小野蘭山と申します、諸国をめぐり、様々な木草の図を描き写しております。
これまで我が国には固有の木草図がなく、それを苦心いたしております」と
白髪を低く下げた。
「おお これは失礼をいたした。身共はこの人足寄場の監督を仰せつかっておる
長谷川平蔵と申す」平蔵はこの老絵師の飾らない中に凛としたものを感じ取り名乗った。
「これはご苦労様でございます」蘭山はにこやかに平蔵の眼を見返す。
「そつじながら木草ならばかような所でなくとも小石川の薬草園なぞ、
種類に困ることもござるまい」と水を向けたが
「ははははは 小石川の薬草園なぞ私ども下の者が入れる場所ではござりませぬ、
それに、私は薬草にこだわりを持っておりませぬので、諸国の路傍に生えし木草に
惹かれまする」
と、手に携えた画帳を開きながら「このタンポポなぞ種類だけでも十種は超えます、
これらには解熱・発汗・健胃・利尿・催乳などの作用ありと言われておりますが、
これらは漢方がたのお仕事、私は同じものが地域や土地により育ったり
育たなかったりしている分布にも興味がございまして、
それをまとめ上げて見たいと願うております」
「なるほど それは又遠大なる仕事にござるなぁ」平蔵はこの老絵師の壮大な夢を
今始まったばかりの人足寄場にかける自分の望みと重ねて見る思いであった。
「のう長谷川殿、植物と言うもの、我が身に足があるわけでもなくそれを又、
望んでもおりますまい、与えられた場所で限りの力を持って精一杯にほころび、
痩せ地であらば又、それに似合って美しゅう咲きます。
気張りも卑下もなく、ましておごりなどなしに、其の地に似おうた咲き方や
育ち方を致します。
良き所も悪しきところもすべて抱え込みて、それでいてなお観る者の心を慰めても
くれます。
さて、人はこの花の一つにも勝っておるでございましょうか?」
蘭山は平蔵の心を見透かしたように微笑んでいる。
「確かに・・・・・・
身共はこの寄場を造り、わずかでもまっとうな暮らしを見つける手立てにと
思うておりましたが、それは身共が想うことではなく、
ここから芽生えさせねばならぬということでござりますな、
誠にこのたびのご教訓この長谷川平蔵キモに命じましてござります」
平蔵はこの老絵師の眼力に心から心服した。
「スギナやわらびなども愛でるには良き物の、食するには程の良さもござります、
いずれであれ花も人も表が有らば裏もある、これ両者交わってこそ(それ)
でござりましょう」と平蔵の立場を見事にあやで言い表した。
「誠にございますなぁ、・・・・・・・・」
平蔵は、ひたすら路傍に咲く花を写しとるこの絵師の後ろ姿を
まばゆいものを見るかのように佇んで眺めていた。
「泥にまみれて初めて花の美しさを知った思いじゃ、
寄場をそのような場所にしたいものじゃなぁ」
さわやかに吹きすぎさる風に花が小首を傾げて笑ったように観えた。
時代劇を10倍楽しむ講座 http://jidaigeki3960.sblo.jp/