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鬼平犯科帳 鬼平罷り通る 三嶋山燈

鬼平犯科帳 鬼平罷り通る

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かまいたち

 

このところ江戸市中に辻斬が横行し、奉行所の総力上げての探索も後手後手に廻り、
公儀からもご威光に関わる一大事と圧力が日増しに高まるばかりで、
手掛かり一つ無いまま落命者は十名を超えた。

殺人は本来火盗改の持ち場ではないために、進んで探索することはないのである。

庶民からは不安が増すばかりで公儀への非難が噴出し、ついに老中筆頭松平越中守は
火盗改に助成するよう京極備前守に下知する。

木挽町3丁目にある備前守下屋敷に呼び出された平蔵に「なんとしても庶民の不安を取り除くために
力を貸してはくれまいか」と言う話しであった。

日頃町奉行は盗賊改めのやり方に批判的で、特に平蔵が無頼の者や博徒など
前科者を使っての探索方法が過剰であると老中に訴えてきた経緯がある。

その矢面で平蔵を理解し、ある時はかばい、幕閣にとり成しをするなど多方面の援助を
行っていたのが京極備前である。平蔵は低頭し、備前守の言葉を聞いていた。

「そちの行動が、たとえいかように非難されようとわしが留め置く、遠慮せず思うがままにやってはくれぬか」
この言葉を聞いた平蔵「備前守様のお言葉、この長谷川平蔵一命を途しても沿うよう努力いたします」と
答えた。

だが、町奉行からの入る情報は皆無に近かった。事件は月明かりの夜に起こっていること。

いずれも頸動脈を鋭い刃物のようなもので切り裂かれており、即死の状態ではなく、
四半時程度は生きておられたことも判明している。

事件に遭遇したその切れ切れの証言によれば、不意に足元を救われて前のめりに
転倒ていることが共通している。

加えて不思議なのが、江戸でも評判の剣客が数名混じっていることであった。

しかもそのすべてが刀を抜く暇も無く襲われているという。

奉行所の見立ても「わざと手当を施しても間に合わない程度の致命傷であり、
かまいたちの仕業ではないか」と結んでいる。

「ふむ 腕に覚えのある剣客が抜く間もないとは解せぬ」平蔵はこの難問がまるで雲をつかむように思えた。

おまけに懐を狙っての辻斬ではないことも特別の的を絞っての殺害ではないことがわかったからである。

それからの平蔵は夕刻になると市中見廻りに出かるという日課に変わった。

辻斬の出たという報告場所を絵図にしたためてみると、
いずれも浅草御門から牛込御門の土手に集中していることが判明したために、その辺りを毎夜流していた。

平蔵は市中見廻りの途中、両国橋東たもとの米沢町三丁目にある居酒屋(百味)に立ち寄った。

「じゃまするぜ」「いらっせえやし」奥からぶっきらぼうな声が飛んできた。

「親爺何か酒の相手を見繕ってくれぬか」
「へぇ かしこまりやした」そう返事をしながら、「おい おきぬ、 食った茶碗、はすりさ下げでおげ」と
言った言葉が耳に入った平蔵「おい 親爺 お前ぇ国はどこだえ?もしかして 陸奥とか?」
「お武家様 良くご存知で、確かに あっしは宮城が出処でございやす」

「そいつはてぇ変な所からご苦労だったろうなぁ」

「へぇ もうお江戸に来て二十年になりまさぁ・・・・・へい お待ちどう様で」

「おお!美味そうじゃぁねえか、こいつは何だえ?」

「ホヤの酢物でございやす」

「ウム この磯の香りがまた格別だのう、それにだなぁ コリコリした身とこの歯ざわりと申すか
歯ごたえ言うべきか、いや こいつは参った!。

この酢のシメようにどうもコツが有ると見たが」

「恐れいりやした。そこまでお判りになられるお武家様は並のお方じゃあねぇとお見受けいたしやすが」

「何の何の そこいらの素浪人と同じょ、ただちょいとばかし食いしん坊と言う違いはあるがな。
おお そいつけぇ なかなか面白ぇ面構えだのう」

「へぇ 元々は魚みたいに泳いでいるのだそうで」

「おい待て待て! こいつが泳ぐってぇのかえ」

「へい 生まれてしばらくは海の中を泳いでいても、やがて岩に取り付いてからこのような形になるので、
そのためにそこんところから切り取って皮を取り除かねぇといけませんや」中を綺麗さっぱり取り除きやして、
食べ頃に刻みやす。

上方の薄口丸大豆醤油と京の千鳥酢に砂糖少々、キュウリや塩抜きした三陸の若芽を合わせやす」

「ほほぉ そこまでこだわっておるはずだ、旨ぇ旨ぇ  いや恐れいったぜ親爺」

「ありがとうございやす。
お武家様にそこまで言っていただくと、差し上げる甲斐がったというものでございやす へぇ」

「ところで、 こっちの方は何だえ?」

「へぇ ごろんべ鍋と申しやして、早ぇ話ドジョウ鍋でございやす

「泥鰌かえ こいつはまたありがてぇ、俺はな 軍鶏鍋とドジョウ鍋が好物なんだよぉへへへぇ」

「それは良うござんした、栗原のごろんべ鍋はウナギと同じ位ぇ滋養があるそうで、
土の中で生きているので土生(どじょう)と呼ばれ始めたとか、聞いておりやす」

「なるほどな それで泥鰌か ふむふむへ~ぇ」

「しかし、泥臭いので二日程真水で泥抜きをいたしやせんと、鍋に油を少々入れて熱し、
ドジョウを入れ蓋をしやす、暴れなくなりやしたら酒と水を入れやす。

福井の小越小芋を四ツ切りにして茹でて、ぬめりを取りやす。
凍み豆腐はぬるま湯で戻し短冊に切り、香り付けのゴボウを入れて一煮立ち。
根深以外の野菜は短冊に切りそろえて酒粕と一緒に入れ、コトコト煮やす。
仕上げに醤油と塩で味を整えネブカを放しこんで火を止めやす。」

「ううん 美味ぇ!大ぇしたもんだ、何であれこだわりや極めはでぇじな事だなぁ。
いや! 気に入った また来るぜ、釣りはいらねえ とっときな。
春先の風が こう 心地よくそよいだようだぜ。」

腹ごしらえもすみ、くだんの辻斬現場浅草御門にゆらゆらと足を運ぶ。

神田川沿いに気ままに流しては見たが、夜鷹の話でもこの数日辻斬の話は聞かず、
もうどこかへ定めを変えたのではないかと言う仲間内の話で、そろそろと稼ぎに出たと言う。

誘いをかける女に小銭を握らせて、再び歩を進めた。
小石川御門付近は松平讃岐守上屋敷などもあり、ここを左に曲がれば清水御門の役宅にも近い。

さていかがしたものか・・・・・とおもいつつ(まぁついでだ牛込御門まで行って九段坂を取ればよかろう)と、
少し酒も入って心地よく神田川の夜風を裾に感じながら牛込御門まで一町ほどの所で足を止めた。

見上げれば月はおぼろではなく、秋の澄み切った輝きとも違い、
また冬の凍てつくような冴え渡る光でもなく、満々と満ちて柔らかに辺りを照らしている。

平蔵が米倉丹後守上屋敷にさしかかった時、何かがピュピュと風を切るような音を聞いた。
その刹那平蔵は足元を救われ無様にその場にドウと倒れてしまった。

(うっ来るな)足は何かで巻きつかれたように金縛りにあって動かせない。
素早く横に転げ見上げた空は、雲の合間に満月が明々と輝いていた。

一瞬空が真っ黒にかき消され、何かが覆いかぶさってきた。
平蔵は脇差しを素早く抜いて満天の月を貫くようにつきだした。

「ぐはっっっ」異様な低いうめき声が平蔵の上に倒れこんだ。脇差しと共に横にはねのけ、
半身を起こし大刀を抜き、足に絡まった何かをすかさず切り離し素早く立ち上がった。

その目の先に胸に深々と突き刺さった脇差しが、月光を浴びてキラリと光っていた。
曲者の胸に足をかけ、脇差しを一気に引き抜いた。びゅうと血潮が宙に吹き上げた。

平蔵はその曲者を背中から抱き起こし「ウヌ 何物だ!」語気も荒く締めあげた。

「へへっ へへへっ・・・・・」薄ら笑いを残して息が途絶えてしまった。

当たりは又元の静けさを取り戻し、夜風のみが何事もなかったかのように流れてゆく。

平蔵は先ほど己の足元をすくったもの正体を確かめようと、月明かりの下草原を当たってみる。
大刀の切っ先に(チン)と音がして、何かに触れたようであった。 

草叢をまさぐりながら拾い上げてみると、1寸五分ほどの玉に紐がついたものが手に触れた。
(何と微塵ではないか)平蔵はこのかまいたちの正体が微塵であったことに驚いた。

むくろを戸板に乗せ、近くの番屋に運び込ませ、清水御門の役宅に控えていた与力筆頭の
佐嶋忠介につなぎを取らせた。佐嶋が急いで番屋に飛び込んできた。

「お頭!ご無事で!!」

「ウム 危ないところであった、まさかかまいたちの正体が微塵とはさすがの俺もうかつであったよ」「

微塵? でございますか?」と佐嶋忠介が言葉を挟む

「ウム こいつはな古くは野山を駆けるウサギや獅子など獣や鳥を絡めとる道具でな、
ほれ、このように三つの玉をそれぞれ二尺ほどの細紐で三ツ巴に結わえた投てきだよ。

こいつを、ぶんぶん振り回して相手の足元めがけて放てば瞬時に足元に巻きつき動きを封じる。

しのび道具だよ。昔、たずがねの親父っつあんところに出入りしていた水蜘蛛の与五郎から
見せてもろうた事があった。

「あのおまさのてて親の・・・・・」

「うむ、今じゃぁ軒猿という店を構えておるが、元は伊賀の出で陰忍よ。
成る程これならば余程の剣客でも戸惑うであろう。

俺はな、町奉行の探索録を呼んだおりから、気になっていたのよ、皆一応に足元をすくわれていることを、
それで足元をすくわれたおり、とっさに横に転げて脇差しが抜ける体制に移ったのよ、

案の定馬乗りになろうと飛びかかって来おった矢先に俺が脇差しをそ奴目指して突き上げたものだから、
こやつはかわす暇もなく俺の刃をまともに胸に食らっちまったと言うわけさ。

「しかし、ただひとつ不審な点が・・・・・・」と佐嶋忠介が

「ふむ なぜ奴がとどめを刺さなんだかという事であろう」

「まさに・・・・・」

「それはなぁ 江戸市中に不安を撒き散らそうと言う魂胆であったろうよ、
恐怖なぞは口伝えに聞くほど更に膨れ上がるもの。

不安が渦巻けばお上への風当たりも強まろう、御政道が非難を浴びればいかがなるや?
天下を取って代わろうと想うものも無きにしもあらず、先の飢饉で難渋うしておる諸藩や百姓、
離藩したり浪々の身となりし者も多くおろう、それらを扇動してあわよくばと目論む奴も出てくるであろう?」

「先の張孔堂・由比正雪事件でございますな」

「うむ さすが佐嶋 よく存じておるのう、そのとおりじゃ、
誰が影で糸を引いたかまでは今となっては判明致さぬが、こ奴の身のこなしや着用いたしておる物からは
少なくとも山の者ではないとだけはいえよう、まぁ町奉行では手に負えぬであったろうよ。

想えば戦国の世を生き抜いてきた陰忍達も禄を干されてかような仕事を請け負ったのであろう。

いずれにせよ所詮雲の上の企みは、我らには関わりのねぇ事さ、
それが政という魑魅魍魎(ちみもうりょう)の世界さ。

おれも水蜘蛛の与五郎に出会ておらなんだら今こうして減らず口を叩いてはおらなんだかもしれねぇぜ」

すでに月は西の空に消えかけ 朧な輝きを、明けて来る朝に手渡そうとしていた。

「ウム この茶の1杯ぇが 何と旨ぇ事よ、のう佐嶋、ご苦労であった」平蔵は深くため息を漏らし、
しらじらと明けてゆく江戸の空を見上げた。

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忠ちゃんおいで


 木草学者小野蘭山

春もようやくその翠色の深みを増し、猫は1日日向でゴロゴロ、
まぁこんな時は兎も同じかもしれませんなぁ。

我らが愛すべき同心木村忠吾も御多分にもれず、春にいそしんでおるようで、
本日も御役目の市中見廻りの合間を縫ってのお茶屋通い・・・・・・

壁に耳あり障子に目ありということわざもトント忘れてのしけこみであった。

夕刻清水御門前のお役宅に戻った忠吾を「お頭が待っておられるぞ」と
筆頭同心の酒井祐助が耳打ちした。

「えっ おかしらが?」と忠吾はけげんな顔で平蔵の部屋に向かった。

「おかしら木村忠吾只今戻りました」

「んっ おう忠ちゃんちょいとおいで、で、本日のお勤めはいかがであった?」

「はぁ お言いつけ通り加賀屋の佐吉を1日微行いたしまして、
上野幡随院門前町の小料理屋に入るのを確かめ、一時ほど見張りましたが
何も変化なく、それで・・・・・」

「うんうん で、立ち戻ったと言う訳じゃな?」

「はい全くそのとおりでございます」

「フンフン その時お前ぇ店の前で色っぽいおなごに出会わなんだかえ?」

 えっ!! どうしてそれを」と、この平蔵の思いもよらぬ問に
目の玉をまん丸くして見返した。

「この大馬鹿もん!」平蔵は忠吾を一喝した。

「ははっつ!!」忠吾にとってまさに青天のへきれき、
平蔵の鋭い語気に肝をつぶして平蜘蛛のごとくひれ伏した。

「お前が店先で出会ったおなごは(おとき)と申す佐吉の色女だ、
おときが身をすり寄せてお前の懐に手を挿し入れたであろう、
お前は鼻の下を伸ばし、おときの身八つ口から胸乳にすかさず手を
挿し入れはせなんだか?」

「ええっ!!!!!」あまりの信憑さに忠吾は真っ赤になり
「どどどどうしてそのような!!」と思わず問い返した。

「愚か者めが!おときはお前の懐に十手が忍んでおることを確かめ、
奥に潜んでおった佐吉に目配せを送ったのよ、
佐吉は慌てて裏口から逃げ出しおった」

「どうしてそのような事をおかしらはご存知で」
忠吾は平蔵のあまりの言葉を飲み込めず戸惑いながら問い返した。

「この粂八が向かいの小料理屋の2階からすべてを見ておったのよ」

「粂八!!きさまぁ」思わず忠吾はいきり立った。

「愚か者!己の所業を粂八に転嫁するとは情けない、恥を知れ恥を!」

平蔵の言葉の激しさに忠吾は顔面蒼白となり
「ははははっ!」後ずさりしつつ畳に頭を擦りつけた。

「粂八はわしが指図でその女おときをずっと張っていたのよ、
そこへお前がノコノコとやってきて、くだんの行いに及んだという訳だ。

粂八はすぐさま佐吉を追いかけたが、2階から下りて
向かいの裏手に回るにゃぁ時がかかりすぎた、
結局お前ぇの愚かな行いのために、佐吉ともどもおときまで網の中から
消えちまったと言うことよ」平蔵は吐き捨てるように忠吾を睨みつけた。

「ははっ 全くもって誠に申し訳もござりませぬ、
この木村忠吾一生の不覚でござります」忠吾は畳の下に穴があくのではないかと
想われるほど平頭して上げることもできなかった。

それ以後加賀屋の佐吉とおときの消息はぷっつりと途切れてしまった。

数日後、平蔵は忠吾のあまりのしょげかたに、少々胸が痛み
「おいうさぎ、本日は市中見廻りについて参れ」と
忠吾を伴って先に寄った覚えの(くじらや)に足を向ける。

客もまばらな奥に座り、「おやじ 今日はもう山鯨はあるまいのう」
平蔵は冬場のみという猪鍋はもう無いと想ったからである。

「へい あいすまんこって!」と亭主は頭を下げ、
「ハマグリ飯なぞいかがなもんで?」と伺ってきた。

「おう そいつは美味そうだなぁ、よしそいつを二人前ぇ頼む、
その前に何ンだ、くじらと、こう」と酒を引っ掛ける仕草に
「へい すぐにお持ちいたしやす」と二つ返事で引っ込んだ。

「えっ!あの くじらでございますか!」案の定忠吾は目を丸くして問い返した。

「うむ まぁ食ってからのことよ」平蔵はにやにや笑いながら
出てきたくじらを口に運ぶ。

「あっつ これはまた歯ごたえもよろしゅうございますな、
しかし、何と申しますかコンニャクを食っているようなところも
ござりますが・・・・・・」 

たまらず平蔵「わはははははっ 忠吾!お前ぇの申すとおり、そいつはコンニャクだ。

元々は 山鯨と申してな、イノシシを食わせておったが、今はその肉が手に入らぬ、
おまけにここらは人足寄場も近いとあって、懐のちょいと寂しいお前ぇでも
くじらが食いてぇ、そこんとこをこの親父が工夫して、このコンニャクが
くじらに化けたと言うことよ、なぁ親父」平蔵は過日仕込んだ講釈を忠吾に聞かせた。

「へへへへ そのとおりでさぁ、おまたせいたしやした」

「おお 出てきたぞ忠吾!こいつはなぁ、米を洗ってザルにあげておき、
砂抜きしたハマグリに酒を入れて煮立て、煮えたら貝を取り除き、
身に醤油と生姜汁を入れて軽く煮立てる。

いい湯加減であったはずなのにだんだん熱くなって、こう蛤が口をパクパク
その身だけを鍋から出してよけておいて、身は最後に飯の上にあずけるのよ。

蛤の煮汁に鰹と昆布のだし汁を混ぜて、米と一緒に炊きあげてな、
炊き上がりの蒸らし直前に、先ほどの蛤の身を入れて蒸す。

こうすると形も崩れにくく味もしっかりつくと言う訳よ、なぁ親父!」

「いや こいつは驚いたねぇ、そこまで言われちゃぁこちとら鉢巻取らねばなんめぇ、
あははははは」親父は頭をコンコン叩きながら大笑いである。

それを観た忠吾が「おかしらは何でもよくご存知とは存じておりましたが、
まさか蛤飯の作り方までご存知とはいやはやなんとも・・・・・・」と
羨望の眼で平蔵を見ると、 

「実はな、過日猫どのに教わったのよ、わはははは・・・・・」

「何だぁ それにしてもおかしらはお人が悪い、村松様の受け売りとは」
忠吾は平蔵の答えに呆れた表情である。

「よいか忠吾、人の意見も己が身に取り込み、咀嚼致さばそれはおのが意見となる、
知識とは泉のごとく湧き出るものでもない。

教えを請い、学ぶ気持ちで眺めれば風とて今の季節を教えてくれる。

本日はお前に人足寄場を見せてやろうと想うてな、人はこの世の吹き溜まりと申すが、
俺はそこに花を咲かせたい。

世をすねるだけではなく、まっとうに生きることを見つける手立てにしてほしいのよ。
泥田の中から蓮は咲く、身は落としても心まで落とさせてはならぬ」。

この事業は、平蔵が火付盗賊改方長官と兼務という形で遂行しているもので、
肥大化しつつある江戸を更に拡げるために石川島干拓工事に刑罰の軽い罪人を
使役につかせ、三年という刑期の中で手に職を付けさせて、自立構成させる
授産所を兼ねている。

平蔵が時の筆頭老中松平越中守定信に、この人足寄場の建議を申請し、
受理された大仕事である。

人足寄場からの帰り、忠吾が寄場の出口付近で何やら屈みこんでいる男を見つけ
「何やら怪しゅうございますな」と平蔵を見返し、
「ちょっと見てまいりましょう」とその男に近づいた。

「おい お前 こんな所で何を致しておる俺は火付盗賊改方だ」と威嚇するように正す。

「ああこれは失礼をいたしました」男は立ち上がって何やら手に持っているものを見せた。

「なんじゃぁそれは?」忠吾はいぶかしそうにその差し出されたものを見やる。

「はい 草木絵図でございます」と穏やかな口調で答えた。

「草木絵図とな?」今度は平蔵が口を挟む。

「どれどれ おお これはまた見事な」平蔵は絵師中村宗仙の絵をよく見ているので、
その絵が本物かまがい物かは区別が付く。

「いやご無礼つかまつった、ところでなぜかような場所で草木をお描きで?」と尋ねた。

「私は小野蘭山と申します、諸国をめぐり、様々な木草の図を描き写しております。

これまで我が国には固有の木草図がなく、それを苦心いたしております」と
白髪を低く下げた。

「おお これは失礼をいたした。身共はこの人足寄場の監督を仰せつかっておる
長谷川平蔵と申す」平蔵はこの老絵師の飾らない中に凛としたものを感じ取り名乗った。

「これはご苦労様でございます」蘭山はにこやかに平蔵の眼を見返す。

「そつじながら木草ならばかような所でなくとも小石川の薬草園なぞ、
種類に困ることもござるまい」と水を向けたが

「ははははは 小石川の薬草園なぞ私ども下の者が入れる場所ではござりませぬ、
それに、私は薬草にこだわりを持っておりませぬので、諸国の路傍に生えし木草に
惹かれまする」

と、手に携えた画帳を開きながら「このタンポポなぞ種類だけでも十種は超えます、
これらには解熱・発汗・健胃・利尿・催乳などの作用ありと言われておりますが、
これらは漢方がたのお仕事、私は同じものが地域や土地により育ったり
育たなかったりしている分布にも興味がございまして、
それをまとめ上げて見たいと願うております」

「なるほど それは又遠大なる仕事にござるなぁ」平蔵はこの老絵師の壮大な夢を
今始まったばかりの人足寄場にかける自分の望みと重ねて見る思いであった。

「のう長谷川殿、植物と言うもの、我が身に足があるわけでもなくそれを又、
望んでもおりますまい、与えられた場所で限りの力を持って精一杯にほころび、
痩せ地であらば又、それに似合って美しゅう咲きます。

気張りも卑下もなく、ましておごりなどなしに、其の地に似おうた咲き方や
育ち方を致します。

良き所も悪しきところもすべて抱え込みて、それでいてなお観る者の心を慰めても
くれます。
さて、人はこの花の一つにも勝っておるでございましょうか?」
蘭山は平蔵の心を見透かしたように微笑んでいる。

「確かに・・・・・・
身共はこの寄場を造り、わずかでもまっとうな暮らしを見つける手立てにと
思うておりましたが、それは身共が想うことではなく、
ここから芽生えさせねばならぬということでござりますな、
誠にこのたびのご教訓この長谷川平蔵キモに命じましてござります」
平蔵はこの老絵師の眼力に心から心服した。

「スギナやわらびなども愛でるには良き物の、食するには程の良さもござります、
いずれであれ花も人も表が有らば裏もある、これ両者交わってこそ(それ)
でござりましょう」と平蔵の立場を見事にあやで言い表した。

「誠にございますなぁ、・・・・・・・・」

平蔵は、ひたすら路傍に咲く花を写しとるこの絵師の後ろ姿を
まばゆいものを見るかのように佇んで眺めていた。

「泥にまみれて初めて花の美しさを知った思いじゃ、
寄場をそのような場所にしたいものじゃなぁ」

さわやかに吹きすぎさる風に花が小首を傾げて笑ったように観えた。



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2015年1月1号 あるがまま   木喰上人

木喰上人自身がモデルと言われている

「この処おかしらは変でございますなぁ」
呑気者の木村忠吾でさえそう想うほど、近頃平蔵は黙りこむことが多くなった。

筆頭与力の佐嶋忠介でさえ言葉をかけにくいと思う日々である。

妻女の久栄がその空気を読み取ってか「殿様 あまりこんをお詰めにならず、
いっそ気晴らしに旅になとお出かけにでもなられましては」と案じる。

市中もこのところ少しばかり落ち着きを見せており、
与力・同心の腑に落ちない様子が役宅の中に拡がりつつある。

久栄の勧めもあり、墓参りを兼ねて四谷御門前の戒行寺に出かけた。

いつもなら妻女久栄のために油揚坂途中の豆腐屋で名物の油揚げを
買い求める平蔵であったが、本日はそれも横目に、
だらだらと石段を下り伝馬町当たりまで下りてきた。

(ふむ・・・・・・)深い溜息とも想われる息を残してゆらゆら歩を進める。

茶店で休んでいたとおぼしき修行僧が「もし!そこな御仁・・・・・」
と声をかけてきた。

(んっ 俺のことか)と目を上げると、「お前様何をそのように案じておられる」と
再びその修行僧がにこやかな笑顔で問いかけてきた。

平蔵は何故かこの僧の笑顔にふと心が緩み、床机に腰を下ろし
「身共のことでござるか?」と聞き返した。

「さよう お前様じゃぁ 人はおのが心に石を置かば、其の重み故に難じゅう致す、
野の花を観、喜びや慈しみを覚え、空を見て心安らかを知る、
物皆あるがまま、何に心を砕きてか苦を求むることもあるまい。
そうではないかの?」

「出された茶をすすりながら、平蔵はこの僧の言うことに安らぎを覚えた。

「御坊、人はなぜ善悪に別れてしまうのでござろうなぁ」と言葉を吐いた。

「さよう、風に抗すれば花も又散ろうに受けて流すは天の恵み、
種を運び増し増やそうほどに、迷い迷うたとて変わらぬものは変わらぬ、
仏も夜叉も身は一つ。

何をためろうとて明日の命を伸ばすことも叶わぬものを吹く風に身を任せ、
おのが心を解き放たれば悩みなぞという物無のごとし。

おのが望みを知る事こそ為さねばならぬ悟りとは想わぬかのう・・・・・・
凡そこの世に在るものすべて味おうても楽しみても禁ずることもなく
尽きることもない。
鳥は己が身をはじたことも嘆いたこともあるまい、しかるに何をか悩むことあろう。
お前様の上にお前様はなく、又お前様の下にお前様はあるまいに。

わしは諸国を旅しつつ、神仏を彫り続けておる、だが、これはおのが心を無にする試し、
無になろうと一心に彫ることがすでに無になってはらぬのよ。
なぜ彫るのであろうのう・・・・・・

そう言葉を続ける僧のずきんにとんぼが止まる。

不思議そうに眺める平蔵に、今のわしには帯びるものとて何もない、
ひたすらこの町並みを眺め、その一部であることを気にもせず、
只々有難く茶を頂いて心安らか。

人は人それだけの事じゃ、生まれながらに悪人はおらぬもの、
罪は罪なれど人は又人なのじゃ。
人を裁ける者がこの世に一人とて居るであろうかの?

善悪は一対のもの、どちらの立場におるか、その違いがあるだけだとは想えぬか。
人は時として夜叉にも仏にもなる。

それを見極めるのも己を解く事かもしれぬ。路端に咲く花をみなされ、
童は摘み取りて喜ぶが、牛馬はこれを喰らいて腹を肥やす。

さて花はいかがおもうであろうかの。

花にとってはいずれも同じ生命を縮めることに変わりはあるまい。
のう、お前様」。

平蔵は腕組みをしたままじっとこの僧の言葉に耳を傾けていた。

僧は静かに茶をすすり終えると茶代を置き、奥に向かって両手を合わせ
「お前様がもの想うておることそれ自体が地獄と言うものじゃ、
この世で預かったものを受け入れる、そこに極楽はあるとみたがのう」
と平蔵の顔をにこやかに眺めた。

「御坊の申される通り、わしは迷うておった、世に災いを為すものを捉えるわしは
はたして善人なのであろうかとな、これまでの御坊の垂訓に鱗が剥げ申した。

「ほほほほほほ 今の気持ちがそれ極楽なのじゃ、何も構えずともよかろう、
大海を知った大河は山に向うては流れぬもの」

「おお 良く解り申した、して御坊のご尊名をお聞かせ願えまいか、
身共は長谷川平蔵と申すもの」平蔵は丁寧に尋ねた。

「木喰と申しまする遊行僧にござります」と絶えない笑顔で平蔵を見やり
両手を合せて立ち去った。

「俺はこれまでお上のお役に立てばと思うて働いておったが、
老中などからまで利益をむさぼる山師のような姦物と言われては
俺のつとめは何のためであろうかと迷っておった。

今の世の中庶民の安らかな暮らしを守るのがわしが役目。
それをとんと忘れるところであったわい」。

後に平蔵はこう側近の佐嶋忠介に語ったという。

菩提寺の帰りに出会うた遊行僧木喰の懐を心地よく抜けてゆくような
爽やかさを忘れることはなかった。



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