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鬼平犯科帳 鬼平罷り通る 三嶋山燈

鬼平犯科帳外伝

予知夢


筆頭与力佐嶋忠介

平蔵 重苦しい殺気を感じ身構えつつすすむ、
突如藪がざわめく(来たな!)柄に手をかけ襲撃に備える。


だが出てきたのは野良犬であった、
(犬か!そう思った刹那背中に焼け火箸を押し付けられたような
激しい痛みが走った!)


「ぐっ!」
低い声でこらえつつ背後に振り向き抜き打ちざま横に薙ぎ払った



「ぎゃっ!」
と悲鳴が上がり平蔵の前を黒い影が横切った。


身構えるすきを与えず、犬が出てきた正面から鋭い殺気がほと走って短槍が突出された。


穂先はかすかに平蔵の脇腹をかすめ藪に戻った。


(これはいかぬ この場所を移動せねば)

考える余地もなく平蔵右に飛び退いて次の攻撃に備えようとした、
だが、そこには待っていたかのようにまたもや背後にすさまじい殺気が走った。


その殺気は平蔵の肩口に深々と食いこんだ、
さすがの平蔵もこらえきれずうめき声を発した


そこへ再び藪の中から短槍が繰り出されてきた。


それは平蔵の腹を貫き、完全に平蔵の動きを捉えてしまった。


むぅ・・・・・平蔵は膝をついて槍の柄を切り取ったが、
槍の根本からは血潮が見る見る吹き出した。


何故だぁ・・・・・・意識の遠のくのを覚えた・・・・・・


「殿様!!」


「?????!!」


「殿様!!」


(何!)突然意識が明瞭になって気がついた


「殿様如何がなされました、お顔の色が真っ青でございます」
と心配そうな妻女の久栄の顔が覗きこんでいた。


何と夢であったか、それにしても恐ろしき夢であった。


(わしの動きはすべて先読みされておる、
動きの癖、対応や反応の癖を見事なまでに知り尽くしておる、
かような事がまことあるのであろうか?・・・)


平蔵は身体中から吹き出した脂汗を拭いながら、
再びその恐怖がまざまざと思い返され、戦慄が走るのを止める手立てがなかった。


朝餉をすませ、役宅の机に向かって座り、傍に控える佐嶋忠介に昨夜の夢を話した。


お頭 それは夢のお話でございましょう?左様なことは現実には起こりようもございません」
ときっぱり平蔵の気持ちを打ち消した。


その翌日清水御門前の火付盗賊改方を出た平蔵の後を
遠くから猫でもなだめるような不可思議な気配がずっと後をつけていた。


その数日前、平蔵は気ままにぶらりと伝通院あたりを見回ろうかと赴いたのである。


しばらくすると平蔵の後をつける気配がするものの殺気がない


「まるで赤子の肌をなぞるような・・・それが優しいというのではない、
無関心というかそのつもりではないということだ」
佐嶋に向かってそう言ったほど静かなものであった。


小石川御門を渡って東へと道をとった。
その手前でその気配がふっつりと切れた(はて妙な?)


しかし、橋を渡りきって牛天神の方へと水戸上屋敷を右に曲がった当たりから
ねっとりとした気配が背にピタリと張り付いてきた。


(これは・・・・・)先ほどとは違った視線が背中に張り付いた感じである。


引きずるように重苦しい気配を背負ったまま桑名屋橋を小石川竜門寺に差し掛かった時、
背後から数名の者が平蔵を取り囲んだ。


「長谷川平蔵と知っての狼藉か!?」


だが相手は無言で平蔵を囲むように間合いを詰めてくる、
すでに抜刀しており問答無用と言うことのようである。


「やむを得ん!」
平蔵は草履を脱ぎ捨て腰を落とした。


(妙だな?さほどの殺気が感じられぬ・・・・)


ジリジリと包囲網は縮まるが、決して切り込んでこない。


(仕掛けを待っているのか・・ならば・・・・・)
平蔵が足を引いた、瞬間一人が無言で仕掛け来た。


太刀風は鋭いがまるで平蔵を泳がすように流してくる。


平蔵も刀を抜き正眼に構える。


じりっと詰めよればジワリと引く・・・
(なんだこれは)どうしても合点がゆかない。


と、同時に二人が切り込んできた、
体を開き、一人をかわし二人目を抜き放とうとはらったが、
チ~ンとしのぎがすれ違っただけでサラリと躱す、いやかわさされたのである。


始めから切る気など無い、手筋を読むための誘う手である。


この攻防が幾度か仕掛けられ、互いに手傷ひとつ負うわけでもなく時ばかりが流れていった。


ただ間合いを見切り合うだけの手合わせは、平蔵も初めて体験する妙な具合である。


(奴らの目的は一体何だ?)
平蔵の頭のなかでこの疑問がますます膨らんでよく。


後ろからすっっと突き出された一撃は平蔵の脇をかすめて止まった。


振り向きざま薙ぎ払ったがすでに相手は見切っており、平蔵の太刀筋は空を切った。


(ここまで気配を消すことができる奴はそうそうおるものではない、江戸は広い)
平蔵は面食らっていた。


突然背後で合図のような物音がした。


途端に霞をかけたように姿が消えていった。


(いずれも中々の手練のもの)
あ奴らが本気で俺を襲ったら、いかな俺でも防ぎ切れぬ、
だが一体何の仕掛けであろう)安藤坂をゆらゆら上り詰めて、伝通院に辿り着いた。


仲町の茶店で一服点けて、ゆっくりと周りを見渡したが、
あの奇妙な気配はもうどこにもなかった。


(一体あれは何だったのであろうか?明らかに俺を襲ってきたのには間違いない、
だが見切ってそれ以上は近づかぬという事がどうしても平蔵には飲み込めなかったのである)


広大な水戸屋敷を右手に見ながら水道橋まで下がり、
湯島横町を過ぎ越し昌平橋を渡れば通り慣れた神田川柳原である。


柳の若葉が、たおやかに風を含んでなびくそれは、
色めきだった小娘のようにハツラツとして眩しくさえ思った。


新シ橋の堤を下がったところにある小料理屋(しなの)に久しぶりに立ち寄ってみた。


この新シ橋界隈は柳橋も近いとあって洒落た店も多い。


店の奥座敷からは神田川を行き来する茶船に混じって猪牙が料理屋などへ客を運んでいる。


「向こうは家並みが古く風情があってここ眺めておるだけで気が休まる」
平蔵は緑色に染まった川風を心地よく頬に受けながら対岸の左衛門川岸当たりの
落ち着いた佇まいを女中に言った。


「それはそうでございますよお侍様、
女将さんの話じゃぁ百年ほど前に大火事があったそうで、
その時に小伝馬町牢奉行の石出帯刀と言う方が囚人を切り放ちにされたそうで、
ところが浅草御門の門番にその話が届いておらず、
門番は脱走者だと思い門を閉じてしまったそうです。


そのために川を泳いで渡ったり逃げ口を無くした人たちが2万人以上も
溺れ死んだり焼け死んだそうで、江戸は火の海になり町の大半が焼け野原になり
千代田のお城も天守は燃えて、未だそのままなのはこの火事が元だって、
代々言い伝えているそうです」
と話した。


「ほ~ そのような事があったのか、今まで気にもとめなんだが、
ただ千代田の天守が無いのは不思議だと思ったこともある」


「それでございますよ」
と女中が膝をのりだした。


その意気込みに平蔵、
「おお で それがどうかしたのか?」
と酒の肴に向けてみた。


「その時焼けてしまった千代田の天守を公方様が建て替えると申された時に、
保科の殿様が天守よりも大江戸の町を作るべきと公方様に申せられ、
今のお江戸が出来たそうでございます」
と力が入った説明に

「お前そのようなことをよく知っておりなぁ」
と笑いながら問いかけると、

「お侍様この店の屋号をご存知でございましょう?」
と聞き返してきた。


「おう 存じておるぞ(しなのや)であろう?」


女中は誇らしげな顔になり
「はい保科の殿様は信濃は高遠のお方でございます」
と胸を張った。


平蔵膝をポンとたたいて
「やっ これはしたり、そうかそうであったか、こいつぁ俺の勉強不足、
ところでそうとなれば、本日の料理は当然信濃の・・・・・」


「まぁ残念でごじますが、本日は(合い挽き鍋)を用意いたしております」
とあっさりと平蔵の思惑を躱してしまった。


「やれやれ そいつぁちと残念だが、その合い挽き鍋とやらも美味そうだのう」
平蔵は諦めきれない様子ではあったが、合い挽き鍋という言葉に興味がわいた。


しばらくして先ほどの女中が七輪を構えて持ってきた。


炭火が赤々と燃え、そこに鍋をかけて材料を手早く仕込む。


「そいつぁ何だい?」
興味津々で平蔵は鍋を覗く。


「今朝ほど上がったばかりの江戸前のイワシや白身の魚のすり身と鶏の挽き肉をあわせて、
椎茸のみじん切りに生姜の絞り汁に片栗粉を混ぜ込んで程の良いツミレを作ります。


野菜の白菜や春菊白ネギを入れて、煮立ちましたらこちらのつけ汁に取って
お召し上がりください」
と笑顔で奨める。


「ところで先ほどの肴だがな、あいつぁ青柳かえ?歯ごたえがあり胡麻の香りと
酢の塩梅がどうしてどうして、互いを引き立て、酒の相手にゃぁなかなか旨い、
それに合い挽き鍋これがまた橙酢のつけ汁、
普通はな、こいつの時はだし汁が定番ではないかえ?」
そう言った先から平蔵はあっという間に青柳のぬた和えを平らげてしまったものだ。


「はい お武家様はよくお判りで、アサリではなく青柳を使いました
ぬた和えでございますよ。


わけぎを湯がいてしっかり水切りいたしまして、胡麻と八丁味噌に砂糖、
酢を入れてよく練り上げ、ゆがき上がった青柳を軽く混ぜて
辛子を少し混ぜあわせそこにわけぎを入れて盛りつけたものでございますよ、
あれっ もうございませんねぇ」
うふふふふと楽しそうに笑った笑顔が清々しく、
先ほどの嫌な気配のことをすっかり忘れていた。


それからの数日、平蔵は清水御門前の火付盗賊改方役宅から市中見廻りに出かけている。


行く先は無差別ではあるが、戻る通り道は限られている。


この所小石川、牛込の方を主に廻っているので帰りは九段坂を上り下りせねばならない。


この日は目白の私邸に嫡男辰蔵の様子を伺いに行き、帰りがすっかり遅くなってしまった。


間もなく牛ヶ淵というご用地の竹林を進んでいた時であった、
いきなり空から平蔵めがけて先を鋭く切りそろえられた竹がバラバラと降ってきた、
左に避けるとそれを予知していたように次の仕掛けた竹が降り注ぐ、
後ろに飛び退きざまそれを交わすと、そこに予め待っていたかのようにまたも降る


平蔵の脳裏に過日の悪夢が蘇る。


すでに平蔵は腕や背に数カ所を鋭い竹の切り口で切り裂かれている。


抜刀した刀で降ってきた物をすくってみると竹に細紐が括られているのが見て取れた。


(仕掛けだな!)平蔵は用心しながら気配を八方に飛ばすが、
シンとした静寂のみが平蔵を包み込むばかりであった。


突然前方から鋭い殺気がほとばしり、吹き溜まりの竹の枯れ葉の中から槍が突き出された。
平蔵は思わず刀ではねのけた、が そこへ反対側の脇から槍が襲ってきた。


避ける間もなくわずかに体を躱したが脇腹がえぐられ、
槍先が脇差しをつっかけて弾き飛ばした。


鬱蒼とした竹やぶの中に白刃が光りながら平蔵の数歩前に落下した。


平蔵はその槍を抱え込んで右に回り込み刀を己の脇腹目指して突き通した。


平蔵の右の脇腹を切っ先がかすめて槍を繰り出した刺客の腹を貫いた。


「ゲッ!」低い悲鳴とともに平蔵の肩口に倒れこんだ。


その瞬間前方から平蔵の無防備な左脇めがけて再び槍が繰り出された。


よろけるように半歩後方に足を捌き返す刀を振り上げる間がなく、
そのまま左前方に突き出した。


槍と平行に平蔵の繰り出した刃先は泳いできたその刺客の腹の真ん中辺りに吸い込まれた。


平蔵は刀を抜こうとするが、血糊で手元は滑り、刀身は肉脂で包まれ抜くことも出来ない。


3人目の刺客がその男を背後から蹴り飛ばして平蔵の身体にまとわりつかせてものだから、
平蔵は全く動きを封じられてしまった。


平蔵の右の太腿から足元に血が激しく流れて、踏みとどまるのも困難な状況で、
(むぅっ!これはまずい、身動きが取れぬ)
さすがの平蔵もこの時は次の攻撃に対して打つ手を考える余裕もなかった。


これまで数々の敵と戦った来た平蔵であったが、ここまで傷を負ったのは
初めてのことであった。


平蔵の動きを封じたと見たのか数名の気配と共にバラバラと黒い影が平蔵を取り囲んだ。


「鬼平と恐れられていると聞いたが、大した奴ではねえなぁ、さすが軍師の磯島様だ、
これでお江戸もちったぁおつとめがやりやすくなろうってもんだぜ、
済まないねぇ鬼平さんよ、ここらで成仏してもらおうか!」

と主犯格の男が平蔵の正面に回って、槍を腰だめに構えた瞬間その男が
「ギャ~ッ」
と悲鳴を上げてエビ反りに反り、短鋒槍が天空の月を刺すようにキラリと光って倒れた。


刺客共が振り向く余裕を残さず、すでに二人が二太刀で地に沈んだ。


間髪をいれず残る一人が月を背に平蔵の前に立ちふさがって刀を構えたが、
その背後から鋭い突きが刺客の胸を貫いた、悲鳴を上げる間もなく
(ひゅ~っ)と短く呼吸音を残して前のめりに突っ伏したその男を乗り越えて
月明かりを背にした男が
「お頭!」
と叫んだ。


苦しい息の下で平蔵はその声の主が同心沢田小平次だと判った。


「沢田・・・か!」


「お頭!お気を確かに!」
こうして平蔵は九死に一生を得たのである。


平蔵がお役復帰を果たせたのはおおよそひと月の時の流れが必要であった。


「それにしても沢田!あの時よく俺の行く先が判ったものよのう」


「ははっ 実はお頭が妙な夢を見られたと聞かされました佐嶋様が
陰でお頭を張る様にと・・・」


「そうであったか、そこまでわしの事を・・・
いやお陰でこうして畳の上で生きておる、誠に皆に心配をかけた、礼を言わせてくれ」
平蔵は深々と頭を下げた。


「お頭!!我らはお頭あっての者ばかり何卒この度のような無茶はなされませぬよう・・・・」


「あいすまぬ!わしはまことに良い仲間を持たせてもろうた、
此度の一件わしのわがままから引き起こした事件であったが、げに恐ろしき相手であった。


これまで幾度か後をつけられ一度は奴らに襲われておるが、
いずれも殺気のないものであったのが妙に気になっておった、
それがわしの動きを見切る襲撃であったとは、さすがに軍師と呼ばれる奴のことはある。


なるほど敵を知り己を知れば百戦危うからず・・・孫子の兵法を忘れておったよ。


「その軍師と呼ばれる磯島とか言う輩の正体は判りましたので」
と沢田小平次。


「そいつのことよ、俺も気になってあたっては見たのだがな、さっぱり正体がつかめぬ。


ただ奴らが言っていた話から察するに、この度の襲撃には直接手を下してはいないようだな、
おそらく此度のような暗殺を請け負うやつなのかも知れぬ。


それにしても生身と言うもの瞬間の判断は習慣のようなものなのだな、
癖と言ってしまえばそうだが、それを読み取って襲撃方法を工夫するなんてなぁ、
誰ばりの出来るものじゃぁねぇなぁ


わしの行動を把握し、どこで仕掛ければよいか、その方法は更に綿密に知り尽くされており、
そこに最大の効果が出るように仕掛けて待つ。


空から竹矢来の雨が降って来た時は無意識に反応する、
その反射的な動きを見越して次の仕掛けをしておる、

わしの身体が吸い寄せているようでアレほどの恐怖を感じたことはなかった、
実に恐ろしい殺人集団であった」


人は輪廻転生同じことを繰り返すと言うこの世で解決せぬものは生まれ変わろうと、
それは再び繰り返されるそうじゃ、前世の業をこの世で夢に見ることもある、
それを予知夢とか申すそうじゃ、

だがなぁ結局それは現実には躱すことの出来ぬ物のようじゃ、
沢田がおらなんだらわしは今頃この世には居らぬ、
まこと人の運命は一寸先も読めぬもの、
ただ毎日を手さぐりしながら二道を選んでゆかねばならぬものなのだのう」

平蔵はまだ痛みの残る身体を起こして取り巻く部下たちの顔を見渡した、
その奥に静かな笑みを浮かべた妻女久栄の姿があった。


 


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