鬼平犯科帳 鬼平まかり通る 5月
粟田口近江守国綱の末裔一竿子
天明四年三月二十四日、田沼主殿頭((とのものかみ)意次嫡男にして老中であった田沼山城守意知(おきとも)は、江戸城内において旗本佐野政言(まさこと)により粟田口国綱の末裔一竿子(いっかんし)忠綱の大脇差で殺害されている。
鬼平犯科帳外伝
青い果実
安永八年二月二十一日、十八歳になった徳川家基(いえもと)は新井宿での鷹狩の帰り、品川の東海寺で体調不良を訴えた。この時は奥医師池原雲伯良誠の調合した薬湯を飲むも、症状は変わらず、田沼殿頭守意次の薦めた町医師若林敬順・日向陶庵が召し出されるもこれまた手に負えず、奥医師大八木伝庵盛昭に交代。
その三日後、十八歳で薨去(こうきょ)(急死)
念願の世継ぎを失った十代将軍家治は病の床に伏せるようになった。
世継ぎの居ない家治が死去した場合、八代将軍吉宗の意向により、十一代将軍は徳川吉宗の次男田安家・徳川吉宗の四男一橋家・徳川九代将軍家重の次男清水家の何れかから立てることになっている。
天明元年閏(うるう)五月、三十歳になった御三卿の一人一橋治斉は、一橋家家老田沼能登守意致に「どうであろうか、ご老中主殿頭様に、この一橋の豊千代(後の十一代将軍家斉)を上様ご養子縁組に推挙戴けぬものであろうか」
と切り出した。
それに応えて田沼能登守意致
「次番の田安家は明屋敷ゆえ跡目相続がござりませぬゆえ、それは何も問題は無きかと存じます」そう答えるしかなかった。
今にして思えば八年前、田安徳川賢丸を田安家から排除する相談があった事を実父田沼能登守意誠より聞かされていた田沼能登守意致(何と恐ろしい読みをなされるお方だ、さすがの田沼意次様も此処までは読まれなかったやも知れぬ)
しかし、この一橋から次期将軍が出るとなれば、我ら田沼一族も安泰。そう踏んだ田沼能登守意致「では早速にご老中に進言為されますよう」
と奨めたのであった。
一橋徳川中納言治済からの申請を受け、田沼主殿頭意次、早速登城し、臥せっていた十代将軍家治を説得し、一橋家当主徳川治済の嫡男豊千代(後の十一代将軍徳川家斉))を養子に迎えるよう進言し、これは実行に移された。
時は天明元年のことである。
同時に田沼能登守意致は西之丸御側御用取次見習いへ移動、これは田沼主殿頭意次の意向であった。
それと同時に一橋徳川家斉と近衛寔子は一橋家へ引き取られ家斉と一緒に育てられる。この五年後、十代将軍家治が危篤状態と聞きつけた一橋治済、病気見舞いと称し登城、臥せっている将軍家治の耳元へ
「十代様、窃(ひそ)かなる噂にござりますが、家基様は主)殿頭殿の薦めた御医師の御薬湯をお含みになられた後、急にお倒れになられたとか──。お聞き及びではござりませぬか?」傍に控えている用人に聞こえないよう用心しつゝ家治の耳元に吹き込む。突然十八歳の若さで奪われた我が子を思い、悲嘆に暮れていた家治には、すでに物事を冷静に判断する力も気力もなかったのであろう、「それはまことか!それが真ならばゆいしき事!」
と激昂、疑心暗鬼に陥ったまゝ、懐刀であった田沼主殿頭意次を疎んずるようになってしまったのである。
この諜略で十代将軍家治の勘気を受けた田沼主殿頭意次は面会謝絶となり、政務から遠ざけられてしまった。
天明四年三月二十四日、田沼主殿頭意次嫡男にして老中であった田沼山城守意知は、江戸城内において旗本佐野政言により粟田口国綱の末裔一竿子忠綱の大脇差で殺害されている。
天明六年八月二十五日第十代将軍徳川家治が五十歳で薨御(こうぎょ)し、一橋徳川豊千代 (家斉)が晴れて第十一代将軍の座に就いたのである。
我が子家斉を将軍職につけるために、妨げとなるものを全て排除する企てを安永二年以来十三年に亘って費やして以後、残るは田沼能登守意誠の嫡男、田沼能登守意致のみとなり、これも翌天明七年五月二十八日、天明の打ちこわしを機に、田沼能登守意致小姓組番頭格西之丸御用御取次見習を罷免される。
ここに、十代将軍徳川家治死去に伴うこれを好機と捉え、目の上の瘤となった老中田沼主頭意次や意次派の幕閣を退けるため、これまでの企てを総て田沼主殿頭意次一人に押し付ける工作が一橋治済によって始まったのである。
京より戻った平蔵、老中板倉佐渡守勝清より小普請支配長田越中守元鋪組配下の 沙汰がある。 小普請組は小普請金を納めさえすれば何もすることはなく、千代田城や寺社など の修繕が担当の非常勤であった。 京での思慕の情に耐えきれず、これを忘却しようと思ったのか大通(だいつう)と呼ばれる洒落た格好で郭(くるわ)に通いつめるも、それは虚しさを増すばか りで、いに父宣雄が蓄えまでも使い果たしていた これを嘆いた西之丸書院番頭であった水谷(みずのや)伊勢守勝久、老中筆頭 松平武元に、自分の先祖が平蔵の父宣雄と同じ備前岡山藩藩主であったところ から、長谷川平蔵宣以を西之丸書院番士に推薦したのである。 もとよりこの長谷川平蔵宣以の父長谷川平蔵宣雄は自身が抜擢して盗賊改に加役 し、京都西町奉行に任命した経緯もあり、この嫡男平蔵宣以も見知り置きの者で あっため、これを快諾したのである。 長谷川平蔵に西之丸書院番頭水谷伊勢守勝久より呼び出しがあり、西之丸御用部 屋に祗候する平蔵へ 「平蔵!そなたの祖母は、我が曾祖父備中松山藩馬廻り役藩士三原七郎兵衛の娘御であるが、藩改易の折三原殿は浪々の身となられた。 西之丸御小姓組であったそなたの祖父長谷川権十郎宣尹(のぶただ)殿は病弱の 由、その手伝いに上がっていた折見初められ、やがてそなたの父宣雄殿が生まれたそうな。 儂の曾祖父は備中松山藩藩主であった故、まぁそなたとは同郷のよしみとでも申すかのぅ。 松山藩改易の折、城明け渡しを受取に参ったのが赤穂藩家老大石内蔵助良雄殿、当時水谷家家老は鶴見内蔵助であったと言う事で、話し合いもこじれることなく 無血開城に終わったのだと親爺殿によぅ聞かされたものだ」 平蔵初めて父宣雄の出生をここに知ったのであった。 こうして長谷川平蔵は父長谷川宣雄と同じ西ノ丸御書院番番士から新たな一歩を 進む事になった。西ノ丸御書院4組水谷組番士となった平蔵、同年に水谷勝久より田沼意次を紹介され、これを機に長谷川平蔵の通常ならば2年ほどで栄転・昇 進するお役の盗賊火付御改(火付盗賊改方)長官の重責を8年も続けるという苦難 が始まったのである。
長谷川平蔵は田沼意次の忠節・孝行・身分の上下にかかわらず(遺訓7箇条の 内3箇条)などの気配りや、倹約令のさなかにありながら{息抜きも必要であ ろう}と遊芸を認めたこと、これまで無税であった商家からの納税や海外との貿 易による増収に主眼を置く重商主義にも傾倒していた。 田沼意次は、御対客日や御逢日は公式日程を明けの6ツ(午前6時)から朝4ツ(午前10時)の登城前までの間と定めたために、田沼邸の前には身分の差別を してはならないという田沼家の家訓のため、身分の低い者などの陳情者もつめか け列をなしたという。
宝暦11年(1761)春
「のう意誠(おきもと)、十代様には未だもってお子が居られぬ、このままなれば次の将軍は田安家となろう」 一橋家では田沼意次の弟田沼意誠(おきもと)それと甥の田沼意致(おきともが家老を務めていた。こう意誠(おきのぶ)に問いかけたのは一橋家当主徳川治斉(はるなり)であった。 「それは順序からしてそうなりましょう」 (さてさて殿は次が田安家と思うて、何ぞ謀り事でも巡らせるお心算(つもりか) 「うむ、面白うないのぅ……」 脇息(きょうそく)に肱をつき、両掌に顎を乗せ不満そうに治斉(はるなり) 「と申されましても……」 (やはりそこであったか)と内心思いつつも少々うんざりした顔を悟らせまいと意誠(おきもと)素早く顔を庭の方に眼をかわす。 「そこじゃぁ、のう意誠(おきのぶ)、どうであろう田安家で唯一の厄介は宗武の七男賢丸(まさまる・後の老中松平定信)であろう、これを取り除けば十 一代将軍に成る者がおらぬようになろう」 大名武鑑をめくりながら一橋治済(はるなり)横目に移し、後ろに控える次家老へ言葉をなげた。 「確かに、仰せの通りに御座いますが、まずもって然様なことは……」 と次家老で田沼意次の甥田沼意致(おきとも)を見る。 「まこと田安家はすでに治察(はるさと)様と賢丸(まさまる)様のお二人、お世継ぎは治察(はるさと)様と言う事となるものの、万が一治察(はるさと)様になんぞ異変が生じました折には賢丸(まさまる)様が跡目相続という事になります る。 それを摘み取ることは間違いなく時期将軍はこの一橋と言うことにはなりましょう」と田沼意致(おきとも)ちらっと意誠(おきのぶ)の方に視線を投げ、反応を伺う。 そうであろう!とするならばそれも考えておかねばならぬの」 大名武鑑をパタリと閉じ、意を決した風に治斉(はるなり)立ち上がる。 千代田城本丸表屋敷、白書院下段の間の東、中庭を挟んで右向かいは松の廊下と なっている所に、かつて吉良上野介が松の廊下で襲撃される直前、老中と打ち合 わせをしていた帝鑑(ていかん)の間がある。 一橋治斉(はるなり)はこの前の大廊下を通りかかった久松松平家陸奥国白河郡 白河藩二代藩主松平定邦(さだくに)に 「白河殿、少々お耳に入れたき儀これそうらえども、ご同道願えますかな」 と切り出したのは安永3年(1774)のことであった。 「これはまた一橋様、この私めに如何様なるお話にござりましょう?」(これまで 一言も交した覚えのない一橋治斉(はるなり)様が一体どの様な話しがあると云 うのか?訝る松平定邦くさだくに)に扇子を広げ、周りに眼を配りながらそっと 耳打ちしたのである。 のう松平殿、同じ久松松平家伊豫松平藩も田安家から御実兄定国様を御養子にお迎えになられ、溜詰(たまりずめ・祗候席・しこうせきと言い将軍拝謁の順を待 つ大名が詰める部屋)に昇格しておられるので、もしご貴殿が同じ田安家の七男 賢丸(まさまる)様を養子にお迎えなされば御貴殿の溜詰も夢ではござりますまい、何しろ八代様(吉宗)の御孫さまでございますからなぁ。 その折には及ばずながらこの一橋もお力添えを致しましょうぞ 意味深な顔で一橋治斉(はるなり) 「一橋様、それはまことにござりましょうや!」 徳川家康を祖としながらも陸奥(みちのく)の一大名に身を置いている定邦に取って、この一橋治斉(はるなり)の甘言はまことに心地よい響きを持っていた のである。 「御助成仕ると申したからには、武士に腹蔵などござらぬ」 と持ちかけられた松平定邦、まんまとこの策略に乗り田安徳川賢丸(まさまる)との養子縁組を上奏したのである。
十代将軍家治は、跡取りに恵まれず、田沼意次の推挙により側室となるお知保の 方との間に生まれた世継ぎ家基(いえもと)を授かった。時に宝暦12年(1762) 十月25日のことである。 安永8年(1779)2月21日18歳になった徳川家基は新井宿での鷹狩の帰り、品川の 東海寺で体調不良を訴えた。この時は奥医師池原雲伯良誠の調合した薬湯を飲む も症状は変わらず、田沼意次の薦めた町医師若林敬順・日向陶庵が召し出される もこれまた手に負えず、奥医師大八木伝庵盛昭に交代。 その3日後、十八歳(満16)で薨去(こうきょ・急死) 念願の世継ぎを失った十代将軍家治は病の床に伏せるようになった。 世継ぎの居ない家治が死去した場合、八代将軍吉宗の意向により、十一代将軍は 徳川吉宗の次男田安家・徳川吉宗の4男一橋家・徳川九代将軍家重の次男清水家 の何れかから立てることになっている。 天明元年(1781)閏(うるう年)5月、御三卿の一人一橋治斉は、一橋家家老田 沼意誠(おきのぶ)と田沼意致(おきとも)に 「どうであろうかのぉ、ご老中田沼様に、この一橋の豊千代(後の十一代将軍家 斉・いえなり)を上様ご養子縁組に推挙戴けぬものであろうか」 と切り出した。 それに応えて田沼意致(おきとも) 「次番の田安家に跡目相続がござりませぬゆえ、それは何も問題は無きかと存じ ます」 そう答えるしかなかった。 今にして思えば20年前、この一橋家当主一橋治済(はるなり)に田安家徳川 賢丸(まさまる)を田安家から排除する相談があったことすら、当の治済は忘れ 去っているほどに長い時の流れである。 (何と恐ろしい読みをなされるお方だ、さすがの兄上(田沼意次)も此処までは 読まれなかったやも知れぬ) と田沼意致(おきとも)と眼を見合わせた出来事であった。 しかし、この一橋から次期将軍が出るとなれば、我ら田沼一族も安泰……そう踏 んだ田沼意致(おきとも) 「では早速にご老中に進言為されますよう」 と奨めたのであった。 一橋治済からの申請を受け、田沼意次早速登城し、臥せっていた十代将軍家治を 説得し、一橋家当主の徳川治済(はるなり)の嫡男豊千代(後の十一代将軍徳川 家斉・いえなり)を養子に迎えるよう進言し、これは実行に移された。
時は天明元年(1781)のことである。
「人が死んどるぅ」
遠くからバタバ夕駈けまわる音がせわしく往き来している。
「おしまはん!あんたはん家ん人が死んでますえ!」
向いの滝が表戸をけやぶる勢いで駆け込んで来た。
昨夜は悶々として一睡も出来なかったのであろうおしまは、まるで兎のようなまっ赤な眸を腫れ上らせ、座したまま出口を見た。
早朝のぼんやりとかすむ陽光を背に、はぁはぁ息をせわしげに滝が戸を掴んで立っていた。
「?……」
「おしまはん!あんたん旦那はんえ」
「へっ?─」
「さっきからお役人はんが調べてはるえ」
おしまその言葉を背にからめる様に素足のまま駆けだして行った。
孫橋の向う、鴨川側には黒山の人だかりがあり、戸板に乗せられ番太が前後で提げ、三条大橋に向き歩き出しているそれへ
「待っとおくれやす!」
素足で髪を振り乱し、血相変えて駆けつけ、九十郎の骸にすがるおしまのただならない風体を視る。
「見知りおきの者か?」
役人が訝しそうに観る。
「あっ──
否え……」
「ならば邪魔立ていたすでない、皆早々に立ち去れ」
役人は群がる人垣を棒六尺で払い除け、去って行くそれを見送るしまの双眸に、もはや涙はなかった。
狛のの話し以来銕三郎、前にも増して探索は多方面に拡げざるを得なくなっていた。だが、その甲斐も日々徒労に終る始末である。
何しろ言葉を話せば他国のものと判ってしまう、勢い視聴覚に頼らざるをえないのが現実であったからだ。
時季はすでに月を越し五月に入っていった。
かすみの奔走によって、安永元年(一七七二)新造営になった仙洞御所へ、後桜町天皇が御移りになった。その慶賀の際、諸大名からの慶賀の授受なども当然あった。
このどさくさに紛れ不正が横行したのではないか、と言う話が噂されているという事であった。
このことに関し、銕三郎の詰問にもかすみはその出処を口にしない。
その理由は、いくら間い正しても堅く口を閉ざし語ろうとしなかった。
(一体どうしたというのだかすみどのは?これまではなんでも話してくれたのに妙すぎる)
銕三郎意を決し、翌日この事を父宣雄に報告すべく、かすみとちよを残し、市井の者にまぎれ、西町御役所に向った。
父信雄に、これまでの経緯を全て話し、
「家族の身に危険が及ぶ恐れあり、御役所には近づかなかったものの、此度の事は書面のみにては伝へる事叶わずと危険を冒し参上致しました」
と銕三郎。
この報告を聞いた宣雄
「銕!御苦労であったな!どうにも踏み込めぬ暗所の扉が開いた思持ちがする」
信雄、少しやつれた顔を悦びであふれさせる。
「ちびっと出て来ます」
木屋町を流れる高瀬川
木屋町の旅人宿すずやの女中おしま、このところ気重なのか、いつもと違い
「おしまはんどないしたんぇ、こんとこ達者におへんなぁ」
女将の安ずるのも無理はない。
この月に入って青白い顔のままやって来るようになっていたからである。
「お女将はん、もしかしておしまはん、 やや子出来はったんやおへんか?」
「そないな事云うても─、あっ…けどなぁ、そやろか」
(これはこまった事になる。この働き手が使えなくなると、たちまちそのとばっちりが自分の方にふりかかる、それだけはかんべんして欲しい)そんな顔つきで
「おしまはん、あんたもしかして、やや子出来はったんとちがいますのんか」
探る眼つきに女将繁s義解とおしまの腹を眺めやる。。
「そないな事──」
と云ったものの、身に覚えのあること。ため息ももれようものだ。
「おしまはん、無理せんかてええんどすえ、少し休んでいよし」
女将はしまの顔をのぞき込み、不安げなしまの背をたたく。
夜五つ(午後七時)三条大橋を越えた仁王門通りにある若竹町の長屋に戻ったしま、中に九十郎の姿がないのを認め
「どこ行かはったんやろ」
小声でボソボソ云い乍ら表通りまで出てみた。
孫橋を戻り、大橋に向った所で九十郎が孫橋に向って歩いて来るのが見えた。
「九十郎はん─」
おしまは小走りに駆け寄り九十郎の後ろに従った。
「何だおしま気重な顔は」
少し気になったのかおしまの方へ振り向き足を止めた。
「うち出来たみたい─」
「?……何?」
「やや子が─」
「……」
「嬉しせゃあらへんね」
「……」
「うち授かりもんどすさかい、産もう思うてますのんや」
不安を打消す様にしま
「俺が親父になぁ─」
九十郎何かを含む様に口角を歪める。
「あんたはんに迷惑かける気ぃあらしまへんよってに」
愛しそうに帯の上から撫ぜるおしまの姿を一瞥して九十郎、つ と立つ。
「あれ、今からどこへおいやすのん」
おしまの声を背に聞きつつ九十郎戸口を開け出て行った。
その半刻後、戸が勢いよく開かれた。
観れば刀の柄に手を掛けた浪人態の者。部屋の中を伺い
「女!九十郎は何処だ」
周りに気を配りつつ眼で目的の者を捜している。
「どなたはんどすあんたはん」
おしまは気丈に間い返した。
目的の者がいないと見た男、踵を返し闇に消えて行った。
(何んやの!あんおかしな人は、それにしても九十郎はん一体何所行かはったんやろ)うつ向きかげんにため息。
入れ違いに九十郎戻って来、青ざめた顔を行灯の灯がゆらりと揺れて戸口に影を映す。
「たった今あんたはん捜してお侍はんが来ましたえ、どなたはんどすねん。えらい血相してはったわ」
おしまは刀に手をかけた様子におびえた眸で訴えた。
「何!侍だ!………。とうとうここも嗅ぎつけられたか・・・」
「何どす?」
蒼ざめるおしまの前に坐り
「おしま、俺も元は地下人西尾九十郎、だが無役のゆえに世をすね、いつの間にか人殺しの片棒を業としてしまった。
あるお方の指図で先に御役所の役人を切った。だが二人目をしくじり、このような体になってしまった─」
「御役所?まさか西町御役所?」
「うむ、確かそう聞いた──」
そう言った九十郎、いきなりおしまに突き放された。
「嘘や嘘や嘘やぁ───」
「おいおしま、いかが致した──」
左腕しか動かせず、その場に倒れた九十郎、やっと体勢を戻しつつおしまの急の変り身に戸惑いをかくせずに面喰っている。
「確かに西町御役所と…」
「おお言った」
「それはうちのお父はんや!」
「何だと!──」
「そんなんそんなん嫌やぁ」
おしまはとり乱し、戸を引き開き、暗い表へ駈け出して行った。
「おしま─、どこへ行く──。まさかまさかお前の父ごとは何たる事」
九十郎その場に膝をついて動く事も出来ず、おしまの駈け去った闇を凝視するのみ。
さわやかな夜風が、通りにそって鴨川から吹き上って来る。
九十郎、おしまを案じ孫橋近くまで出たものの、心の乱れを抑え切れないまま淡い月明りの下、つっ立っていた。
「西尾九十郎だな」
ふいに九十郎の後で人の気配がし、低く押し殺した声がした。
「誰だ俺の名を知っておるとは」
九十郎、薄明かりの中の声を確かめつつゆっくりと左手を刀の柄に懸けつつ振り返った。
「俺だ香山左門だよ。探したぜ、しくじったあと姿を眩ますとはのぉ…。あのお方の眼がある事を忘れるわけもあるまいに」
低く重たく押しかぶせる様な声が一歩前に踏み出る。
「左門!お前か─。俺はてっきり─」
「てっきり誰だと想った。ふん!多分な、そいつは外れてはおらぬよ」
「判っておる、だが今は待ってくれ!必ず次は仕留めるから、あのお方にそうお伝へしてはくれぬか」
九十郎、柄にかけた片手を前に懇願する様に小首を項垂れる。
「助けてはやれぬ、あのお方の命だ!」
九十郎、あわてて刀を抜こうにも、その腕は鞘半ばで伸び切っていた。
その胸には左門の繰り出す刀が深々と突き刺さっていたからである。
(ぶはっ!!)口から一気に血を吹き出し九十郎、堪らずその抜きかけた刀の柄を離し、己の胸に打込まれた剣を掴み堪える。
「しくじりは許されぬ、それはよく承知いたしておろう」
左門、そのまま欄干に九十郎の体を押しつけ、その腹に左足をかける。
「待ってくれ!俺には子が出来た、だからもう少しだけ待ってくれとあのお方に」
突き刺さった刃を左手に掴み、ドクドクと噴き出す血潮が下帯まで伝わり、脚元に流れる激痛を堪えながら九十郎、顔を歪めて懇願するも、
「そのような話しなら地獄で致せ」
背を貫いている刃をえぐる様に右にひねりながら胸から刃が引き抜かれ、一気に鮮血が吹き出し、九十郎はその場に崩れ落ちる。風は止めどもなく溢れ出る九十郎の血を舐めて生臭く辺りに漂う。
香山佐門、九十郎にとどめを刺し、それを確め{ビユッ}と刀に血振りをくれて鞘に納め、足音も立てず闇に消えた。
あれから一刻(二時間)を過ぎたであろうか──、ふらふらと幽霊のような足どりもおぼつかないおしまの姿が三条大橋から左に折れ、孫橋に進み、よろよろよろめきつつ仁王門前通りから若竹町の長屋にたどりついた。
家には明りもなく、ただ漆黒の冷えびえとした空気だけが待っていた。
十五日は八坂神社でどんど焼が執り行われる。
ちよを店に残し、揃って去年戴いた破魔矢も添えて神飾りの炊き上げに向った。
新しく破魔矢を戴き、それを神棚へ飾り、三人そろって柏手を打ち、今年一年の願をかけた。
銕三郎とかすみ、店廻りをすませ植木屋を訪ね、室咲きの桜を探す。
室に桜の若枝を入れ、炉火を入れて暖め、早咲きさせる物で、その分いのちも儚いものの、目出度い席には好まれるもので、中々程の良い物はみつからない。
狛(こま)やの女将にたのまれたものである。
「銕三郎はんこまったなぁ……」
しょんぼりと肩を落すかすみは、か細い肩がよけいに小さく見え、落胆の程が伺える。
「専純殿に相談してみるのもよいかと思いますが。あのお方ならお顔も広ぅございましょう」
「そやなぁ…。お師匠はんならええ知恵貸してもらえるかも知れへんもんなぁ」
かすみの顔に少し精気が戻ったようで、銕三郎ほっとした面持ちに
「銕三郎はんかんにんえ」
とつぶらな瞳で見上げた。
かって知ったる紫雲山頂法寺である。案内も乞わず奥へと進む。
道場に専弘の姿があり、二人を見つけ
「おやかすみはん、それに長谷川はんどしたな」
と笑顔で迎え入れてくれる。
「専弘様、御住職は御在宅でございましょうか?突然の訪門で真に恐れ入るのでございますが」
銕三郎一礼して専弘の返事を待った。
「へぇ在宅中でございますさかい、ちびっと待っておくれやす」
と奥の方に去って行き、暫らくして専純が出て来、
「よう越しで──」
と二人を交互に見やり、
「何んぞこまった事でもあったんかいな、かすみはん (さて本日はどちらの方が問題なのか) と問いつつ二人を見る。
「お師匠はん狛ののお女将はんが、室の桜欲しい云われはって、うちの行ってるとこ、皆、今はまだて──」
しょんぼりしたかすみの顔を眺めつつ専純、
「よっぽど大事なお客はん来やはるんやろな」
専純腕を組み、しばし何かに思いを巡していたが、
「そや!伏見の花(はな)清(せい)が時折高瀬川を上って来るによって聞いてみよし、ここにも持って来るよって明日にでも言うてみまひょ!心配いりまへんよって、にっこりお笑いよし、長谷川はんも辛そうどすえ」
と銕三郎の面もちを案ずる。
専純の言葉に背を押され、かすみ
「お師匠はんおおきにどすえ、ほんまこれで肩が軽ぅなったわ!なあ銕三郎はん」横に並ぶ銕三郎に微笑みを見せた。
「ところで長谷川はん、あれから何か判らはりましたやろか?」
過日の禁裏附の事を尋ねているようであった。
「いえ、江戸表よりの周りを色々と廻っては見ておりますが、今一つこれと云うものは」
銕三郎深い溜め息を洩らす。
「そうどすやろなぁ……。禁裏附と賄頭だけでは内向に長じた地下官人相手の相撲はおお事やろな」
専純両眼をつむり思案にくれる。
専純に暇を乞い、戻りかけに高瀬川へ廻ってみる事にした。
高瀬川は、かって京と伏見を結ぶ主要な運河で、この川を行き来する高瀬船から名付けられたと云う。二条大橋南にあり、鴨川西岸に添って流れるみそぎ川から取水して枝分れしている。
ニ条から木屋町通りに添って流れ、十条の上で再び鴨川に戻る、鴨川までを高瀬川、鴨川以南を東高瀬川と呼ぶ。
このあたりは桜の頃ともなると曳船道に植えられた桜が咲き乱れ、花界にさらに華を添える所でもある。
戻り道の四条烏間の上の九之船入りに立寄って見る。
その四日後、六角堂の小僧より知らせを受け、次の朝早く銕三郎とかすみ、九之船入りに向う。
すでに船は曳き子によって到着しており、"花清"の主人が待っていてくれた。
「お早ょうございます」
かすみは主人に声を掛け、
「烏間のお師匠はんの使いのもんやけど」
と頭を垂れる。
船主と思しき気の善さそうな、小柄だが赤銅色に焼けた笑顔で
「おお!六角はんの所んお人どすな、へい託っておます、重とぅどすえ」
一束の花筵(はなむしろ)に包んだ物を持って来てくれる。
「けんど男はんがおるよし、どうでもあらへんやろう」
と銕三郎を認め、大切に手渡してくれる。代価一分銀二つを渡し
「おおきにお世話さんどした」
と頭を下げるそれへ
「美人ん嫁さんがけなり(羨ましい)どすなぁ!大事にしとぉくれやす」
首にかけた手拭いを取って銕三郎にペコリと頭を下げる。
手押車に花筵を積む銕三郎にかすみ
「聞いた?聞いたやろ銕三郎はん!美人の嫁はんてうちの事や!なぁ銕三郎はん?」
満面の笑みをたたえ、大はしゃぎで銕三郎の袖をひっぱる。
「さぁ誰の事でしょうね!」
銕三郎かすみのほころぶ顔を見やる。
「あん、もう銕三郎はんのいけず!うちぐれちゃる!」
とすねて見せる。その顔をながめつつ銕三郎
「いや怒った顔がまた可愛いですね」
と茶々入れる。
「うちもう知りまへん!」
、かすみ完全におかんむりである。
一方、腕に深傷を負った侍、あれからすでにふた月が流れ、年も変って安永二年一月下旬。
おしまはこれまで通り、毎日木屋町の高瀬川沿いにある旅人宿{すずや}に出掛けている。
夕刻にはいそいそと戻って行くそれへ
「ここんところおしまはん何んやうきうきしてはりますな」
賄いの徳二が前掛けはずし乍ら女将に言葉を投げた。
「そやなぁ、今までやったら早う戻ってもしゃあないよって─云うてたのになぁ…あぁ!もしかしたらええ人でも出来たんちゃうやろか」
「へぇ、もしかしてあん時の侍──そんなわけおへんな」
云いつつ終いにかかる。
「そやなぁうちもそんな気ぃしたんやけど、まさかなぁ」
そんなうわさ話しになっていようとはおしま、想ってもいなかった。
「今戻りましたぇ、ちょと待っとくれやす、じきにおばんざい作りますよって」
軽く奥に声をかけ、いそいそと前垂れをつけ、片たすきをかけて夕食の仕度に取りかかる。
その後ろから男が近より、おしまの身体に左腕を巻きつけるように引き寄せる。
「あかん、包丁持ってますんや─」
と云いつつもその腕にしなだれかかるおしま。
おそ目の食事も終り、おしまは酒の仕度をして奥の部屋にやって来た。
九十郎はんのお父 はんも、お家の皆はんもお近くに居られへんのどすか?」
「うむ──いずれもそばに居る」
盃を受取り乍らボソリとつぶやく。
「ほな、どないしてこんように市中(まち)に出はられますのや」
おしま不審そうにそう言葉を繋いだ。
「うん それだ──心が遠い……」
「いやぁかなんわぁ!…けどそん気持ち、よぉ解るような気ぃします」
水仙一式 「陰の花水仙に限る」
お見世は三元日を過ぎた頃から年の瀬に生けた花の挿し替えが必要になって来る。
松・竹・梅・水仙・寒梅・柳・千両・椿・南天・葉牡丹・万年青・葉蘭と云った材料の花類はちよが背負って来る物や、近郊の植木屋より仕入れる。
これらを手押車に載せて得意先の見世見世を廻り、挿し替えるのが銕三郎・かすみの商いである。
四日の朝早く、ちよが早摘みの草花を背負ってやって来、
「お師匠はんおめっとうさんで……」
と、迎えたかすみを一目見、
「あっ──お師匠はん!んっもうむっちゃ綺麗やおへんか!何んかいい事がおましたんやぁ」
と、確める風にかすみの瞳を覗き込み、
「なぁ鉄はん!ええことおましたんやろ?」
前垂れを目の傍まで上げたちよの目元もほころんでいる。
「ちよのいけず!そんなんちゃう!ちゃいますえ!」
耳朶までまっ朱に染めたそれを悟られまいと片袖に包むかすみ。
「怪しいなぁ──。お師匠はんほんまに綺麗どすえ。ちよも嬉しゅうおすえ」
と真顔で見つめたものである。
ちよの持参した花を仕分け終え、植木屋で仕入れた花木を揃え、銕三郎に抱えてもらうと、
「ほんなら行って来ます。後はよろしゅうたのみますえ。ほな鉄はんぼちぼち行ままひょか?」
銕三郎を促し、手押車に寄り添う。
それを見送ってちよ
「鉄はんおきばりやすえ」
と冷かし半分、うらやまし半分の顔で見送った。
祗園のお茶屋は様々な人々が出入りするし、芸子の前でも商談や相談事が平気で行われており、そんな奥向きの話も、かすみならそっと零してくれるのである。
だが銕三郎が傍に寄ると、急に口をつぐみ、怪訝な眼で銕三郎に視線を投げる。
それを察しかすみ
「お母ぁはん、こん人はどもないねん、御師匠はんのお墨付きどすえ」
と銕三郎を引き合せてくれるのである。
翌日少し遅めの朝餉をすませ、
「ほなおちよ、あとん事よろしゅうたのみますえ」
お揃いの晴着に袖を通し、烏間六角堂に専純を訪ねた。
道場の縁側に腰を下ろし、思いを巡らせていた風な専純、二人の姿を認め
「おゝこれは又御揃いでおめでとうはんどす」
いつもの笑顔で迎えてくれる。
銕三郎の後に添うように控え
「お師匠はんおめっとうはんどす」
初々しい恥じらいを見せるかすみの姿に専純をんなを視た。
「専純様、本年も何卒よしなにお願い申し上げます」
銕三郎両掌を腹前に添え合わせ頭を垂れる。
「これは又長谷川様、商人姿もよう似合うて─。ははは!どこから観てもこら町衆におますな」
「お師匠はん今年ん花は何の あっ──。花生けはられましたんどすか!」
道場で一人想いを巡らせていた姿にかすみ、すなおに心を述べる。
「今な、杜若エ夫しょったんや。こん花は、在原業平はんが三河国八橋で{から衣 きつつなれにし つましあれば はるばる来ぬる たびをしぞ思う}と詠まはれましたんや。
こん花はいつ見ても観あきまへんのや。浅き春、盛りの夏、侘びの秋、霜枯るゝ冬それぞれに、葉にも風情がありましてな──」
専純、眼を細め。ふっと遠くを見つめる。
「おおそゃ!かすみはん、松飾りはちゃんと出来たんかいな」
「へぇ銕三郎はんに手伝ぅてもろて、お師匠はんに教わったとおりに、竹の底節残して、あとは皆抜いてもらいました。おかげさんで小笹もしっかり水が上ってます」
(なぁ銕三郎はん)と云いたげに銕三郎を見つめる。
「そらなんよりどしたな。ところで長谷川はん何んゃ変った事はおへんか」
専純、気に懸かっていたらしく真顔に戻り話しを変えた。
「年の瀬よりこちら、これと云った様なものは……」
「そうどすか──仙洞御所で公文はんの動きが近ごろなんや妙や云うとったさかい、そのねきどうやろかておもてな、あはは……」
「姉小路様が──」
銕三郎、この陰の仕事を始めて以来、公家の名を知る様になっていた。
「さすがに長谷川はんどすな!よぅお判りでございますなぁ」
と、かすみの方に目を移し、にこやかに笑んだ。
三人並んで縁側に腰を下し、暫らく談笑の後、二人は専純に暇を乞い、六角通りへと歩を進める。
「お師匠はんおもどりやす」
ちよが笑顔で出迎える。
「お昼も近いし、ほなちよ!木槌持ってきておくれやす」
と、ちよを奥へ追い払い
「鉄はん善哉はお好きどすか?お鏡はんをカリッと焼いて、粒あんで仕立てますのや」
かすみ、ちよから木槌を受取り
「鉄はんおたのしますえ」
と銕三郎に手渡す。
俎板に下げた鏡餅を置き、銕三郎一気に打ち下す。
「待ってやぁ!……。綺麗に割れたやおへんか、なあ“おちよ”!割れ方で運気が判るんどすえ」
と講釈がつく。
「けんどなぁ…何で善哉なんやろか?」
素朴なちよの間いに
「六角堂のお師匠はんから聞いたんやけど、昔一休はんが食べはって、善き哉善き哉と云わはったそうや。そいからこっち善哉っ云うようになったんや」
「へぇ、やっぱり和尚、物知りやなあ」
「あたり前や…。なあ鉄はん」