忍者ブログ

鬼平犯科帳 鬼平罷り通る 三嶋山燈

鬼平犯科帳外伝

鬼平まかり通る  1月号


大晦日もあけ、うたた寝の銕三郎、唇にかすかな温もりを覚え、それから両の目に温か手のぬくもりを感じた。目を開けるとかすみの手で目が塞がれ、その耳元へ
「銕三郎はんおめでとうさんどす」
と、かすみのさわやかな声を聞いて銕三郎、うっすら双眸(りょうめ)を開くそこには、溌剌としたかすみの微笑が見おろしている。
「しまったいつの間にやら寝てしもぅた。これぁいけません、百も覚えておりませぬゆえ年を越し損ねました」
銕三郎鬢(びん)をぽりぽり掻きつつかすみを見上げた。
「うふふっ」
すでに化粧もすませ、立仕事の恰好(なり)でかすみ、銕三郎の背に手を添えて引き起す。
いそいそと祝い膳を運び
「おめでとうさんどす。今年もよろしゅうおたのみします」
と、水引で祝い飾りを施された酒器を差し出す。
「お屠蘇どすえ、今年も銕三郎はんがまめでありますように……」
左横に座して並び、もう一つ朱盃を取り出し、お屠蘇を注いでみつめ合い、口元に運ぶ。京紅の紅(あか)さが色白のかすみの口元をさらに引き立てて見え、艶やかで仄かな色気と言えばよいのか言葉にならない雅な姿であった。
「美味しい……。銕三郎はんと戴くお屠蘇はこないに美味しいんやなぁ」
しみじみとしたかすみの言葉はそのまま銕三郎の思いでもあった。
箸は柳の両細(片方は神様用)重箱用は箸紙に組重と書いてある物を使うのだそうだ。
質素ではあるものの、何れも心のこもった品々が用意されてあり、一つ一つ取り上げるたびにかすみ
「銕三郎はん!あ~ん!」
と催促する。
(俺が裸になれるのはこのかすみと居る時だけかも知れぬ)銕三郎、目の前の初々しいかすみの姿を見つめながら、ふとそう想ったものであった。
それ感じたのかかすみ、
「お雑煮が延びたらあかん!」
と、小走りに台所へ立った。やがてお盆に椀を2つ並べて捧げ持って来、
「こっちは銕三郎はんの!こっちはうちのんや!」
と雑煮用の椀を差し出した。
「外は朱塗りで中が金は男はん用、外が黒で内が朱塗りは女用どすねん」
と湯通ししたばかりの真新しい器に両細箸を添えてすすめる。
箸は三十日(みそか)にかすみに乞われて、銕三郎・かすみ、それぞれの名を箸袋に書き、神棚へ供えたもので、漆器の僅かな漆の香りが初正月のめでたさを教えてくれるようである。
丸餅にお祝清白(すずしろ)(小振大根)・金時人参・里芋に柚子の皮の角切りと三つ葉に糸かきを添えてあり、その真ん中に拳ほどもある頭芋がどんと座っている。
「おほっ!これでございますか、否(いや)まさに聞きしに勝る─。う~ん強敵にございますね」
銕三郎つくづく眺め(さてどうしたものかと思案橋。何しろこいつを食べ尽くさねばせっかくのお重に箸が付けれられないと来たものだから{う~んう~ん}と唸るばかり。
白味噌の甘い味に、控えめの昆布だけの出汁、それへ真っ白な小餅と金時人参の真っ赤な色目、色も煮る前の青々とした青菜に三つ葉、ちらりと柚子の角切りが絶妙な色合いを魅せて飾り付けてあり、金色の椀の中に湯気を立てている。
抱え込んで{すっ}と汁をすする──。とろけるようなその味わいに銕三郎目を閉じ深く息を吸い込む。
ふっと柚子の薫りに三つ葉の香りが絡み、しびれるような快感さえ覚えたものであった。
その表情を確かめるようにかすみ
「うふふ銕三郎はん幸せそうや……。かすみも嬉しゅうおすえ」
一口済ませたそこでかすみ、置き晒した寒酒を銚釐(ちろり)に入れて来
「おひとつ─」
と言葉を掛けて盃を促す。
「おおっ これは──」
銕三郎慌てて朱盃を取り上げ、注がれる新酒の杉の香に喉の奥を開き嗅ぐ。
まったりとふくよかな薫りとともに、下り酒の清らかな薫りが喉を越す。
「嗚呼美味い!」
それを確かめかすみ
「ほなうちにもおひとつ注いでおくれやす」
と、銕三郎の盃を取り上げ差し出した。
「これはまた!お過ごしなさいまするか!」
銕三郎銚釐(ちろり)を取り上げて注ぐ。
軽く頂いてかすみ
「なんや三三九度みたいやなぁ、うふふふふっ」
と飲み干す。
盃の紅を懐紙で拭い、袖を押さえて差し出してきた。
「返杯ですか?」
と銕三郎
「もう二杯戴くねん、だって三度飲まなあかんのんどすえ」
と悪戯っぽく双眸(りょうめ)を輝かせる。
炬燵(こたつ)は火鉢を囲んだ櫓の上に布団を載せるだけのもの。手を伸ばせばお互いの身体に触れる程度のものであったから、その上に置くなぞと言うことはできなかった。
かすみ、銕三郎の手を取り三杯目を注がせてそれを飲み干し
「今度は銕三郎はんの番」
と盃を受け取らせ、白魚のような腕を伸ばして盃に注ぎ、
「あと一杯どすえ」
と銕三郎の眸(ひとみ)を見つめる。
何がどうということではない、ただかすみの心のなかに描かれている絵草紙がそこに儚い一瞬(ひととき)の幻として存在(ある)だけであったろう。
二人だけの時間を久々にゆっくりと寛(くつろ)いだあと
「ねぇねぇ銕三郎はん、初詣にいこ!いつもお雑煮すませたら参るんよ、なっ!行こ」
もう少しゆっくりしたいと目で訴える銕三郎を急き立ててかすみ、銕三郎の為に内緒で誂えた晴れ着を持ち出した。
鉄紺の紬(つむぎ)は銕三郎の背に当てるとぴったりと収まる。
「やっぱりよう似合うてはりますなぁ──。うふふふっ」
この処かすみはよくこの含み笑いをする。それ程かすみにとって銕三郎の出現は新鮮なものであった。
同じ色目の髭紬の羽織を着せかけられる。その仕草はまるで初々しい新妻のそれである。
少々てれながら銕三郎、まんざらでもない顔に、これも真新しい白足袋を差し出した。
「お師匠はんから貰ぅたんやえ、お正月に履きなはれいぅて」
いそいそと自分も支度をすませ、框(かまち)に真新しいおそろいの真(しん)塗り下駄を並べる。
「うちのんは裏が紅なんや」
と下駄を返してみせる、そこは京紅色に塗られ、黒と朱の対比がまばゆいほどに美しく思えたものであった。
何もかもこの日のためにかすみが取り揃えた品々である。
いじらしいほど一生懸命銕三郎に尽くそうとするかすみの心根が痛いほど銕三郎に伝わって来、
「これで私もいっちょ前の旦那衆ですねぇ」
と両袖を摘んで引っ張り、かすみを見やる。
素早くかすみ銕三郎の左側に寄り添い
「どこから観ても揃い雛やぁ、なぁ銕三郎はん」
上機嫌でかすみ銕三郎の腕を取り戸口へと導いた。
外は薄っすらと雪化粧に覆われ、そこを行き交う人のそれぞれの表情は新しい願いに満たされているように思えた。

拍手[0回]

PR