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鬼平犯科帳 鬼平罷り通る 三嶋山燈

鬼平犯科帳外伝

2015年1月1号 あるがまま   木喰上人

木喰上人自身がモデルと言われている

「この処おかしらは変でございますなぁ」
呑気者の木村忠吾でさえそう想うほど、近頃平蔵は黙りこむことが多くなった。

筆頭与力の佐嶋忠介でさえ言葉をかけにくいと思う日々である。

妻女の久栄がその空気を読み取ってか「殿様 あまりこんをお詰めにならず、
いっそ気晴らしに旅になとお出かけにでもなられましては」と案じる。

市中もこのところ少しばかり落ち着きを見せており、
与力・同心の腑に落ちない様子が役宅の中に拡がりつつある。

久栄の勧めもあり、墓参りを兼ねて四谷御門前の戒行寺に出かけた。

いつもなら妻女久栄のために油揚坂途中の豆腐屋で名物の油揚げを
買い求める平蔵であったが、本日はそれも横目に、
だらだらと石段を下り伝馬町当たりまで下りてきた。

(ふむ・・・・・・)深い溜息とも想われる息を残してゆらゆら歩を進める。

茶店で休んでいたとおぼしき修行僧が「もし!そこな御仁・・・・・」
と声をかけてきた。

(んっ 俺のことか)と目を上げると、「お前様何をそのように案じておられる」と
再びその修行僧がにこやかな笑顔で問いかけてきた。

平蔵は何故かこの僧の笑顔にふと心が緩み、床机に腰を下ろし
「身共のことでござるか?」と聞き返した。

「さよう お前様じゃぁ 人はおのが心に石を置かば、其の重み故に難じゅう致す、
野の花を観、喜びや慈しみを覚え、空を見て心安らかを知る、
物皆あるがまま、何に心を砕きてか苦を求むることもあるまい。
そうではないかの?」

「出された茶をすすりながら、平蔵はこの僧の言うことに安らぎを覚えた。

「御坊、人はなぜ善悪に別れてしまうのでござろうなぁ」と言葉を吐いた。

「さよう、風に抗すれば花も又散ろうに受けて流すは天の恵み、
種を運び増し増やそうほどに、迷い迷うたとて変わらぬものは変わらぬ、
仏も夜叉も身は一つ。

何をためろうとて明日の命を伸ばすことも叶わぬものを吹く風に身を任せ、
おのが心を解き放たれば悩みなぞという物無のごとし。

おのが望みを知る事こそ為さねばならぬ悟りとは想わぬかのう・・・・・・
凡そこの世に在るものすべて味おうても楽しみても禁ずることもなく
尽きることもない。
鳥は己が身をはじたことも嘆いたこともあるまい、しかるに何をか悩むことあろう。
お前様の上にお前様はなく、又お前様の下にお前様はあるまいに。

わしは諸国を旅しつつ、神仏を彫り続けておる、だが、これはおのが心を無にする試し、
無になろうと一心に彫ることがすでに無になってはらぬのよ。
なぜ彫るのであろうのう・・・・・・

そう言葉を続ける僧のずきんにとんぼが止まる。

不思議そうに眺める平蔵に、今のわしには帯びるものとて何もない、
ひたすらこの町並みを眺め、その一部であることを気にもせず、
只々有難く茶を頂いて心安らか。

人は人それだけの事じゃ、生まれながらに悪人はおらぬもの、
罪は罪なれど人は又人なのじゃ。
人を裁ける者がこの世に一人とて居るであろうかの?

善悪は一対のもの、どちらの立場におるか、その違いがあるだけだとは想えぬか。
人は時として夜叉にも仏にもなる。

それを見極めるのも己を解く事かもしれぬ。路端に咲く花をみなされ、
童は摘み取りて喜ぶが、牛馬はこれを喰らいて腹を肥やす。

さて花はいかがおもうであろうかの。

花にとってはいずれも同じ生命を縮めることに変わりはあるまい。
のう、お前様」。

平蔵は腕組みをしたままじっとこの僧の言葉に耳を傾けていた。

僧は静かに茶をすすり終えると茶代を置き、奥に向かって両手を合わせ
「お前様がもの想うておることそれ自体が地獄と言うものじゃ、
この世で預かったものを受け入れる、そこに極楽はあるとみたがのう」
と平蔵の顔をにこやかに眺めた。

「御坊の申される通り、わしは迷うておった、世に災いを為すものを捉えるわしは
はたして善人なのであろうかとな、これまでの御坊の垂訓に鱗が剥げ申した。

「ほほほほほほ 今の気持ちがそれ極楽なのじゃ、何も構えずともよかろう、
大海を知った大河は山に向うては流れぬもの」

「おお 良く解り申した、して御坊のご尊名をお聞かせ願えまいか、
身共は長谷川平蔵と申すもの」平蔵は丁寧に尋ねた。

「木喰と申しまする遊行僧にござります」と絶えない笑顔で平蔵を見やり
両手を合せて立ち去った。

「俺はこれまでお上のお役に立てばと思うて働いておったが、
老中などからまで利益をむさぼる山師のような姦物と言われては
俺のつとめは何のためであろうかと迷っておった。

今の世の中庶民の安らかな暮らしを守るのがわしが役目。
それをとんと忘れるところであったわい」。

後に平蔵はこう側近の佐嶋忠介に語ったという。

菩提寺の帰りに出会うた遊行僧木喰の懐を心地よく抜けてゆくような
爽やかさを忘れることはなかった。



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