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鬼平犯科帳 鬼平罷り通る 三嶋山燈

鬼平犯科帳外伝

平蔵暗殺 2-1 あぶりだし 2月第1号


  筆頭与力佐嶋忠介


過去に大村事件で浅手ながらも平蔵の左肩を切り裂いた急ぎ働きの凶悪犯、
網切の甚五郎が江戸に入ったと言う噂は、馬蕗(うまぶき)の利平治から本所菊川町
の平蔵が役宅にもたらされたのは、江戸の町も師走に入り、
どことなく慌ただしい気持ちになる頃であった。


それから数日後、長谷川平蔵が三十日の逼塞(ひっそく)を申し渡されたと言う
噂が盗賊仲間のうちに広まった。


逼塞とは当時の武家や僧侶に対し不始末ありと
の理由で申し渡される刑罰の一つ、門を閉ざし、昼間の出入りを禁じる軽くて
三十日、重い時は五十日という決まりである。

出処は上役である南町奉行所が、長谷川平蔵の取り締まりに行きすぎ多々あり、
上役である奉行所への風当たりも強くなる一方、このようなことは、
江戸を預かる奉行所としては、誠に遺憾である。


というのが事の発端のようではあった。

庶民を守るものが庶民に不安を与えることは如何なものか。


幕閣にもその意見を声高に述べるものも現れ、京極備前守も抑えきれず、
このような処置になったと言うのが大筋の見方のようである。


清水御門前の役宅は門を閉め、門番も中に入ったまま人の出入りの気配も全くなく、
不気味なほどだと谷中三崎町の法受寺門前の花屋鷹田(たかんだ)平十の耳にも
達していた。


この男、鷹田の平十は品川の上郎上がりの女房おりきと暮らしており、口合人を
十五年もやってきた盗賊の間では名の知れた男である。

そこへ網切の甚五郎の配下、野尻の虎三から、腕の立つ助っ人をお頼みしてぇと
網切の甚五郎からの口合話が持ち込まれた。


断るわけにもいかず、さりとてこの網切の甚五郎の悪どい評判はいやというほど
聞かされている。



なまじの助っ人では務まりもしまいし、第一この網切の甚五郎のやり方が気に入らなかった。

盗人にもそれなりの仁義というものがある。


(殺さず・犯さず・貧しき者からは奪わず)せめてそれが盗人にも三分の理だと
思っている平十は困り果て、同じ口合人の本所相生町で表向き煙草屋を営んでいる
舟形の宗平に困り事を持ち込んだ。

この舟形の宗平は初鹿野音松の盗人宿の番人をしていた頃平蔵に捕縛された経緯が
ある男である。

宗平が少しばかり年上ということもあり、「お願い致します、舟形のどうか私を
すけておくんなさい。



いやね、あっしだってこんな急ぎ働きのおつとめなさる網切のお頭の持ち込み話しは
出来ればお断りしたいのですが、その後のことを思うと、女房のおりきに
類が及ぶんじゃァないかってね・・・・・

困り果てて相談をと言うわけさ、何とか・・・どうにかならないかねぇ」
ほとほと困った様子で差し出された茶をすすっている。


「平十さん、ご覧のように私も年で、今じゃぁ気質の煙草屋で何とか暮らし向きも
溜息ほどだが続いております、だからと言って、昔はご同業のよしみってぇものもありますから、
どうでしょう間に入る人をご紹介することでこの場を繋ぐってぇことは出来ないものでしょうかね?」


宗平はそう断って平十の顔を見た。

「分かりました、これでやっと私も肩の荷が下りたような気分でございますよ、
所でその仲立ちのお方は何とおっしゃるのでございましょう?」

馬蕗の利平治さんと言います。
元は上方にいなすった頃は高窓の久五郎お頭のなめやくを受けていたお人さ」
宗平はじっこんの間柄でもある馬蕗の利平治を仲介役に薦めた。


「上方で、さようですか、ならば間違いもございませんでしょう、
何しろ網切のお頭の所業はこの道では知らぬ者とておりますまい。

血なまぐさい事では盗人仲間でさえ一目も二目も置いているお人ですからねぇ、
これで私も今夜から枕を高くして休むことが出来ます、ほんに ほんにありがとうございます」
平十は涙を流さんばかりに喜び、幾度も幾度も宗平に両手を合わせて伏し拝んだものだ。

翌日、本所石島町の船宿(鶴や)に平十の姿があった。

「もし、ちょっとお伺いをいたします、こちらに馬蕗の利平治さんはおられますでしょうか?」


出迎えた小女は「どのようなご用事でございましょう?」と怪訝な顔で問い返した。

「相生町の舟形の宗平さんより、こちらにお伺いするよう伺ったもので鷹田の平十と申します」


小女は「ああ それならばどうぞお入りなさってくださいまし・・・・・」と
言いながら丁場の方をチラと見やる。

先ほどまでいた主の粂八の姿は見えず、丁場の机の横にそろばんが立てかけてあった。

小女は客を二階へ案内し、茶を運んできた。

程なくそれらしい男が部屋を訪ねてやってきた。

「鷹田の平十さんで?・・・・・馬蕗の利平治でございやす」と 色黒のこの男、
まさに馬蕗(ゴボウ)の様に顔も手足もひょろ長く、(なるほどその名が表している)と
平十は一人合点したものである。

丁度その頃鶴やの奥座敷、主の部屋に小房の粂八の姿があった。

押し入れを開け、中にはった粂八は隠し階段を引き下ろし、静かにゆっくりと登っていった。


この部屋は、鶴やの持ち主で伊予の大須藩士森為之介のものであったが、
平蔵を付け狙う暗殺者金子半四郎の兄を切り倒して脱藩したのちに、
密かに身を隠して営んでいた店である。

平蔵と岸井左馬之助と居合わせた事件にて、暗殺者から身を隠す暫くの間預かっているもので、
その間に粂八が部屋を改造し、盗み見が出来るようにした小部屋である。

当の森為之介はすでに江戸に女房と二人して戻り、この鶴やの料理人として復帰しており、
時折平蔵をしてうならせる料理の達人でもある。

話はそれたが、馬蕗の利平治と鷹田の平十との会話は当然粂八がすべてを聞き、
又顔の確認もしてのけたのは言うまでもあるまい。


この平蔵暗殺計画の一部始終はその翌日粂八と馬蕗の利平治によって平蔵の耳に達していた。

網切の甚五郎はかつて向島の料亭(おおむら)の奉公人を含む二五人を惨殺して、
平蔵を待ち構えていた「大村事件」の張本人であり、平蔵に父親の土壇場の勘兵衛を
殺された恨みを持ち、執拗に刺客を放つなど、幾度も平蔵は窮地に追い込まれていた。

この網切りの甚五郎が舞い戻ってきたという事は平蔵に計り知れない威圧を与えた。

その 甚五郎が平蔵の暗殺目的に江戸にまたもや舞い戻ってきたということは尋常ではない。

(余程の覚悟であろう、それならばこちらとてそれ相応の手立てを講じねば
再び大村事件のようなはめに落ちるやも知れぬ)平蔵は深い溜息をついた。

(俺だとて、親を殺されれば事の善悪は別にして相手を憎むであろう、
それに関して甚五郎の気持ちは解らぬでもない、だが仇を打つということで
関係のないものにまで手を下すことは人間のやることではない)。

馬蕗の利平治に紹介された浪人大崎重五郎を鷹田の平十が訪ねたことも
すでに平蔵の耳に達していた。

だが、それ以後ぷっつりと網切りの甚五郎の足取りが途絶えてしまった。

いつ又あの網切りの甚五郎が江戸市中を恐怖のどん底に陥れるかと想像するだけでも
身の毛がよだつ思いである。

何としても捕まえねば、これ以上やつをのさばらす訳にはいかぬ。



平蔵は密偵たちを軍鶏鍋屋の五鉄に召集した。

翌日夕刻、清水御門前の長谷川平蔵役宅は大門が閉ざされ、
門番までも引きこもって全く人の気配が消えてしまった。

長谷川平蔵逼塞(ひっそく)の噂はこうして市中に拡がったのである。

平蔵としてみれば、この度の甚五郎の目的が我が身の暗殺であるなら、
それを逆手に取れば良いという考えに至ったわけである。

一日中張り付くことよりも、時間を決めて行動するほうが相手にわかりやすく、
その間密偵たちも休息をとれるし、都合が良いであろうと考え、
その旨を京極備前守に密かに書面を持ってお伺いを立てた、
当然使者は筆頭与力佐嶋忠介である。


佐嶋仲介は平蔵に借り受けられるまでの間、同じ御先手組頭堀立脇の筆頭与力であった。

このような経緯から平蔵の役宅が逼塞の沙汰がおりた事となった。




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