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鬼平犯科帳 鬼平罷り通る 三嶋山燈

鬼平犯科帳外伝

忠ちゃんおいで


 木草学者小野蘭山

春もようやくその翠色の深みを増し、猫は1日日向でゴロゴロ、
まぁこんな時は兎も同じかもしれませんなぁ。

我らが愛すべき同心木村忠吾も御多分にもれず、春にいそしんでおるようで、
本日も御役目の市中見廻りの合間を縫ってのお茶屋通い・・・・・・

壁に耳あり障子に目ありということわざもトント忘れてのしけこみであった。

夕刻清水御門前のお役宅に戻った忠吾を「お頭が待っておられるぞ」と
筆頭同心の酒井祐助が耳打ちした。

「えっ おかしらが?」と忠吾はけげんな顔で平蔵の部屋に向かった。

「おかしら木村忠吾只今戻りました」

「んっ おう忠ちゃんちょいとおいで、で、本日のお勤めはいかがであった?」

「はぁ お言いつけ通り加賀屋の佐吉を1日微行いたしまして、
上野幡随院門前町の小料理屋に入るのを確かめ、一時ほど見張りましたが
何も変化なく、それで・・・・・」

「うんうん で、立ち戻ったと言う訳じゃな?」

「はい全くそのとおりでございます」

「フンフン その時お前ぇ店の前で色っぽいおなごに出会わなんだかえ?」

 えっ!! どうしてそれを」と、この平蔵の思いもよらぬ問に
目の玉をまん丸くして見返した。

「この大馬鹿もん!」平蔵は忠吾を一喝した。

「ははっつ!!」忠吾にとってまさに青天のへきれき、
平蔵の鋭い語気に肝をつぶして平蜘蛛のごとくひれ伏した。

「お前が店先で出会ったおなごは(おとき)と申す佐吉の色女だ、
おときが身をすり寄せてお前の懐に手を挿し入れたであろう、
お前は鼻の下を伸ばし、おときの身八つ口から胸乳にすかさず手を
挿し入れはせなんだか?」

「ええっ!!!!!」あまりの信憑さに忠吾は真っ赤になり
「どどどどうしてそのような!!」と思わず問い返した。

「愚か者めが!おときはお前の懐に十手が忍んでおることを確かめ、
奥に潜んでおった佐吉に目配せを送ったのよ、
佐吉は慌てて裏口から逃げ出しおった」

「どうしてそのような事をおかしらはご存知で」
忠吾は平蔵のあまりの言葉を飲み込めず戸惑いながら問い返した。

「この粂八が向かいの小料理屋の2階からすべてを見ておったのよ」

「粂八!!きさまぁ」思わず忠吾はいきり立った。

「愚か者!己の所業を粂八に転嫁するとは情けない、恥を知れ恥を!」

平蔵の言葉の激しさに忠吾は顔面蒼白となり
「ははははっ!」後ずさりしつつ畳に頭を擦りつけた。

「粂八はわしが指図でその女おときをずっと張っていたのよ、
そこへお前がノコノコとやってきて、くだんの行いに及んだという訳だ。

粂八はすぐさま佐吉を追いかけたが、2階から下りて
向かいの裏手に回るにゃぁ時がかかりすぎた、
結局お前ぇの愚かな行いのために、佐吉ともどもおときまで網の中から
消えちまったと言うことよ」平蔵は吐き捨てるように忠吾を睨みつけた。

「ははっ 全くもって誠に申し訳もござりませぬ、
この木村忠吾一生の不覚でござります」忠吾は畳の下に穴があくのではないかと
想われるほど平頭して上げることもできなかった。

それ以後加賀屋の佐吉とおときの消息はぷっつりと途切れてしまった。

数日後、平蔵は忠吾のあまりのしょげかたに、少々胸が痛み
「おいうさぎ、本日は市中見廻りについて参れ」と
忠吾を伴って先に寄った覚えの(くじらや)に足を向ける。

客もまばらな奥に座り、「おやじ 今日はもう山鯨はあるまいのう」
平蔵は冬場のみという猪鍋はもう無いと想ったからである。

「へい あいすまんこって!」と亭主は頭を下げ、
「ハマグリ飯なぞいかがなもんで?」と伺ってきた。

「おう そいつは美味そうだなぁ、よしそいつを二人前ぇ頼む、
その前に何ンだ、くじらと、こう」と酒を引っ掛ける仕草に
「へい すぐにお持ちいたしやす」と二つ返事で引っ込んだ。

「えっ!あの くじらでございますか!」案の定忠吾は目を丸くして問い返した。

「うむ まぁ食ってからのことよ」平蔵はにやにや笑いながら
出てきたくじらを口に運ぶ。

「あっつ これはまた歯ごたえもよろしゅうございますな、
しかし、何と申しますかコンニャクを食っているようなところも
ござりますが・・・・・・」 

たまらず平蔵「わはははははっ 忠吾!お前ぇの申すとおり、そいつはコンニャクだ。

元々は 山鯨と申してな、イノシシを食わせておったが、今はその肉が手に入らぬ、
おまけにここらは人足寄場も近いとあって、懐のちょいと寂しいお前ぇでも
くじらが食いてぇ、そこんとこをこの親父が工夫して、このコンニャクが
くじらに化けたと言うことよ、なぁ親父」平蔵は過日仕込んだ講釈を忠吾に聞かせた。

「へへへへ そのとおりでさぁ、おまたせいたしやした」

「おお 出てきたぞ忠吾!こいつはなぁ、米を洗ってザルにあげておき、
砂抜きしたハマグリに酒を入れて煮立て、煮えたら貝を取り除き、
身に醤油と生姜汁を入れて軽く煮立てる。

いい湯加減であったはずなのにだんだん熱くなって、こう蛤が口をパクパク
その身だけを鍋から出してよけておいて、身は最後に飯の上にあずけるのよ。

蛤の煮汁に鰹と昆布のだし汁を混ぜて、米と一緒に炊きあげてな、
炊き上がりの蒸らし直前に、先ほどの蛤の身を入れて蒸す。

こうすると形も崩れにくく味もしっかりつくと言う訳よ、なぁ親父!」

「いや こいつは驚いたねぇ、そこまで言われちゃぁこちとら鉢巻取らねばなんめぇ、
あははははは」親父は頭をコンコン叩きながら大笑いである。

それを観た忠吾が「おかしらは何でもよくご存知とは存じておりましたが、
まさか蛤飯の作り方までご存知とはいやはやなんとも・・・・・・」と
羨望の眼で平蔵を見ると、 

「実はな、過日猫どのに教わったのよ、わはははは・・・・・」

「何だぁ それにしてもおかしらはお人が悪い、村松様の受け売りとは」
忠吾は平蔵の答えに呆れた表情である。

「よいか忠吾、人の意見も己が身に取り込み、咀嚼致さばそれはおのが意見となる、
知識とは泉のごとく湧き出るものでもない。

教えを請い、学ぶ気持ちで眺めれば風とて今の季節を教えてくれる。

本日はお前に人足寄場を見せてやろうと想うてな、人はこの世の吹き溜まりと申すが、
俺はそこに花を咲かせたい。

世をすねるだけではなく、まっとうに生きることを見つける手立てにしてほしいのよ。
泥田の中から蓮は咲く、身は落としても心まで落とさせてはならぬ」。

この事業は、平蔵が火付盗賊改方長官と兼務という形で遂行しているもので、
肥大化しつつある江戸を更に拡げるために石川島干拓工事に刑罰の軽い罪人を
使役につかせ、三年という刑期の中で手に職を付けさせて、自立構成させる
授産所を兼ねている。

平蔵が時の筆頭老中松平越中守定信に、この人足寄場の建議を申請し、
受理された大仕事である。

人足寄場からの帰り、忠吾が寄場の出口付近で何やら屈みこんでいる男を見つけ
「何やら怪しゅうございますな」と平蔵を見返し、
「ちょっと見てまいりましょう」とその男に近づいた。

「おい お前 こんな所で何を致しておる俺は火付盗賊改方だ」と威嚇するように正す。

「ああこれは失礼をいたしました」男は立ち上がって何やら手に持っているものを見せた。

「なんじゃぁそれは?」忠吾はいぶかしそうにその差し出されたものを見やる。

「はい 草木絵図でございます」と穏やかな口調で答えた。

「草木絵図とな?」今度は平蔵が口を挟む。

「どれどれ おお これはまた見事な」平蔵は絵師中村宗仙の絵をよく見ているので、
その絵が本物かまがい物かは区別が付く。

「いやご無礼つかまつった、ところでなぜかような場所で草木をお描きで?」と尋ねた。

「私は小野蘭山と申します、諸国をめぐり、様々な木草の図を描き写しております。

これまで我が国には固有の木草図がなく、それを苦心いたしております」と
白髪を低く下げた。

「おお これは失礼をいたした。身共はこの人足寄場の監督を仰せつかっておる
長谷川平蔵と申す」平蔵はこの老絵師の飾らない中に凛としたものを感じ取り名乗った。

「これはご苦労様でございます」蘭山はにこやかに平蔵の眼を見返す。

「そつじながら木草ならばかような所でなくとも小石川の薬草園なぞ、
種類に困ることもござるまい」と水を向けたが

「ははははは 小石川の薬草園なぞ私ども下の者が入れる場所ではござりませぬ、
それに、私は薬草にこだわりを持っておりませぬので、諸国の路傍に生えし木草に
惹かれまする」

と、手に携えた画帳を開きながら「このタンポポなぞ種類だけでも十種は超えます、
これらには解熱・発汗・健胃・利尿・催乳などの作用ありと言われておりますが、
これらは漢方がたのお仕事、私は同じものが地域や土地により育ったり
育たなかったりしている分布にも興味がございまして、
それをまとめ上げて見たいと願うております」

「なるほど それは又遠大なる仕事にござるなぁ」平蔵はこの老絵師の壮大な夢を
今始まったばかりの人足寄場にかける自分の望みと重ねて見る思いであった。

「のう長谷川殿、植物と言うもの、我が身に足があるわけでもなくそれを又、
望んでもおりますまい、与えられた場所で限りの力を持って精一杯にほころび、
痩せ地であらば又、それに似合って美しゅう咲きます。

気張りも卑下もなく、ましておごりなどなしに、其の地に似おうた咲き方や
育ち方を致します。

良き所も悪しきところもすべて抱え込みて、それでいてなお観る者の心を慰めても
くれます。
さて、人はこの花の一つにも勝っておるでございましょうか?」
蘭山は平蔵の心を見透かしたように微笑んでいる。

「確かに・・・・・・
身共はこの寄場を造り、わずかでもまっとうな暮らしを見つける手立てにと
思うておりましたが、それは身共が想うことではなく、
ここから芽生えさせねばならぬということでござりますな、
誠にこのたびのご教訓この長谷川平蔵キモに命じましてござります」
平蔵はこの老絵師の眼力に心から心服した。

「スギナやわらびなども愛でるには良き物の、食するには程の良さもござります、
いずれであれ花も人も表が有らば裏もある、これ両者交わってこそ(それ)
でござりましょう」と平蔵の立場を見事にあやで言い表した。

「誠にございますなぁ、・・・・・・・・」

平蔵は、ひたすら路傍に咲く花を写しとるこの絵師の後ろ姿を
まばゆいものを見るかのように佇んで眺めていた。

「泥にまみれて初めて花の美しさを知った思いじゃ、
寄場をそのような場所にしたいものじゃなぁ」

さわやかに吹きすぎさる風に花が小首を傾げて笑ったように観えた。



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