忍者ブログ

鬼平犯科帳 鬼平罷り通る 三嶋山燈

鬼平犯科帳外伝

鬼平まかり通る 12月号



「あれぇ若奥はん、ようお揃いで!もうお飾りすませたんどすか」
愛想の良い顔で二人を眺めるのへかすみコックリ小首を下げた。
「ほな、もう白朮(しろおけら)祭だけどすな!うちももうちびっとしたら店閉めて支度しまひょ」
「そやな、うちらも蓬来頂いたら八坂はんで火鑽(ひきり)頂いて、あとはおこたで除夜の鐘聞くだけや、なぁ鉄はん!」
と銕三郎の袖を引っ張る。
「へぇお待ち遠さんどした」
熱々の蓬来が運ばれて来た。
蕎麦の上に蒲鉾(かまぼこ)・青菜(ほうれん草)・海苔・湯葉・それに香りの柚子が添えられている。
ふうふう云い乍ら食し終え、支払いをすませて後から出て来、
「若奥はん!て、うふふっ」
かすみ思い出し笑いは、よほど嬉しかった様であった。
「なぁ銕三郎はん!若奥はんやて!うちそないに見える?」
と銕三郎の袖に手をくぐらせ、ぶらぶらと左右にゆらす。
「そう見えたのかも知れませんねぇ」
銕三郎まんざらでもない顔に
「そやろ!そないに決っとるわぁ」
と嬉々として声をはずませている。
晦日も夜の四ッを回った頃から
「銕三郎はん!おけら詣りに行きまひょ!」
とかすみはそそくさと出掛る仕度を始めた。
連れ立ってぶらぶら八坂神社へ上がり、社務所で願い事を書いたおけら板を納め、三尺の火伏せ厄除けの吉兆縄をもらい、これを輪にして神殿脇に移されたおけら火を移し、くるくる廻しながら持ち帰るのである。
「銕三郎はん知りはらしまへんやろけど、八坂はんでは悪垂(あくた)れ祭り言うのんがあるんやで」
「悪垂れ?もしかして悪口のことですか?」
「そや!日頃言えへんこと、こん暗闇でうっぷんを晴らしますねんえ、それぞれ勝手に悪垂れを吐くんや。暗闇やから、どなたはんが言わはったか判れへんよって好きな事言えますねん。銕三郎はん行ってみまへんか」
銕三郎の袖を引き気味に顔を見、反応を待つ。
「私ですか?私は別にそのようなものはありませんので──。かすみどのは如何です?」
「うちかてあらしまへん、ほな、おけら火もらいに行きまひょ」
と、先に進んだ。
社務所でおけら板を戴き、それぞれ願い事を書いて納め、桃の小枝に挟まれたお札を頂いて持ち帰り、小正月にお粥を炊き、その小枝で混ぜると邪気を払うと云われている。それを銕三郎に持たせ、戻って行く。
参道に灯されたぼんぼりの仄かな明かりの下、くるくる廻る吉兆縄の赤い輪と、かすかな竹の燃える匂いと共に、僅かな煙が白く弧を描いて宙に舞う。
「うふふふふっ」
意味深なかすみの含み笑いに銕三郎
「何ですかその含み笑いは?」
銕三郎の右の袖に手を通し、右手でおけら火をくるくる廻し乍ら
「ないしょ!うふふっ」
「ああそうですか内緒ですか!」
銕三郎さも不愉快と云わんばかりにプィと横を向く。
「あれ銕三郎はん怒らはったんどすか?かんにんどすえ」
「ならば白状なさりなさい」
きっと睨む。
「嫌ゃ!かんにんやぁ!」
と目を細めて銕三郎を見つめる。
どこまでも碧(あお)く澄んだ満天の星空の下、かすみのつぶらな瞳に星がキラキラと映っていた。
かすみと寄り添って歩く事なぞ想いもしなかった銕三郎、隠密探索中の身である事を忘れてしまいそうであった。
時折の風が辺りの木々をすり抜け{びゅう}と鳴り、遠くに人々の声や子供の叫び声が聞こえてくる。
建仁通りの百花苑に戻り、戸締まりを終えた後、おけら火を神棚の蝋燭に移し、置火燵(こたつ)にも移し、燃え残った火縄は消して火伏のお守りに竈に祀った。
「おこたに入っておいておくれやす」
かすみはそそくさと何やら仕度をして戻って来、銕三郎の座った左隣りに座り、竹篭に入れた蜜柑を一つ取り上げて皮をむき乍ら
「銕三郎はんは何お願いしはりましたんえ」
とのぞき込んでくる。
「その前にかすみどのは……」
とやりかえすのへ
「云いまへん、へんしょ(恥ずかしい)やから」
悪戯っぽい瞳を輝かせて
「銕三郎はんは?」
魅入るように再び間うた。
「ようし白状させてやる!覚悟はよろしいかな」
銕三郎、両の指をかすみの目の前に出し、コチョコチョと仕草をして見せる。
「いやぁん、かんにんやぁ」
と大げさに銕三郎に身を預けて来る。
炬燵(こたつ)の上にむきかけの蜜柑が転がり、銕三郎の胸にかすみの右腕が懸り、そのまま後方へ押し倒された。その耳元へ
「うちな!このまんま銕三郎はんとずっとずっと一緒に居させて欲しいって書いたんえ」
しっとりと濡れたかすみの唇が銕三郎の耳朶(みみたぶ)にふれる。
静かに穏やかに忍び香の薫りがこぼれて来る中、除夜の鐘が二つ三つと鳴り始めたのを意識の遠くに聞いた。
しばらくして身を起こしたかすみ
「そや!銕三郎はん二人(ににん)羽織(はおり)しょ!」
と銕三郎のねんねこ半纏(はんてん)を脱がせ、後ろから覆いかぶさる。
「なんですかそれは?」
これから先に起こる出来事が読めず銕三郎、首を後ろにひねるそこへかすみ、
「銕三郎はんは両手を膝におあずけや」
と言いつつ、手に持っていた蜜柑を銕三郎の両腕の外側から、ねんねこ半纏を着せるように覆いかぶさる。
「ねっ!こうやってお蜜柑食べさせるんや」
と銕三郎の口元を指先に探す。
やっと理解した銕三郎
「あああっそこは鼻っ 鼻ですよ!もっと下──。ああっそこは顎─・とととっ、もっと右右!あうっ!今度は左──。もう少し手前へ──」
と、口を前に突き出し蜜柑を捉えようとした。
かすみのはだけた両の脚が…胸の膨らみの柔らかな感触が銕三郎の体に触れる。
そのままかすみは銕三郎を包み込み、背中に顔を押し付けて……。熱い吐息が銕三郎の首筋に懸かる。
(こんな穏やかな時を俺は知らぬ、心に小石の一つ置くでもない、言葉はいらぬ、唯そこにいるそれだけでいい、気持ちの赴くまま─、飾りも恥じらいも捨てた充足感は何と言うのだろうか……)あるがままの心地よさを銕三郎、初めて覚えた。

拍手[0回]

PR