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鬼平犯科帳 鬼平罷り通る 三嶋山燈

鬼平犯科帳外伝

鬼平まかり通る  新年号


「ちびっと出て来ます」
云い残して出掛たかすの姿は、京極通三条小橋下、誓願寺横和泉式部屋敷にあった。
「お頭への言伝だな」
薄闇に物影から声がした。
「へぇ、そうどす」
「で相手は判ったのか」
「へぇ、呉服太物商尾州屋どす」
「よし、お伝へしておく、もう戻ってもよいぞ」
かすみが振り返った時、その声も足音も砂に水の引くごとく闇の中に浸み込んで行った。
「お戻りなさい」
銕三郎は少し沈んだ面持ちのかすみを迎え入れる。
「銕三郎はん──」
「どうされましたかすみどの、何か気になる事でもありましたか?いつものかすみどのらしからぬ─」
「おちよは?」
気を取り直しかすみ、小女の姿を追う。
「遅くなるので戻しました。夕餉を支度してくれましたよ。今夜は少し冷え込むゆえ風呂吹き大根のようで、大根を程々の厚さに切り、面取りして煮崩れを防ぐそうで、その片面にかくし包丁を入れると良いとか。いやなかなか面白うて、その後米のとぎ汁で下茹でし、大根が透き通ったら鰹の出汁に酒、味淋に塩で煮込み、味噌と味醂を合せ、これに鰹節を入れ火にかけて溶き、わさび少々をすりおろしこれを混ぜ、熱々の大根に載せて頂くようにとおちよが申しておりました。
いやそれにしてもおちよ、仲々手際もよく良き嫁になりますよ」
「なら銕三郎はんお嫁にしはったらよろしゅうおす」
かすみ、銕三郎の感心する事に焼いたのかツンと横を向いた。
「やっこれはしたり、おちよはこれを見て、私をからかいましたよ」
と睦揃えの湯飲をとった。
「銕三郎はんはどないな風に思いはったんどすか?」
「それは嬉しいに決っております」
「ほんまどすか?」
「無論ですよ、かすみどのの気持、まこと嬉しぅございます」
「ほんまどすな!嘘やおへんやろな」
「嘘ではありませんよ」
「ならよろしゅうおす、ほな早速いただきまひょ」
かすみ、機嫌直して皿に大根を取り味噌あんをかけ、箸を添えて銕三郎に差し出す。
「うん、これは旨い、大根の甘み、それに出汁味噌に山葵(わさび)の香りが何とも、それに……」
「それに……?」
かすみ、銕三郎が一旦言葉を止めたことに何やら思ったのか促がす。
「あっいやっ─、その何です」
「何ですのぇ?」
「美しいかすみどのと戴けるのが何とも─」
「へぇ何ともどないやのでございますのんえ?」
銕三郎、かすみに問い詰められ、持った箸を皿に戻ししどろもどろ。
「嬉しゅうおすか?」
「はい」
銕三郎照れながら鬢を掻く。
「うちも嬉しゅうおすえ、銕三郎はんとこうして二人だけでまんま戴けるのん、ほんまに幸せどす」
少し恥じらいを見せながらかすみ、つっと上眼づかいに銕三郎を視る。
「うち小さい時から二親とも居てへんよって、──こないなん倖せ云うんかいなぁ……」
「かすみどのもそのような」
「いやぁ銕三郎はんもそないな事おましたのんぇ?」
「はい、私は妾腹の子として生まれました。でもどちらも大事にしてくれました。ですが……」
「ですが何どすのん?」
「私の育ちましたところは大川の向う、ゆえ気ままな者も多く、随い荒くれ者や無頼の者も多々、その様な中、伸び伸びと育ててくれました。
本所の銕と呼ばれ、悪さのし放題、それを親父殿はじっと視てくれておりました。
親父殿も同じ外腹の子であったゆえ、私の気持ちが理解(わかっ)ていたのでしょう」
「へえぇ、そうどすのんか。うちは捨て子らしゅうて、辻堂で泣いてたのんを進藤様に拾われ、十の折に狛やに奉公に上り、歌舞音曲を仕込まれましてんぇ。そん頃壬生のご隠居はんが襟替えしてくれはり、ここに店かまえてくれはったんどす。
うちも銕三郎はんも、ほんによう似ておますねんなぁ。うちな!銕三郎はんがお傍においやるだけで、もんむちゃ倖せどすえ」
かすみは目元をうっすら朱(あけ)に染めた眸(ひとみ)をまっすぐ銕三郎に向けた。

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