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鬼平犯科帳 鬼平罷り通る 三嶋山燈

鬼平犯科帳外伝

鬼平まかり通る 五月


過日銕三郎の寝床に寒いと、寝夜衣のまましのび込んで来た時と又別の恥じらいがをんなの美しさを増して観え、銕三郎
「まぶしい程に美しゅうございます」
と、見とれながら皿を置いた。
「ほんまどすか?銕三郎はん、そないなてんご云ぅて、うちをいじめんといておくれやす」
云い乍らかすみ、耳朶(みみたぶ)にふれる仕草が初々しい色香を添える。
「何で、どうして私がかすみどのを虐(いじ)めておりますので」
「銕三郎はんのいけず!うちもう知らしまへん」
かすみ、銕三郎にもたれかかる様に身体をあずけて来た。
「うちな、こうしてる時、何んも忘れていれますねんぇ、そらあかん事どすやろか、女が男を好きになるんはあかんのどすか?うちわ銕三郎はんに命かける値打ちある思うとりますねん、運命(さだめ)以上の繋がりがあるんと違いますやろか」
銕三郎、よりかかった腕に過日の夜触れたかすみの柔らかな胸の温もりを思い出していた。
(自分もこうして誕生(うまれ)たのだろうか──)
その二日後、呉服太物商尾州屋に押込が乱入、主人夫婦・奉公人など、合せて十名を惨殺。銀二十貫(三千四百万円)を強奪と云う事件が発覚。
これを糸口に長谷川平蔵宣雄、勘定奉行に詰問し、明和の末頃より御取替の辻褄が御料のみにては間に合わず、苦肉の策として補填の名目で賂(まいない)を求める事が日常となっていた事が判明したのである。
あまりの事の奥深さに宣雄、急ぎ江戸表へ報告の早飛脚を立てたのである。
この事は二人で出掛けた先の狛ので女将の登勢から聞かされた。
「かすみ(はん、えらい事おすえ、屋州屋はんが押込に入られはって、お店の奉公人まで皆んな殺されはったやて、 ほんまにあないお人柄の出来はったお方やのになぁ」
登勢は眉を潜めそっと小声で囁いた。
その言葉を聞いたかすみは、顔から見る見る血の気の引いてゆくのが判った。
それを視た女将の
登勢
「かすみはんどないしたんえ?まっ青な顔して、なんぞあったんかいな鉄はん?」
後ろで聞いていた銕三郎へ登勢は救いを求めるような眼差しを送ってきた。
じっと考え込んでいた銕三郎、登勢の言葉にこまった顔つきで首を横に振る。
「そないでっしゃろなぁ─。うちもお役人はんに聞かれても、よう応えられまへんかったわぁ」
蒼ざめたかすみの顔をうかがう銕三郎の眼差しを打消すように
「お女将(かぁ)はん、又なんぞあったら教ておくれやす」
かすみ、銕三郎をうながし
「鉄はん、そんなら戻りまひょ」
先に立って店を出る。
この日の店回りを終え、建仁町通りの百花苑に戻った銕三郎
「かすみどの一体何が─、何かご存知の事でも、お心当りもなくばあそこ迄…」
すでに銕三郎は密偵の顔に戻っていた。
「かんにん、銕三郎はん、かんにんどすえ、うち何んも知りまへんし、理解(わか)りまへんよってかんにんぇ」
かすみは心の動揺をどう取り繕ってよいのやら、なかば放心した風にとり乱している。
それはかすみにとってこれまでこの様な心の痛みを感じた事がなかったからである。
そこへちよが使いから戻って来、
「お師匠はんえらい顔してどないしはりましたん?」
怪訝な顔を銕三郎の方に向け
「鉄はん!お師匠はんに何やしたのどすか?」
と、諌める顔つきに、銕三郎慌てて両手を振った。
「おちよ!違うんどす、鉄はんには何も関係あらしまへんのどすぇ」
「それやったら何んで──。うち心配やわ、鉄はん何んとかしておくれやすなぁ」
ちよも心配顔をかくせないでいる。
そんな事件のあった二日後、小用で出掛たかすみの後をつかず離れず付いて来る事を見とめたかすみ、泉式部屋敷に入り、その後を一人の男が入って来るのを待った。
「あのお方からだ」
そう云って赤い馬の印が押された結び文を手渡した。
「一つ教ぇてもらえまへんか」
「何をだ」
「尾洲屋はんどす」
「尾州屋がどうしたと云うのだ」
「どないして尾州屋はんは殺されなあかんかったんどす」
「それはあのお方の下された事、我らに判るものではない。
だがお指図では云う事をきかなかったからだとか、其のくらいしか知らぬ、我らは所詮駒だ、指図通り動けばよい。他に迷いがあれば西尾の様になる。
お前もあの方の怖ろしさは充分存じておろう」
そう云うと誓願寺の庫裡の方へ立去って行く。
かすみは赤い馬の印が押されている結文を開く。
そこには西町奉行裏同心を更に深くさぐる様指図があった。
それを読んだかすみの指は慄(おのの)き震えている。
何処からどうやって戻って来たのか判らない程かすみの心は乱れていた。
「お師匠はんどないしはりましたんぇ」
店番をしていたちよ)が、蒼白な顔で入って来たかすみを観、飛び出て来た。
「何んでんあらしまへん」
かすみはちよの手をふり切るように奥へ
「おかしぅどす、ここんとこずっとお師匠はんおかしわ!」
くい下るちよの眼をさけるようにかすみは二階へ駆け上ってしまった。
半刻ほどして銕三郎が戻って来たのをつかまえてちよ
「鉄はん!お師匠はんがお師匠はんがおかしおす、どないかしておくれやす」
なにかに追い詰められたような必死の眸(ひとみ)で見上げた。
銕三郎あわてて二階へ駈け上るそこには泣き崩れるかすみの姿があった。
その姿を認めたかすみ、ぶつかる様に銕三郎の胸に飛び込んで来る。とめどもなく溢れるかすみの涙を指先でぬぐい乍ら銕三郎、抱きしめるしか術はない。
だがその理由(わけ)は、後でいくら問い正しても、かすみの口からもれる事はなかったのであった。
頃はすでに六月に入り、まさに野山は夏草の繁る盛りを感じさせる頃となってきた。
花々はその綺羅(きら)びやかさや質素なものなど、万華鏡を覗くように目を楽しませてくれ、遅い京の盆地にも、ときめきを想わせるようになってきた。
呼び出しを受けたかすみの姿が和泉式部屋敷にあった。
「忘れておるのか、それとも隠し立てしておるのか!」
それは香山左門であった。
「忘れていてしまへん、せやけどあの同心の後釜は居りはらしまへん」
「真だな」
「へぇそうどす。東町にも移ってこっち別におかしな動きもおへん」
「で、お前の所に居る男だが、何者だ」
「あぁ鉄はんどすな、うちの仕事が力仕事もあって大事やろ云わはって、烏丸のお師匠はんがお弟子はん付けてくれはりましたんや、それがどないかしたのどすぇ、何んなら六角はんに聞いてみはったらどないだす」
と突っぱねた。
「よし、では引続き様子を探れ、あのお方には然様伝へておく。よいな!呉々もお頭の御恩を忘れるでないぞ」
そう言い残し、寺の向うへと消えて行った。
このところいつものかすみではない事に銕三郎
「かすみどの、何が安ずる事あらば話して下さいませんか」
銕三郎二階に上ろうとするかすみの手を取ったが、力なくするりと躱し上って行く。
翌日銕三郎は一人六角堂へ足を向けた。
「さて─かすみはんがなぁ……。なぁ長谷川はん、輪廻(りんね)云うもんをご存知でっしゃろか、この輪廻と云う六道は天道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道から成ります物を申しますのんや。
これは心の道を説いたもんでおますのや。
たとえ天道に身を置いても、煩悩から解き放たれず、そこに御佛(みほとけ)はなく、解脱も叶いまへん。天人が死を迎えるおり、天人五衰と云いますのんやけどな、体に垢が塗(まみ)れて悪い臭いがします。
腋汗に己の居場所を嫌い、頭上の華が萎縮(ちじむ)そうにございますのや」
「はぁ──。私にはさっぱり……」
「そらそうや。なぁ長谷川はん、聖徳太子はんがどないしてこの寺を六角に造らはったと想います?六角はな、眼・耳・鼻・舌・身・意の六つから生じる欲に囚われず、円満になるという願いがこめられておますのや」
「眼・耳・鼻・舌・身・意の六つから生じる欲にございますか」
「そうどす、拙僧はな、六道に身を置くよりも大師はんの願わはった我欲を捨て、それに因われない心を願うておりますのんや」
「我欲で──」
「そうや、ああなりたい、こうしたい、そんなもん皆捨てて鑑(かんが)(反省する)みる事や、長谷川はんは真(ま)経津(ふつの)鏡(かがみ)をご存知どすか?」
「否、恥し乍ら─」
「そうどっしゃろなぁ、八百万の神はんが天(あめ)の安河(やすかわ)に集まりはって、川上の堅(かた)石(しは)を金敷に造らはったもんどす。この鏡に我を映し、そん姿から我(が)を抜きますのや、(かがみ)から、が(、)を抜けば、何が残りますやろな」
「か・み──、神にございますね、なる程然様な事がこめられておりましたか」
「野に咲く花を見てみよし、誰かの為に咲こうと思ぅて咲いておへん。与えられた場所(ところ)で精一杯咲いておます。花はそこに似合ぅて咲きますのんや、決して百合は牡丹になろうと思ぅておりまへん」
「あるがまま………にございますか」
「そや、拙僧が長谷川はんに教えて差し上げられるんはそんなとこどすな」
「理解(わか)りました。ご教示まことにかたじけのうございました」
銕三郎深々と頭を垂れその場を辞した。
銕三郎を見送る専純の眼差しが、心なし哀しさをたたえていたことを知る由もなかった。
誘われた先の道場に専純の姿があった。
「おお長谷川はん─、おめずらしゅうおすな。今日はお一人でお越しやすか?」
かすみの同伴でない事に何かを察したようで
「もう京はすっかり馴れはりましたか?」
さりげない言葉をかける眸(ひとみ)は、別の物を読み取ろうとしていた。
銕三郎、このところのかすみの行動に腑に落ちないものがあり、その理由(わけ)を専純が知ってはないか──、と想ったのである。

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