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鬼平犯科帳 鬼平罷り通る 三嶋山燈

鬼平犯科帳外伝

鬼平まかり通る  3月 


着替えを済ませ、おこたの火を継ぎ足し、火鉢の灰を被せた所を火箸で掘り返し、蕩(とろ)けるほどに燃えきっている火種へ追い炭を足し、暖を整えて茶釜を掛けてかすみ、銕三郎の炬燵(こたつ)へ潜り込む。
中の火鉢の上に冷え切った手をかざし、
「温めておくれやす」
と銕三郎の双眸(りょうめ)を見つめ、手をまさぐる。
「冷たい………」
銕三郎は水仕事を終えたかすみの凍えるような手をそっと包んで見つめ直す。
「あったかぁ──」
うっとりとかすみ双眸(りょうめ)を閉じ、その温もりを体の隅々まで吸い取るように顔を布団の上にかぶせ、細い吐息を漏らす。
「せや!銕三郎はん、どないお願いしはったんどす?」
突然そう言うと、伏せていた顔を上げて銕三郎を見つめた。
──。突然の問に銕三郎一瞬詰まる。
「なぁ何お願いしはったのどす!白状しなはれなぁ」
と手にギュッと力を込めた。
「かすみどのと、共に白髪の生えるまで縁がありますようにと……」
それをきいたかすみ
「一緒やぁほんまに?」
手に力を込めて問い直した。
「嘘など言いません」
銕三郎、正直にそう答えた。
「かすみ、もんむっちゃ嬉しゅうおすえ」
うっとりと目を閉じ、溢れんばかりに幸せな面持ちを見せる。だが軽かったか?とは聞かなかった、当然軽いと想っているのであろう。
銕三郎もそれを訪ねなかった、一瞬訝(いぶか)ったかすみの顔を思い出したからである。
茶釜がシュンシュンと鳴り、やがて怒涛から松風へと変わったのを聞いて
「酒々の支度しますよって」
と、おこたから離れ、夕餉の支度に取り掛かる。緋色の前垂れが、しんと冷え込み始めた部屋をぱっと明るくする。
暫くしてお盆に重ね重箱を載せ、布団の横に置き、次に酒肴を膳に乗せて銕三郎の向かいに座し、朱盃を捧げる。
「また三杯ですか?」
と軽口を言うそれを受け
「何度でもええもんやなぁ銕三郎はんとなら……うふふふ」
首筋まで朱に染めてお節(せち)の方へ視線を向けた。その初々しい恥じらいの顔を銕三郎飽きもせず眺めやった。
チリチリと茶釜のつまみの鳴る音ばかりが静けさの中、今の現実を語っている。
お節重を肴に差しつ差されつ、酒宴はまったりとしたまま時の流れを京の夜へと引き継いでいった。
粟田口の下、知恩院の夜の四ツ(午後八時)の鐘を聞きながら、そろそろ酒宴も終わりにかかって、
「鉄はんお床延べまひょか?」
と、目の下をほのか朱に染めてかすみ尋ねてきた。
「そうですね、明日のこともあるし──」
冬の京は比叡降ろしが吹き荒れ、その底冷えは盆地特有の物がある事を、この正月、銕三郎初めて味わった。
そんな夜半、そっとかすみが銕三郎の寝床に入って来た。
「さぶい──」
寝夜着から普段着に換え、ねんねこ半纏(はんてん)に袖を通し、火鉢の右に座蒲団を敷いて間を少し空け、もう一枚座蒲団を置いた。
「四日の朝のお雑煮は、おすまし仕立に壬生菜を添えるのどすえ。これをお箸で持ち上げ 名を残す言うて菜を残しますのんえ、銕三郎はん早ぅ残しておくれやす」
と、物めずらし気な銕三郎の顔を楽しんでいる。
年の暮からこっち、初めての体験があまりに多く、銕三郎、異国へでも行った面持ちで、全てが興味深々であった。
鰹と昆布でしっかり造った出汁に、かくし醤油、それにもみじ麩(ふ)、湯葉と壬生菜で仕立てゝある。
銕三郎、壬生菜を箸ですくい上げ、湯気の立昇るそれを口に運ぶ。
まったりとした出汁の旨味にすくい上げた壬生菜の若々しい香りが口の中いっぱいに拡がる。
「味噌仕立てとは又違ぅて、いやはや京と云う所は一つ一つにこだわりますね」
左隣りのかすみに応える。
かすみ顔を曇らせ
「美味しゅうおへんか?」
不安気に持った箸を止め、銕三郎の口元を見やる。
(しまった!そんな事ではない。あまりにこの数日間、未体験の事ばかりに少々とまどっているだけ、それをかすみどのは不安に想ぅてしもぅた)
「すみませぬ!そのような事なぞ一瞬(つい)にも想ぅた事はございません。いやそれどころか、この過ぐる刻々が私には楽しく嬉しくそればかりのみ」
銕三郎箸を桜のあしらわれた清水焼の箸置に預け、不安気にみつめるかすみに返した。
「あゝよかった!うち銕三郎はんに味ない!て云れれたらどないひょて……。ほんま?ほんまに美味しおすか?美味しおすねんな!嬉しゅうおすえ、これで案心や」 瞳がぱっと煌(きら)めき、両手で頬を挟み、恥じらいをみせる姿には艶やかさが加わっている。
「六角堂のお師匠はんとこ、ご挨拶に行かなあかんのどすけど、お師匠はんも二日の正月元三(がんざん)の花(初生)もすまされはった事やし、明日あたり伺ぅて見まへんか?」
と同意を求めてきた。
こうする中にも銕三郎やかすみは禁裏侍や商人の動きに、又江戸より上っている武家の動静にも注視をおこたってはいない。

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