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鬼平犯科帳 鬼平罷り通る 三嶋山燈

鬼平犯科帳外伝

鬼平まかり通る  8月



しまは九十郎の肩に身を預けたままねっとりと纏わりつくような眸で見上げる。
九十郎、ほのかに昨夜の名残の香りを包んだ寝夜衣の、しまの華奢な肉体を引き寄せ、左手に持った盃を置いたその手を身八ツ口から差し込み、ふくよかなしまの胸乳に触れた。
しまはそれが普通のように九十郎の指先の遊ぶに任せ、目蓋を閉じ、身を委ねている。
「お前はいい女だ──」
「うふふふ……。九十郎はんだって─ねぇ」
しまは胸乳に置かれた九十郎の手を、着衣の上から包むように手を重ね、ねっとりと流し目を送る。
室咲きの桜の一件で六角堂住職池坊専純をたずねて五日後、狛やに呉服太物商尾州屋から奥座敷を用意するよう云われたと、女将より知らせを受けたかすみと銕三郎、呉服商尾州屋の話しを聞こうと、
「お女将はん、壬生のご隠居はんのお指図どすによって、うちもそのお座敷に上げておくれやす」
と切り出した。
「そらかすみはんは壬生の御隠居はんが襟替えさせはった元々芸妓、尾州屋はんから春駒はんの御名指しなんやけど、小染はんならお馴染みやさかい、うちからそないお断りしまひょ」
軽く胸の前を叩き、心安く引受けてくれる。
当日かすみは髷を鳥田に結い上げ、久し振りに振袖を引き出し、
「ねえねえ銕三郎はん、うちどれが似合うと思はります」
銕三郎の反応を試すようにしっとりとした眸を流した。
その瞳はをんなのそれであった。
狛やの控座敷には地方(じかた)も入り、もう一人の立方染丸も先に来ていた。
「こんばんわぁ、姐はんよろしゅうおたのみします」
裾を捌き、舞扇を前に指をそえ深々と挨拶する。
「へぇよろしゅうに──小染はん、戻りはったんかいな」
「ちゃいますのえ、尾州屋の旦那はんにお目にかかりとぅて」
「なんや、そやったんかいな、小染はんの器量やし、そら尾州屋の旦那さんも喜びはるやろな」
そんな話しをしていると、
「おたのします」
外から中居の声が掛った。
半刻(一時間)して、酒宴もひとしきり終い、
「ちぃと席空けてくれまへんやろか」
尾州屋は地方の姐さんに耳打ちした。
「へぇ、なら又お声かけておくれやす」
周りに目配りし、皆そろって部屋を出た。
それから小半刻過した後、口向役はぞんざいな態度で戻って行った。
「屋州屋の旦那はん、よろしぅおすか?」
かすみは宴席の隣の部屋から声をかける。
しばらくして
「ああ小染はんかいな、お入り─」
弱々しい尾収屋の声が漏れた。
「へぇほんなら──」
かすみは静かに襖を開け部屋の中を一瞥、そこにはじっと座したまま考え込んでいる尾州屋の姿があった。
「あれあれ、あんまり進んでへぇへんに、えげつないお姿どすなぁ」
かすみ、尾州屋の手にした盃を外し、後へ回り、乱れた羽織を掛け直す。
「あかんお酒や、ちいとも飲んでへんに酔うてしもた」
尾州屋は吐き捨てるふうにつぶやく。
「旦那さんをこないな目に遭わすお人、どんお人やろ、ほんまいけずやわぁ」
かいがいしく尾州屋の身繕いに手を添えつつつぶやく様にかすみ。
「口向役の手先や!お薬師はんの御開帳に御戸張を寄進せよ、ついでに納書も添えろやて──」
「そんなんあほくさ」
「せやろ、品もんはよこせ、納書も添えろ、それだけや、お銭払うつもりなっとへん。どんだけ懐肥さはるおつもりやろか……。見てみなはれ小染はん、ほんまあの金魚(きんとと)や、いかい魚にはいかい糞(ばば)がつくもんや、なんぼ綺麗にしたかて、すぐ水汚れますんや」
尾州屋、いかにも腹に据え兼ねる風に、優雅に泳ぐ金魚に目をやる。
「なんや金魚(きんとと)のばば(、、)かいなぁ、それもぎようさんおりますねんなぁ」
そこへ女将が入って来
「お上りはんも手ぇ貸して、うちの店の以外(ほか)かてや、あちこち呼びつけて、ほんま貉(むじな)と狸の化かし合いや」
「そうどすなぁ──旦那さん、ちぃと待っとおくれやすえ、今駕篭寄せてますさかい」
かすみは一旦賄いに行き、銕三郎を座敷外まで呼び込み、尾州屋をかかえる様に
「鉄はんお頼み申します」
と銕三郎を招き入れ、
「ほな旦那さん!はばかりさんどした、気ぃつけてお戻りやす」
居ずまいを正し、顔は尾州屋を見たまま腰を折った。
「へぇおおきに、ごっそぉはんどした」
尾州屋、銕三郎に脇をかかえら、れゆっくりと玄関口へ進み、待っていた町駕篭に乗った。
「お女将(かあ)はんおおきに、おかげはんでご隠居はんにええ話し出来ます、なあ鉄はん」
何であれ一つ前に進むものが掴めたのである。

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