忍者ブログ

鬼平犯科帳 鬼平罷り通る 三嶋山燈

鬼平犯科帳外伝

棺桶




 



 本所菊川町の平蔵が役宅で、
久しぶりにゆっくりとした一日もそろそろ終わりかけ、
平蔵の夕餉は猪鍋ということで、
すでに酒肴は運ばれて猪鍋の用意がなされていた。

当然用意したのは村松忠之進こと猫どの。

「お頭 お頭もご存知のようにこのイノシシ鍋は別名山鯨とも申します、
が本津はまことの獅子が手に入りましたるゆえ、
これはもうお頭に召し上がって頂き、
日頃のお疲れを払っていただかねばと・・・・・」

「おう で、猫どのが用意をいたしてくれたのか?
こいつぁ有り難ぇ、どれどれ・・」

「お頭 まだよく火が通ってござりませぬ、
猪鍋は初めの仕掛けが何よりも肝要、
土鍋に昆布を一晩水につけ置きまして煮立ちましたら昆布を取り除きます。

カツオを入れてよく出汁をなじませ、
イノシシの脂身を細切りにいたし手炊き合わせます。

その間に猪肉を薄切りに致し、山椒の粉をまぶしておきます。
煮立ちましたならば猪肉を先ず入れ煮込みます、
猪肉は煮こむほど柔らかくなりますので、
初めに入れておくとよろしゅうございます。

「おいおい猫どの、こう良い香りが立ち上っては、
何だ箸が黙っておらぬ、何とかならぬかえ?のう久栄」

「殿様、左様ではござりましょうが、
ここは村松様の申される通りに致されなければ、のう村松殿」

「あっ さすが奥方様、よう心得て居られまする。
白菜、大根、レンコン、小芋、ニンジン、
菊菜やシイタケ、ささがきゴボウに湯通しいたしましたる
こんにゃくなどを切りそろえ、割り下に醤油、砂糖、酒、
八丁味噌をしっかりと入れ濃い目の味に致します。

野菜などの厚物から先に入れ、味を染み込ませます。
菊菜が柔らこうなりましたら食べごろかと存じます。

「うんうん それは良いそれは良い!
何と申しても早く口に入れるが一番じゃぞ!、
もう待てぬ!おい 久栄早う卵を小鉢に入れてくれ、
わしはもうどうにもたまらぬ」

平蔵は箸を構えて猪鍋のグツグツ煮立つのを凝視している。

「まぁ殿様はまるで子供のようなおほほほほほ」

「そんな事ァどうでも良いのじゃぁ、
見よこのグツグツと小気味の良い音に重なって
香り立つ山椒の清々しさ、野菜のとろりととろけるような色白の中に
ひと刷毛引いたような若葉色、それに獅子の身が絡みついて、
おう!もう待ちきれぬわ!猫どの良いな!良いのじゃな!」

「あっ お頭!まずは大根からお召し上がりくださいませ」

「ななっ なんじゃぁ大根からとな!
俺は猪鍋が食いたいのじゃぞ」
平蔵腰を折られて箸が止まった。

「まずは私めの申す通りにお召し上がりくださいませ」
と松村忠之進は大根を平蔵の小鉢に取り入れた。

平蔵一気にこれを熱っ 熱っ!と言いながら口に運び・・・・・・
「猫どの・・ふむ いやぁ~こいつは旨ぇ、大根に獅子の脂が絡みついて、
いやぁうむこいつぁいかぬ!かように大根が旨ぇとは、
久栄お前も早う食べてみろ、中々こいつぁ止まらぬぞ、
さて次は獅子じゃな!・・・・・・ううん!この柔らかな歯ざわり、
噛めばじんわりと脂がにじみ出て・・・・・
嗚呼もう止まらぬぞ猫どの」
平蔵は満足の笑顔を満面に箸を休ませない。

酒もほどほどに回り腹もくち、
ふ~っと深い溜息、満ち足りた至福の時であった。

そこへ火付盗賊改方に時折顔をのぞかせる仙台堀の政七が
役宅に日暮れ時に立ち寄った。

「長谷川様、谷中天王寺南の新茶屋町蝋燭問屋で
首を括った心中者が出たと言うことでございやす。

いつもなら早々と店を開ける姿が見られるのに、
この2日ほど店は閉じられたままで、近所のものが
不審に思い番屋に届けたのが事の発端でございやす。

番屋の木戸番と町名主が出向いたんでございやすが、
外回りに不審なところもなく、思案の挙句町方に報告が上がり、
奉行所が出張って参ぇリやした。

表戸が閉められたままなもんで、
同心の松本様が蹴破って入ぇって見たら、
夫婦二人とも鴨居に細紐をかけ首を吊って死んでおりやした」

「で、お奉行様は何と仰せられたえ?」
平蔵は煙管に火をつけながら政七の顔を見た。

「へぇ いつもの通り出入りの戸は締めてあり、
心張り棒までくれてあったところを見ると首を括ったんじゃぁねぇかって事で・・・・・」

「ふむ、で 荒らされた形跡はなかったんだな?」

「へい 全く普段のままだったと町名主も証言したそうで」

「で、その蝋燭問屋 何と申したかのう」

「へい おかだ屋でございやす」

「おお そのおかだ屋はどの程度の商いであった」

「店構えは間口三間、大戸ではなく、
ばったり床几は内側からも落とし留めが掛かり、
雨戸が嵌めこまれて真ん中の戸が落し掛けの戸締まりと言うやつで、
まぁたいがいのところと似たようなもんで、
いつも夫婦二人の切り盛りだったそうでございやす。

何しろ周りはお寺がひしめいておりやすから、
商いには困るようなものじゃぁねえ、
ですからどうして首を括らなきゃぁいけねぇんだろうって、
そこんところにお奉行様はご不審を持たれてはおられるようでございやす」

「うむ 確かになぁ・・・・・・商いに行き詰まってではないとなると、
何故首を括らねばならなんだか、確かに妙な話しだな」
平蔵は腕組みをして目を閉じ、
頭の中でもつれた糸をほぐそうと試みているようであった。

この界隈の見まわり担当となっている木村忠が数日後
再び近所の聞き込みをすると、
奉行所の検分が終わったその夜遅くおかだ屋から棺
桶が運びだされているのを夜回りの親父が見ていたそうで、
話はこれで終わればあるいは問題にならなかったのかもしれない。

だが、似たような事件が立て続けに小間物問屋や古物商い、
茶道具屋など三件起こったことが平蔵の脳裏にしがみついてはなれない。

「妙だ・・・・・」
いつものカン働きがむくむくと首をもたげてきた。

盗賊改めの出張る幕じゃぁねぇが、どうもこう 
気になっていかぬ、ちょいと出かけてみるか。

平蔵は仕掛けの名人八鹿(はじかみ)の治助を伴って
ゆらゆらと谷中に出かけた。

町名主に話を通し、事件のあったおかだ屋を覗いた。
確かに争った形跡もなく家財道具もそのままできれいなものであった。

「蝋燭問屋と申しても仏具一式も扱っており、
それ相応の稼ぎはあったであろうのぅ 
それなのになにゆえ首を括らねばならなんだか」
平蔵はこのごく普通の疑問が頭からはなれない。

その時、戸口周りを調べていた八鹿(はじかみ)の治助が
「長谷川様ちょいとこいつを見ておくんなせぇ」
と平蔵を招いた。

「どれどれ・・・・」
平蔵はこの治助が何か仕掛けを見つけたと少し胸の中に兆しを感じた。

「普通戸締まりは先ず雨戸を閉め、
心張り棒をして内戸は開けたままにしやす、
ですから外から差金を突っ込んでも内戸と外壁の間に
心張り棒が挟まってびくともしません、
これが普通の戸締まりでございます、
ところがよく見ればこの心張り棒少々曲がっております」

と治助が差し出した心張り棒は刀のような反りが見受けられた。


「うむ だがなぁ次助このようなものは何処にでもあるものではないのかえ?」と
少し落胆したようにため息混じりに治助の答えを待った。

「ところが長谷川様、先ほど何度か試してみやしたが、
こいつぁ仕掛けでございやす」
と次助は自信を持って答えた。

「仕掛けだぁ?」
平蔵 この治助の自信ありげな返答にちょっと期待を込めて問い返した。

「へい この反り具合と心張り棒が噛み合う鎧戸のホゾ、
こいつが上手ぇ仕掛けになっておりやす。

普通は棒の細いほうが戸のホゾにはまりやす、
どうってぇことはねえんでございやすが
重い方が下に来るのが普通でございやすから、

ですがね こいつぁそれをうまく利用しておりやして、
鎧戸にもたせかけて置いて内戸を開けたままにしやすと、
戸袋と内戸の間で挟まれて外れねぇようになりやす、
そこでゆっくり外から鎧戸を閉めやすと」・・・・・

と言いつつ治助は外に出て鎧戸を閉めた。

コトンと小さな音がして、心張り棒が鎧戸のホゾに収まった。
これを外すには内戸を閉めて、心張り棒をはずさなければ
外から進入することは出来ない。

治助は再び中にはいって
「この外の出入口は皆落し掛けが施されておりやして、
開けられたあとが見えやせん、てぇことは・・・・・」

「次助 お前ぇこいつぁ自殺と決めつけるには早ェと言うんだな」

「へい 近頃の似た事件を見なおしても遅ぅはござりやせん」
と慎重な答え方をした。

「よし、早速他の事件もあたらせてみよう、助かったぜ次助、
お前ぇの前がこれほど俺をすけてくれるとはなぁ」

「長谷川様、どうかそのぉ昔のことは・・・・・」

「おお こいつぁ俺がうかつであった、すまぬすまぬ、
いやお前ぇの読みでずいぶんと緒(いとぐち)を見つけることが出来た、
ありがてえなぁ」
平蔵 口元が少し緩んできたのを覚えた。

役宅に戻った平蔵はこの数日内に起こった
似たような事件のお調書を改めて読み返してみた。

事件は三件とも首を括っての自殺と書かれてあり、
その何れもが主夫婦というところが共通している。

確かに臭う
「誰か!忠吾は居らぬか!」

「お頭!お呼びで」と木村忠吾が控えた。

「おお 忠吾すまぬが五鉄に参り彦十に
八鹿(はじかみ)の治助に繋ぎを取るよう行ってはくれぬか?」
平蔵はもう一度治助に確かめさせようという腹づもりでのことであった。

「えっ 私がでございますか?使い走りなら何も私めでなくとも・・・・・」
と、見回りの供をいたせ!
と言う言葉を期待していたものだからつい本音が出てしまった。

「忠吾!」
平蔵の語気に忠吾は思わずたじろいた。

「なぁうさぎ お役に重いも軽いもない、谷中はそちの見回り持ち場であろう、
さらばお前が動くのが当たり前、
己の代わりに人をやるほどお前ぇはいつからそこまで偉くなったのかえ?」
平蔵の言葉は忠吾の期待を見事に断ち切り、
逆に己の卑しさを見透かされてしまった。

「ははっ!誠にお恥ずかしく・・・・恐れいります」
と廊下に頭を擦り付けて引き下がった。

いっときほどして 忠吾と八鹿(はじかみ)の治助が戻ってきた。

「長谷川様、またのお呼び出しということは・・・・・」

「さすが八鹿(はじかみ)の治助、判っておったか、そのことよ、
早速ですまぬが忠吾と谷中周りの事件があったお店の戸締まりを
調べてみてはくれぬか」

「判りやした、早速に!」
と忠吾と連れ立って出かけていった。

その夜遅く二人が帰ってきた。

「おお ご苦労であった、早速ですまぬが様子は如何であった?」
平蔵は治助の言葉を心待ちにしていたのである。

「長谷川様のお見立て通り、やはり何処も同じ仕掛けのようにございやす」
と報告した。

「やはりなぁ どうにも解せなんだ、
残されたことは何故殺さねばならなかったのか?
盗みならば殺害して盗めば事足りる、
わざわざ首を引っ掛けることぁねえはずだ。

こいつが解けぬ、こいつにはなにか裏があるなぁ
何かを見落としておるのやも知れぬな、
次助遅くまで済まなかった、ゆっくり休め!
おお 五鉄によって軍鶏鍋でも食ってまいれ、
三次郎にわしがそう 申したと伝えてくれ」
平蔵は遅くまで動いた治助に気配りを欠かさなかった。

「長谷川様・・・・・それではお言葉に甘えさせていただきやす」
そいういって治助は本所二ツ目に帰っていった。

「お頭 それでは私めもこれにて・・」
と忠吾が腰を上げようとした。

「忠吾 お前ぇ本日一日何を検分いたした?」
と、突然の問い返しに

「はは~ 何と申されましても、
私はただ治助の後をついて事件のあったお店を廻り、
一度休みを取りました、あっ その時の茶代は私めが支払いました、ハイ」

その応えを聞いた平蔵
「この大馬鹿者め!何故わしが治助と共にお前を殺ったか判らなんだか、
次助は仕掛けの達人、そんじょそこらの盗人では見抜けぬものでも嗅ぎ取り、
仕掛けを見破ってしまう、
それなのにお前は、ただついて回って茶代を出しただと!この大たわけ!」

「ははっ!!!!申し訳ござりませぬ」
忠吾、もう居場所もなくなり、穴でも掘って隠れたい

「だからのう忠吾、お前のことを皆うさぎ饅頭と申すのだぞ」

この平蔵の言葉は、芝神明前の名物うさぎ饅頭に顔付きだけでなく、
甘味もほどほど、塩味もほどほど、いくつ食べても腹にたまらず、
何よりも一個一文は安い、
毒にも薬にもならん娑婆塞げ(しゃばふさげ=生きていても何の役にも 立たず,
ただ場所をふさいでいるにすぎないこと。
また,そのような人、ごく つぶし)というところから
木村忠吾のことを兎忠と呼んで陰口をたたかれている。

「誠に・・・・・・」

「お前 情けないとは想わぬか!」
平蔵も半ば呆れながら・・・・・
しかしそれが又この忠吾の忠吾たる所以であり、
30表二人扶持のれっきとした御家人である。

「良いか忠吾!明日より谷中の事件現場付近を徹底的に洗い直せ、
ネズミの穴一つとて見逃すではないぞ」
平蔵に厳しく戒められ、ほうほうの体で長屋に戻った。

翌日清水御門前の火付盗賊改方役宅に
市中見回りに出かける旨の報告を入れて忠吾は早速谷中に向かった。

一軒一軒回っていたら小石川片町の小間物屋
内海やの前に佇む女性が目に止まった。

「おい お前!一体ここで何をしているんだ?」
忠吾は若い女に近づき懐の十手をちらっと見せた。

一瞬女の表情がこわばり
「いえ なんでも・・・・」
と立ち去ろうとしたのを

「おい待て、少々聞きたいことがある、
お前はこの家に何かゆかりでもあるのかそれとも・・・・・」そ
う言いかけた時その女が「

お役人様でございますか?」
と問い返してきた。

忠吾は十手を出して
「吾輩は火付盗賊改方のものである」
と告げた。

女は少し戸惑った様子を見せながらも
「あの この家のものはどこに葬られたのでございましょう?」
と忠吾に埋葬先を尋ねた。

「それはこちらも探しておるところだ、
近所の者に尋ねても通夜らしきものもなく、
役人の検分の後棺桶が運びだされたそうだ、
ところでお前は何者だ、縁のものか?」
まだ三十前と見受けるこの女に忠吾は引き止められてしまった。

聞けば三年ほど前に鐘ヶ淵の方に嫁ぎ、
二親が気にかかり時折こうして覗いているという。

半年前には店の方にも何ら命を絶たなければならないわけも見えなかったという。
忠吾はひとまずその女の所在を聞き留め、
何か判明した折には知らせると言って帰した。

その日忠吾は清水御門前の役宅に戻り、
「お頭、木村忠吾市中見廻りより只今戻りました」
と平蔵に報告を入れた。

「おお 忠吾ご苦労であった、で何か判明いたしたか?」

「それがお頭一人若いおなごに出会いました」

「何ぃ!おなごだと、で お前まさかその女を・・・・・」

「あっ お頭!その目つき、そのお言葉の響き・・・・・
大いに間違いにございます」
と慌てて平蔵のその先を制した。

「何 何んでもないとな そりゃぁまた・・・・・」

「又? 何でござりましょう、この木村忠吾痩せても枯れても
盗賊改め同心の端くれ出ござります、
おかしらの想われておるようなことは一切ござりませぬ」
と必至に弁解する。

「おいおい そのわしが想うておるようなとは一体何のことだえ忠吾」
平蔵は忠吾の慌てぶりがおかしくてからかったのであるが、
当の忠吾は防御線を張り巡らそうと必死である。

「まぁそれはさておき、何か掴んで参ったか?」
と水を向けた。

「はい その女は鐘ヶ淵に嫁いでおり、
時折二親を案じて訪ねてくるそうにございます。
半年前には何も変わりなく、
首を括らねばならぬほどのことは露ほどにも
感じなかったそうにござります、それともう一つ」

「おお それは何じゃ!」
やっと確信に辿り着いたので、平蔵書物の手を休め忠吾を見た。

不思議なことに三件とも役人の検分がすんだその夜
密かに棺桶が運び出されております」

「何だと!そいつぁ妙な話だな」平
蔵はやっと事件の核心に近づいたことを感じ取った。

「何れも夜半に棺桶を出している、こいつぁ骸(むくろ)以外の
何かを運びだしたに違ぇねぇ。

棺桶を運ぶにゃぁ荷馬車が必要であろう、
貸車屋を早速洗ってみよ、どこの貸車屋で誰に頼まれどこに運んだか、
そいつが判れば凡そのことが判明いたそう」
平蔵は忠吾に命じた。

だが、平蔵の思いはあっけなく期待倒れに終わってしまった。

この数日谷中界隈で棺桶を運んだ者も、
車を貸した者もいなかったのである。

「ウヌ!」
先の見えない路地に入ったような思いがじゅくじゅくと平蔵を囲んでくる。

この奇妙な事件は平蔵の頭の中でくすぶり続け、
打つ手とて無い状況に歯ぎしりするばかりであった。
だが、この事件も些細なところから緒(いとぐち)が見えてきた。

谷中の立善寺裏の百姓屋に
棺桶らしきものが運び込まれているのを夜中に厠に立った小坊主が見ていた。

だが小坊主は夜中に厠に立つのは昼間の節制が足りぬからだと
戒められるのを恐れて報告しなかったようであった。

小坊主も初めは気にも留めなかったけれど、
埋葬する様子もなく妙だと思い、和尚に報告したということであった。

そこで和尚が早速出向いて確かめた所確かに不要とみなした仏像に
小間物の細工物や銭箱、骨董物が散乱しており、
人の出入りもあった痕跡が認められたと番屋に届け出がなされ、
町奉行所に報告が上がり判明した。

町奉行の手で谷中の百姓屋の裏手に八名の亡骸が
埋められていたのが発見され、
それぞれ身元のわかるものの身内に連絡を取らせ、
引き取り手のないものは立善寺の無縁墓地に埋葬されたという。

その数日後谷中の新幡随院裏手の掘割土手に
荷馬車が放置されていたのが見つかった。

「お頭 この度の事件はどのようになっておりましたもので?
私には何が何やら見当もつきかねます」
と聞いてきた。

「うむ 殺した後首をつったのは自殺と見せかけて、
以後の探索が及ばないように図ったのであろうよ、
戸締まりのからくりも次助が見破らなんだら案外見過ごしたであろう事だがなぁ、
夜中の棺桶も故買かいの物を持ち出すために使ったのであろうよ、
恐らくは金もその時に持ちだしたと想われる、

お届けの翌日ならば奉行所のお調べで身内に知らされても十分時が稼げる、
大勢で急いで動けば嫌でも目につかぁな、そこんところをうまく考ぇやがったものだ。

最後の最後まで棺桶で始末をつけるなんざぁなめたものよのう。

恐らくは堀川伝いに川船で荷を運び出して、
大川辺りから荷揚げして消えちまったんだろうぜ。

こいつぁ次助の読んだ通り心張り棒のからくりをよく心得た奴の仕業であろうよ。
王手飛車まで掛かったと想うたに、いや無念じゃ」

平蔵はこの度の事件を解決できずに終わったことに
少々やりきれない思いが残った。


拍手[0回]

PR



 



 本所菊川町の平蔵が役宅で、
久しぶりにゆっくりとした一日もそろそろ終わりかけ、
平蔵の夕餉は猪鍋ということで、
すでに酒肴は運ばれて猪鍋の用意がなされていた。

当然用意したのは村松忠之進こと猫どの。

「お頭 お頭もご存知のようにこのイノシシ鍋は別名山鯨とも申します、
が本津はまことの獅子が手に入りましたるゆえ、
これはもうお頭に召し上がって頂き、
日頃のお疲れを払っていただかねばと・・・・・」

「おう で、猫どのが用意をいたしてくれたのか?
こいつぁ有り難ぇ、どれどれ・・」

「お頭 まだよく火が通ってござりませぬ、
猪鍋は初めの仕掛けが何よりも肝要、
土鍋に昆布を一晩水につけ置きまして煮立ちましたら昆布を取り除きます。

カツオを入れてよく出汁をなじませ、
イノシシの脂身を細切りにいたし手炊き合わせます。

その間に猪肉を薄切りに致し、山椒の粉をまぶしておきます。
煮立ちましたならば猪肉を先ず入れ煮込みます、
猪肉は煮こむほど柔らかくなりますので、
初めに入れておくとよろしゅうございます。

「おいおい猫どの、こう良い香りが立ち上っては、
何だ箸が黙っておらぬ、何とかならぬかえ?のう久栄」

「殿様、左様ではござりましょうが、
ここは村松様の申される通りに致されなければ、のう村松殿」

「あっ さすが奥方様、よう心得て居られまする。
白菜、大根、レンコン、小芋、ニンジン、
菊菜やシイタケ、ささがきゴボウに湯通しいたしましたる
こんにゃくなどを切りそろえ、割り下に醤油、砂糖、酒、
八丁味噌をしっかりと入れ濃い目の味に致します。

野菜などの厚物から先に入れ、味を染み込ませます。
菊菜が柔らこうなりましたら食べごろかと存じます。

「うんうん それは良いそれは良い!
何と申しても早く口に入れるが一番じゃぞ!、
もう待てぬ!おい 久栄早う卵を小鉢に入れてくれ、
わしはもうどうにもたまらぬ」

平蔵は箸を構えて猪鍋のグツグツ煮立つのを凝視している。

「まぁ殿様はまるで子供のようなおほほほほほ」

「そんな事ァどうでも良いのじゃぁ、
見よこのグツグツと小気味の良い音に重なって
香り立つ山椒の清々しさ、野菜のとろりととろけるような色白の中に
ひと刷毛引いたような若葉色、それに獅子の身が絡みついて、
おう!もう待ちきれぬわ!猫どの良いな!良いのじゃな!」

「あっ お頭!まずは大根からお召し上がりくださいませ」

「ななっ なんじゃぁ大根からとな!
俺は猪鍋が食いたいのじゃぞ」
平蔵腰を折られて箸が止まった。

「まずは私めの申す通りにお召し上がりくださいませ」
と松村忠之進は大根を平蔵の小鉢に取り入れた。

平蔵一気にこれを熱っ 熱っ!と言いながら口に運び・・・・・・
「猫どの・・ふむ いやぁ~こいつは旨ぇ、大根に獅子の脂が絡みついて、
いやぁうむこいつぁいかぬ!かように大根が旨ぇとは、
久栄お前も早う食べてみろ、中々こいつぁ止まらぬぞ、
さて次は獅子じゃな!・・・・・・ううん!この柔らかな歯ざわり、
噛めばじんわりと脂がにじみ出て・・・・・
嗚呼もう止まらぬぞ猫どの」
平蔵は満足の笑顔を満面に箸を休ませない。

酒もほどほどに回り腹もくち、
ふ~っと深い溜息、満ち足りた至福の時であった。

そこへ火付盗賊改方に時折顔をのぞかせる仙台堀の政七が
役宅に日暮れ時に立ち寄った。

「長谷川様、谷中天王寺南の新茶屋町蝋燭問屋で
首を括った心中者が出たと言うことでございやす。

いつもなら早々と店を開ける姿が見られるのに、
この2日ほど店は閉じられたままで、近所のものが
不審に思い番屋に届けたのが事の発端でございやす。

番屋の木戸番と町名主が出向いたんでございやすが、
外回りに不審なところもなく、思案の挙句町方に報告が上がり、
奉行所が出張って参ぇリやした。

表戸が閉められたままなもんで、
同心の松本様が蹴破って入ぇって見たら、
夫婦二人とも鴨居に細紐をかけ首を吊って死んでおりやした」

「で、お奉行様は何と仰せられたえ?」
平蔵は煙管に火をつけながら政七の顔を見た。

「へぇ いつもの通り出入りの戸は締めてあり、
心張り棒までくれてあったところを見ると首を括ったんじゃぁねぇかって事で・・・・・」

「ふむ、で 荒らされた形跡はなかったんだな?」

「へい 全く普段のままだったと町名主も証言したそうで」

「で、その蝋燭問屋 何と申したかのう」

「へい おかだ屋でございやす」

「おお そのおかだ屋はどの程度の商いであった」

「店構えは間口三間、大戸ではなく、
ばったり床几は内側からも落とし留めが掛かり、
雨戸が嵌めこまれて真ん中の戸が落し掛けの戸締まりと言うやつで、
まぁたいがいのところと似たようなもんで、
いつも夫婦二人の切り盛りだったそうでございやす。

何しろ周りはお寺がひしめいておりやすから、
商いには困るようなものじゃぁねえ、
ですからどうして首を括らなきゃぁいけねぇんだろうって、
そこんところにお奉行様はご不審を持たれてはおられるようでございやす」

「うむ 確かになぁ・・・・・・商いに行き詰まってではないとなると、
何故首を括らねばならなんだか、確かに妙な話しだな」
平蔵は腕組みをして目を閉じ、
頭の中でもつれた糸をほぐそうと試みているようであった。

この界隈の見まわり担当となっている木村忠が数日後
再び近所の聞き込みをすると、
奉行所の検分が終わったその夜遅くおかだ屋から棺
桶が運びだされているのを夜回りの親父が見ていたそうで、
話はこれで終わればあるいは問題にならなかったのかもしれない。

だが、似たような事件が立て続けに小間物問屋や古物商い、
茶道具屋など三件起こったことが平蔵の脳裏にしがみついてはなれない。

「妙だ・・・・・」
いつものカン働きがむくむくと首をもたげてきた。

盗賊改めの出張る幕じゃぁねぇが、どうもこう 
気になっていかぬ、ちょいと出かけてみるか。

平蔵は仕掛けの名人八鹿(はじかみ)の治助を伴って
ゆらゆらと谷中に出かけた。

町名主に話を通し、事件のあったおかだ屋を覗いた。
確かに争った形跡もなく家財道具もそのままできれいなものであった。

「蝋燭問屋と申しても仏具一式も扱っており、
それ相応の稼ぎはあったであろうのぅ 
それなのになにゆえ首を括らねばならなんだか」
平蔵はこのごく普通の疑問が頭からはなれない。

その時、戸口周りを調べていた八鹿(はじかみ)の治助が
「長谷川様ちょいとこいつを見ておくんなせぇ」
と平蔵を招いた。

「どれどれ・・・・」
平蔵はこの治助が何か仕掛けを見つけたと少し胸の中に兆しを感じた。

「普通戸締まりは先ず雨戸を閉め、
心張り棒をして内戸は開けたままにしやす、
ですから外から差金を突っ込んでも内戸と外壁の間に
心張り棒が挟まってびくともしません、
これが普通の戸締まりでございます、
ところがよく見ればこの心張り棒少々曲がっております」

と治助が差し出した心張り棒は刀のような反りが見受けられた。


「うむ だがなぁ次助このようなものは何処にでもあるものではないのかえ?」と
少し落胆したようにため息混じりに治助の答えを待った。

「ところが長谷川様、先ほど何度か試してみやしたが、
こいつぁ仕掛けでございやす」
と次助は自信を持って答えた。

「仕掛けだぁ?」
平蔵 この治助の自信ありげな返答にちょっと期待を込めて問い返した。

「へい この反り具合と心張り棒が噛み合う鎧戸のホゾ、
こいつが上手ぇ仕掛けになっておりやす。

普通は棒の細いほうが戸のホゾにはまりやす、
どうってぇことはねえんでございやすが
重い方が下に来るのが普通でございやすから、

ですがね こいつぁそれをうまく利用しておりやして、
鎧戸にもたせかけて置いて内戸を開けたままにしやすと、
戸袋と内戸の間で挟まれて外れねぇようになりやす、
そこでゆっくり外から鎧戸を閉めやすと」・・・・・

と言いつつ治助は外に出て鎧戸を閉めた。

コトンと小さな音がして、心張り棒が鎧戸のホゾに収まった。
これを外すには内戸を閉めて、心張り棒をはずさなければ
外から進入することは出来ない。

治助は再び中にはいって
「この外の出入口は皆落し掛けが施されておりやして、
開けられたあとが見えやせん、てぇことは・・・・・」

「次助 お前ぇこいつぁ自殺と決めつけるには早ェと言うんだな」

「へい 近頃の似た事件を見なおしても遅ぅはござりやせん」
と慎重な答え方をした。

「よし、早速他の事件もあたらせてみよう、助かったぜ次助、
お前ぇの前がこれほど俺をすけてくれるとはなぁ」

「長谷川様、どうかそのぉ昔のことは・・・・・」

「おお こいつぁ俺がうかつであった、すまぬすまぬ、
いやお前ぇの読みでずいぶんと緒(いとぐち)を見つけることが出来た、
ありがてえなぁ」
平蔵 口元が少し緩んできたのを覚えた。

役宅に戻った平蔵はこの数日内に起こった
似たような事件のお調書を改めて読み返してみた。

事件は三件とも首を括っての自殺と書かれてあり、
その何れもが主夫婦というところが共通している。

確かに臭う
「誰か!忠吾は居らぬか!」

「お頭!お呼びで」と木村忠吾が控えた。

「おお 忠吾すまぬが五鉄に参り彦十に
八鹿(はじかみ)の治助に繋ぎを取るよう行ってはくれぬか?」
平蔵はもう一度治助に確かめさせようという腹づもりでのことであった。

「えっ 私がでございますか?使い走りなら何も私めでなくとも・・・・・」
と、見回りの供をいたせ!
と言う言葉を期待していたものだからつい本音が出てしまった。

「忠吾!」
平蔵の語気に忠吾は思わずたじろいた。

「なぁうさぎ お役に重いも軽いもない、谷中はそちの見回り持ち場であろう、
さらばお前が動くのが当たり前、
己の代わりに人をやるほどお前ぇはいつからそこまで偉くなったのかえ?」
平蔵の言葉は忠吾の期待を見事に断ち切り、
逆に己の卑しさを見透かされてしまった。

「ははっ!誠にお恥ずかしく・・・・恐れいります」
と廊下に頭を擦り付けて引き下がった。

いっときほどして 忠吾と八鹿(はじかみ)の治助が戻ってきた。

「長谷川様、またのお呼び出しということは・・・・・」

「さすが八鹿(はじかみ)の治助、判っておったか、そのことよ、
早速ですまぬが忠吾と谷中周りの事件があったお店の戸締まりを
調べてみてはくれぬか」

「判りやした、早速に!」
と忠吾と連れ立って出かけていった。

その夜遅く二人が帰ってきた。

「おお ご苦労であった、早速ですまぬが様子は如何であった?」
平蔵は治助の言葉を心待ちにしていたのである。

「長谷川様のお見立て通り、やはり何処も同じ仕掛けのようにございやす」
と報告した。

「やはりなぁ どうにも解せなんだ、
残されたことは何故殺さねばならなかったのか?
盗みならば殺害して盗めば事足りる、
わざわざ首を引っ掛けることぁねえはずだ。

こいつが解けぬ、こいつにはなにか裏があるなぁ
何かを見落としておるのやも知れぬな、
次助遅くまで済まなかった、ゆっくり休め!
おお 五鉄によって軍鶏鍋でも食ってまいれ、
三次郎にわしがそう 申したと伝えてくれ」
平蔵は遅くまで動いた治助に気配りを欠かさなかった。

「長谷川様・・・・・それではお言葉に甘えさせていただきやす」
そいういって治助は本所二ツ目に帰っていった。

「お頭 それでは私めもこれにて・・」
と忠吾が腰を上げようとした。

「忠吾 お前ぇ本日一日何を検分いたした?」
と、突然の問い返しに

「はは~ 何と申されましても、
私はただ治助の後をついて事件のあったお店を廻り、
一度休みを取りました、あっ その時の茶代は私めが支払いました、ハイ」

その応えを聞いた平蔵
「この大馬鹿者め!何故わしが治助と共にお前を殺ったか判らなんだか、
次助は仕掛けの達人、そんじょそこらの盗人では見抜けぬものでも嗅ぎ取り、
仕掛けを見破ってしまう、
それなのにお前は、ただついて回って茶代を出しただと!この大たわけ!」

「ははっ!!!!申し訳ござりませぬ」
忠吾、もう居場所もなくなり、穴でも掘って隠れたい

「だからのう忠吾、お前のことを皆うさぎ饅頭と申すのだぞ」

この平蔵の言葉は、芝神明前の名物うさぎ饅頭に顔付きだけでなく、
甘味もほどほど、塩味もほどほど、いくつ食べても腹にたまらず、
何よりも一個一文は安い、
毒にも薬にもならん娑婆塞げ(しゃばふさげ=生きていても何の役にも 立たず,
ただ場所をふさいでいるにすぎないこと。
また,そのような人、ごく つぶし)というところから
木村忠吾のことを兎忠と呼んで陰口をたたかれている。

「誠に・・・・・・」

「お前 情けないとは想わぬか!」
平蔵も半ば呆れながら・・・・・
しかしそれが又この忠吾の忠吾たる所以であり、
30表二人扶持のれっきとした御家人である。

「良いか忠吾!明日より谷中の事件現場付近を徹底的に洗い直せ、
ネズミの穴一つとて見逃すではないぞ」
平蔵に厳しく戒められ、ほうほうの体で長屋に戻った。

翌日清水御門前の火付盗賊改方役宅に
市中見回りに出かける旨の報告を入れて忠吾は早速谷中に向かった。

一軒一軒回っていたら小石川片町の小間物屋
内海やの前に佇む女性が目に止まった。

「おい お前!一体ここで何をしているんだ?」
忠吾は若い女に近づき懐の十手をちらっと見せた。

一瞬女の表情がこわばり
「いえ なんでも・・・・」
と立ち去ろうとしたのを

「おい待て、少々聞きたいことがある、
お前はこの家に何かゆかりでもあるのかそれとも・・・・・」そ
う言いかけた時その女が「

お役人様でございますか?」
と問い返してきた。

忠吾は十手を出して
「吾輩は火付盗賊改方のものである」
と告げた。

女は少し戸惑った様子を見せながらも
「あの この家のものはどこに葬られたのでございましょう?」
と忠吾に埋葬先を尋ねた。

「それはこちらも探しておるところだ、
近所の者に尋ねても通夜らしきものもなく、
役人の検分の後棺桶が運びだされたそうだ、
ところでお前は何者だ、縁のものか?」
まだ三十前と見受けるこの女に忠吾は引き止められてしまった。

聞けば三年ほど前に鐘ヶ淵の方に嫁ぎ、
二親が気にかかり時折こうして覗いているという。

半年前には店の方にも何ら命を絶たなければならないわけも見えなかったという。
忠吾はひとまずその女の所在を聞き留め、
何か判明した折には知らせると言って帰した。

その日忠吾は清水御門前の役宅に戻り、
「お頭、木村忠吾市中見廻りより只今戻りました」
と平蔵に報告を入れた。

「おお 忠吾ご苦労であった、で何か判明いたしたか?」

「それがお頭一人若いおなごに出会いました」

「何ぃ!おなごだと、で お前まさかその女を・・・・・」

「あっ お頭!その目つき、そのお言葉の響き・・・・・
大いに間違いにございます」
と慌てて平蔵のその先を制した。

「何 何んでもないとな そりゃぁまた・・・・・」

「又? 何でござりましょう、この木村忠吾痩せても枯れても
盗賊改め同心の端くれ出ござります、
おかしらの想われておるようなことは一切ござりませぬ」
と必至に弁解する。

「おいおい そのわしが想うておるようなとは一体何のことだえ忠吾」
平蔵は忠吾の慌てぶりがおかしくてからかったのであるが、
当の忠吾は防御線を張り巡らそうと必死である。

「まぁそれはさておき、何か掴んで参ったか?」
と水を向けた。

「はい その女は鐘ヶ淵に嫁いでおり、
時折二親を案じて訪ねてくるそうにございます。
半年前には何も変わりなく、
首を括らねばならぬほどのことは露ほどにも
感じなかったそうにござります、それともう一つ」

「おお それは何じゃ!」
やっと確信に辿り着いたので、平蔵書物の手を休め忠吾を見た。

不思議なことに三件とも役人の検分がすんだその夜
密かに棺桶が運び出されております」

「何だと!そいつぁ妙な話だな」平
蔵はやっと事件の核心に近づいたことを感じ取った。

「何れも夜半に棺桶を出している、こいつぁ骸(むくろ)以外の
何かを運びだしたに違ぇねぇ。

棺桶を運ぶにゃぁ荷馬車が必要であろう、
貸車屋を早速洗ってみよ、どこの貸車屋で誰に頼まれどこに運んだか、
そいつが判れば凡そのことが判明いたそう」
平蔵は忠吾に命じた。

だが、平蔵の思いはあっけなく期待倒れに終わってしまった。

この数日谷中界隈で棺桶を運んだ者も、
車を貸した者もいなかったのである。

「ウヌ!」
先の見えない路地に入ったような思いがじゅくじゅくと平蔵を囲んでくる。

この奇妙な事件は平蔵の頭の中でくすぶり続け、
打つ手とて無い状況に歯ぎしりするばかりであった。
だが、この事件も些細なところから緒(いとぐち)が見えてきた。

谷中の立善寺裏の百姓屋に
棺桶らしきものが運び込まれているのを夜中に厠に立った小坊主が見ていた。

だが小坊主は夜中に厠に立つのは昼間の節制が足りぬからだと
戒められるのを恐れて報告しなかったようであった。

小坊主も初めは気にも留めなかったけれど、
埋葬する様子もなく妙だと思い、和尚に報告したということであった。

そこで和尚が早速出向いて確かめた所確かに不要とみなした仏像に
小間物の細工物や銭箱、骨董物が散乱しており、
人の出入りもあった痕跡が認められたと番屋に届け出がなされ、
町奉行所に報告が上がり判明した。

町奉行の手で谷中の百姓屋の裏手に八名の亡骸が
埋められていたのが発見され、
それぞれ身元のわかるものの身内に連絡を取らせ、
引き取り手のないものは立善寺の無縁墓地に埋葬されたという。

その数日後谷中の新幡随院裏手の掘割土手に
荷馬車が放置されていたのが見つかった。

「お頭 この度の事件はどのようになっておりましたもので?
私には何が何やら見当もつきかねます」
と聞いてきた。

「うむ 殺した後首をつったのは自殺と見せかけて、
以後の探索が及ばないように図ったのであろうよ、
戸締まりのからくりも次助が見破らなんだら案外見過ごしたであろう事だがなぁ、
夜中の棺桶も故買かいの物を持ち出すために使ったのであろうよ、
恐らくは金もその時に持ちだしたと想われる、

お届けの翌日ならば奉行所のお調べで身内に知らされても十分時が稼げる、
大勢で急いで動けば嫌でも目につかぁな、そこんところをうまく考ぇやがったものだ。

最後の最後まで棺桶で始末をつけるなんざぁなめたものよのう。

恐らくは堀川伝いに川船で荷を運び出して、
大川辺りから荷揚げして消えちまったんだろうぜ。

こいつぁ次助の読んだ通り心張り棒のからくりをよく心得た奴の仕業であろうよ。
王手飛車まで掛かったと想うたに、いや無念じゃ」

平蔵はこの度の事件を解決できずに終わったことに
少々やりきれない思いが残った。


拍手[0回]

PR
" dc:identifier="http://onihei.nari-kiri.com/Entry/108/" /> -->