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鬼平犯科帳 鬼平罷り通る 三嶋山燈

鬼平犯科帳外伝

2016年 新年号 予知夢

平蔵、小房の粂八を供に、久しぶりに大川で釣り糸をたれている 
船着場から小舟が寄せてきて
「釣れやすか?」と声をかけてきた。

「魚かえ?」平蔵は釣り糸を上げてみせる

「お武家様ぁそいつぁ何でも・・・・・・」と苦笑いをする

「そうであろう わしもさように思うておる。
餌もなければ針もない、だがなぁ釣るだけが目的ではないこともある
こうして釣り糸を垂れる

この川の流れの中にどれほど多くの思いが溶けこんでおろうか
川面を眺め泣いた者もおろう、苦しみを投げ込んだ者もおるであろう、
地獄も極楽もこの川の底に潜んでおるやも知れぬ。

わしは日々の疲れをこのように糸に流してただあるがままに時を過ごす
そこに食うか食われるかなぞという野暮なものを持ち込んでは、
せっかくの楽しみも消え失せる
気の安らぐものを何処に求めるか・・・わしは過ぎる時を楽しんでおるのよ」

「へ~そんなもんでございますかねぇ」
若い船頭は苦笑しながら平蔵の釣り糸を眺めた。

「かかるっていやぁ先だって、この先の浅草今戸町船宿「柳川」の
山谷船がお武家の土左衛門を引っ掛けちまって、
まぁ御定法通り川に押し戻したそうでございやすがね、
片腕に紐が結んであったそうで、ありゃぁひょっとすると相対死じゃぁねぇかって・・・・・」

「そいつぁ片割れかも知れねぇなぁ、かわいそうにどのような訳があったのか知らぬが、
死んでしもうては何んにもならぬ、死んでしまえば楽ではあろうよ、
だがな 残された者はその分苦しまなきゃぁならねえってぇこともある。

生きていればこそ明日を夢見ることも出来たろうに、人の世とは不条理な事の多いものよ」

平蔵は身投げのあまりの多さに対応しきれず、
岸に上がった物のみ奉行所などが取り扱うという御定法を嘆いた。

その翌日、新吉原とは目と鼻の先、田町一丁目二本堤の川傍で
女の死体が見つかったと小林金弥が拾ってきた。

「武家の息女と見受けられるものの、身元の確認ができていない」との報告であった。

昨日の大川で出会った船頭の言っていた水死体と、
もしや関連があるかも知れないと思ったものの、
すでにその骸は魚の餌になっているかもしれない。

その三日後浅草柳橋の橋桁に死体がひかかっているのが見つかり、
番屋に届けが出され、相対死の片割れかもしれないということで引き上げられた。

火付盗賊改方としては出る幕でもないが、少々気にかかる平蔵であった。

仙台堀の政七から聞いた話だとやはりその二体は相対死者のようで、
ただ妙なことに繋がれていた紐が鋭い刃物で切られていたということである。

「ところが長谷川様お奉行様が言われるには、
いずれも川に浮かんでいたのに水を飲んだ気配がねぇそうで」

「筑前守様が左様申されたのか、確かにふたりとも水を飲んではおらぬと」

「へぇ しかもふたりともお武家の身なりのようで」

「何ぃ 武家だぁ」まぁ確かによくある話ではある。

(水を飲んでいなかったこと・・・・・面白くねぇ話だなぁ)
腕組みをしながら平蔵は頭の中にからくりを仕込んでいた。

二人とも生き残れば日本橋で三日間の晒のあと、非人に落とされるし、
一人でも生き残れば死罪、起請文(針で指を刺して血で遺書を書く)もなく
、断髪もしておらぬ、爪剥ぎもなく指切りもなし。

ふむ いずれの約束事もなしでは、まことの相対死とは言えぬところもあり、
果たしてこれが相対死かどうか、少々いかがわしくもある。

平蔵のこのささやかな不信感が決め手になろうとは思いもしなかった。

数日後平蔵は池田筑前守から南町奉行所にお越し願いたいとの言上を受け承った。

「長谷川殿、すでに此度の事件はお聞き及びと存ずるが、
武家の事件にて我らには手を下せぬ事が判明いたした。
誠にご雑作をおかけいたすが火付盗賊にて事件を引き継いでいただくわけには
参らぬであろうか・・・・・」

「承知つかまつりました、長谷川平蔵何としても事の真相を証してご覧に入れまする」
と快諾した。

「おお! お引き受け下さるか、誠にかたじけない、
ところで南町にて判明いたしたることを書き記しましたる物をお渡し致そう」
そう言って備前守はこれまでの取り調べ書きを平蔵に手渡した。

清水御門前の火付盗賊改方役宅に戻った平蔵、
早速筆頭与力佐嶋忠介にこのしたため書きを手渡した。

「どう見る?」平蔵は中身を改めて後佐嶋に問いかけた。

「このお調書によりますと、相手は武家の身ということでございますな」

「そうさ だから備前守様にも手が出せねぇ」

「ではこの後は手前ども盗賊改めのやり方で宜しゅうございますな」と念を押した。

「うむ だが相手が侍ぇともなればそうたやすくは聞き取りもかなうまい、
まずは外堀を埋めなければならぬが、さて合点のゆかぬ物もあり、
思案の貯めどころじゃなぁ」

判っておることはどこぞの家中の侍と身元不明の女の相対死・・・・・
だがなぁふたりとも水を飲んではおらぬというところがどうもわしは気に入らぬ。

責任を取ることではないゆえに腹は召さなんだ、こいつは判る。
おなごの方は首を絞められたような痕跡を認むとあろう、
首を絞めた後、誰がどのように二本堤まで運び、遺棄致したかその辺りも見えては居らぬ。
こいつぁ時がかかるかも知れぬなぁ・・・・・のう佐嶋」

「左様にございますなぁお頭、どうも身元が判明致さぬのでは捜査もままなりませぬ」

「よし 密偵たちに足取りを探さすのが先のようじゃ、
すぐに繋ぎを取り二人の足取りとつながりを探るよう指示いたせ」
平蔵は疑問を特には元からやり直すことが良いと感が働いた。

「闇雲に動いたところで無駄であろう、まずは仏の見つかった田町一丁目二本堤あたりから
掛かってくれ」
佐嶋忠介は大滝の五郎蔵を中心に盗賊改めの威信がかかっていることを言い聞かせた。

密偵たちの必死の捜索にもかかわらず一向にその糸口さえも掴めないまま半月が過ぎた。

「殺しの現場はここら辺りではないのかもしれない・・・・・」
いつの間にか諦めのそんな言葉がやりとりされるようになっていた。

そんなある日、武家の内儀と思える者が人探しをしているらしいという話を
小房の粂八が聞きこんできた。

「おい 粂!そいつぁどのあたりだい?」

「それが長谷川様伝法院の辺でございまして、
何でも上役に呼ばれたとかで出かけたまま行方しれずになっているとか・・・・・」

「ふむ そいつぁもしやこの度の殺しと関係があるやも知れぬのう」

平蔵はこの粂八の掴んできた話に一抹の期待をかけた。
そしてそれが解決に向かった序章でもあった。

翌日同心沢田小平次が粂八と浅草伝法院で武家の内儀風の者を見かけたという
辺りに出かけていった。

昼過ぎに茶店で疲れた足を休めていると
「あっ!沢田様!あのひとでございやす」
と粂八が浅草寺の志ん橋と書かれてある大提灯の下をくぐって広小路に出てきた
それらしき者を指さした。

「よし!判った!」沢田は茶代を置いて立ち上がった。

「そつじながら・・・・・・」
いぶかしそうな顔で足を止めた武家の内儀風の女性に沢田は声をかけた。

「身共は火付盗賊改方同心沢田小平次と申します、お尋ねの方につき、
少々お話を伺えますまいか」と切り出した。

女性は一瞬たじろいたが、火付盗賊改方と聞き、頷いた。

さる旗本に仕えている息子の消息が突然消えてしまった。
許嫁の親元にでもと思い、そちらを尋ねたら、その息女も行方しれずと聞かされ、
お屋敷にお伺いを立てたが、知らぬ存ぜぬでとりつく島もなく、
矢も盾もたまらず、こうして探しているとのことであった。

名は小坂史郎、許嫁の名はちはると言った。

「旗本であったか・・・・・・」平蔵は町方が出張れないのも無理は無いと判った。

「とりあえず、その身の周りから探るしか無ぇなぁ・・・・・・
よし五郎蔵を呼べ、あいつにその旗本屋敷の中間などに探りを入れさせろ」
と佐嶋忠介に指示を出した。

五郎蔵は旗本屋敷の中間の中でも酒癖の汚そうな中間が出入りする下屋敷に目をつけ、
そこに張り込んだ。
そうして三日の時が流れた。

その夜件の中間は大負けを喫し、荒ぶれた様子で土場を出てきた。
「兄さん今夜はついてなかったようだねぇ」と声をかけた。

「誰でぇ 俺ぁ今夜は荒れてんだ、糞面白くもねぇ・・・・・・」

「まぁまぁ あっしも負け犬でござんすよ、どうですちょいとそこいらでこう・・・・・」
と盃を引っ掛ける仕草をして誘ってみた。

「俺ぁ すってんてんだぜ!お前ぇさん持ちならつきあってやってもいいぜ」

「おう そうこなくっちゃぁ、げん直しに一杯やって、
ウサでも晴らしゃぁ又目もでるってもんで」と誘い込んだ。

近くの居酒屋に腰を据えて、暫く盃を重ねていたが
「兄さん!そんなもんじゃぁ気分も過ぎめぇ、どうでぇこいつの方で・・・・・」
と湯のみを差し出した。

「こいつぁ気が利くねぇお前ぇさん!」
男は眼をトロつかせながら湯のみをいく杯も飲み干した

「ところでお前さん寺坂様のお屋敷に詰めていなさるんじゃァねえんですかい?」

「何だとぉ お前ぇ誰でぇ・・・・・・!」

「おっと 怪しいもんじゃござんせんよ、近習の小坂史郎様の知り合いでね、
時々お屋敷に伺っていたんで、お前さんの顔に見覚えが・・・・・」

「なんでぇぃ 小坂様の知りあいけぇ」

男は疑いの目を解き放ったようで、あの方もお気の毒なことで」
と、気落ちしたふうに言葉を濁した。

「なんでぇ そのお気の毒な話ってぇのは・・・・・まさか許嫁の・・・・・」
五郎蔵が水を向けると、眼を見返して

「おっ さすが知ってるね!そうよそいつよ、
お気の毒にあの小坂様の許嫁のちはる様に若殿様が横恋慕でよ!
何度か横車を押したんだが、他家のお女中という事で、中々うまく行かねぇ、
ところがこの暫く前から小坂様のお姿が見えねぇ、

妙な具合になっちまったんじゃぁねぇかって中間部屋ではもっぱらの噂だぜ、
若殿様は何しろあの御気性だからなぁ、小坂様も大変だとは想うぜ」
中間は気を許してペラペラと内情を喋った。

この話を五郎蔵から聞いた平蔵
「ふむ やはり相対死ではなさそうだのう、いやでかした!
五郎蔵、よく調べてくれた、これで目星もついた、後は事実を探すまで、
いやご苦労であった、ゆっくり休んでくれ、おまさにも俺からよろしくとな!
帰ぇりに宗平とっつあんに土産でも持って帰ぇってやってくれ」
そう言って懐紙に二朱金を包んで手渡した。

「長谷川様・・・・・」

「おいおい 大げさな さぁ 早く帰って安心させてやれ、
きっとお前ぇのことを案じておるであろうよ」
平蔵は煙草に火をつけながら枝折り戸に消える五郎蔵の後ろ姿を見送った。

翌日から平蔵の指図で密偵を始め与力同心も市中見廻りの探索の傍ら
聞きこみに力を入れたものの、これといった収穫もなく時ばかりが過ぎてゆくようで、
平蔵の顔にも少々焦りの色が見え始めた。

そんな夕方、密偵の粂八が
「ちょっと小耳に挟んだことが」と報告にと役宅に立ち寄った。

「吉原辺りを流している畳屋が畳の張替えを頼まれて出かけたそうですが、
こいつがまた妙な話で・・・・とその親父が話してくれやした。

大抵畳の張替えは表裏と返した後張り替えやす、
ところがこの時ばかりはさほど傷んでなかったそうで、
畳の目地に大層な汚れがひとかたまり着いていて、
それが畳床にまで広がっていたそうで妙なもんだと思ったそうでございやす」

「うむ、そいつぁ妙だのう、もしやその汚れは血の固まったもんじゃァねぇか?」
平蔵はもしやその場所で事件が起きた可能性もあるとカンが働いた。

「へぇ あっしもそいつァ妙だと思いそのお店の場所と名前を確かめてまいりやした」

「おお そいつぁでかしたぜ粂、恐らくはお前ぇの睨んだとおりだろうぜ」
平蔵は先に明かりが見えた思いで粂八をみた。

「早速おまさにつなぎを入れてそのお店に探りを入れさせろ」
平蔵、揉み手をしながら口元が緩んできた。

翌日おまさが小間物を背負って昼過ぎの隙を狙って商いに出かけていった。
おまさはその店の裏にまわり、賄いの女中に声をかけた。

「お前さんこの辺りで知らない顔だねぇ」
といぶかしそうに年増の女がおまさの足元から道具立てまでじろじろ眺めて品定めをする。

「はい 店を出しておりました亭主が床に着いちまって、
代わりにあたしが品物を担いで商いに出ることになりましたもので、こうして・・・・・
ご挨拶代わりに今、京の都で流行っている京紅ですけど」と、差し出した。

「おや それぁ大変だねぇ、いいよ、あたしがこの店じゃぁ古いから任しておきなよ」
差し出された紅をさっさと懐に修め、ご機嫌よく招き入れてくれた。

こっちも客商売だからねぇ色々と小間物はいるもんだからさ、
ねぇちょいと皆んな来てご覧よ今京で流行りの物があるよ」と奥に声をかけてくれた。

品物を広げながら
「このさきのお店で小耳に挟んだんだけど、この界隈で若い女が殺されたとか・・・・・」
と好奇心を覗かせるように世間話を漏らした。

一瞬全員の顔に緊張が走ったのをおまさは見逃さない。

「かわいそうにねぇ何も死ななくても、・・・・・・
何とかならなかったのかねぇ、死んじまっちゃぁなんにもなりゃぁしない。

助けてくれるような好きなお人もいなかったのかねぇ」とつぶやいた。

すると先ほどの女中頭が声を潜めて
「ここだけの話だけどさ、ここの2階座敷で若いお武家と同じような武家風の
相対死があったのさ、そりゃぁひどいもので辺り一面血の海でさぁ、
あたしと女将さんでその血の海を拭い取って、
相対死の二人はどこかのお屋敷の方々が引き取って行ったんだけどさぁ、
あれぁ相対死じゃぁ無いね!だってさ、どこかのお屋敷の身分の高そうなお侍さんたちが
先に上がって人騒ぎあった後若い二人がやってきてその後のことだもの、
人前で相対死なんてできゃぁしないよねぇ」とおまさに同意を求めてきた。

「たしかにねぇ、でも相対死だって言われたんじゃぁねぇ」と次の言葉を誘ってみた。

「女将さんが血を拭き取りながら
(こっちは客商売だからさぁ嫌とはいえないけど、あの若様にも困ったもんさね、
ご大身の旗本風吹かせてなんでも押し切っちまうなんてねぇ、
二人にとっちゃぁ迷惑な話だよ)って、嫌だねぇやりたい放題で、
その後始末はこっちにおっかぶせてさ」とぼやいた。

ことの次第をおまさから聞いた平蔵
「おまさ でかしたぜ!これですべての駒が揃った、
よし早速お調書を作成致し備前守さまにお届け申そう、ご苦労であった、
これでやっとわしも肩の荷がおろせる」
平蔵 腕組みをしながら目を閉じてすべての筋書きを書き終えたような安堵感を見せた。

「誰か居らぬか!」

「若殿! お呼びで!」

「おう 斉藤 小坂史郎を呼んで参れ!」

「ははっ!」

「若殿 何か御用でございましょうか?」

小坂と呼ばれた若侍が旗本寺坂刑部の嫡男十太郎の部屋にまかりこした。

「おう 小阪!お前近々婚儀が整うたと父上に婚儀の承諾願いを出したそうだなぁ」

「ははっ 左様にお届けいたしました」

「そこでわしから祝ぅてやろうと想うてな、どうだ二人連れ立って出かけて参らぬか?」

「ははっ ありがたきお言葉、では早速にでもちはるを伴って参上つかまつります」

「おお 来てくれるか、では早速だが明日山谷浅草田町の袖すり稲荷前にある
料亭翠月楼に暮六ツに参れ、それまでにはわしも参っておる」

「ははっ かたじけのうございます」

若殿直々のお声がかりである、
小坂史郎は歓びに胸を躍らせて許嫁のちはるに報告に立ち寄った。

「ちはるどの、歓んでください若殿が我らの祝言を祝ぅて下さるそうでございます」

「史郎さま、それはまことでございますか?」
ちはるは想いもかけない史郎の言葉に信じられない風であった。

「日頃より殿様は何かと私に目をかけて下さり、
この度のちはるどのとの婚儀もたいそう歓んでくださって居られましたが、
まさか若殿まで祝ぅて下さるとは想いもかけないことで、早速お返事を致しました。
それで明日二人揃うて翠月楼に参れとの仰せでございました」

こうして二人は翌日夕刻十太郎の指名した翠月楼に出向いた。

十太郎はと言えば、すでに到着しており、
取り巻きの若侍三名と酒の膳もかなり進んでいた様子である。

「おう来たか、ちはるとか申したのぅ、よう参られた、
ささっ まずは一献わしに注いではくれぬか?」

ちはるは両手をついて
「若殿様のお申出なれど、私は酒汲みおなごではござりませぬ、
何卒その儀はお許しのほど願います」と丁重に断った。

当然のことである、
夫ならいざしらず見知らぬ者に酌をするなど武家のおなごのすることではない。

「何ぃ!若殿に向かって無礼であろう!」
腰巾着の若侍が片膝立ててそばの大刀を引き寄せた。

「まぁ待て待て!嫌だと申しておるのではない 出来ぬと申したのじゃ、そうであろう?」

「はい さようにございます、どうかその儀はお許し願わしゅうございます」
きっぱりと十太郎の目を見据えて答えた。

「こしゃくな!誰に向こうて返事を致しておる所存じゃぁ!」
眉間にピリピリと引きつりを見せて十太郎は持っていた盃を小坂史郎に投げつけた。

避ける間もなく盃は小坂史郎の眉間に当たり、血が糸を引きながら袴の上に流れ落ちた。
小坂史郎は血のしたたりが畳に吸い込まれるのを拭おうともせず
「若殿!何卒お許しの程を」と懇願した。

「無礼な!わしに仕える身の貴様ごときに断られて、それを飲むとでも思うたか!
下郎が下がりおれ!」十太郎の激しい口調に思わず小坂史郎は刀を引き寄せ柄に手をかけた。

「柄に手をかけるとはおのれが主に刃向こう気か!許せぬそこに直れ手打ちに致してくれる!」

「めめめっ滅相っもござりませぬ、何卒お許しを!」
我に返った小坂史郎柄から手を離し平伏した。

「黙れ黙れ!聞く耳持たぬわ!其奴を取り押さえろ!」
若侍に命じ小坂史郎を両脇から押さえ込んだ。

気の昂ぶりを抑えきれず十太郎は小坂史郎の脇差しを引き抜いて首を切り裂いた。
鮮血が襖にビュッと飛び散り、取り押さえていた若侍の胸に降り注いだ

「「史郎様!!」ちはるは史郎の身体に覆いかぶさるように抱きついた

「おのれがぁ!」十太郎はその姿を見て増々逆上し、ちはるを引き剥がし、
仰向けに倒れたちはるに馬乗りになった

「小阪!もはやお前には必要ないこいつはおれが頂いてやる安心いたせ!」
両眼を見開いたまま声も出せず荒い息をしつつ血潮にまみれている小坂史郎に
そう叫んでちはるの胸ぐらを両手で押し開いた」

「いやぁ~!!」
ちはるは十太郎の下でバタバタと抵抗したものの、
あらがえるはずもなく口に手ぬぐいを押し込まれ舌を噛み切るのを防がれてしまった。

「わはははは どうだ悔しいか!どうにも手が出せまい」
十太郎は小坂史郎の方を振り向いた。

再びちはるの方に振り返った瞬間
「ぎゃっ」と悲鳴を上げて左目を抑えた、その手のひらの隙間からボタボタと血が吹き出した。

「おのれがぁ!」
十太郎はちはるの右腕をわしづかみに引き倒した、その手には簪が朱に染まって握られていた。

「此奴此奴!!」十太郎はちはるの首に手をかけ締めあげた。

ちはるは暫くバタバタしていたものの目を見開いたまま絶命した。
小坂史郎も両眼から血を流しながら絶命してしまった。

「若殿!少々やり過ぎたようではござりませぬか?」
と供の若侍、いささか思わぬ展開に巻き込まれてこれをどう収めたものかと
戸惑っている様子である。

「俺は天下の直参!店の者共に口止めいたせ、死体は其奴の下げ緒で結びおうて
相対死と致せば良い、後の始末はお前達でなんとでも致せ、おい部屋を変わるぞ」
と別の部屋に陣取り、再び酒を飲み始めた。

これが事の顛末であった。

それから半月が流れた後、大目付へ旗本寺坂刑部より、嫡男流行病死の届け出がなされたと
平蔵は筑前守より聞かされた。

人が人を裁く・・・・・死人に口なしとはよく言ったものだが、
どこかに落とし穴が潜んでおるものよ、旗本の誇りたぁ一体何だぁ・・・・・・

平蔵は後味の悪いこの度の事件を苦々しい面持ちで書き記した。

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