忍者ブログ

鬼平犯科帳 鬼平罷り通る 三嶋山燈

鬼平犯科帳 鬼平罷り通る

2月号 鴨がネギ背負って 2-1



「あっ 長谷川様 いらっしゃいませ」
店先に打ち水をしていたおときが平蔵を見て愛想の良い笑顔で迎えた。


「おう おとき、毎日ご苦労だのう」
平蔵はこの女中の笑顔がこの五鉄の看板だといつも思うのであった。


「長谷川様がお越しですよ」
おときは弾んだ声で平蔵の来店を奥につないだ


「これは長谷川様、あっ 丁度良い所に・・・・・・」


「っってぇと何か変わったものが入ぇったってぇことだな?」
平蔵すでにこの五鉄の亭主三次郎の顔から読み取って足取りも軽く
二階へ上がっていった。


相模の彦十が酒肴膳を抱えて上がってきた。


「おい 彦 今日は又変わった物が入ぇったようだなぁ」
窓の障子を開けながら敷居に腰を据えた。


「さすが銕っつあん 耳が早ぇや、実はね信濃は松本の
一閑曲がりネギが手に入ぇたんでさぁ、
いつもなら下仁田か深谷、千住ってぇところでござんすがね」


彦十も五鉄に居候を決め込んで少しは学んだのかその博識ぶりをひけらかす。


「ほうほう 彦 お前ぇも少しは店を手伝っておるようだのう」


「銕っつあん そいつぁひでぇや、こう見えたって相模の彦十
腕には覚えもござんすよってなもんでへへへへへっ」
と腕をまくって平蔵にみせた。


「おいおい彦十その干物のようなものは頼むから引っ込めてはくれぬか、
今そいつを見せられちゃぁこの後のねぎがまずくなってしょうがねぇやぁな」


「あっ 違えぇねぇや」
彦十笑いながら恥腕(やさうで)を袖に帰す。


平蔵に酒を注ぎながら、さっさと自分の懐盃を出しておこぼれ頂戴。


「で ネギがどうした?」
酒を口に運びながら話の先を催促する平蔵。


そこへ亭主の三次郎が鍋の支度を抱えて上がってきた。


「長谷川様、もう父っつぁんにお聞きになられたと思いますが、
曲がりネギが手に入りまして、上野国は松本の特産、
これぁぜひ長谷川様に食べていただかなくてはとお知らせいたしました次第で、
下仁田のネギは丈も短く太く生では辛味が強うございますが、
火を通しますと柔らかく甘くなります。


別名を殿様ネギと言いますが、これはぶつ切りにして炙りますと、
甘くとろりとした甘い口当たりがよろしゅうございます。


千住ネギは土寄せして根を白く工夫したものでございますが、
葉肉は固めでいつでも手にはいり、鍋物には欠かせません、
旬となると11月からでございましょうか。
下仁田葱


埼玉の深谷はきめ細かく柔らかく、糖度が高く甘うございます。
この甘さはミカンと同じくらいとか、
このために鍋には砂糖の代わりになるというのでよく使います。


「ふ~む それほどの違いがあるとはなぁ、
でその一閑曲がりネギはまたどのようなものだえ?」
平蔵の好奇心がむくむくと頭をもたげていた。


「はい それがまたこだわりでございまして、
一旦植えたものを夏の間に引き抜いて植え替え致します」


「おいおい わざわざ植え替えるのかえ?」


「はい それが又甘さを引き出すコツだそうで、
なんでも土地の者の話では信州は土地が痩せておりまして、
中々根を深く張らせるのが厄介なんだそうで、
そこで一旦伸びたものを抜いてこれをあぜに斜めに立てかけて、
根元を再び土で覆って伸ばすそうで、
ふた冬越してやっと食べられるようになるそうでございます、
その分甘さが行き渡り煮ても焼いても美味しいそうでございます」


「ホォそいつぁまた、彦十とは大違いだなぁ
聞けば聞くほど早く食ってみてぇもんだなぁ彦十」


「銕っつあん!そのあっしと大違いってぇのがちょいと引っかかりやすが」
と平蔵を見る。


「おお こいつぁ気が付かなんだ、なぁに気にすることぁねぇぜ
お前ぇは煮ても焼いても食えねぇってだけのことよわはははは」


「あっ そりゃぁあんまりじゃぁござんせんかねぇ」
と三次郎を振り返る。


当の三次郎あっさりと
「さすが長谷川様の目は誤魔化せんぇよ父っつあん」
とにやにや


「へっ!お前ぇにまでそう言われちゃぁこの相模の彦十もお終ぇだぜ」
とぼやきが入るのを


「おい彦!冗談だよぉさぁ温っけぇところで食おうぜ」


「おっと!そうこなくっちゃぁいけませんやぁ、」
と彦十さっさと鍋に箸を・・・・・


「父っつあん!」
三次郎がこの無礼をたしなめるが


「まぁいいってことよ、どれ俺にもよそおってくれぬか」
と酌をするおときに椀を出す。
 下仁田ネギ


「で、本日の出し物は何だえ?」


「はい いつもならば軍鶏でよろしいかと思いますが、
本日は鶏を用いました、少しおとなしいかと存じますが、
この方が曲がりネギの甘みがよく出せると思いまして」と三次郎


「昆布を半時ほど浸して出汁を取ります。
これに鶏のもも肉をそぎ切りに、ネギの青いところを入れて
火にかけ中火で沸騰させ、火を落としてアクをすくいます。


その間に曲がりネギの白いところをそぎ切りにして焦げ目がつくように炙ります。
ここが旨味を出す秘訣、焼き上がりましたものを汁の中に入れ薄アゲ、
キノコを入れ、煮立ったところでみりんを入れて味を見ながら砂糖、
蜂蜜これが肉を更に柔らかく致します、
それに酒を加えて味を整え豆腐を落として予熱で煮ます、
煮過ぎると豆腐が硬くなりいただけません」


「おうおう 講釈を聞いているだけでも美味そうで、
こりゃぁまずい話になってきたぜ えっ!
寒いときやぁこいつでなく行かぬ・・・・・なぞとなぁ、どれどれ・・・・・・」


「お好みで柚子胡椒など振りますといっそうの・・・・・・」


「おいおいちょいと待ってはくれぬか!これ以上旨くなるというのかぁ、
そりゃぁたまらんぜ」


「銕っつあん!まだその上があるんでござんすよ!へへへへへ」


「おい 彦それ以上は申すな そりゃぁ河豚の毒でもあるまいし聞いただけで・・・・・・
いや いかぬ!毒を食らわば皿までと申すからなぁ 何でぃそいつぁ?」


「それがね 味の煮詰まった頃合いを見て、
この残り汁に蕎麦を入れて三次郎が申しやした柚子胡椒をパラパラと・・・・・
こいつがたまりませんやぁ」


「苦しゅうない、蕎麦を持てぇってかぁ!よぉし持ってこい其奴を」


「とおもいまして、もう温めて有りますよ長谷川様」
とおときが追い打ちの蕎麦を運んできた。


「蕎麦はやっぱり真田蕎麦であろうな、信州木曽の大桑・・・・・
こいつが一番、二番がねぇと言うやつよ、
上がったばかりのやつをこの残った出汁の中に入れて、
うむさぞかし濃厚であろうなぁ。


どれどれ・・・・・・・ううううっ 旨ぇ こいつはいやはやどうにも、
このネギと言い、蕎麦と言い身体の中からこう温まるなんざぁ中々のものよのう、
有り難ぇなぁむふふふふ」平蔵満腹のご様子であった。


こうして平蔵その足で菊川町役宅に戻りかけた。
程よく酒も回りそれ以上に曲がりネギの鍋が身体をいつまでも温かくしていた。


師走ともなれば昼でもそれ相当に冷える。
羽織から懐に腕を引っ込めてゆらりゆらりと足早に往来する人々の気配を
楽しんでいるかのようであった。


二ノ橋を渡り(ついでに弥勒寺のお熊のところへ寄って婆さんの顔でも
拝んで帰るか)平蔵は林町をまっすぐ弥勒寺の方へ下がった。


数日前の12月も押し迫った二十五日、
神田三川町一丁目両替商の大店鳴海屋に押し込みが入り
千両箱に入っていた小判や丁銀、小玉銀合わせて七百(しっぴゃく)両あまりが
強奪された。


賊は店のものを一箇所に集め猿轡をかませて後に刺殺し
素早く逃走を測った手口であった。


届け出は隣家の店の者が朝の戸口が開かないことに不信を持ち、
番屋に届け、番屋から町奉行所に届け出されて町奉行の同心が駆けつけ
表戸を打ち壊して入り発覚したもの。


強盗殺人ということで、南町奉行所吟味方与力から通達が届き
火付盗賊改方が担当となった。


「極悪非道なる仕業にて、係る事件は盗賊改めが出張らねばなるまいのう」
平蔵は手焙りに手をかざしながら筆頭与力の佐嶋忠介にボソリとつぶやいた。


「まことに左様で御座いますな・・・・・・」
佐嶋は平蔵の言葉の真意を汲み取ってそう答えた。


(俺は罪が憎い、それを犯させる奴が更に憎いそして罪を犯す者をなくしてぇ、
そこに俺たちは立たされているんだぜ)
以前佐嶋に平蔵が吐露した重い言葉が脳裏に浮かんだからである。


「お頭 両替商で師走ということからも、
この奪われた金子は額が少のぅございますなぁ」


「お前ぇもそう思うか?俺もそいつが気に食わねぇ、
おそらく粗奴らは金蔵は始めっから狙ってはおらぬと見た」
ゆっくりと平蔵妻女の久栄が運んできた湯飲みに手を添え
ゆらゆらと昇る茶の温もりを見つめている。


「確かに、手順から見まするに、素早く仕事を終えておるところからも少人数、
しかし後に証拠を残さぬための殺害は用心深いと申さねばなりますまい」
さすがに平蔵の懐刀と呼ばれる佐嶋忠介通達一つからここまで見通している。


「うむ お前ぇの言うとおりだろうよ、とするとこのままでは
済まぬような気がする、あと五日ほどの間にどこぞが狙われるやも知れぬ、
かと申して手がかり一つなしではいくら何でものぅ・・・・・」
手が打てないということである。


「江戸は広い・・・・・・・」
平蔵のこの言葉は江?御府内に南北両奉行所を合わせても与力四十六騎、
同心二百四十名 火付盗賊改方は与力五騎に同心三十名合わせても
与力五十一名同心二百七十名これで人口百万を抱える
江?四里四方を見回るのだから楽ではない。


おまけに町奉行と火付盗賊改方は同じ区域を廻ることでもあり
見回りの区域は広かったといえる。盗賊改めでは、
これに差口奉公(密偵)を各自が養っていた。


町奉行も同心与力の雇った小者・御用聞きと呼ばれるもの五百名や
その配下の下っ引三千名を使ってはいたが、
いずれもスリなど軽犯罪の見回りや聞きこみが主で、逮捕権は有せず、
又それぞれ糊口をしのぐ為に家族や本人自身が仕事を持っていた。


実際事件が起きたら御用聞きは奉行所からの要請で
奉行所に十手を頂きに上がってから事件の聞きこみに出かける、
これでは時間も掛かり効率的ではなかった。


ここは本所常盤町の海産物問屋能島や
「毎度ごひいきに預かりありがとうございます、富山の森田屋でございます。
反魂丹(後の六神丸)という幟を持って男が暖簾をくぐった。


「お前さんいつもの方と違うようだが?」


「へぇ 相済みません、いつもの友助さんがあの年でございますから、
ちょいと腹ァ冷やしちまってその代わりにあっしが、どうも面目ない話で」
と苦笑いしながら頭を下げた。


「そりゃぁそうだ、置き薬屋が腹を壊したんじゃお話にもなりませんからね」
主は帳簿をめくりながら返した。


奥からこの店の孫娘が出てきたのを見かけて


「お孫さんでございますか?はい!これお土産だよ」
と箱のなかから紙風船を取り出してぷっと膨らませて娘に渡す。


「ありがとう!」
娘は嬉しそうにその風船を両手で抱えて主人の膝に座った。


「いつも気配りを欠かさないのは、さすがに富山の商い上手、
私達も見習わなきゃぁ」と主人は笑顔で娘を抱き上げた。


「とんでも無いことでございます、こうして私どもが商いを続けられますのも
お客様あってのことでございますよ」
と言いつつ薬種を確認し、懸場帳に書き込んでいる。


「この度は一両と二百文でございますねぇ、
この年お江戸は夏風邪が流行ったとかで、こちらさまも葛根湯が無くなる寸前、
これは補充させていただきました。


「ああそうなんだよ、私らを始め丁稚なども季節の変わり目が
うまく乗りきれなくってねぇ、でもこうしておかげさまで
皆丈夫に師走を迎えることが出来ましたよ」
と、主は茶を勧めながら手文庫から金子を出して渡し、
懸場帳に支払い済みの書き込みをする男の手元を確認する。


「来年もよろしくお願いを申します」
と男が店ののれんを分けて外に出て、振り返り店に向かって一礼をして振り返った、
ちょうどそこへ平蔵がさしかかりあわやぶつか理想になった。


「あっ!」と両者が飛び退いて衝突は免れた
「これは飛んだご無礼を致しました、お許しを」
と男は小腰をかがめて何事もなかったように一ノ橋の方へと立ち去った。


?????っ あの身のこなしは、どうも只者ではないと見えたが、
俺の思い過ごしであろうか、
この師走に掛取りの置き薬代金を受け取るんだからなぁ、
さぞ急いでおったのやも知れぬ。
平蔵はさほど気を残さず背を向けた。


弥勒寺前の茶店笹やの床几に腰を落とし笠は取って横においた。
奥から人の気配がして・・・・・
「ありゃぁ銕っつあんでねぇか、こいつぁぶったまげたぁ、
この年の瀬にまぁよぉ来ておくれだねぇうひゃひゃひゃ」
歯の抜けたシワクチャ顔を増々しわ寄せて愛嬌をふりまく。


「おい お熊!お前ぇは相変わらずだのう」
手ぬぐいを首から下げて平蔵の前に屈みこむお熊の顔を見た。


「当たり前ぇだぁね、おらちっとも変わっちゃぁいねぇぜ、
ここんとこ銕っつあんが見えねえんんでよぉ、
おらちょいと心配ぇしたけんじょよ、こうして顔見せてくれて
ひとまず安心だぁなぁ」


「そうさのう お前ぇの顔を拝んでおかずば年も越せめぇよ」


「ありゃぁ んだば おらは観音様みてぇじゃぁねぇかよぉ銕っつあん」
お熊は開いているのか閉じているのかわからないほどの眼をさらに細めて
盆を胸にあてがい顔をほころばす。


「おなごが失くしちゃぁなんねぇもんが二ツある、そいつぁ女心と乙女心だぁね」
このお熊から想像することすらできかねる言葉が飛び出したから、


「この婆、八十過ぎても色気だけは忘れぬところがすごい」
と、さすがの忠吾も兜を脱ぐだけのことはある。


「なぁお熊、すまぬが笹だんごを適当にみつくろって包んでくれぬか」


「ありゃ奥方さまに土産ちゅう事ぁ、
なにか魂胆でもあるか後ろ暗ぇことでもしでかしたんじゃぁあんめぇなぁ」
と疑わしそうに平蔵の顔を見る。


「おい お熊!そいつぁねぇがな、お前ぇの笹だんごは天下一品!
奥方が大の好物でな、寄った時ぐれぇ下げて帰ぇってやるのも悪かぁねぜ、
これでよいかな」平蔵は一分を盆の上に置いて立ち上がった。


「こりゃぁ多すぎだけんじょも、ありがたく頂いておこうかねぇ、えへへへへへ」
お熊は懐にしまいながら
「銕っつあん又来ておくれよねぇ、待っているからさぁ」
と名残惜しそうに平蔵の後ろ姿を見送った、そのまぶたには
二十年前の平蔵の姿を見ているようであった。


「殿様お帰りなされませ」妻女の久栄が着替えの支度を捧げて居間に入ってきた。
「おう 久栄土産だ、何だと思う?」


「まぁお土産だなんて・・・・・・何でございましょう?」
と受け取る久栄に
「笹やの笹だんごだよ」と言葉をつなぎながら着替えの袖を通す。


「まぁ・・・・・・」
さほど嬉しそうな返事ではない、この久栄は平蔵が無頼時代の話を好まない、
と言うわけで、笹屋は特に好んではいないことを平蔵もよく承知している。


「こいつぁな 猫どのも折り紙付きの旨ぇ団子だとよ、
こう 笹の薫りが胃の賦に毒消しになるそうなあはははは」


「まぁさようでござりますか、では早速お茶を・・・・・」と出て行った。


「佐嶋はおるか!」平蔵は奥に声をかけた。


「お頭お帰りなされませ」筆頭与力の佐嶋忠介が障子を開けた。


「何ぞ変わったことはなかったか?」


「お頭がお出かけになられました後、一時ほど致しまして
奉行所当番方より知らせが参りまして、
一昨日八丁堀三拾間堀の酒問屋灘政左衛門宅に族が押し入り、
家人六名を猿轡をかませた後これを刺殺、四(し)百両あまりが
強奪されたとのことでございます」


「何だとぉ!灘政が襲われたと申すか」


「ははっ 左様にしたためられておりました」


「手口から見て、先の凶賊と同じと見てよかろう・・・・・・」


「年の瀬を控え、何処も支払い受け取りなどの為に大金が動きます、
それを狙っての押込みかと」


「で、町方の動きは相成っておる」
平蔵は町奉行の判断を推し量っているようであった。


「はい 立ち入り検分は済ませてようにございますが、
何しろ全員が口封じのために殺害され、
何一つ証拠が掴めず苦慮いたしておる様子にございます」


「うむ さもあろう・・・・・・」
平蔵じっと宙を見つめもつれた糸を頭の中で捌こうとしている。


7「のう佐嶋、六名が悲鳴を上げる事無く縛られる、
こいつぁ普通の出来事であろうか?」


「とおっしゃいますと」


「うむ 家人はそれぞれ別の部屋に就寝しておるのが普通、とするならばだ、
物音や何かで目を覚まさぬものかのう」


十名ほどの者が徒党を組みて行動致さば夜陰といえども目につく、
そうなるとわしなら出来るだけ人目を避ける事を頭に入れておく、
お前ならどうする」


「まことお頭の申されます通り、私が盗賊であるならば
できるだけ道のりを短くと考えます。
年の瀬は火事などの警戒も怠りませぬゆえ、
見回りの者も普段よりは回数を増やそうかと存じます」


「うむ おらくその辺りも予測しておかねばなるまい」


そのような話しを交わすうちにも大晦日がやってきた。


町の者は前夜宵越しの疲労も忘れて初日の出を拝もうと深川洲崎弁財天、
芝高輪、築地等の海岸や、駿河台、お茶の水、日本橋辺に集まって
初日の出を拝んだ。


やがて神田囃子が賑々しく、獅子舞や神楽を始め四条流の包丁式と
江戸っ子の正月がこうして開けて行った。


平蔵も元旦の将軍への拝賀の礼に始まり、三箇日は年始回りで明け暮れ、
やっと一息と本所菊川町役宅に戻ってきた。


そこには平蔵の組のものが待ち構えており、次々と来客が待っており
「やれやれいつもながらいやはやくたびれる」
とはいうもののこれも正月の行事笑顔で迎えていた。


そこへ仙臺堀の政七がすっ飛んできた。


「何!政七が急ぎとな!」
平蔵は挨拶を済ませる前に用というこの政七に異変を感じ
「よしすぐに裏へ回せ!」
と取り次いだ同心の沢田小平次に言い残して居間に回った。


「長谷川様!」
息せき切って入ってきた政七を見て
「政七いかが致した正月早々」
と言葉をかけたが、政七はよほど急いだのか肩で息をしている。


「おい政七そんなに急いでどうした!」


「それが!晦日に二件押込みがあったようで!」急ぎ お知らせにと思いやして。


「何だと!」
正月明けにのっけから政七のこの知らせは、
やっと腰を落ち着けたばかりの平蔵の正月気分を吹き飛ばすのには十分すぎた。


「手すきのものを全員集めよ!」
平蔵のこの下知は屠蘇気分の与力同心達も現実をつきつけられたようであった。


「お頭!私をはじめ酒井、小林、沢田ほか六名が揃いました」
と佐嶋忠介が報告した。


「まだ皆正月気分も抜けまいが、密偵たちにも繋ぎを取り急ぎ召集いたせ」


「さて佐嶋 政七の知らせによれば、晦日に押込みとは何れも急ぎ働きと見た。


早速被害の出た店の特定を急がねばならぬ、正月早々このような事件が起これば、
市中の治安を預かるこの火付盗賊の立場がない、
何としても早急に解決せねばならぬ・・・・・」
平蔵年明け早々という事が気にかかっている様子である。


平蔵のその思いを裏腹に、案の定この事件が解決を見るには
更に時が必要なこととなった。


絵図面を前に筆頭与力佐嶋忠介、筆頭同心酒井祐助が頭を揃えて見入っている。


「牛込の関口駒井町仏壇屋唐木屋・・・・・赤坂田町米問屋阿賀野や・・・・・・
同じ頃合いに襲うには距離がありすぎますなぁ」佐嶋がつぶやいた。


「いや船だ!船ならばさほどの時刻はかからぬ、
先程からどうも腑に落ちねぇところがあったんだが、
どうだ佐嶋!此度の押込み、何れも川筋から離れておらぬ、
しかも狙ったところはそれぞれ違う商いだ、何処ともつながりが見えておらぬ」


「ということは、狙いが川筋・・・・・・」


政七の話と奉行所の調書からもそう読むのが妥当と俺は想うがなぁ」


「なるほど、そういたしますと事件につながるものを見定めねばなりませぬな」


江?四方に散った密偵からもそれらしい手がかりは何一つ報告が上がってこない。
与力や同心も市中見廻りの中、昼夜を問わず懸命に走り回っていたが
焦れば焦るほど糸筋は途切れたまますでに半年が容赦もなくやってきた。


本所深川割下水を通りかかった時後ろから
「長谷川様!」と声がかかった。


平蔵が振り向くと仙臺堀の政七が勢い込んで駆けつけてきた。


「おお 政七このようなところでお前ぇに出会うとはのう」と平蔵。


「たった今長谷川様にお知らせをとお役宅をお尋ねの途中でございやす」


「おおそうか、では良い所で出会ぅたと言うわけだなぁ、
で何だぇその知らせってぇのは」


「それが昨夜遅く本所常盤町の海産物問屋能島やが襲われました」


「何だと!能島やだぁ・・・・・」
平蔵は年の瀬を迎えた二十五日、五鉄からの帰り道弥勒寺に向かった平蔵が
この海産物問屋能島やから出てきた富山の薬売りと思わずぶつかりそうになった
事を思い出した。


「おお あそこかぁ、本所といえば政七、お前ぇの縄張りだったなぁ」


「へぇ それだけにこの事件は暮の事件とも関わりがあるのではと
お奉行様がご心配なさっておいでのご様子で」


「筑後守様が・・・・・・さようか」
平蔵はこの度の事件は兇賊と言うことでもあり、
事件の取扱い一切が火付盗賊改方に回ってきていた。


その足で平蔵は菊川町役宅に戻り、待機中の佐嶋忠介に知らせた。
「で、その手口はまさか」


「そのまさかだよ佐嶋、火付盗賊も甘く見られたものよのう、
何一ついとぐちの見えぬまま半年が過ぎ、
大目付ではこの平蔵の無能ぶりを攻めるものも多く出てきたそうな。
京極備前守さまが矢面に立たされており、
まことにわしも心中穏やかならざる塩梅じゃ」


この度の一件もやはり川筋・・・・・・とするならば、後はいとぐち」


(んんっ!まてよ)平蔵は晦日のことが再びよぎっていた。


「おい 佐嶋!商いの掛取りはいつか知らぬか?」


「掛取り・・・・・でございますか?


「うむ たいていのところが商いは掛売、それを集金するのは何時頃であろうか?」


「お待ちくださいませ、まかない方に問いただしてみまする」
そう言って佐嶋は部屋を出て行った。


「お頭、普通ならば掛取りは盆と晦日だそうで、
大概のところが盆暮れの集金で済ませるようにございます」
佐嶋忠介が帰ってきて報告した。


「やはりなぁ わしはあの時どうもこう虫がうごめいてな」
平蔵腕組みしながら目をつむる


「何でございましょう?」


「うむ 晦日の事だがな、此度の能島やの表で、
わしは富山の薬売りとあわやぶつかりそうになった、
そのおり、わしも相手も飛び下がってお互ぇに避けたんだがなぁ、
その時のやつの一瞬だが目の光と動きが気になっておった。


これは俺の感の虫の居所が悪かったのかと思うたが、
そうではないやも知れぬ、粂八を呼んでくれぬか」
平蔵何やら思うことが生じたのかそう同心部屋に声をかけた。


暫くして粂八がやってきた。


「長谷川様及びと聞いて飛んで参ぇりやした」
と粂八が裏木戸を開けて入ってきた。


「おお 粂!すまねぇ、実はなぁ先ほど入ぇった話では、
本所常盤町の海産物問屋能島やに昨夜押込みが入ぇったそうな、
で お前ぇに頼みてぇこととは、その周りで富山の薬売りが
出入りしておるお店がねぇかどうか調べてみてくれぬか」


「富山の薬売りでございますか?あの置き薬の・・・・・・」


「そうよ そいつよ、出来るだけ詳しく判る方が良い」


「では早速!」と粂八が出て行った。


一時ほどして粂八が戻ってきた。


「長谷川様!ただいま戻って参ぇりやした」


「おお で如何であった?何かつかめたようだなぁその顔は、あはははは」
平蔵はすでに粂八が何かを掴んだことを見抜いてそういった。


「恐れいりやす、長谷川様の仰るとおりでございやした、
あの辺りを当たっておりやしたら札差しの大戸屋に先日富山の薬売りが
半年ぶりにやってきたそうで」


「で?」と平蔵先が知りたいと急ぐ顔に


「へぃ それがどうも妙な話で、今まではこの数十年変わらず通っていた
担ぎ屋が昨年病気だとか何とかで、若い者が代わりにやってきたそうで、
そんな時ぁたいがい引き継ぎってぇものを持ってくるのが普通でございやす、
ところがこの度はそれもなく、ですが、聞けば急な病とかで、
まぁそんなこともあろうかと別に疑いもなく済んだそうでございやす、
その時ちょいと妙だなぁとは思ったことがあったそうでございやす」


「何だいそいつは」
先を話せと平蔵の言葉尻がせいていたのを感じて粂八


「そいつが妙に店の中を見回しながら、
こんな大店は奉公人もさぞや寝泊まりも多いでしょうねぇとか、
戸締まりなんかはご注意なさっておられるのでしょうねぇとか、
妙に内情を探るような物言いに、妙な感じを受けたと言っておりやした、
それとこいつぁ大きな手がかりになると思いやすが、
そいつの鼻の左に大きなホクロがあって、時折りそれを掻いていたそうで」


「よくやったぜ粂八、おそらくそいつが一味のものであろうよ、
よし!早速密偵共に其奴の人相を伝えて探索いたせ!
わしも手すきの者と共に早速其奴を探すとしよう、おい誰か、誰か居らぬか!」
と大声を上げた。


こうして新しい展開がやっと始まったのである。


ペットの介護はこちらから
https://www.facebook.com/bluecats.service

拍手[0回]

PR