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鬼平犯科帳 鬼平罷り通る 三嶋山燈

鬼平犯科帳 鬼平罷り通る

10月号  夏目成美と消された氏族 弾左衛門


13代弾左衛門 1840-1868年

上絵図は1849年の絵図。
白く抜かれている部分が弾左衛門居住地。
現在は復刻版のために弾左衛門の居住地は白く抜かれて痕跡を留めていない。
もともと弾家は古代ユダヤ12氏族の一つダン族が日本に渡来していた痕跡。
古代ユダヤの12氏族には入らないレビ族がいる、このレビ族は祭祀を司り、
神への祈りの一切を取り仕切った、彼らの仕事の内、神に捧げる生贄の牛を屠る
役目が聖書に出て来るレビ人祭祀である。

彼らの役目は今も変わらず神社で祈りを捧げる(祝)の仕事が続いている。
天皇もこの「祝・はふり」が主な仕事である。
大三島の大山祗神社宮司は代々「大祝・おおふり・おおほり」として越智姓であったが、
明治になり三島姓に変えられ、こんにちに至っている。

この屠殺の儀式は現在も我が国では何一つ変わること無く行われている。
つまり彼らは神に仕える尊い氏族だったが、徳川家康の出目を隠すために彼らを
穢多(えた)と呼んで人別帳の下においた。
士・農・工・商・穢多・非人、これは差別ではなく単に仕事の区分けであったが、
いつの間にか差別として扱われるようになった。
だからここに町人が入っていないのはこのため。
後、部落問題が発生し、そのために彼らの痕跡を史実上から抹殺する政策が取られ
このような白紙の復刻版になった。これが日本の歴史の事実である。


珍しく平蔵この日は本所二ツ目の軍鶏鍋や五鉄に立ち寄り、
相模の彦中を連れ広大な御竹蔵を左に南割り下水の町番屋に顔を出し、
突き当りの石原町の町番屋にも顔を出した。

何しろこの一帯は平蔵若かりしころ暴れまわった庭である。

番屋の当番もその頃をよく知っているものが多く、
それゆえにこの界隈の情報も入る場所でもあった。

「あれまぁ彦さんじぁねぇかい」
この日当番という古老の久三爺様にとっつかまった。

「お前さん、久しいが近頃じゃぁ長谷川様のお供ですかい?」
とさすが自分たちのその昔を知っているだけに
彦中も蛇ににらまれた蛙のごとく神妙に恐れ入っている。

「やんでぇ お前ぇだって俺っちとつるんで悪さしたじゃァねぇか」
と反論するも
「彦さん、あっしゃぁさっさと足洗ってまっとうに暮らしたけどよ、
お前さんはどうなんだい?」
と聞かれて彦十

「けっ 面目ねぇが銕っつあんにとっ捕まるまでは何だぁそのぉ・・・・・」
結構な酒の肴にされている彦十を見かねて平蔵助け舟を出す。

「おいおい とッつあんそれぐれえにしてやれ、見ろよガマの油みてぇに
 へへへへっなぁ彦十」

「あっ そりゃぁ片手落ちってもんで銕っつあん、いや長谷川様、
そいつを言われりゃぁ長谷川様もご同様の・・・・・」

「おいおい ちょいと待った、こいつぁ風向きが悪くなったぜ、なぁとっつあん」
平蔵頭を掻き掻き
「ところで久三近頃変わったことは耳に入ぇらねぇかい?」
と薦められるまま框にひっくり返して敷かれた座布団に腰を落とした。

「へぇ 大ぇした話はございやせんがね、すぐこの先の弁財天・・・・・」

「おう あそこぁ夜鷹のたまり場じゃァねぇか」

「さすが長谷川様・・・・・」

「おいおいとっつあん妙なところで褒めるんじゃァねぇぜ、こいつぁ遠い昔の話、昔のな!」

「へへへっ こいつぁどうも、で 弁財天で面白ぇ人が時々やってきて、
あいつらは誘い水を向けるんでござんすがね、一向にお構いなし!
いつもにこにこして何やらブツブツ言いながら何かを書き止めているんだそうでございやすよ」

「ほぉ で、 そいつぁ一体何者んだぇ?」

「あっしもよくわしかぁ知らねぇんですがね、
何でも多田の森のご隠居さんとか茶屋の女郎が言っておりやした」

「多田の森かえ、あの南本所番場町にある多田薬師の・・・・・」

「へぇ東光寺の森に何でもお屋敷を構えおられるとか」

「そいつぁ又面白そうじゃァねぇか、まぁ行き掛けだ寄ってみるか!その多田の森によ!」

「待ってました銕っつあん 、そうこなくっちゃぁ!
誘い出す 時まで多田の 薬師なりってぇね!」と彦十尻をからげる。

「おいおい彦よ!お前ぇまだそんな余力を持っておるのか?テェしたもんだ!
俺ぁ此方で精一杯ぇだ」と盃を口に運ぶ仕草を見せる。

「へへへっ 女日照りは 晴天の十日なりってね!」

「へっ 呆れた野郎だお前ぇは」
平蔵半ば呆れ顔で彦十を伴い番屋を出た。

広小路に出る手前にも番屋がある。
「おい なにか変わったことはねぇかい?」
気さくに平蔵声をかける。

「ああこれは長谷川様!この数日は何事も無く至ってのんびりしておりやす」
と番太郎が茶を薦めながら後ろに隠れている彦十を見つけ、

「おや彦十さんじゃァないかね、しばらく見なかったけんどもお前ぃさん達者だったんだねぇ」
とこっちもあっちも同じ言われ方。

「へっ なんか俺っちが生きてちゃァいけねぇようなその口の聞き方ぁねぇだろうによぉ!」
彦十少々おかんむりのご様子である。

「実ぁこの前の月に厩河岸之渡しから上がった両国にある大店の番頭さんが
この先の広小路で追い剥ぎにお会いなすったそうで」

「へぇ 岡場所にでも出陣なさったんだろうなぁ、で被害はどうだったんだぇ?」

「まぁ 身ぐるみ剥がされちまったらしゅうございやすが、
帰りの渡し賃だけは泣いてすがって残してもらったとか・・・・・」

「やれやれ 三途の川の渡し賃かえ?それじやぁ懸衣翁も奪衣婆も立つ瀬がねぇ、あはははは」
で、その追い剥ぎはまだ捕まっちゃぁ居ねぇのかえ?」
平蔵その場の情景を思い浮かべながら可笑しいのをこらえて尋ねた。

「いえね!そのあとがこの界隈の面白ぇところで、
その追い剥ぎに遭ってみてぇなんて酔狂なやつが出やしてね、
どっかの大店の主風の人が両国橋を渡ったところで駕籠に乗りやした。

行く先を聞いた駕籠かきが
「その辺りぁ追い剥ぎが出るって聞いたから、かんべんしてくれって」
言ったそうでござんすよ、するとその旦那が
「じゃぁこうしよう、もし追い剥ぎが出たら手間賃を三倍払おうじゃァないかっ」
て、駕籠かきに前払いしたそうで、そんとき
「もし無事に着けたら駕籠代は払わないってぇ賭けをどうかねぇ」って。

「で、乗ったわけだな!」

「へへへへっ 仰る通り、駕籠屋が、さぁ出かけようとしたら
「ちょっと待って下さいよ」
と言って、着物を脱いでさっさと畳んで座布団の下に入れやした。
この時期でございやすよ、寒いのなんの、けどそれで乗り付けることになったそうで」

「へへ~ぇそいつぁ面白ぇ中々剛気じゃァねぇか、でどうした?」

「へぇ 案の定追い剥ぎが出やした、駕籠かきは前銭貰ってるんですっ飛んで逃げやした。
駕籠のタレをはぐった追い剥ぎが中を見て驚いたのなんの、
下帯一つの旦那が震えているじゃぁござんせんか、それを見た追い剥ぎ
「なんだ 先客がいたかぁ」ってね、あはははははは」

「やれやれ・・・・」平蔵飛んだ落ちに大笑い。

「いやぁそれにしても世の中酔狂な野郎も居るんだなぁ彦・・・・・・」
笑いを残しながら外へ出た。

丁度追い剥ぎが出たという広小路に出た。
左は少し後ろに御厩河岸を渡る川船がゆったりと大川を越えているのが見える。
少し前は浅草並木町と本所竹町を結ぶ竹町之渡しも見える。

平蔵と彦十はゆらりと流しながら、そぞろ歩きで件の多田の森に差し掛かった。
普賢寺の門前の川土手に座り込んで、大川の流れを行き交う川船や船頭の舟唄を聞きながら
煙管を構えた男がいた。平蔵をさして変わらぬ年頃のように見受けられた。

平蔵足を止めて「何か面白いものでも見えますかな?」と寄っていった。

その男はニコニコ笑いながら
「お侍様こうして川面を行船を眺め、乗った人や荷物を眺めておりますと、
その物の向こうに見えるものを見たいと想うてしまいます。
見ているようで上っ面と申しますが、一つ一つのものに何かこう絵草紙の語り物のような
ものを想像いたしまして、時の過ぎるのを忘れます」
穏やかな話し方で平蔵を見上げた。

平蔵、この男に何かを想ったのかその横に腰を下ろし
「まこと人それぞれに上辺では量れぬもの、面白きことや楽しきこともあろうが、
それにも増して苦しみや哀しみも抱え込んでおるものであろうなぁ・・・・・
この世は不条理なことも多くあろうそれを想うと人は何故生まれてきたのか、
どうして生きてゆかねばならぬのかと問いかけては、未だその答えを見出せずにおる・・・」

「ああこれはまた嬉しいお言葉を・・・私は三十一歳で家督を継ぎましたが
二年後に痛風を患いましてこのように右足が不自由になりました。
それゆえ家督を弟に譲り隠居いたしました。
ところがその翌年に弟が流行病でなくなりました。
やむなく病の身を押して再び跡目を継ぎ、時折こうして多田の森に息抜きに参ります」
と時折袖を抜ける早春の風邪を心地よさそうに受けている。

「もしやそこもと、多田の森のご隠居と呼ばれはせぬか?」と平蔵

「あっ!」
 一瞬驚いた風であったが、すぐさま許の穏やかな顔に戻り

「ああ 左様に呼ばれているとは聞きましたが、こういきなりそう言われますと、
あはははは誠に持って、申し遅れました、私は浅草蔵前の札差井筒屋八郎右衛門と申します」
と名乗った。

「おお これは又痛み入り申す、手前は長谷川平蔵と申す、何卒よしなに」と返した。

この井筒屋八郎右衛門は俳人としてもよく知られており、
多田の森薬師隣に宝法林庵を構え、時折命の洗濯に訪れていた。
のち寛政十年(1798年)本所深川相生町五丁の裏長屋に住んだ
俳人小林一茶は此処での句会に足繁く通い、留守番や仏画の手入れなどをさせて
一茶の朝食を賄うなど面倒を見た俳人夏目成美(せいび)である。

「さすがまた 老いといはれむ あすの春」
「香をとめて 白髪愛せん 窗(まど)の梅」成美

平蔵彦十を促しその場を辞した。
ゆるやかな風が川面を走りぬけ、岸辺の葦原は枯れ切った姿で揺られている。
吾妻橋を渡りながら橋の下を行き交う小舟に目を落とした。
上方などから入る荷船は荷を満載にして、まるで宝船のごとく見える。

川上から蔵前に荷を下ろす船や竹町之渡しを猪牙が世話しげに花街通いの客を運び、
上から眺めればそれぞれに一つ一つの物語を持っているのであろうか・・・・・
先ほど出会った井筒屋の言葉が胸の奥にしっとりと横たわるのを心地よく覚えた。

吾妻橋を渡るとそこは花川戸、広小路を取れば伝法院・浅草寺が遠くからでも
大屋根を春霞に写して望まれる。

「彦十ちょいと付いてきな!」
平蔵は吾妻橋を渡るとすぐに右に折れ大川沿いに歩き始めた。

「銕っつあんどこへ行きなさるんで?」
と平蔵の後をひょこひょこついてきながら首を傾げる。

「うむちょいと気になることがあってな・・・・・・」
平蔵は大川沿いを花川戸、山之宿町六軒町と流し、山下瓦町にかかった。

その先は今戸橋、山谷堀と来たら・・・・・
彦十の金壺眼が怪しげにキラリと光ったのをさすがに平蔵見逃すはずもなく

「おい 彦!勘違ぇするんじゃぁねぇぜ!」
とニヤニヤ笑って気合の入った彦十を見た。

「アレぇ銕っつあん吉原へ繰り込むんじゃぁねぇんで?」

「彦よ いくら何でも朝っぱらから吉原はあるめぇ」

「でもよぉ ここまで来りゃ へっ!(浮かれ浮かれて大川を、下る猪牙舟影淡く、
水に移ろう襟足は、紅の色香も何じゃやら、ええぇ まぁ憎らしいあだ姿って)
、猪牙で乗り付け土手八丁を駕籠で繰り込む、こいつぁ粋じゃぁござんせんかぁ」

「そりゃぁそうだがな お前ぇまだお役にゃぁ立てるのかえ?」

「ありゃぁ そいつぁご挨拶ってぇもんで、そんな時ゃぁ
(老武者は 佐々木の勢い借りるなりってね!へへへへへへっ
)彦十ポンと頭を叩いて見せる。

「やれやれ!イモリの黒焼き頼みかえ情けねぇなぁ」
平蔵この駆け引きを楽しんでいるようでもあった。

話をしているうちに今戸橋を越え、浅草新町(しんちょう)に出た。
一帯は神社や塀で囲まれており、外から中は垣間見ることさえ出来ない構えである。
一歩中に入れば蔵や神社もあり、役宅には二~三百の人が詰めている。
「ひえ~っ 」さすがの彦十も腰をぬかさんばかりに驚いた。

素早く強面の男衆が行く手を遮った。

彦十はと見ると平蔵の陰でガタガタ震えている。
この威圧感は生半可ではないことをよく表していたからであろう。
中でも上役と思しきものがズイと顔を出し
「あっ これは・・・・・」と一歩引いて腰を落とした。

「居るかえ?」
平蔵の言葉にその男は「先ほど客人がありやしたが、お帰ぇりになったばかりでございやす」
と答え、先に立って奥へと案内した。

彦十は平蔵の腰にくっつかんばかりにへばりついてついてきた。

取り次いだ部屋には先ほどの客をもてなしたのであろうか長火鉢に鉄瓶が掛けられ、
チロチロと蓋の鈴がなっている。

手早く新しい座布団が敷かれ平蔵は刀を鞘ごと抜き、やおら腰を落とし右手元においた。

待つ間もなく側近の子分衆が付き添った男が
「おお こりゃぁ長谷川様!お久しぶりでございますねぇ」
とにこやかに入ってきた。

「うむ 先ほど向こうで多田の森の隠居に出会ぅてなぁ、でお前の事を思い出した」

「ああ 井筒屋の旦那にお会いなされましたので?
この所日和もいいし旦那も息抜きをなさっておられましたか、いい事でございますよ」
と目を細めて笑う。

「で?」
その男は自ら茶器を出し茶合に盛り急須に支度をする。

穏やかな茶の薫りがゆるやかに流れ、茶を注ぐ音のみが静かな部屋に染みこむ。

「うむ 旨い!程よく湯冷め、舌の上で露たまの転がるが如きまろやかさ、
まさに名茶この一杯にその人柄までも出る、茶も湯も建てる者の心を映す、
鈴虫の音にも似て凛と張り詰めた中に、そこはかとなき穏やかさを包んでおるもの」
と男の顔を眺めながら一煎目を飲み干した。

男は黙ったまま二煎目を入れる。

「のう左衛門、この所お江戸は静かだがお前の許になにか新しい知らせは届いては居らぬか?」とやんわりと言葉を吐いた。

「はい おかげさまでこの所こちらの方はしずかでございます、 が・・・・・」

「うむ やはりなぁどうもその辺りが気がかりでな、で 寄ってみたのよ」と平蔵。

「はい 上方から尾張・三河までもならしておりました水鶏(くいな)の左平次ってぇのが
江戸に入ったと聞いております」

「水鶏の左平次とな?ふむ 聞かぬ名だな」

「そうでございましょう!上方ではかなり荒っぽいことをやってのけたようで、
だんだんと畿内へ逃げながらの稼業だとか、そのように小者より報告を受けております」
男は静かに居住まいを直し平蔵の反応を伺うように見据えた。

「梅が見事だなぁ・・・・・・」

「はい 私もあのような者で居たいと想うております、梅は探梅、桜は観楼と申しますように、この世の陽の当たらぬ者達にひと花なりと温もりを持たせてやりとうございます、
大きなお山の桜より、小枝に見せる一輪の風にまかせる健気さが愛しゅうございます」
男は庭に咲き遅れている枝垂れ梅の流れ来る香りに目を閉じて大きく息を吸い込み、
茶を口元に運んだ。

「まことよのぉ 身のそばの一つを愛でる事さえ出来ぬものに、天下の政が出来るとは、
儂も思えぬ」
平蔵 この男の眺める先にあろう大望を同じ思いで眺めていた。

「のう左衛門・・・人が人として生きる時代が来ようかのぉ」

「長谷川様 それをお創りになるのが長谷川様のお仕事じゃぁございませんので?」
と意味ありげな視線を平蔵に投げかけた。

「馳走になった!」
平蔵は何か心に決めたものが見つかったようなさわやかな気持ちでこの
矢野弾左衛門囲内の外に出た。
見上げる空は碧々と冴え渡り、ゆるやかに鳶が舞っている。

「のう彦十 儂はあれになれようか・・・・・・」
腕組をして空を舞うトビの姿を追っている。

「へっ 鳶に油揚げならあっしにもわかりやすがね、どうみたって銕っつあんには見えねぇ」

「ふむ ゆるやかに舞ぅておっても、ヤツのまなこにゃぁ鼠が見える、
俺はまだその鼠さえみつけてはおらぬ」
平蔵深い溜息を漏らしつつ吾妻橋まで戻った。

この後平蔵は時の老中松平定信に加役方人足寄場を建言し、
石川島人足寄場が認められたのである。

弾左衛門との意思の疎通が形となって世界の刑務所の模範ともなる形が構築された。

「ねえねえ銕っつあん あのお人は一体どなたなんで?入ぇっただけでたまげたのなんの
、おいら金玉まで縮こまっちまいやしたよ」
と首のあたりにかいた冷汗を手で拭っている始末。

「おお あそこはな、長吏矢野弾左衛門囲内と申して滅多なものは入れねぇ、
たとえ町奉行とて無差配域、まぁ無理に押しらば二度とお天道様は拝めねぇかもしれぬ所、
あぁはははは」

「するってぇと銕っつあんはどうやって入ぇれたんで?」

「うむ 随分前だがな、奴の差配下の者が御家人の酔いたんぼ共に絡まれて
腕一本たたっ斬られた、そこへ俺が出しゃばって・・・・・」

「火付盗賊改方長谷川平蔵である!と来たわけでござんすね?」
彦十さも嬉しそうに恵比須顔で平蔵を観る。

「いいや そこまで必要もなかろう、言うても聞かぬのでその場に叩き伏せた、
まぁそれが縁で昵懇になったのさ、あれで中々世情に詳しく、
俺達にゃぁ嗅ぎ出せねぇ裏のことも知ることが出来る、
俺はあ奴が好きだ、こう 春風のように胸ん中にさわやかなものが抜けてゆく」
先ほどの弾左衛門の梅に喩えた言葉を平蔵はしみじみと心に収めていた。

吾妻橋西詰を右に折れ雷門の前にでた、脇の木戸は早くから開けられ参詣の人々が出入りして
賑わっている。
その広小路前を過ぎる手前に傳法院裏門に入る小道があるが、そこへ平蔵入ってゆく。
からしや中島徳右衛門の(やげん)である。

「銕っつあん 何で又・・・」
彦十は半ば呆れたように平蔵の後をついてきながら首を傾げることばかり。

「おお 此処はなぁ、猫どのに薦められた七味唐辛子の旨ぇ店なんだぜ」
と言いながら懐から三文出して
「一つ包んでくれ」と手渡す。

「何で又トンガラシなんでござんすかぁ」

「彦よ こいつがなくば蕎麦食ぇねぇ!こいつと蕎麦・・・・・
こりゃぁ切っても切れねぇ縁がある、俺とお前ぇ達みてぇになぁ。

唐辛子屋も色いろある、だがな、それぞれに工夫があって中身も違う、そこが又妙味だな」
とうがらしをの生を使ったり焼いてみたり、枯らしてみたりと
そりゃぁ工夫しおうて旨ぇものをつくろうと工夫した。

大抵はな、赤唐辛子に山椒・胡麻・陳皮・麻の実・青紫蘇・芥子・青海苔・
生姜こいつらをどう選んで組み合わせ狙い目を出すか、この中にホウズキの実を
挽き割って混ぜ入れ、辛味を抑えたものまで様々、いやぁ商売人は抜け目がねぇ」

こうして平蔵浅草界隈を気ままに流し田原町蛇骨長屋を左に折れて、
築地本願寺門跡前から西へきくや橋を渡って稲荷町を大工屋敷で左に南へ下り
広大な立花飛騨守上屋敷を抜け佐竹右京大夫の三階建ての高殿を右に眺めて
「ひえ~っ ぶったまげぇ」
と彦十金壺眼の目ん玉ひんむいて仰天したもんだ。
千代田のお城以外こんな高い屋敷は見たことがない。

「銕っつあん世の中ってぇのは一体ぇどうなっちまってるんでござんすかねぇ、
今どきこんなお城見てぇなお屋敷が・・・・・」

「ははは 以前次助も驚いてたがな、外様でも三河以来譜代以上の者もおるということよ。
三味線堀を左に、船着場の荷船から木材を下ろす男衆の粋な掛け声を眺めつつ鳥越川を
下がって堀に囲まれた宗對馬守義功(そうたじまのかみよしかつ)
の裏を横切り藤堂佐渡守屋敷裏を過ぎ御徒町に出た。

その先は下谷練塀通り、角の番小屋を通り越して更に進むとこれ又広大な小笠原右近将監門前
の先は下谷御成街道にぶつかる。
これを更に西へ進んで内藤豊後守表門に突き当たった。
左に行けば同朋町の横に神田明神へ向かう道がある。

平蔵は何の躊躇もなく右に折れ内藤豊後守屋敷の白壁を左にとって妻恋坂を登る。
立爪坂町の向こうは妻恋稲荷社が見えている。
その奥に目指す妻恋町がある。

ここに過日忠吾が湯島天神で殺害の現行犯として捕らえられた話を大滝の五郎蔵に伝えたのが
五郎蔵の配下桶屋の幾松であった。

「幾松はいるかえ?」
突然の侍の来訪は驚かせてしまったようで、身を固くして恐る恐る

「あっしでございやすが、どのようなご用件でございやしょう?」
とカンナを置いて鉢巻を取った。

「いや何、構えるこたぁねぇ!お前ぇだな?大滝の五郎蔵に話を通してくれたなぁ・・・・・」
その言葉を聞いて安心したのか、急に笑顔になり

「へぇ 大滝のお頭にゃぁ昔っからお世話になっておりやして、
でもそのことは誰も知らねぇはずで、どうして・・・・・」

「おう こいつぁ済まなかった、俺は長谷川平蔵だ」
その言葉を聞いて幾松は飛び退いてひれ伏した。

「おいおい そうかたっ苦しい事ぁなしだ、
いや何、お前ぇのお陰で儂のでぇじな配下の者の首がつながり助けることも出来た。
どうしても直にお前ぇに礼が言いたくてなぁ、ありがとうよ。
こいつぁ少ねぇが納めてくれ」
と金子を包んだものを手渡した。

「めめめめっ滅相も!あっしはただ大滝のお頭に小耳に挟んだことをお知らせしたまでのこと、そんな大層なことじゃぁございやせんので、何卒これは元にお納め願いやす」
と包みを突き出した。

「なぁ幾松、先程も申した通り、儂にとってはでぇじな者よ、
そいつの首を救ってくれたのがお前ぇの知らせ、この程度じゃぁ少ねぇが、
気持ちだけは誰にも負けねぇ。

この広いお江戸を我等の手だけでは守り切れる物じゃぁねぇ、
お前ぇ達にも時にゃぁつれぇ思いをさせる事もあろうよ、
そんな時ゃぁ五郎蔵や俺達の事を思い出してこらえてくれ、頼むぜ幾松」
平蔵は金子の包みをそっと幾松の手に握らせた。

「長谷川様!・・・・・・」
幾松の言葉が終わらないうちに、奥の襖がそっと開きかけ、
そこにはやつれた両手が震えながら合わされているのを平蔵は認めた。

「美味ぇもんでも食わせてやってくれ、おふくろさまをでぇじになぁ」
そう言い残して表戸を閉めた。

「なぁ彦十、俺ぁまこと幸せものよのう、この広いお江戸にゃぁまだまだ俺の知らねぇ
幾松みてぇな者が居るんだなぁ」
平蔵は昼下がりの江戸の空を目を細めて眺めしばらく立ち尽くしていた。

「これだ これだよなぁ俺達が銕っつあんにおっぽれるのは・・・・・」
相模無宿の彦十手のひらで鼻の頭を磨り上て
「参ぇりやしょうか!!」と声をかけた。

その夕刻、彦十は金魚の糞よろしく平蔵のお供で日本橋北鞘町を東に取り西堀川を
右に眺めつつ、魚河岸の威勢のいい空気を吸い込みながら地引河岸まで戻った。

荒布橋を向こうに抑えた本舩町を北に上がれば舟入堀、米河岸を更に北に上がれば中ノ橋、
突き当りを西に折れるところが道浄橋、そこから雲母橋までの間の河岸が塩河岸瀬戸物町や
伊勢町を背に、塩の取引商いが行われている場所でもある。

西堀川の付け根が江戸橋、この江戸橋のたもとが高間河岸で、一日千両の取引があると
言われたほどの賑で、将軍様から諸大名まで納入した残りの御膳、
御肴を河岸の桟橋に横付けした平田船で直接販売したり、
表納屋の見世に板船を繋いで売り買いしているのだから、人の行きかいも賑やかで、
それだけに何かと巷の話も聞きやすいと次助のすすめで立ち寄った居酒屋(酒泥棒)である。

茶を持ってきた小娘に
「おい この店の自慢は何だぇ」平蔵は奥まった一角に腰を構えて尋ねた。

「今日はお屋敷に収めた残りのカツオが入ってるから、カツオの丼がお薦めでございます」
と笑顔で答えた。

「おおそうか!ではそいつを二人前ぇだ、その前に酒となにか見繕って頼む」と注文した。
すぐにちろりと小鉢が運ばれてきた。

「まぁ一杯ぇやれ!」
平蔵は彦十の盃に熱燗を注いだ。

「へぇ 戴きやす」
彦十は杯を受け、そのチロリを平蔵から受け取った。
平蔵は盃を取り上げ彦十がチロリを平蔵の盃に注いだ。

一口盃を口に運び
「うんっ 旨ぇ!さすがに魚河岸の酒はいきがいいと申すか、なぁ彦や!」

彦十急いで口に運びながら
「こんなふうに外で銕っつあんと酒なんかぁ酌み交わすなんてぇなぁ
普通じゃぁござんせんねぇ」と後は手酌とさっさと飲み干す。

「そりゃぁそうだ、盗人のお前ぇと俺が同じ酒を飲むたぁお釈迦様でも気がつくめぇよ、
あははははは」

彦十は襟首に手をやりながら
「全くで、これも銕っつあんが弥勒寺でおいらを拾ってくれたからでさぁ、
そういう事となりゃぁ、まぁちゃんも粂八っつあんも縁があったんでござんしょうねぇ」
と平蔵の顔を見た。

平蔵ぐっと一息に空けて、盃を置き肴に箸を伸ばした。
「ううんっ!こいつぁ又美味ぇ、彦こりゃぁ何であろうな?」
と、先に箸をつけている彦十の顔を見た。

そこへ娘が膳を運んできたので、彦十は娘に
「この肴は何でぇ?」と訪ねてみた。

娘は顔をほころばせて
「おぼろ豆腐にお父っつあんが仕込んだ酒盗を掛けたものでございます」と答えた。

「酒盗だぁ?な~るほどのうそれで屋号が酒泥棒、こいつぁ参った、ウムそれにしても美味い」とあっという間に食べてしまった。
 
そこへ亭主と思える男がやってきて
「お武家様、この界隈ではお目にかかったことはございやせんがどちらからのおいでで?」
と空いたチロリを下げかけた。

俺かえ、本所に帰ぇるところでな、こいつがこの界隈では魚がめっぽう旨ぇというので、
潜ったまでよ、ところでなぁ親父この酒盗だが、どうやって造るのだえ?」と水を向けた。

「へぇ カツオのはらわたを胃と腸に分け、清水で洗い塩漬けにして
穴蔵に一年ほど寝かせやす。
塩加減の塩梅ぇと穴蔵で寝かせる具合ぇが腕の見せどころでございやす、
おぼろ豆腐は豆乳が冷めねぇうちにニガリを入れ、櫂で寄せやす、
ここんところが何しろ腕の見せどころとあって職人は気合が入りやす、
何しろそこで出来上がりが決まっちまいやすもんで。
毎朝出来たてのやつを清水桶に入れて持ち込んできやす」

「どうりで程よく冷えており、それに酒盗が又よく合う、でそっちのカツオはどうなんだえ?」

平蔵興味を満足させようとここぞとばかり突っ込む。
亭主はそんな侍が珍しかったのか笑いながら
「カツオは薄切りにして、醤油・酒・砂糖に漬け込み、長芋をすり鉢で下ろして、
梅干しの種を除いて刻んで叩いた物を入れ混ぜあわせやす。

刻んだ大葉に白ゴマと塩をひとつまみ入れて白飯に振りかけ、
その上に出汁を切ったカツオを乗せ、その上にとろろ芋を乗せ、
刻み大葉を飾って上がりでございやす。

こいつをとろろ芋の隙間から白飯を盗むように掻き出しながら口の中で混ぜ合わせる、
この辺りが妙味でございやしょうかね」
と平蔵の反応を観察するかのように見やる。

「ううっ・・・・旨ぇ飯の温もりが残っておるところにとろろ芋のなめらかなぬめり、
そこへ梅の塩加減がこれ又いい塩梅ぇだ、噛み込めば胡麻の香りが口の中に拡がって
大葉の豊かな薫りが増々引き立てる、う~んこいつぁ参ったぜ親父!
なるほど魚河岸たぁかような穴場もあるということよのう」平蔵いたく感心しきりであった。

彦十と二人気兼ねのない日暮れ前のひとときであった、が
その時反対側のスゲの仕切り越しに低い声で
「親分の次のお知らせはまだけぇ・・・・」

「お江戸で初めてのお仕事だよ、腰を据えておられるんだろうさ」
と女の声が聞こえてきた。

店の中話題が途切れが一瞬静まった瞬間であったから、それまでの会話はほとんど
聞こえていなかったが、「お江戸で初めて・・・・」というところが漏れ聞こえた。

(ううっんっ!?)平蔵はその隙間障子の陰ほどに漏れた言葉を聞き逃していなかった。
二人が店を出るのを待ってゆっくりと彦十を伴い外へ出た。

やがて前の二人は別々の方向へと別れていった。平蔵は彦十に女のほうを微行するよう促し、
自分は男の後を微行(つけ)始めた。
男は平蔵の微行に気づかないのか、ふらふらと荒布橋を越え照降町を横切り親父橋を越えて
芳町を突き当り、左に折れて玄冶店(げんやだな)に入り、
細い路地に潜り込んで稲荷社の隣にある赤提灯の店に姿が消えた。

平蔵は意を決してその赤ちょうちんの暖簾を潜った、だがもう男の姿はなかった。

(しまった感づかれたか!)いそぎ表に出たが男の姿はどこにも見当たらない。
新和泉橋北側に回ってみたが、それらしき者の姿はかき消したようにない。

(うぶけや)の表にいた小僧に聞いてみるもそれらしき男は通っていないという。
(むぅここまでであったか)平蔵、少々悔しい物のやむを得ない、
もう一度先ほどの赤ちょうちんに戻って中の様子を伺うことにした。

「酒をくれぬか」
と声をかけて室内を見渡したが、客は四~五人いたものの目当ての男は居なかった。

酒が運ばれてきた、小鉢に何やら入ったものもついてきた。
ゆっくりと飲みながら更に詳しく周りを観察すると奥まったところに階段があった
(んっ 二階があるか・・・・・もしやあやつは二階に上がったやもしれぬ)
平蔵はそう読んで

「おい 親父二階にも座敷はあるのけぇ?」と誘い水を向けたが
「あっちはわしの寝所で座敷はございやせん」と否定されてしまった。

「おい こいつぁちょいとおもしれぇもんだなぁと」
小鉢の物を箸でつまみ口に入れながら声をかけた。
「ああそいつかねそりゃぁ佃煮よ、佃島の沖で取れた雑魚や貝なんかを
塩と醤油で煮詰めたもんで飯に盛っても旨いし茶を掛けてもまた美味く
おまけに安いと言うことなしでさぁ」
と座敷に座っている漁師風の男が教えてくれた。
こうして平蔵はこの場を切り上げ本所菊川町の役宅に戻った。

一方彦十は女の後をつけていった。
魚河岸を東へ荒布橋を渡ると小網町を左にそぞろ歩きに流しながら思案橋に差し掛かった、つっ!と足が止まったので彦十は慌てて物陰に隠れた。
ゆっくり振り向いて、何かを感じたかの様子ながら、
どうやら彦十の微行は気づかなかった様子で、又ゆるゆると歩を進めた。

小網町を左に折れて貝杓子店(かいじゃくしだな)に入り、右にとって稲荷堀(とうかんぼり)蛎殻町の大きな屋敷の裏木戸を潜った。
小半時ほどして再び女が出てきた。

そうして、再び元の稲荷堀を北に上がって小網町一丁目横町から甚左衛門町
、元大阪町を抜け北に上がって玄冶店に入り中程にある赤ちょうちんに入った。

暫く張っていたが、いっ時しても出てこないので不審に思い、中に入って酒を頼み、
ゆっくり見渡したがそれらしき者の姿も形も無かった。

諦めた彦十は再び元の稲荷堀蛎殻町に戻って屋敷の表札を確かめた。

それから平蔵の待つ本所菊川町の役宅に現れたのは、すでに闇であった。
裏手の枝折り戸を開けて彦十が入ってきた。

「おお!彦十ご苦労であった、そっちはどうだぇ?
俺の方はどうも感付かれちまったのか居酒屋で消えちまった、情けねぇ話しよ、
でお前ぇの方の首尾ぁ・・・・」

聞かれた彦十
「えっ!銕っつあんが感付かれたぁそりゃぁ大層なやつでござやすねぇ、と言われても、
こっちも面目ねぇ、やっぱり最後は感づかれちまったようで
、赤ちょうちんで見失ってしまいやした」と頭を掻いた。

「何でぇお前ぇもやられたのかぁ・・・・でその場所は何処であった?」
と煙草盆を縁側に引き寄せながら話の続きを促した。

「へぇ 初めは小網町の蛎殻町のお大名らしき屋敷の裏に入ぇりやした、
その後しばらくして出てきやしたので又後を微行たんでございやすが、新和泉町にある・・・」と言いかけた時、横から平蔵が
「赤ちょうちんではなかったか?」

「あっ! やだねぇどうしてそれを・・・・・」
彦十は口を開けたまま目を丸くして驚いた。

「どうやらそこら辺りがたまり場のようだのう、店の親父は俺の勘だがな、
おそらくそいつらの宿番ではねぇかと想うんだがな」
平蔵ゆっくりと紫煙を宙でも吹くように深々と吐き切って、
吸口を軽く叩き、ふっ と吹いて煙草盆に戻した。

「で、その大名らしき屋敷の主は何と申した」

「へい そこは尾張とございやした」

「ふむ 確かあの当たりは酒井雅樂頭様中屋敷があったと思うが」

「ああ 稲荷堀の向こう側は堀を挟んでたいそう大きなお屋敷のようでございやした」
と相槌を打った。

「よし、彦十遅くまでご苦労であったなぁ、帰ぇって軍鶏鍋を腹一杯ぇ
それに酒だとわしが申したと三次郎に伝えよ、
それからすでに夜もふけるであろうから気ぃつけろよ彦!」と彦十をいたわった。

「長谷川様・・・・・もったいねぇ」

「何を言うか、お前ぇ達ゃぁ俺のでぇじな宝物だぁ、一人欠けてもわしにとっては大きな痛手よ
ささっ!早く温けぇ物を腹ン中に納めて、又明日から頑張ってもらわねばなぁ・・・・
のう佐嶋!」
平蔵は傍に控えている筆頭与力佐嶋忠介を振り返った。

「早速明朝よりその赤ちょうちんを見張るよう、密偵共は交代で昼夜の別無く見張らせろ!
近くに良い見張り所が設けられればそこを根城に皆で張ってくれ!」

翌日平蔵の姿が稲荷堀の回船問屋釜屋に見えた。

「許せよ!」平蔵は海船問屋ののれんを分けて潜った。

「おいでなさいませ」品の良い番頭格の男が腰を低くして出迎えた。

「つかぬことをたずぬるが、この日本橋川よな、夜半にても通うことはあるのかのぉ」

「はい 時と物にもよりましょうが、朝仕込みのものは前の晩に用意致さなくてはなりませんので、朝方早くの通いにもなると存じます、特にこの辺りは魚河岸もあり、
魚の荷船が朝早くから通っております、下総の行徳から入る船だけでも日に五十三隻、
明け六つから暮六つまで出入りがございます。何かそのようなものでも?」
と、問い返したのへ

「あっ いや、左様なことではのうて、そのような船が往来するものか、
ちと想うたまでのこと、すまぬ」
と「又ご贔屓に!」という声を背に店を出た。

上方から海路を通れば沖で小舟に乗り換えればこの大川にたやすく着ける。
永代橋にゃぁ船番所があるが、南八丁堀からなら高橋を抜ければ亀島橋も霊岸橋も箱崎橋も
何もなく、汐留橋の辻番所は反対側、明六つころに紛れれば赤子の手をひねるよりもたやすく
御府内に忍び込める。

尾張屋敷は前を鎧之渡しが控え背に安藤対馬守中屋敷がある、その隣が尾張藩下屋敷である。
上手ぇ所に目をつけたもんだ。平蔵一人でブツブツ言いながら日本橋川を眺めている。

後は女とこの屋敷のつながりを嗅ぎ出す必要があるなぁ、平蔵大きくため息をついた。

その頃本所深川の弥勒寺門前名物ばぁさんおくまの店(笹や)の前で茶を飲んでいた粂八、
どこかの手代風体の男が足を止め
「もしや小房の粂八じゃぁ?」と振り返った。

「どなたさんで?」粂八は警戒するように男を見上げた。

忘れるのも無理はない、かれこれ10年になるだろうからなぁ、
2度ほどお前さんとはおつとめをしたことがある、玉房の由蔵だよ」

「玉房・・・・・・そう言えば・・・覚えがある、あの頃ぁお前ぇさん
確か侍ぇ崩れの由蔵とか呼ばれてたんじゃぁ・・・・・」

「よく覚えておるなぁ、今じゃぁそう呼ばれることもないがな、でお前ぇは今もおつとめを?」

「このお江戸も俺たちの時代じゃぁねぇ、何しろ恐ぇ盗賊改めが幅を利かせちまって、
あの頃の仲間ぁ皆もぐらみてぇに潜っちまった、で お前さんは今どうしていなさるんで?
どこかのお頭の下でまだおつとめはやっているとか・・・・・」と探りを入れた。

「ってほどじゃァねぁんだがね、今ちょいと日本橋辺りに宿借り暮らし、
まぁそのうち動くことになるだろうが」と意味ありげな返事を返した。
粂八はそろそろ潮時と話題を変えた。

「まぁ何かありゃぁこの茶店のばぁさんに言伝てしてくれ、俺への繋ぎは出来る」
そう言って流れている人々の姿を眺めている。

この話を聞いた平蔵
「おい粂!そいつぁ信用できるやつなのかえ?」

「こう言っちゃぁ何でございますが、二度ほどおつとめをしやしたが、
どうにも今ひとつなじまねぇ、どこか掴めねぇところがありましたので、それっきり・・・・」

「ふむ さようか・・・・・・・
よし判った、そのことはお前ぇに任せよう、引き続き探索を続けてくれ」
それからしばらく代わり映えのない時が流れた。

時折覗く弥勒寺に足を運んだ粂八、茶をすすっていると横手から男の姿が寄ってきた。

「おお・・・・・」粂八はそれと判って目を留めた。

「やっぱりいたねぇ粂八さん」
と笑いながら過日の男が背中合わせに座った。

「ここんとこ何度かお前さんを待っていたんだがね、
お前さんはおつとめをもう引いたわけじゃァねぇんだろうなぁ?」
と意味ありげな含みを持って粂八の腹を探りに掛かった。

「と言うと?‥‥‥‥‥」

「うむ、ちょいとおつとめの話が入ぇって来た、腕の立つ浪人を探してほしいという話で。
俺も久しぶりのお江戸だ、これという宛もなし、で 粂八さんのことを思い出したってわけで」

「ふ~ん 腕の立つねぇ・・・なかなかどこまでが腕の立つのかの決め手もねぇじゃぁ」

「ああそうだろうともよ まぁ土壇場でお役に立たねぇってのは御免被りてぇわけさ、
殺る時やぁさっぱりと殺れる・・・・・」

「つまり人殺しをやった覚えが抵当というわけだな」

「まぁそんなところでございやしょうか?で 粂八さんには心当たりはねぇかとこうして」

「ほぅ ご苦労なこった、で、いつまでに用意すりゃァいいんで?」

「二~三日うちに又此処で繋ぎをつけやしょう」
と茶代を置いて立ち上がり(う~ん)と背伸びをして立ち去った。

そのすぐ後、出て行った玉房の由蔵の去った方へ乞食坊主が出て行った。

粂八が立ち上がりかけたら、茶店の主おくまが歯の抜けた皺くちゃな顔を出し
「粂さんよぉあいつぁ何もんだい?銕っつあんの話じゃぁ盗人の仲間じゃぁねぇっかってよぉ、ねえねえほんとかよぅ」と粂八の顔を見上げた。

「何だって!長谷川様がそんなことを・・・・・・」

「んだ 一昨日(おととい)銕っつあんが久しぶりに顔見せてくれてよぉ、
粂さんに会いてぇと言う野郎が来たらそっと後を微行るようにってよ、で 
たったいまうさぎの旦那がほっかむりしてよぉ」

「へっ! どうりでどうにも様にならねぇ大工だと想ったら、へへへっ木村様とはねぇ、
でおばば長谷川様はもう動かれておられたんだな?」

「ああ 一昨日銕っつあんがうさぎの旦那を連れて俺っちにおいででよぉ、
そのまんまうさぎの旦那はおらっちの奥の部屋によ、へへへへっ、
やっぱり若ぇ者んはいいねぇ粂さん」と来たもんだ。

「全くバァサンときたらいつになったら往生するんだえ?」と冷やかすと

「決まってらぁね おらは灰になるまででぃ、どうだい粂さん、
今からでもオラはいいけどよぉ」と粂八の顔をしたからなめ上げた。

(ブルブルブル とんでもねぇ)粂八思わず
「俺にも好みってぇものもあるぜ」とつぶやいた。

「何だとぉこの役立たず!おれっちだって好き嫌いはあらぁね!へん!何でぇぃ何でぇぃ」

「やれやれバァサンを怒らしちまった」粂八は辟易しながらお熊を観る。

「誰がバァサンだぁ この唐変木!でくのぼうみてぇにつっ立ってねぇで行っちまいな!」

粂八笑いながら
「おくまバァさん、又来るぜ」

「おみやぁなんかに名前ぇを言われる筋合いはねぇよ!」
粂八お熊の毒ッ気を背中に受けて苦笑いしながら笹やを後にした。

一方玉房の由蔵の後を微行た忠吾、南に下って弥勒寺橋をまたぎ右にとって北森下町をかすめ、六間堀沿いにさらに下がり、番屋を避けるように猿子橋を渡ってすぐ左に折れ、
小名木川沿いに万年橋を渡って御船蔵の横をかすめるように仙臺堀に架かる上ノ橋を越えて
佐賀町中ノ橋を永代橋に向かった。

時折後ろを振り返るのは、いつもの癖なのか、忠吾の微行に感づいたのかは不明である。
橋を渡り切ると高尾稲荷に沿うように北新堀を西に湊橋を通り越して向かいの箱崎橋をまたぎ、
行徳河岸を日本橋川にそって小網町二丁目思案橋の手前を貝杓子店を通って左衛門町を横切り、
親父橋を右に芳町に入り堺横町へと曲がってすぐ右の玄冶店に入った。

中程でゆっくりと回りを見渡し、人の気配を探るように少し時間を掛けて立ち止まり、
やおら新和泉町の細い道へと歩みを進めた。
忠吾は用心深く距離をおいて微行していたので、
相手に気づかれなかったのかその男は右手の橘稲荷の隣にある赤ちょうちんの暖簾をくぐった。

忠吾は一時待ってみたが出てくる様子もないので(まぁ一杯引っ掛けて帰るか!)
と暖簾をくぐった。

中に客はちらほらで、さり気なく見渡したが先ほどの男の姿はなかった。

「どこへ消えたのか逃げ隠れたのか判りませぬが、裏手から抜け出た様子もなく、
私はてっきり中に居るものと・・・・・・」と、帰宅後平蔵に報告した。

それを聞いた平蔵、
「うむ やはりその赤ちょうちんがひっかかるのぉ」
と煙草盆から火を着けてゆっくりと紫煙をくゆらせた。

この赤ちょうちんのすぐ隣は橘稲荷その真向かいに玄冶店の空き家があった。
そこを借り受けて密偵たちが見張り所に使っていた。
このことはまだ忠吾には知らされていなかった。

「ご苦労であった忠吾!そのご苦労ついでだがなぁもうひとっ走りお前ぇが見失った
赤ちょうちん、その真向かいに玄冶店の空き家がある、表の木戸に手ぬぐいが掛けてある、
そこに粂八が潜んであろう、そこへお前も伏せてくれ、
人の出入りが増すならばそれが潮時と見て間違いなかろう。

水鶏(くいな)の左平次が上がるとするならば上方から船で夜陰に紛れ
御府内の入ると想われる、儂ならそれが一番安全だと思うからだ、
それから尾張屋敷に忍び入って後に繋ぎが来よう、繋ぎはあの女だ」

それを聞いた忠吾の目が輝いた「女・・・・・・でございますか?」

「うむ 女だ!それもめっぽう色っぽいそうな、のう佐嶋」
と控える筆頭与力佐嶋忠助介を見た。

「はぁ まぁ彦十の話ではそのように・・・」

「全くお前ってぇ奴は堅物だなぁ、もう少しこう腰が砕けぬか」
平蔵笑いながら佐嶋忠介を見て、
「忠吾ほど腰が砕けるとこいつぁ抜けちまうので、これ又困りものだがな」
とちらりと忠吾を眺める。

「あっ お頭それは又あんまりな、私はそこまで腑抜けてはおりませぬ」

「ほぉ 見事役立つと申すか?」
ニヤニヤ笑いながら忠吾の反応を楽しんでいる。

「はぁまぁ そのぉ時と場合によります、大概の場合に置きましては・・・・・・」

「お頭!」佐嶋忠介が忠吾の言葉を制した。

「おお 済まぬこいつと話すとどうも話があっちの方にと流れてしまう、
のう忠吾わはははは」平蔵 盃を干しながら佐嶋忠介に回す。

「わははははでは御ざりませぬ、またもやお頭の酒肴の席に据えられた思いでござります」
とぼやく忠吾であった。
それから三日は静かな日々であり、見張り所も密偵が代わる代わる身体を休めながら
昼夜の張り込みは続いていた。

四日目の朝早く立ち込める朝もやの中に低い足音が聞こえた。
「お前さん!」
おまさが浅い眠りについている五郎蔵の片を揺すった。

「来たか!」
「はい そのようで・・・・・」

静かに窓を開けると乳白色の朝もやがゆっくり周りを包んでる路端に四人ほどの人影が、
その中に明らかに女と想われる艶やかな色物がぼんやり見える。

「野郎たちが入ったら、お前はすぐさまこのことを長谷川様にご報告に、
俺は引き続き見張っている、何かあったら証を残しておく、外はまだ冷える」
と言いながら袢纏をおまさの肩にそっと掛けてやった。

両国橋まで約十町橋を越えて菊川町の役宅まで更に二十町、女の足である、
おまさが菊川町の役宅の枝折り戸を潜ったのは夜が上がりかけていた半時後であった。

平蔵が羽織を引っ掛けて現れた。

「おまさ 朝早くからすまねぇなぁ、何か動いたなその顔では・・・・・」

「はい 今朝早く4~人の人影が赤ちょうちんに入りました。
中に女らしい色目の者もいましたので・・・」

「そいつぁあの女だな?」

「はいモヤの中なので確かめることは出来ませんでしたが、おそらくその者と想われます」
と言いつつ袢纏の襟を引き寄せた。

「寒かったであろう、五郎蔵は引き続き張っておるのかえ?」
平蔵はおまさの素足の姿を見やりながら今の状態を問いただした。

「はい うちの人は、おそらく今日は変わりはないだろうが間もなく動きがあると想われるので
お指図をと長谷川様に伝えてくれと」凍える手をかばいながら平蔵を見上げた。

「いや ご苦労であった、向こうに行って身体を温めるがよい、
竹蔵も起きておるであろうゆっくり腹ごしらえをしてしばらく休むがよかろう、
お前ぇに風邪なぞ引かせちまっては俺ぁ五郎蔵に申し訳が立たぬ、あはははははは・・・・・・おい誰か居らぬか!」と奥に声をかけた。

「お頭お呼びで!」と当番の川村弥助が進み出た。

「おおご苦労、おまさをな、控えに連れて行き竹蔵に申して朝餉の支度だ、
それから佐嶋が出所次第皆の者を集めてくれ」そう言い残して奥に消えた。

一時ほどして筆頭与力の佐嶋忠介が出所してきた。

「お頭何か動きがございましたので?おまさの顔が見えましたのでもしやと・・・・」
と入ってきた。

「うむ そちもおまさから聞いたであろうが、どうやら敵に動きが見られた。
仕事はおそらくさほどの時を要すまいよ、多田気がかりなのは尾張中屋敷、
どこまで咬んでおるのかそいつが全く判らぬままだ、正面切っての捕物は出来ぬ、
だからその前にすべてをひっ捕らえて裏手から絡めることも策を考えねばのぅ」
と腕組みをしたまま眼を閉じた。

「大名屋敷、それも尾張様となればうかつには動けませんなぁ、
よほど確たる証でもない限り木戸口でお構いなし! で、ございますな」
大名屋敷に盗賊が入ったのではない、大名屋敷に盗賊が出入りしている痕跡があるのだから
思案の外であろう。

密偵たちの密かな探りでは、この赤ちょうちん、店を出したのが三年前。
それまではこの棟は尾張藩士の長屋として使われていたらしい。
その日から人の出入りが増えている、
その割に店の中には客らしき者の姿が想ったほどではない。

朝熊の伊三次がそう報告に上がってきた。

翌日夕方に入って急に店の暖簾が外された、いつもとは違ったこの様子に

「押込みは今夜辺り、長谷川様にお出まし願わなけりゃあ」
と五郎蔵が伊三次に話し、急いでこのことをご報告するようにと耳打ちした。

「近くの辻番屋は銀座大阪町に一つ、濱町河岸に一つこちらも共に3町離れている、
旨ぇ所に潜みおる、まかり間違ぅても親父橋まで逃げれば船に乗るってぇ策もある、
そうなると少々厄介だな、思案橋を潜って日本橋川を下れば尾張藩下屋敷は目と鼻の先・・・
駆け込まれちぁ此方の負けだ、汐留橋の辻番所に南町の手配を仰いでおかねばなるまい」

平蔵は何やら書面をしたため佐嶋忠介に
「南町の池田筑前守様に手渡し致し、たってのお願いとこの長谷川平蔵が申しておったと
伝えてはくれぬか」と託した。

その夜亥の刻を回った頃突然ガラガラと大きな音が響き渡り、
悲鳴が寝静まっている玄冶店を襲った。

張り込みの忠吾がうたた寝の真っ最中の出来事であったからびっくり仰天して飛び起きた。
「忠吾いかが致した!」筆頭同心の酒井祐助が飛び起きた。

「ははっつ なんともはや何が起きたのかさっぱり判りません」と寝ぼけ眼で外を見た。

「引っかかりおった、皆の者打ち込みじゃ急げ!」
そう声を上げたのは長谷川平蔵であった。

全員が一斉に階段を駆け下り外に出た、朝もやの中に十名ほどの人影が右往左往しているのが
目に止まった。

「火付盗賊改方である、おとなしく縛につくか抗う者あらばこの場にて切り捨てるが
どうする!」と叫んだ。
同時に密偵たちが呼子をピ~ッ と鳴らした。

見れば竹の筒があちこちに散乱している中で盗賊一味が呆然と突っ立ている。
それを避けながらの捕物はする方もされる方も難儀なものであった。
何しろつまづいたり滑ったり想わぬ伏兵が潜んでいるわけだ。

捕物が始まってしばらくすると高張提灯や御用提灯がゆらゆらと駆け寄ってきた、
何れも南町奉行配下の者である。
小半時の捕物はそのほとんどが袖搦や刺又で手傷を負わされ、
目潰しを食らってあちこち真っ白な顔であった。

盗賊改めが潜んでいた店の中へ取り押さえたものを連れ込み、取り調べが始まった、
が平蔵の姿は見えない。

「あれっ お頭は何処へ?」口を切ったのは木村忠吾であった。

その時遠くから口汚く罵る声が聞こえ、やがて捕縛された男が土間に蹴りこまれた。
「あっ お頭!」捕縛された者の中から声が上がった。

「ほほ~やはりお前ぇが頭目であったか、いやさ水鶏の左平次・・・・・・左様だのぉ」
平蔵の落ち着き払った重たい声に
「くそっっ!どうしてこんなことに!!」
と両腕に食い込む縄をギリギリ揺すりながら平蔵を睨み据えた。

「お前ぇの御府内入りは闇将軍から耳に入ぇったのよ、で密かに網を張って待っておった」

「何だとぉ闇将軍だぁ!あの弾左衛門が俺の動きを・・・・・・くそぉ!」
と歯ぎしりを噛んだ。

「お前ぇも左衛門の足元を騒がすからこのような目に合うんだぜぇ、
上方で大人しくしてればよかったものを、お前達が襲って一家全員を惨殺した三河のお店の中に
左衛門配下の店があった、それがお前ぇ達の運の尽きということだなぁ、
ヤツに一旦睨まれたが最後地の果てまでも追い詰められて行き着く所ぁ地獄の一丁目と
相場は決まっておらぁな、お前ぇもその名の通りに茂みに身を潜めておれば
もうちったぁ長生き出来たかもしれねぇぜ」

「それにつけてもお頭!」忠吾が口を挟んだ。

「んっ!?どうした忠吾何か得心がゆかぬ顔だが・・・・・」

「それそれそれでございますよ、どうしてあのように現場に竹が転がっておったのでございま
しょう?危うく私は足を取られ奴らに不覚を取るところでございました」

「おうおう!然様だなぁ!お前の働きは今宵も目覚ましかったと伯父貴殿に
報告いたしておこう」

「えっ まぁそのぉ あのぉ 竹の話でございますが・・・・・」

「おう あれかえ、どうせお前の不寝番だ、でちょいと助っ人を仕込んだまでよ。
前の日に伊三次に命じて程々の竹を五~六本切ってこさせた、で 
奴らが寝静まった頃を見計らって入り口の前に並べさせた。
この闇だ!なっ 戸を開けたくらいじゃぁ気付きゃしねぇ」

「くっそぉ そう云う訳だったのか!」
吐き捨てるように声高に叫んだのは水鶏の左平次

「そのとおりよ、お前ぇ達ぁまんまと俺の仕掛けに乗ったってぇことよ、
どうでぃ?あん時ぁ驚いたろう?へへへへへっ 
いきなり天地がひっくり返ぇったんだからなぁ わははははわははははは」
平蔵は腹を抱えて笑い
「一同の者を南町奉行所に引き渡せ」平蔵はそう言って外へ出た。

すでに空は白く明け始め、モヤが足元を静かに流れていた。
「見ろよ!今日は温かくなるぜ、モヤが立つ時ぁ地熱が高い、一同のもの誠にご苦労であった」
町奉行の捕り方に囲まれて去ってゆく水鶏の左平次一味の姿を平蔵は眼で送っていた。
思えば人の出会いがこうして又事件の解決に結びついたのである。

「一輪の梅か・・・・・・
この世の陽の当たらぬ者達にひと花なりと温もりを持たせてやりとうございます、
大きなお山の桜より、小枝に見せる一輪の風にまかせる健気さが愛しゅうございます」
平蔵長吏矢野弾左衛門の言葉をかみしめていた。

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