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鬼平犯科帳 鬼平罷り通る
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撮影現場でレフ板という物を使用するが、これはその効果を利用して光を反射させ、
影を消す効果に用いられる。
このように高価であった丹波蝋燭を一手に扱っていた"丹波屋与兵衛"
それ以外にも丹波で取れる桐油(とうゆ)は灯火用には不向きで
あったが、雨傘や提灯などの防水材として重宝された物を取り扱うゆえに、
その懐は小判が唸っていたはずである。
当時芝居小屋は、山下御門から東南にまっすぐ西本願寺に向かうと三十間堀に架かる
木挽橋を渡ることになる。
当時の木戸銭は平土間で三十四~四十文(850~1000円)元々芝の上に座ってみたところから
芝居と呼ばれたように、半畳と呼ばれる敷物を借りて座ってみた。
下手な役者にはこの半畳を舞台へ投げ込んだところから、半畳を入れると言う言葉が生まれ、
現在相撲などで観られる座布団が飛ぶ光景に繋がっている。
平土間以外の高級席が桟敷で、舞台正面と左右両側に上下二段に設置され、
六名がひと枡に入れた(一人2833~5000円)。
"家賃より 高い桟敷へ のっちゃがる"(載って居やがる)と言われた。
この木挽町五丁目にある森田座の芝居見物を終え、表へと出た"丹波屋"の娘ゆき"、
下女を供に三十間堀を左方南に下がり、木挽町七丁目に架かる汐留橋を越え新町に入った。
この一つ先を入れば、そこからは播磨龍野藩脇坂淡路守・松平陸奥守・松平肥後守・森越中守・
關但馬守・大久保加賀守の大名上屋敷や中屋敷、下屋敷が並び、何れも門には手持辻番所
(大名辻番)が置かれ治安にも不安がない。
この道、一つ西は柴口一丁目から源助町、露月町、柴井町、宇田川町、神明町、
浜松町と増上寺大門前まで町家が並んでいる。
浜松町を右に折れると増上寺大門の通りになり、少し手前に飯倉神明宮があり、
この大門通りを挟んだ辻向いが片岡門前町である。
芝居見物は、行きも帰りも大概この道筋を選ぶ。
いつものように二人は木挽町七丁目に架かるお堀と呼ばれる汐留川(新橋川)
をまたぐ汐留橋を越え柴口新町に入った。
角を曲がりかけたその時、反対側から曲がって来た町衆と鉢合わせ
「おっとっとっと!」と、お互いに避けようとするものの、
どうも同じ方へ避けるものだから鉢合わせになったまま・・・・・
「どどど・・どうも申し訳ございません」
とあわてて下女が前に出て頭を下げた。
「危ねぇじゃぁねぇか!こんな角で駆けだしてよ・・・・」
「えっ?駆けてはおりません!」
きっぱりとした態度で下女が言い切った。
「おんやぁ何かい?俺が文(あや)でもつけたと言うんじゃぁねぇだろうなぁ えっ おい!」
そこへバラバラと3~4名の男が近寄ってきた。
「ななっ 何をなさいますご無体な!」
少し怯えながらも、再び強い語気で下女が娘をかばうように立ちはだかって叫んだ。
「無体?誰がぁ 何が無体なんだぁ? とっくりと聞かせもらおうではないか」
怯える二人をぐるっと取り囲んで威嚇してきた。
すっかり怯えたこの二人、背中合わせに身体を寄せて、救いの眼を向けるものの、
街行く人々は眼差しを避けるように足早に立ち去る。
「なんとか言えよ こっらっぁ!!」
もう蛇に睨まれた蛙も同然、寒空に脂汗がふつふつと噴き出している。
この時沢田小平次、同じ町内の播磨龍野藩脇坂淡路守の手持辻番所で、
近頃のこの界隈の話を聞いて汐留橋に向かい、歩き出したところであった。
「待て待て・・・」
小平次群れの中に割って入り、
「経緯はよくは判らぬが、まずお前たちが退け、おなご二人を取り囲んで何とする!」
と、両者を制した。予定外の登場人物に
「だだだっ誰でぇお前ぇは」
そこへ、遅ればせながら浪人姿の男が楊枝を咥えたまま懐手に寄ってきた。
一行はチラとその浪人に目線を送り、素早く元の目線に戻ったが、
それを見逃すはずもない沢田小平次
「ははぁお前が媒(なかだち)か!」
と、じろっとその浪人を見据えた。
居合わせた一同が一瞬動揺した所へ沢田小平次(くっ)と懐から十手を覗かせたものだから
「ちっ ここはまずい!」
誰かがそう吐き捨てるように言ったのを機に、パラパラと散開した。
「危ういところをお助けいただきまして誠にありがとうございました」
下女と娘が頭(こうべ)を低く垂れて礼を述べた。
「あっ いやいやこれしき、何でもございません、が 何処へお行きになられますので?」
つっ と娘が前に出て
「はいこの先の片岡門前町まで戻ります」
と小腰をかがめた。
「さようで・・・」
沢田小平次少しためらったが
「そこまでお供いたしましょう、先ほどの奴らがまだそこいらに居るやも知れませぬから」
と警護を申し出た。
「本当でございますか?」
娘の眸に安堵の色が浮かんだ。
「お嬢様本当に宜しゅうございましたねぇ」下女も胸をなでおろしたふうであった。
小平次は再び今きた道を戻り始めた。
先ほど別れたばかりの辻番所前で若党が
「あれまぁ沢田様又どうしてお戻りに?」
と前をゆく二人に好奇の目を向けながら寄ってきた。
「先程妙な奴らに絡まれてな・・・・・」
と前へ目線を移した。
「はぁさようで、先程も申しました通り、この辺りも媒(なかだち)やが
出没するようになりましたねぇ、ご用心なさいまし」
と気の毒そうに二人を眺めた。
十五丁弱(1.6キロ)の道のりを沢田小平次付かず離れず同行した。
關但馬守上屋敷の番小屋前で掃き掃除をしていた番太が
「あれっ 沢田様ぁ本日はこの界隈を?」
と、鉢巻を外しながら声をかけてきた。
「おう文助!毎日ご苦労だなぁ・・・女房のおしげはいかがした?」
「はい それが先日この先の七軒町飯倉神明宮前に蕎麦屋が出来まして、で
そっちの方へ奉公にでております」
「何だぁ 蕎麦屋が出来たと?」
「はい 更科布屋の白蕎麦でございますよ、時には覗いてやってくださいまし」
と腰を折った。
それを聞いた下女が
「あのぉ お武家様のお名前は沢田様とおっしゃいますので?」
「ああ 然様 火付盗賊改方同心沢田小平次と申します」
「ああっ ああ、、、あの盗賊改めのお方で・・・・・」
今度は娘が驚きの声を上げた。
「これは誠に・・・・・何卒我が家にお立ち寄り願えませんでしょうか?
まだお礼も申し上げておりませんので、どうか父に会っては頂けませんでしょうか?ねぇお芳」
「然様でございますよお嬢様、あのように危ういところをお助けいただき、
おまけにこのようにお送りまでいただきましたのでございますから・・・
お武家様、どうかそのようにお願い申し上げます」
これにはさすがに朴訥(ぼくとつ)な沢田小平次、困った面持ちで引き下がろうとするところを
娘に袖をつかまれ
「どうぞ!どうぞお願い致します、このままお返しいたしましたら、
私がお父様に叱られてしまいますもの」
とすがる目つきで小平次を見やる。
「むむむむ・・・ふぅ・・・・・仕方ありませんなぁ」
沢田小平次しぶしぶ店の中に入る。
「お嬢様おかえりなさいまし、旦那様!お嬢様がお帰りでございますよ、
それにお客様もご一緒で・・・・・」
大番頭らしき五十がらみの男が帳場の中から奥に向かって声をかけた。
「おお おかえりおかえり、で芝居はどうだったかね?」
と言いつつさすがに丹波の木蝋を扱うだけあって、当時はまだ珍しい臈纈染(ろうけつぞめ)
の暖簾を分けて奥から出て来
「あっつ これはお客様で・・・」
沢田の拵えを見て取り
「娘がどうかいたしましたので?」
と、怪訝な顔で代わる代わる見返す。
「そうじゃァないの、お父様!汐留橋を渡って芝口新町に差し掛かったところで
嫌な人たちに囲まれたところをこの盗賊改めの沢田様にお助けいただき、
ここまで送っていただきましたのよ」
と、事の顛末をかいつまんで話した。
「何とまたあの者達が・・・然様でございましたか、これはこれは大変ご無礼を致しました、
私この蝋燭問屋丹波屋が主庄左衛門と申します、誠にこの度はかたじけのうございました、
ひとまず奥へお上がり頂けませんでしょうか?」
と慇懃(いんぎん)な態度で沢田を誘(いざな)った。
小平次無事に店まで届けたので、すぐにも戻るつもりでいたが、(またあの者達)
という丹波屋主の言葉が気にかかった。
「少々うかがいたこともあるゆえ、店先は商いにご迷惑、ご無礼して上がらせていただこう」
と、あないされるままに奥座敷に通った。
さすがに豪商と見えて、奥座敷の中庭に設(しつら)えられた庭は見事なもので、
これまであまり縁のなかったものだが、その沢田にさえ(これは・・・)
と驚く極められたものであった。
大きな梅の古木が軒を支えるようにしなり、対の部屋には枝垂れ桜の戯れが振り分けられ、
その中に細やかな造りの箱庭が位置を変える度に新しい景色を眺めさせる工夫がなされている。
それを眼で楽しむゆとりもないままに沢田小平次
「早速だがご主人、先ほど耳に挟んだ(あの者達)という話し・・・」
「はい この頃はこの辺りにも入れ替え立ちかえ店の前に座り込んで念仏なぞ唱えたり、
何やら口上を申されたり致しまして、その挙句幾ばくかの金品を受け取る新手のたかり。
先日も十人ほどがこの店を囲んでのお念仏、それも聞き取れぬほどの小声なのでお客様が
気味悪がりより付けません、そこで大番当が出て行きまして
「どうぞお通りください」
と申し上げました、ところがそれでも立ち去ろうと致しませんので、
やむなく私が出てまいりまして
「いずこの宗門のお方もお通り下さいと申しましたらば、すみやかにお立ち退き下さいます」
と申しましたらば、墨染めの片袖を挙げられましたので、私はそれも観ぬふりを致しまして
頭を下げておりました。
諦めたのかやがて姿を消しましてございます」
「で、金品は渡さなんだのだな?」
「はい、あのようなやり口はこの丹波屋庄左衛門受けるわけにはまいりません」
ときっぱりとした口調で言い切った。
その夜本所菊川町の長谷川平蔵役宅に戻ってきた沢田小平次、
早速本日の出来事を平蔵に事細かく報告した。
「うむ 事件にはならなんだのだな?」
「はい どうも近頃あちこちで似通ぅた話を聞きますので」
「うむ 先日儂もそのような奴らに遭ぅた、いやなんとも情けねぇ、
芝居掛かって反吐(へど)が出る。
平蔵思い出したくもないものを思い出さされた不愉快さを珍しくも顔に出した。
「誠に申し訳もござりません」
「おお!何のお前が謝る事っちゃぁねぇ・・・
なぁ沢田、世の中こうも廃れた世になったのは、やはり越中様の改革が首尾よぅ行かなんだと
いうことであろうか・・・・・」
平蔵腕組みをしながら鉛色に沈んでゆく江戸の空を見上げた。
この数日後、芝増上寺門前の蝋燭問屋"丹波屋"に押しこみが入り七百余両が強奪されたと
南町奉行配下の仙臺堀の政七が、平蔵が役宅に駆け込んできた。
「なにぃ!」
飛び出たのは沢田小平次
「で、家人のものに怪我などはなかったのか!?」
「へぃ それが大勢で押しかけ、皆刀をつきつけられて縛られ、猿轡(さるぐつわ)を
噛まされて身動きできないようになっていたそうで、主の丹波屋庄左衛門が蔵の鍵を渡し、
為替に換金する余金を強奪されたそうで、盗賊はその後庄左衛門の水月を刀で打ち据え
その場に打ち倒し逃走したようでございやす。
皆頬被りなどで顔を隠し手燭の明かりだけでは人相は読めなかったとか、
まぁ刃傷沙汰がなかっただけ救いもあろうかとお奉行様も・・・」
「筑後守様が然様申されたのか?」
平蔵が父宣雄と京都町奉行以来親交のあるこの池田筑後守長恵の胸の内を痛いほどに
よく判っていた。
「あの剛気豪快な筑後守様がなぁ・・・・・」
沢田小平次はすぐさま芝増上寺片岡門前町の"丹波屋"を尋ねた。
「嗚呼・・・・・これは沢田様・・・」
丹波屋の主庄左衛門と娘の"おゆき"が連れ立って沢田を出迎えた。
「まずは怪我がなく・・・宜しゅうござった」
沢田は言葉に困りながらそれだけ伝えた。
「沢田様 さようでございます、あのように大勢の押し込みではもはや命はないものと
その時は思いました、ですが、向こうは金子だけが目的だとはっきり申されまして、
まぁそれでひとまずは気を落ち着け、先方の言うことを聞き、
金蔵に残しておりました為替の代金を差し出しました。
あとは私もここを刀で一撃されまして気を失い、朝まで気付きませんでした」
「して その折の傷の方はいかがでしょうかな?」
「はい 何しろいきなりでございましたし、夜着だけでございますから今もって痛みは
残っております」
と、水月の辺りをさすってみせた。
「何か変わったこと、気づいたことはありませんでしたか?」
「はぁ・・・・・ああ、そういえば首領らしきものが左利きということぐらいしか」
「何左利き?」
「はい 刀は左に手挟んで居られましたものの、私の胸を掴まれましたおり左手で・・・・・」
「何故左様に想われた?」
「はい たいていは利き腕が先に出ます、私が襟を掴まれましたおり、
左側から腕が伸びましたのでとても不思議な面持ちが致しましたもので」
「なるほど・・・これまでさほど気にも掛けておりませなんだが、
確かにとっさの場合は利き腕が出ますからなぁ」
沢田小平次ひとまず家人の無事も確かめられたし、一つだけではあったものの
首謀者の中に左利きがいたということは、僅かの進展があったと言えよう。
このことを平蔵に報告すると
「うむ 間違いはなかろう、其奴確かに左利きであろうよ、儂が高杉銀平先生の道場で
稽古に励んでおったおり、左利きの門弟がおった、先生はそれを見て取られ
「左利きを嘆くではない、むしろそれを誇りに思え!通常剣は平常時右脇に控えるのが習わし、
これはとっさのおり右手では抜刀しづらいというところに意義がある、
だが左利きならばたとえ座して居っても、いとも簡単に抜刀できる、
しかも剣は常に右手が鍔元にあり、左手は柄頭におき、身体の正中で動きを制する、
従い遠刀での振り切りにはむしろ左利きの方に分がある。
それを会得するために右利きは片手でのみの素振りを余計に稽古せねばならぬ、
と仰せであったことを思い出したぜ。
たしかかような抜刀術を修めた流儀があったなぁ・・・・・水鷗流・・・であったか」
「然様な剣法がございますので・・・・・
一度手合わせ出来れば、見切る事も出来るやも知れませぬなぁ」
平蔵をして(まともにやりおうたら、この儂とて果たして勝てるかどうか)
と言わしめる小野派一刀流名手の沢田小平次である。
その数日後、麻布十番飯倉新町の江戸口油問屋"大津屋江戸前店"に賊が押し入り
油五樽が強奪された。
五樽といえば二百升(一樽72リットル、中身だけでも一樽三十六キロ)
さすがにこれは抱えるわけにもいかず荷車を仕立てて運ばれ、
飯倉町の堀留船着場から小舟は闇夜を継いで何処へかに消えていった。
油は上方から運ばれて来たために"大津屋"は川船がそのまま着けられる
麻布飯倉新町に構えていた。
翌日になって店の開かないのを、不審に思った隣の薬種問屋の小僧が主に報告してこれが発覚。
こちらも店の者には一切怪我もなく、一箇所に集められていいた所を北町奉行の調べで
開放され犯罪が判明した。
荷車はすぐ傍の堀留にある船着場に放置されており、荷車もこの"大津屋"のものと判明、
盗賊一味は用意周到にことを運んだと想われる。
物が油と言うだけに奉行所でも神経をとがらせては見たものの、霧のごとく容易にその行く先は
つかめない、まさに五里霧中、打つ手はなしであった。
以前は麻布広尾田島町古川四之橋(よのはし)たもとに汁粉屋があった、
あまりの旨さに狐が買いに来たという風評で評判となった、その主は尾張屋藤兵衛、
この藤兵衛これが元で大儲けをし、京橋三十間堀に移った。
そのあとをそのまま鰻屋が開店したが、何故かそのまま狐鰻と呼ばれ、繁盛していた。
江戸はすでに師走を迎え、町行く者もどこか慌ただしさを増していた。
その数日後、過日沢田小平次が折よく無頼の者達から窮地を助けた芝増上寺片岡門前町の
"丹波屋"主人庄左衛門から、たってのお願いと、沢田小平次に誘いがあった。
その日は沢田もちょうど非番であったために平蔵
「おお沢田調度よいではないか、お前に助けられたことが余程有り難かったのであろうよ、
無下にするのも何だ、良いではないかたまには羽を伸ばすもよかろう、遠慮致さずとも良い」
と奨められたこともありこの日朝から芝増上寺片岡門前町の"丹波屋"に出かけた。
海賊奉行(御船手奉行)向井将監忠勝屋敷のある、新堀河岸の将監橋(海賊橋)から
屋形船を仕立て"丹波屋庄左衛門と娘ゆきの三名を乗せた船は、ゆらゆらと古川をさかのぼる、
この1ノ橋までが汽水域で、風次第では微かに潮の薫りがした。
麻布飯倉町1ノ橋を南へと曲がり、橋西側の間部若狭守下屋敷があるために間部橋と
呼ばれていた2ノ橋を潜り新堀川へと続く。
1675年河口の金杉橋から1ノ橋までを掘り下げて、荷船が通れるように改修した、
このためにこの域を新堀川と呼び、1ノ橋西側に地下から水が吹き出す井戸があり、
この井戸の名水を使って傍処"永坂更科布屋太兵衛"が繁盛したものである。
2ノ橋を過ぎた辺りから新堀端の荷揚げ場の華やかな声が屋形船の中にも届いてきた。
障子を開けると師走の荷揚げで活気のある声があちこちで飛び交っている。
「この辺りお武家様のお屋敷も多く、さすがに賑やかは又格別でございますねぇ」
と丹波屋。
傍から娘の"ゆき"が
「お父様今度は沢田様を夏にお誘いいたしましょうよ、ねぇねぇ宜しゅうございましょう
沢田様!」
ゆきは眸を輝かせて沢田の顔を覗き見る。
「これ"ゆき"!沢田様はお武家様、しかも盗賊改めの大切な御用をお勤めのお方、
そのようなお方に無理のお誘いはご無礼というものですよ」
と娘の気持ちを感じながら穏やかに諭した。
「でもぉ あっ 夏になると夕涼みがてら蛍を眺めにねぇねぇ沢田様!
夕方から鮎を頂いてゆっくりと・・・・・いけませんか?・・・・・」
娘の天真爛漫な態度に武骨者の沢田小平次汗が出来た。
「あら 沢田様!何かお困りでございますか?」
「これ ゆき!ご無礼があってはなりませんよ、沢田様がお困りのご様子ではありませんか」
と、再び窘める」
「ねぇ だめでございますか・・・・・・?」
「弱りましたなぁ・・・」
沢田小平次、鬢(びん・横髪)を掻きながら丹波屋の方へ救いの目を向ける。
「申し訳もございません沢田様、何しろたった一人の娘なもので甘やかしてしまいました。
これまでかようなことを言い出したこともございませんので、私自身が戸惑うております、
もしご迷惑でなければ娘のわがままをお聞き届け願えませんでしょうか?」
救いを求めた相手にまでこう迫られは、武骨者の沢田小平次タジタジで
「はっ はぁそのぉ・・・・・」
「だめでございますか?」
「だだだっ 駄目とは・・・・・」
「宜しいのでございますね!まぁ嬉しい! ねぇお父様それまでにどこぞへ沢田様をお誘い
いたしましょうよ、ねっ!あっ そうだわ!森田座のお芝居はどうかしらねぇねぇ・・・
あ・・沢田様奥方様はお迎えなされて居られますの?」
無頼の者相手ならば臆することも無く切って捨てる沢田であったが、あいてがこの無邪気な娘、
はてさてどうしたものかと、まぶたに浮かぶのは長谷川平蔵の顔であった。
「これ!ゆき 沢田様がお困りのご様子ではありませんか、
誠に申し理由(わけ)もございません沢田様、年頃の娘の申します事ゆえ、
あまりお気になされませんようお願い致します」
丹波屋、いささか恥じ入った風に笑いながらも目を細める。
どれほどこの娘を愛しく思っているか、沢田小平次にもそれはよく伝わっていた。
「まぁお父様、私は沢田様にお伺いいたしているのでございますよ、
だっていつも想ったことは素直に口に出す、それが一番大切な生き方だと
おっしゃって居られますのに、ねぇ、で 奥方様は?」
と困り果てた小平次の様子に上気した笑顔を向ける。
「はぁ 母ひとり子一人の侘び住まい、まだまだ嫁取りなぞは・・・・・」
沢田小平次冷や汗を拭いながら小声で応えた。
「まぁ・・・・・・よかった!」
「何を言っているのですお前は・・・・・」
この時船が急に向きを変えたために船がぐらりと揺らいだ。
「きゃっ!」
と小さな悲鳴を上げてゆきが横に倒れかけた。
向かいに座していた沢田小平次思わず片膝立ててこれを支えた。
あとで思えば芝居がかった倒れ方ではあったが、その時はとっさの出来事、
そこまで思い量る余裕はなかった。
「あっ これは失礼をいたしました!」
小平次慌ててゆきを支えていた腕を抜いた。
若い娘の柔らかな感触が微かに残っていた。
肥後殿橋(3ノ橋・会津藩松平肥後守下屋敷脇にあったため)を急角度に西へ折れたあと、
青々と茂った被り松がゆらゆらと川面に影を落とす堀石見守下屋敷脇を
(土浦藩主土屋相模守下屋敷)4ノ橋(よのはし)に向かった。
「この廣尾原辺り(うぐひすを尋ね々々て阿在婦まで)と詠まれたように、
なかなかのどかで、時折喧騒を嫌ぅて船を仕立ててまいります。
春ともなれば花見の宴で賑わいますが、季節も下がれば侘しい処、
それが又宜しいのでございましょうかねぇ沢田様」
丹波屋庄左衛門手炙りに手をかざしながら、硬くなっている沢田小平次に笑顔を向ける。
お退屈様にございました」
船頭が障子を開けて声をかけてきた。
「おお 沢田様着きましたようで、道中さぞや窮屈なされたと存じます、
何卒この丹波屋に免じてお許しくださいませ、では早速ご案内を」
と小平次を先にあないした。
橋の袂に構えられた2階屋の小料理屋「狐鰻や」は、人の出入りも多く、賑わっている。
それからひとときの満ちた時を過ごし、戻りの船のなか、
「友助さん、ご苦労さんだったねぇ、これをおかみさんに・・・」
そう言って丹波屋が小さな包を船頭に手渡した。
「あっ これはどうも旦那様いつもお気遣いをいただきましてありがとうございます、
女房も喜びます、ありがとうございます」
「何の何の、いつもお前さんは無理をお願いしているのですから、
この程度気になさることはありませんよ、ところで面白い話は聞かなかったかね、
お前さんが仕入れて来る話は中々面白い」
丹波屋慣れた風に船頭と言葉をかわした。
「あっ そう言えば、さっきここの板場で、まぁ旦那様には面白いかどうかは判りませんが、
だいぶ前からこの先渋谷川の山下橋にある水車小屋に結構な米が運び込まれて、
米を搗(つく)のにも番取りが要るようになって大変なのだそうで、
しかもこの前なんぞは屋敷の前に置かれてあった油樽5つが昨日は綺麗になくなっていたよう
で、一体あんな量の油をどうするのかって不思議がっておりました」
その話を聞くとも無く聞き流していた沢田小平次(んっ!!??)油樽??
先日聞きこんだ麻布十番飯倉新町の江戸口油問屋"大津屋江戸前店の一件を
まざまざと思い出した。
「申し訳ないが、少々待ってもらえぬか丹波屋どの、
その話、もそっと詳しく聞かせてもらいたいので」
「えっ 沢田様何か御役目に関するお話でも?」
「はい 誠にすまぬのだが船頭、たしか友助と申したな、その話何時のことだ?」
「はい、丹波屋の旦那様を待っている間のことでございます、それがどうかしましたので?」
「いや詳しく話すことは出来ぬが、その話間違いはないな!」
「はい 間違いはございません、何しろ聞いたばかりなので・・・・・」
この日遅くなって菊川町の火付盗賊改方役宅に戻ってきた沢田小平次、
早速平蔵に目通り願い、事の顛末を話した。
「何ぃ 大津屋だと!!」
「はい まさかと、耳を疑いましたが真のことで、急ぎ立ち戻りました」
「おおっ でかしたぜ沢田!こいつぁもしかしたら切れた糸がつながるやも知れぬ、
夜分ですまぬが麻布は確か松永の持ち場であったな、すぐさま松永をこれへ、
ああ・・それから竹内と伊三次も呼んできてくれぬか」
暫くして松永、竹内両名と密偵の伊三次が平蔵の前に控えた。
「おお 誠に済まぬ、が 火急の用向きにつき呼び出した、お前達二人、
急ぎ麻布広尾原まで行ってくれ、目的は渋谷川の修験屋敷を見張って欲しいのだ、
繋ぎに伊三次を付ける。
伊三次お前は何か事あらば二人の繋ぎを頼む。
「お頭一体何ごとでございます?急と申されましたので通うな格好で参りましたが」
「うむ 実はな、先程沢田が聞きこんで参った話なのだがな・・・・・」
平蔵、沢田の聞き込んだ話を手短に伝え、
「外は冷える用心いたせよ」
と、3名を送り出した。
こうしてその日のうちにも麻布広尾原の修験屋敷は盗賊改めの監視下に置かれて、
翌日よりこの一帯に関する聞き込みが始まり、凡そのことが掴めた。
伊三次の報告ではこの数カ月の間に浪人たちが屯(たむろ)するようになり、
その数もますます増えつつあること。
加えて、何か大仕事をするらしいと言うことを、水車小屋に米搗きに来たこの修験屋敷に
まかないで駆りだされている女が話してくれた。
「何しろ百人近くのお侍さんたちの飯の支度だ、大根汁に根深の汁を作っております、
これだけでもおおごとで」
「油樽が置いてあるか?」
と問いただすと、
「何でもどこかに火を付けて、その間にひと騒ぎ起こそうとか、
そんな話し声が障子越しに聞こえました」
「よし、このことは誰にも話すではないぞと固く口止めしておきましたそうで」
と答えた。
「何ぃ!火を放つだと・・・・・この師走に・・・何処に火付けをするか、
風向き如何では江戸は火に包まれてしまう、このような多勢のおり、
我ら盗賊改めだけではとてもではないが手が足りぬ、馬引けぃ!」
妻女久栄に命じ、急遽衣服を整え南北両奉行所へ向かった。
向かうは南町奉行池田筑後守長恵を訪れ、事の顛末を手短に話し助成を嘆願、
踵(きびす)を返し北町奉行小田切直年に至急のおめ通りを願った。
長谷川平蔵とは老中が刑法の御定書を厳格化することに共に異を唱えた経緯もあり、
知古の間柄でもあった。
一行は白金村光禅寺に集結、南北両奉行の談合にて狸橋は北町が山下橋は南町の各与力2名に
捕り方十名づつで固め、万一の逃走経路を遮断、残り半数の者は吉田神道屋敷に
逃げ込まないようにこれらを固め、本来武力抗争を取り締まることのない実戦経験の少ない町方
は後方支援という形で火付盗賊改方に打ち込みの一切を託すことになった。
平蔵の指揮のもと、まずは古田神道屋敷に酒井祐介を密かに送り込み、
手早く戸締まりをするよう指示を出し、直ちに掃討作戦が執り行われた。
それと同時に南北奉行所の町廻り同心や与力が各々の持ち場にと散開する。
着流しの格好で松永弥四郎が修験屋敷裏手からまかない手伝いの百姓女を呼び出した。
打ち込み隊は表を長谷川平蔵が指揮(とり)、裏側は筆頭与力佐嶋忠介、
右翼を筆頭同心酒井祐介、左翼は沢田小平次がこれを務め、水も漏らさぬ布陣で取り囲んだ。
真昼の捕物とあって身を潜めるのも中々容易ではない、しかも二百名に近い大集団である僅かの動きも漏れれば全ては水泡に帰す・・・・・
物音一つにも注意がなされ、捕物道具の刺又(さすまた)や袖絡(そでがらめ)
突棒(つくぼう)これに金輪、六尺棒、四方梯子、投卵子(めつぶし)投網など
用意周到に柄物(えもの)を持った捕り方が打ち込み方の外を固める。
松永弥四郎は浪人風体のために、怪しまれることもなくたやすく手伝い女達と接触も叶い、
速やかに数名を外部に収容出来た。
慌ただしい空気に気づいたのか修験屋敷から二~三名のものが外に出てきた。
橋の袂に伏せている捕り方や、屋敷の周りも異様な空気に包まれていることが感じられた。
「お~い!何か妙だぞ、どうも嫌な予感がする!!」
その言葉にバラバラと数名の浪人共が飛び出してきた。
よく見れば橋の袂に捕り物道具がチラチラと覗いているのが散見された。
「しまった!役人どもがここを嗅ぎつけたようだ皆出てこい!!」
大声に叫んだものだから、どやどやと浪人たちが外に出てきた。
それを見て取った長谷川平蔵
「それ!!懸かれ!」
それと同時に左右に伏せていた、両奉行所の捕り方が一斉に投卵子を浪人共にめがけて投じる。
次々と命中し、辺りは石灰や唐辛子の粉で煙幕を張ったようになる。
顔や肩、背中ありとあらゆる場所に命中したものだから、
あまりの激しい痛みに戦闘意欲は失せ、急いでそこを離脱しようと試みる。
これを待ち伏せていた捕り方が袖搦で袖を巻き取り刀を奪い、六尺棒や八尺棒を投げつけ、
目潰しで視力を奪われた浪人たちはこれに足を取られその場に転倒、これを速やかに捕縛する。
目つぶしの舞う中にも、次々と内部から脇のとを蹴破って外へ出てくるおびただしい集団に
刺又や突棒が浴びせられ、足や腕、腹などいたるところをこれらで刺され、
戦意喪失した者共へ金輪が二つも三つも掛けられてその場に引き倒された。
あちこちで阿鼻驚嘆の声、罵声に怒声が入り混じり、ここは正に戦場と化していた。
だが、群狼共は怯まず抜身で散会し立ち向かってきた。
長谷川平蔵「すでにここは囲まれておる、逃げ延びることは出来ぬと覚悟致し、
すみやかに縛につけ!抗う者あらばこの場にて打ち取る!」
と呼ばわった。
こうなったからにはやむなしと投降するものもあらば、刃をなりふり構わず振り回し、
盗賊改めによって切り伏せられる者ありとまさに修羅場の様相である。
あちこちで剣戟の音が交叉され、鋼の焦げた匂いが時折漂ってくる、激しい戦闘は続いている。
平蔵一人を切り伏せ、ズイと奥に入った。
待ち構えていたと想われる浪人を認め平蔵右八双に構えたその刹那を狙って、
左に手挟んだ刀の鍔に手を掛け右手で柄口を握ったのを瞬時に見て取った平蔵、
その間合いの凄まじさに気を合わせる間もなく、無意識に大きく後ろに飛び退くも、
相手の放った一撃は左手そのままに逆手で一気に逆袈裟斬りに抜刀してきた。
左手は刀を逆手のまま振り抜き、右手で刀の峯を支えながら下から押し上げる実戦技である。
平蔵の装束丸胴に胸当てが、右下から左上にかけてざっくりと切り裂かれ、
かろうじて左の二の腕をかすめて引きぬかれた、はらりと平蔵の左袖が垂れ下がった。
その隙に相手は刀を返そうと右手に持ち変える刹那平蔵は八双から正眼に切っ先をさげ、
真っ直ぐ突き進んで敵の胸を貫いた。
平蔵の刃は深々と胸を貫き刀の真ん中辺りで止まった。
(ぐえっ!!)平蔵にもたれかかるように敵の体が被さってきた。
それを見越したもう一人が間髪をいれず平蔵に襲いかかってきた。
平蔵これをかろうじて避けながら脇差しを一気に抜き放った。
(ぎゃっ!!)と低い悲鳴を上げてそのまま平蔵の後方に崩れ落ちた。
平蔵先程貫いた己の刀を左手に握り相手の胸に足を掛け一気に引き抜く。
「お頭!」
近くで応戦していた沢田小平治が駆け寄って来る。
「ご無事で!」
平蔵右手の脇差しに血振りをくれてやり鞘に戻し、沢田を振り返った。
「おう いやなんとも凄まじい太刀筋と想いもよらぬ早業に儂としたことが
不覚を取ってしもうた、此奴が過日お前が申しておった左利きの奴に間違いあるまいよ、
いやそれにしても今想うても背筋が凍る、まるで狂犬のようであった、
げに恐ろしき者が居るものよ、世間は広いとつくづく思うぜ」
こうして一刻あまりの交戦の末、火付盗賊改方によって切り捨てられたもの十余名、
怪我を負いし者二十五名捕り物道具で絡め取られし者、投降捕縛されたもの六十余名を数えた
大捕り物であった。
打ち込みに加わった火付盗賊改方の中や南北奉行所の与力・同心・捕り方の中にも
怪我や傷を追ったものも多数出た模様である。
動けるものや歩けるものは屋敷前に集められ、南北両奉行所の係にて改めて正規の捕縛がなされ
ていた。
平蔵その中に過日大川土手で出会った北町奉行所同心前橋茂左衛門の姿を見
「やっ!これは・・・」
とねぎらいの声をかけた。
「??? あっ その節の・・・長谷川殿・・・何故ご貴殿がここに・・・・・」
「申し遅れ申立、身共火付盗賊改方 長谷川平蔵にござる」
と改めて名を明かした。
「何と・・・・・」
茂左衛門驚くばかりであった。
そこへ引き出された正義隊(しょうぎたい)最後の捕縛せし者の中に
息子真二郎を発見した前橋茂左衛門、信じられない光景に双瞼を見開き言葉を失った。
「真二郎!!」驚愕しながらも思わず声が出た。
その声に振り向いた若者が
「父上!!」
と叫んで身を乗り出した、が 小役人に制され押しとどめられた。
茂左衛門、手にしていた捕綱を離し真二郎に向かって走り寄り、その縄目を掴み、
目にも留まらぬ速さで脇差しを抜きこれを臆する事無く一突き
「真二郎すまぬ、許せ!」
と叫び、さらにそれを持って自らの首を掻き切った。
(おおっ!!!!)あまり一瞬の出来事に、平蔵も沢田もあっけにとられて突っ立ったまま
為す術もなかった。
「長谷川殿・・・見苦しき所を晒し申し訳もござらぬ、これが身共のけじめにござる」
苦しい息の下で、抱え上げた長谷川平蔵にそう言い残し茂左衛門は絶命して果てた。
「何と!!・・・・・何と言うことを・・・これがそこ元の始末であったのか・・・
肝胆相照らす友になれると思うたに、無念!無念!!」
長谷川平蔵はその場に片膝従いてがっくりとうなだれた。
平蔵、火付盗賊改方の捕り方に命じ、真二郎の縄目を解かせ、
この二人の骸を外れた戸板に乗せ、渋谷川三ノ橋を渡った先にある光林寺に一時保管をさせ、
茂左衛門は戦闘での殉死、捕縛された嫡男真二郎は同心見習い中の殉死とした。
後に当月番である南町奉行所でのお調書には、軍資金を稼ぐために鎌倉河岸に火を放ち、
その隙に本革屋町の金座を襲という計画であったことが判明。
「これが実行されていたらと想うだけでも空恐ろしくなる、
風向き次第では江戸の町がすべて灰に帰するやも知れぬからのう」
これは平蔵の偽らざる思いであった。
振り返ってみれば、忠吾との大川花見事件が、沢田小平次の丹波屋事件がなくば、
もしかしてこれは現実になっていたかもしれないのである。
正義隊頭領は駿河国浪人五林典膳、以下浪人、無頼の者など剣で生きられない世の中に翻弄され
続けてきた者達の集まりであったという。
翌日北町奉行所よりの知らせで、夫茂左衛門と嫡男真二郎親子の最期を聞いた千代女は、
その夜半、仏前に正座し、両足と膝前を細紐で縛ったまま短刀でおのが喉を刺し貫き果ててい
た。
翌日鉄砲町の文治郎より伝えられた長谷川平蔵
「あわれな・・・・・誰が、どちらが悪いのでもない・・・
だが水は高きから低きへと流れるが道理、人の力でどうになるものでもない。
人を生かすが政(まつりごと)、なれど、それも用い方次第では此度のような企ても
起こりうる、不条理と申すほか儂には解らぬ、それにしても無念でならぬ。
儂とてあの親父(信雄)がいなくば、このようになっておったやも知れぬ、
真、親子の絆を何処で保つか・・・・・想えば想うほど此度の事、虚しゅうてならぬ」
庭に佇む平蔵、見上げれば哀しみの化身とも想える白いものが舞い落ちて来た。
「雪か・・・・・寒い!身も心も冷え冷えと・・・・・寒い!」