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鬼平犯科帳 鬼平罷り通る 三嶋山燈

鬼平犯科帳 鬼平罷り通る

3月号 生きるも地獄 その3

おお 猫どの!小林が上様のお召し上がりになられる紫鯉をもろうて参った、
早速此奴を調理してはくれぬか!」

「えっ あのお止め鯉でございますか?」

「それそれ!それじゃよ!小林がな、市中見廻りの折どんど橋で釣り上げた物を提げて参った。
そこで、こいつぁ是非にも・・・・・」

「お任せ下さいませ、・・・・・
やっ!これは雌でございますなぁ、まだ湿り気も十分、鯉は他の魚と違い、
少々の刻を過ぎても生きております、早速早速とりかかりましょう、
まずは水に泳がせ泥抜きを致さねばなりませんのでひとまずこれにて」
と下がって行き、再び戻ってきた。

「おいおい猫どのお前見ただけでメスかオスか見分けることも出来るのかえ?」
平蔵呆れた顔で村松の顔を見る。

「それはお頭!人とて見るだけで判別できますように、鯉も変わりません、
特に野鯉はオスのほうが頭が大きゅうございます。

鯉は元々小位(こい)鯛は大位(たい)とこれ両者とも川と海の長とあり、
相対のものにございます。
鯉は悪食で水草から貝類はおろか蛙なぞも喰い、喉にある咽頭歯で噛み砕きます。
まぁ鯉ともなればまずは鯉こく、うま煮、洗い、鱗の揚げ物・・・むふふふふ」
すでに猫どのも相好が崩れたままである。

「鯉の苦玉(肝)は危のうございますので、これだけは避けねばなりませんが、
他の物はほとんど口に入ります。
まずは鯉こく・・・
血抜きをする前のものを輪切りに致し、鍋に並べてたっぷりの水で素煮、
煮立ちましたらとろ火に落とし、少なくとも三刻(六時間)以上は煮込みますと、
骨も戴けるほど柔らかくなりますが、まぁお急ぎの時なれば一刻はご辛抱のほど。

「おいおい それまでお預けということかえ?そいつぁ酷じゃぁねぇか!なぁ小林」

「ですから鯉酷と言うのでございましょうなぁ」

「おいおい 小林まで忠吾に似て来おったぜ、いかぬぜ駄洒落はへへへへへっ!」

「鯉こくは明日のお楽しみと言うわけでございますが、
まぁ仕立て方を申しますとこの後味噌をすり鉢でよくすりつぶし、
これは忠吾にさせましょう」

「ふう 胡麻をするのは忠吾が得意だからなぁ腕は確かだ、あははははは」と平蔵

「味噌に煮汁を少々加え溶きしものを鍋の周りに静かに流し込み、
隠し味に砂糖少々を入れます。
このまま半刻・・・・・」

「こりゃぁ猫どのお預けなぞというたぐいのものではないではないか、
話だけでもうすでに涎も溢れ、叶わぬ!何とかならぬか、のう小林」

「はぁまさかここまで刻が必要とは想いませんでした」

「何の御馳走とは読んで字の如しでございます。
手始めに鯉のあらい・・・」

「おお それならばすぐにでも行けそうではないか、なぁ猫どの」
平蔵手揉み状態で顔がほころびきっている。

「鯉の洗いでございますが、紙や付近で両目を覆います、
すると鯉はじっと動かず往生いたします、擦ればこれを持って・・・・」

「まな板の鯉と申す訳だな」

「まさに、まずは包丁の背で頭を叩き気絶させます。
苦玉を潰さぬよう取り除きませんと全てが無駄になってしまいますので・・・・・
三枚に下し、皮を引き剥がし身を薄めに削ぎ切り致し、
これを冷水に落として身を締めます。
後は辛子酢味噌で戴きます。

最後が鯉のうま煮でございますが、砂糖・味醂・酒を煮立て、
鯉の輪切りを並べ、被る程度の水を入れ落し蓋、
生姜の千切りなぞ加えますと臭みも消えます。

煮詰まりましたならば水少々を加え、醤油・蜂蜜を加えて再び照りが出るまで煮込みます」

「猫どの何か一つお忘れじゃぁござんせんか?」平蔵しっかりと聞き取っている。

「はっ?・・・・・おお左様でございました、鱗、鱗の唐揚げ、
これはまぁついでの櫃塗し(ふつまぶし)とは申せ、酒々には打ってつけの逸品、
甘塩がこれまた宜しゅうございますな」

「ところで小林、何か掴めたのか?」

「と申されますと?」

「なぁに生真面目なお前がいくら上様ご賞味の紫鯉を儂にと思うても、
そのまま帰って来るとは思われぬ、何やら定まったものでも浮かんできたのではないかな?」
平蔵真顔になり小林を振り返る。

「お頭!真実お頭は何処にでも眼をお付けなさって居られますようで
背筋が凍える面持ちの致すときもございます」

確かに、大久保家の辻番所を覗いたときの老番太の話や、
ドンドン濠の老人の話からこれまで一連の盗賊の足取りも不明であったものに
何か光指すものを感じた面持ちがしたのであった。

「盗賊どものこれまでの押し込み先を、各持ち場のものの持ち寄りにて確かめたる物で、
同じような物が御座いました」

「ふむ そいつは何だ?」

「はい 何れもが小寺や武家屋敷又は下屋敷なぞでございます」

「うむ、確かになあ・・・」

「それも時刻から見て番屋が木戸を閉めた後、と言うことは町人の外出(そとで)
はなりませんので、それなりの・・・・・」

「ふむ 提灯だな?」

「まさに!他からの聞き込みにもそれらしき者の姿を見たという話もございました。
それもどうやら武家の提灯(あかし)のようで、四~五名揃ってのもののようで・・・・・」

「うむ 確かにそいつぁ臭ぇなぁ・・・・・」

「大滝の五郎蔵のききこみでは何れも当時この辺りで大金の絡んだ賭博が開かれていた模様。
ところが何の争いもなく騒ぎにはならなかった様子、と致しますならば・・・」

「胴元の帰りを待ち伏せしての強奪・・・と見たか!」

「はい まさしくそのように」

「ふむ 客は帰った後、騒ぎも外にはもれねぇと言うお誂えの話になるのぉ・・・
よし、盗賊改には話は回ってきては居らぬが、今に町方もお手上げとなろうよ、
何しろ相手が寺社や武家屋敷だ、手も足も出ねぇ・・・」

平蔵が見切ったように、翌日南町奉行池田筑前守長恵より助成の願いが平蔵の元へ届いた。

「よしこれで自由に動ける、一同手隙のものを集め密偵たちも呼び寄せ、
明日から見周りを増やせ、木札に長谷川家の家紋を刷らせ、
密偵たちはこれを所持致すよう、まさかの折はこれを見せれば構いなしと
筑後守様のお許しも得ておこう」

こうしてやっとこの事件が表に出ることとなった。

その日平蔵目白台より役宅に戻る途中を牛込高田馬場下戸塚村の水茶屋駒やに立ち寄ってみた。

「まぁ長谷川様!」
さとが明るい笑顔で平蔵を迎えた。

「おお 堅固でなによりじゃ、何か変わったことはあるまいな?」

「はい 私はおかげさまで盗賊改の長谷川様とお知り合いと、
この屋の女将さんが都合よく思われて、誠に良くして頂いておりますが、
ただ父上のことが少々・・・・・」

「ほぉ 父御どのが又なんぞ?」

「はい 時折夜半になりますとそっと抜けだしてゆきます、
それが何処へ征くのかは判りませんが、そんな折は決まって朝方戻り、
気づかないように床に入っております、それが何故か不安で・・・・・」

「ふむ で、当然夜半に出向くということだから足元を・・・・・」

「はい提灯は必ず持ってまいります」

「ふ~ん・・・・・何事も無くばよいがのぉ、
実はなこの所江戸市中で盗賊が徘徊いたしておるそれゆえ夜は出歩かぬほうが良い、
万一ということもあるからなぁ、用心するに越したことはない、そなたも用心いたせよ」

平蔵はさとに言葉を残して茶をすすり、暫く遠くに見える富士のお山に目をやり
「白雪は全てを包んで隠してしまうもの、その下には生きるものの証が在るとしてもなぁ」
とぼそりとつぶやいた。

それから数日過ぎた夕刻大滝の五郎蔵から平蔵に繋ぎが来た。
持ってきたのは五郎蔵の女房おまさである。

「おまさ どうしたそんなに慌てて!急ぎのことでもあったのだな!」

「長谷川様!五郎蔵さんが聞き込んだところによりますと、
明後日大きな賭場が開かれるようで」

「で そいつぁ何処だ?!」

「ハイ!なんでも小石川の昌講寺とか・・・
どうやらあの辺りの大店に密かに声がかかったようで、
五郎蔵さんが湯嶋本々三丁目「かねやす」の番頭さんから聞いた話で、
今夜大店のご主人が集まった手慰みの会が催されると声がかかったそうでございます」

「ご苦労だった!五郎蔵にも左様伝えてくれ、
おおそれから引き続き見張りを頼むとこの俺が申しておったとなぁ・・・
そうだ、ついでに帰り道五鉄によって弁当なぞこさえて持って行ってやってはくれねぇか、
三次郎にそう伝えてくれ、さぞや腹も空こうし夜は冷える、お前も用心いたせよ」

「勿体のぅございます長谷川様、私達はお役に立てばそれが何よりでございますもの」

その翌々日、五郎蔵が聴きこんできた賭場の開帳に日がやって来た。
「お頭!手隙の者私を含め酒井・小林・木村・松永が控えております」
と筆頭与力の佐嶋忠介が後ろに控えた。

「よし、これまでの様子ではさほどの人出でもあるまい、
絵図から見ても出てくるところは表しかない貞安寺門内に潜んでおらば様子も読めよう、
戌ノ五ツ(午後10時)辺りが佳境と見た、

皆目立たぬよう身なりを工夫致し貞安寺に潜め、儂はその辺りを廻ってみる、
よいな!くれぐれも目立たぬ様にいたせよ!」
平蔵はそう指図を終えてゆっくりと紫煙をくゆらせた。

(久しぶりだ・・・・・何かが始まり、そして何かが終わる、
丁と出るか半と出るか・・・・・ふぅ~・・・
間違いであってくれればよいものだが)深い溜息を含んでいた。

戌ノ五ツ、ここは小石川貞安寺、道をひとつ挟んで向かいは御中間長屋、
俗に五役と呼ばれるもので、御駕籠之者・御中間・御小人・黒鍬者・御掃除之者である。

これは御家人が就任する役職で、千代田城の駕籠運搬・番方・お使い・土木・
清掃などを受け持った、何れも目付けの配下であり、全てが譜代席の世襲制を持っていた。

御駕籠の者などは背が高く教養も必要とあって、
中々自家ではまかないきれない場合も多々あり、養子縁組などでこれを引き継いだ。

背の低い者は、背の高い者に代役を頼むこともあり、
その場合は(濡手当)という別途支給を払う羽目になった。
これが濡れ手に粟の語源にもなっている。

こちらも二十俵二人扶持と変わらない薄給である。

刻は満点に月を蒼々と戴き、間もなく霜月も終わろうとしていた。
夜半ともなれば空気が肌着を覆い尽くし、
芯まで冷え込んでじっとしているのも中々苦痛になるほどであった。
そこで吐く息が夜目にも白々と観える。

「ううっ 寒ゥございますなぁ・・・」
木村忠吾の声が薄闇の中に流れる

「忠吾、五郎蔵達はもっと寒いだろうよ、
もうこの二日ほとんど寝ずで見張っているんだからなぁ」
と大門の陰に座り込んで薄闇の向こうに目を凝らしている。

長谷川平蔵は柿渋色の袷の着流しに羽織、一振りの大刀を腰に手挟み、
水道橋を越えた辺りをゆらゆらと流していた。
無論のこと提灯は鶴やから借り受けたものである。

広大な水戸藩屋敷の横を北に上がりかけた時
青山大膳亮下屋敷前で家紋入りの提灯を携えた武家風の者とすれ違った。

「ふむ・・・・・」

平蔵、そのまま真っ直ぐ水戸家の白壁ずたいに歩を進め中程で振り返ってみると
網その灯りは見えなかった。

(間違いであってくれればよいのだが・・・・)
平蔵の心の中に妙な胸騒ぎが沸き上がってくる。

ゆっくりと突き当たった松平丹後守下屋敷前を東に
折れ道なりに松平伊賀守下屋敷の横手にぶつかった。
その少し手前から提灯の灯りを消し、月明かりのみが頼りの暗視である。
遠くに小さく灯りが留まっている・・・・

(南無三!)平蔵は貞安寺まで一丁(120米)ほどの距離を置いて闇を伺った。
月は雲間に隠れしっとりと闇が辺りを包み隠している。

その時貞安寺から人が出てきたのか幾つもの提灯が思い思いの方向に散ってゆくのが見えた。
(賭場が終わったか・・・・いよいよ奴らが出てくる頃合いだな)
と、その先から一丁の提灯が神田川の方から戻ってくる気配がした。

(んっ これは・・・・)

そこへ貞安寺門内から一丁の町駕籠が出てきた。

平蔵は急いでその場に駆けつけた、
そこに平蔵が見たものは町駕籠を守るように四人の男が囲み、二人が提灯を捧げている。

平蔵はその駕籠に近づき、
「まこと夜分におたずね致す、身共は火付盗賊改方長谷川平蔵でござるが、
駕籠の中のお方はどなたでござろう?」

その言葉が終わらない内に「あっ!!」と息を呑んだ声が漏れた。

「火付盗賊改方のお役人様で、夜分ご苦労様でございます、
手前どもは神田仲町に住まいおります蝋燭問屋(石見屋)の旦那様でございます」
と丁寧な挨拶が返ってきた。

「さようか、しかしこのような夜分にして又いかような御用で貞安寺に
お出かけなされたかの?」
平蔵は落着いた重い声で再び尋ねた。

「それは・・・・」

「んっ! それは?」

その言葉が終わらない内に、籠を囲んでいた男たちが一斉に抜刀して平蔵に立ち向かって来た。
それを合図のように貞安寺に潜んでいた盗賊改の佐嶋忠介・木村忠吾・酒井祐助・小林金弥・
松永弥四郎それに大滝の五郎蔵と女房のおまさが飛び出してきて周りを取り囲んだ。
次々と提灯に灯が点(とも)されていく・・・・・

その時想いもよらない出来事が起こった。

先頭に並んでいた二つの提灯の一つが突然大きく揺れ
「ぐはっ!!」
と低く呻いてドォと倒れこむ音と同時にもう一つの灯りが宙に飛び地に落ちて
メラメラと赤い炎を上げて萌えたその向こうに二つの体が折り重なるように崩れ落ちた。

「しまった!!!」平蔵の慌てた声が燃え盛る灯りの中に飛んだ。

木村忠吾の携えた提灯をもぎ取るように奪い、その折り重なったものを照らし出した。
そこには浪人姿の男の上に覆いかぶさるように若い女の血にまみれた姿が倒れている。

「さと・・・さとどのではないか!何故このような!!」

抱え起こした平蔵の胸の中にうっすらと微笑みを見せ、静かに眼を閉じた。

周りを囲んでいた者が只呆然とこの一瞬の出来事を放心状態で見つめるばかりであった。

「きっさまぁ!!」
平蔵の激しい語気に取り巻いていた無頼の者達は一斉に平蔵に襲いかかった。

(ぬんっ!!)提灯を投げ捨てて抜刀一閃
「ぎゃっ」と声が流れて地面に突っ伏した。

「次はどいつだ!今夜の儂は機嫌が悪い、胸の中の鬼が怒っておる、
死にたい奴は掛かってまいれ!」と呼ばわった。
駕籠の垂れが引き上げられ、中の男が引きずり出された。
だがこの男もすでに胸を突いて絶命していた。

籠の袖からおびただしい血が地面を染めて架かった月に照らしだされるばかりであった。
これを見た残りの者はすでに戦意喪失した模様で、それぞれに刀を投げ出し捕縛された。

「誰ぞ!向かいの中間長屋に出向き戸板を借りてまいれ」
平蔵はそう命じて小夜の躯を抱いたまま身動きすらしなかった。

翌日佐嶋忠介が平蔵の元により
「昨夜のおなごはお頭のお見知りのものでは?」
と恐る恐る言葉を出した。

「うむ 以前話したこともあろう、高田馬場で流鏑馬を見物した話じゃ」

「はい 辰蔵様とお出かけになられた折のことでございますな」

「うむ そのおり茶店で再会いたしたのがあのさとと言う御家人の娘よ。
その父親が酒に溺れ夜な夜な出かけるという話しを聞いたのでな、
近頃は盗賊も横行いたしておるゆえ用心いたせと言うたのだがなぁ、
儂ももしやと思う節もあった、夜度に提灯を持って出かけるということであったからな、
そこへ小林が・・・・・」

「ああ あの話しでございますか、神楽坂の・・・・・」

「それよ!で、ちょいと不安になっておった、
おそらくあの娘もそれとなく感づいたのではあるまいか?
今夜現場を確かめてどうにか父親を諌めようとでも思うたに違いない、
だがあそこで儂が出て行ったために、もはや逃れる筋のものでもないと覚悟を決め、
父親を手に掛け、又自らも死を持って償おうとしたのだろう、
想えばこの世は生きるも死ぬも地獄よのぉ。

嗚呼又ひとつ花の灯(あかり)を消させてしもぅた・・・」
平蔵は儚く散ったさとのさわやかな微笑みを、
ふと庭に咲き始めた山茶花の薄紅色に見たような気がした。


 


 

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