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鬼平犯科帳 鬼平罷り通る
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中に一人真っ直ぐに前を向いた男が居た。
「お前ぇだな頭目(かしら)は!」
平蔵刀の鐺(こじり・刀の鞘の末端部分)で男の顔を押し上げた。
「へっ!!」
男は唾を床に吐きかけてこれを外す。
「ははぁ 貴様だな、名前ぐれぇはあるんだろう、なんてぇ名前ぇだ?」
「人に名前を聞くんなら、てめぇの名前ぇを名乗るのが普通じゃぁねんですかい?」
「ほほぉ大層な口を利くもんだ、よかろう、
儂は火附盗賊改方長谷川平蔵じゃ」
「ままままっ まさかあの鬼の平蔵・・・・・」
「おおさ!その鬼平よ、貴様の名前は何れ判る、
その小汚ぇ口はいつまでも噤(つぐ)んでいろ!
大勢の者たちを殺(あや)めてきたお前達だ、磔(はりつけ)は免れまいよ、
辛ぇそうだぜ磔はなぁ、槍や鉾で三十回も突き通されて
こいつぁどんな剛力も耐えたことはねぇそうだぜ、
その後三日の野晒だ、腹の空いた野良犬に喰われ、
カラスどもがお前の目ん玉繰り抜いたり、
なかなか地獄へも行かせてはもらえまいぜ、
まぁ名を残すにゃぁいい場所だ、ふぁははははは」
こうして盗賊甲州路の悪太郎“陣屋の藤兵衛”どもは
関東代官江川太郎左衛門英毅に引き渡された。
その後八王子千人同心に引き継がれ、これを江戸まで誤送することになった。
警護役は秋庭周太郎に命じられること無く、他の与力が名指された。
「何故私を警護役にご指名くださらないのでございます」
秋庭周太郎は上司千人頭山県助左衛門に詰め寄った。
「何故貴様ではないと?儂は此度の一件貴様に任せたばかりに、
かの極悪なる盗賊を捕らえることすら出来ず、儂は他の千人頭に大恥をかいた、
よりによって江戸表よりの盗賊改めに手柄を奪われ、それでも武田の遺児か、
八王子千人同心の名誉を著しく傷つけた罪は重い、
腹でも切ってご先祖様に詫びるが良い」
けんもほろろとはこのことであろうか・・・・・
その夜秋庭周太郎は意を決し
「儂は今夜ここを抜ける、これも皆あの江戸から来おった盗賊改めのせい!
あいつに手柄を奪われたがためにお頭様に腹でも切って詫びろとなじられた、
腹を切るぐらいならば他に生きる道もあろう、すぐさま支度いたせ」
こうして秋庭周太郎一家はその夜の内にひっそりと八王子から姿が消えた。
それから二年の時が流れ、流浪の疲れから母”きく”が病に倒れ
あまり時をまたず他界。
娘”妙”は十二歳になっていた。
人別帳もなくなり、非人に落ちた秋庭周太郎の暮らしは悲惨を極めた。
ただただ武田武士の誇りだけがから風に舞い、
その日の糊口を凌ぐのも絶えるほどになっていた。
「出かけてくる・・・・・・」
妙が聞いた父秋庭周太郎の最後の言葉であった。
妙は何日も帰らぬ父の姿を探し求め空風の吹きすさぶ江戸の町を徘徊したものの、
空腹と疲労でついに行き倒れとなってしまった。
体の温かさに気が付くと、妙は夜具に包まれていた。
身を起こしかけたがクラクラと眩暈(めまい)が生じ、再び気を失った。
どれくらいの刻が過ぎたのであろうか、周りの喧騒に目覚めた。
「おや気がついたのかい?良かった!ちょいと清さん重湯を持ってきておくれな!」
華やいだ声をぼんやりと霞む向こうに感じ身を固くした。
「いいんだよ!安心してお休み・・・・・」
優しい声が今度ははっきりと妙に聞き取れた。
「ここはどこですか?私はどうして此処へ・・・・・・」
「あんたがこの先で行き倒れになっていたのを見つけてここに運んで見えたのさ、
そんなことよりさぁ、これでも飲んでまずは体を元に戻さなきゃぁね」
と妙の体を支え起こして重湯を少しづつ飲ませてくれた。
薄明かりの中に妙の吐く息が白く消えて、
体の中に温かな血が流れてゆくのを感じている。
妙は暫くして体も回復し、この小料理屋”さかえや”の下働きをするようになった。
元気を取り戻した妙は寸暇を割いて父秋庭周太郎の姿を探し求めていた。
時は瞬く間に流れ、妙は十六になっていた。
父秋庭周太郎が家を出た、あれから四年が過ぎ去っていったのである。
火付盗賊改方長官長谷川平蔵、
この日は谷中を廻って南千住三ノ輪にある蕎麦屋”砂場蕎麦”に顔をのぞかせた。
江戸三大蕎麦と呼ばれる、更科蕎麦・藪蕎麦・そしてこの砂場蕎麦がそうであった。
元々は大坂城築城のさい和泉屋と言う菓子屋が蕎麦を始めたと言われている。
この時築城の砂を置いてあったところに店を構えた所から砂場という
名前がついたようで、のち徳川家康が江戸に居城を構える際江戸に呼ばれて移転、
糀町に”糀町砂屋藤吉”を構え、その後南千住に移ったものである。
甘めで濃い出汁がこの砂場蕎麦の特徴。
出前も多く、その為に時が経つと蕎麦がべたつく、
これを避けるためにはしっかりと水切りしなくてはならない、
ところが口にはいる頃には蕎麦に水気が残っておらず、
そのために濃いめの出汁にたっぷり付けて食べるところになんとも言えない
妙味がある。
ゆっくりと店を出た平蔵、公春院門前町から下谷通新町に抜け三ノ輪橋をまたぎ、
永久寺横、日本堤を降(くだ)っていた。
二丁(200メートル弱)を過ぎた頃から背後に何やら不穏な気配を感じ、
ゆらりと歩みを止め振り返る。
「んっ??!!」(何者・・・)
平蔵ゆっくりと土手を下りながら探りを入れてみる。
土手の上から駆け下りながら、抜刀した気配にわずか体を左に開き振り返った。
(ヤァっ!!)掛け声とともに大上段から刃風が平蔵を襲った。
平蔵とっさに左へ退き、切り込んできた男が空を切って泳ぐ背中を
ドンと突き放した。
よろめきながら刺客は刀を構え直し、今度は正眼に構え直した。
刺客は無言で平蔵を睨み据え、グイと前に進んだ。
「物盗りか!なるほど血に飢えた匂いが川風にさえ漂うておる」
平蔵じわりと足をさばいて左へと回りこむ。
こうすることで陽を背負うこととなり、相手はまともに陽晒しとなる。
やや足を擦りながら平蔵はゆっくりと左手を粟田口国綱の鯉口を握って
後ろに押しやり、右手でゆったりと刀を抜き正眼に構える。
(ううんっ?はてどこかで・・・)
直に顔正面に降り注ぐ日差しを振り切るように、
だっ!と踏み込んでまっすぐに刀を突いてきた。
平蔵半歩左を譲り、正眼を崩し、敵の太刀筋を左肩の上に受け流し、
振りぬきざま袈裟懸けに切り下ろした。
無論殺傷するつもりのない平蔵、僅かばかりに刺客の左肩をかすめて脇に抜いた。
(あっ!!)刺客は思わず声を漏らし、持った刀の左手が離れた。
着晒の一重の半着がざっくりと切り裂け、肩から脇へと血が噴き出してきた。
「おい!ちょっと待て!確かにその顔見覚えが・・・・・
ううんっ 待てよ確か八王子で一度会ぅた・・・・・」
「いかにも元八王子同心・・・・・長谷川平蔵命を貰い受ける!」
右手に刀を提げてゆらゆらと立ち上がってきた。
「待て待て!どうしてこの儂がそこ元に命を狙われねばならぬ、
その理由(わけ)を話せ!」
「貴様の出張りの所為(せい)で盗賊を召し捕れず、
その責務を全うできず俺はお払い箱の憂き目を見た、
この恨みのみでこれまで生きてきた、今日という今日はと想うたが・・・」
激痛に耐えながら秋庭周太郎はふらふらと平蔵に詰め寄ってくる。
「だからこの儂が憎いというのは心得違いではないか?
むしろ己の不徳のいたすところをよく考えて見ろ」
「問答無用!今の俺にとってはもうそのような事はどうでもよいのだ、
貴様さえこの世から葬ることが出来さえすれば、
おれは生きてきた甲斐があったと言うものだ」
「情けねぇ野郎だなぁ、人の恨みから何が生まれよう、
己の力を試す場所を間違ぅたがために盗人に落ちぶれて、
その不甲斐なさをすり替えるためにこの儂を引き出すかえ?
所詮屑はどこまで行っても屑でしかねぇなぁ!
悔しくば己の過去を断ち切って見せてはどうだ・・・・・
貴様の娘はあんなに良い娘に育っておるというに」
「何だと!なぜそれを知っておる」
「あの娘を儂が知り合いに預けておるからよ」
「何にぃ!そんなバカなはずはない」
「嘘だと思うなら逢ぅてみるが良いではないか?」
「娘は“さかえや”で下働きをしているはず」
「おお存じておったか!そうさ、
行き倒れになる所をその女将に預けたのはこの俺だ」
「そんな・・・・・・」
周太郎がっくりと両膝を付き刀を落とした。
「のぉ!これまで幾多の者を殺(あや)めて来た貴様だ、
最早逃れる術はあるまい、儂が介錯して遣わす、
潔(いさぎよ)う致すのも華と思うぜ」
草叢を一瞬の風が吹き抜け、野分がざわざわと駆け抜けてゆく。
秋庭周太郎刀を納め、その場に居ずまいを正し、
脇差しに平蔵が差し出す懐紙を巻き
「娘を頼む長谷川殿!」
一気に腹を掻き切った。