時代小説鬼平犯科帳 2017/09/07 9月号 花筏千人同心 8-7 (むんっ!!)平蔵は粟田口国綱を周太郎の首に打ち下ろし、周太郎は首は皮1枚残して前のめりに突っ伏して果てた。平蔵 深くため息を残し血振りをして鞘に納め、両手を合わせ黙祷する。浅草の番屋に寄り、事の始終を書き置き、番太に手附を渡し永久寺に託した。「思い残しもあろう、無念でもあったろう、だが我らとて同じ立場に変わりはない、常に行く手を迷いながら決断を下さねばならぬ、下された答えは常に正しいことだ。ただ何れも誰にとってという違いが生じるだけだ、鬼も仏も表裏一対のもの、心には夜叉も棲めば仏も在る。我らが心がけなければならぬものは罪過(ざいか)を憎んでも人なりを憎まぬと言うことだ、人を憎むは畜生道にも劣るからなぁ、どうにかしてやりたいがどうにもならぬ、どうにも出来ぬ、こいつが無念でならぬわ」平蔵はこの度の不条理をしみじみ思い知るのみであった。菊川町の役宅に戻った長谷川平蔵、控えの筆頭与力佐嶋忠介にポツリと漏らした。時は少し戻って、本所南割下水三笠町"さかえや"の女将多津は長谷川平蔵から14になる娘を託される。使いに立ったのは舟形の宗平「よいな!くれぐれも本人にはこの儂の名前を教えてはならぬ」と念を押されての使者である。「なぁ"さかえや"の、わしもさほど多くの知り合いは持っちゃぁいないが、こんなことを頼めるのはお前ぃさんだけだ、どうか無理を承知で引き受けてやっちゃぁくれまいか?」「何ですね宗平さん、長谷川様はお父っつあんもお世話になった大恩人、その長谷川様のお頼みをお断りしちゃぁ、あたしぁあの世でお父っつあんに顔向け出来やぁしないよ、おまかせな!きっといい子に育てて見せるからさ」と言うわけで、妙は本所南割り下水の小料理屋"さかえや"に預けられることになったのであった。八王子千人同心小磯仙太郎は同心頭の使いで本所南割下水の関東代官屋敷に赴いていた。この町でかつての同僚秋葉周太郎の一子妙を見かける「おい!お妙ではないか?」声をかけられた娘は驚いて思わず身構える。「妙ではないか?違ぅたら許されよ父御は八王子千人同心の秋庭周太郎・・・ではないか?「どうして父上の名を・・・・・」「うむ やはりそうであったか、父御が密命で八王子を抜けられた当時まだ10かそこいら・・・だがそなたは母御に良う似ておる、いや驚いた」「貴方様は?」娘は男の言葉に驚きの気持ちを隠しながら尋ねた。秋庭周太郎の上司千人頭山県助左衛門は己の配下の者が脱走したとなると自身にも責務が及ぶことをおそれ、秋庭周太郎に密命を帯びさせ八王子を出させたと報告していたのである。「拙者は八王子千人同心小磯仙太郎、そなたとの住まいは違ぅておったが、そなたが生まれる前からよう存じておる、周太郎どのが火付盗賊の長谷川平蔵によって首を撃ち落とされた話は八王子までも聞こえており驚いておった」「えっ!?あの父上が火付盗賊の手によって打首!!」妙は仰天して持っていた風呂敷包みを取り落としてしまった。女将からことづかった仕立て物の入った風呂敷が、昨夜の雨に倥(ぬか)った水溜りの泥を跳ねあげ無残に染まるのも忘れ、呆然とした面持ちで小磯仙太郎の顔を凝視(みつ)めるばかりであった。「ほぉ 知らなかったのか?拙者の聞きし所によれば左様に間違いないと思うがな」小磯仙太郎は妙の狼狽振りを見て慌てたのかそう付け加えた。(あの火付盗賊改方の長谷川平蔵の手にかかって・・・・・)平蔵に対する憎悪の念は妙の心の中で増々大きくなり、最早抑えるには術もないほどになってしまっていた。こうして妙は日ごとに平蔵への憎しみを生きる力に変えて自分を御するのみであった。「まぁ長谷川様お珍しい!」"さかえや"の女将多津は平蔵の来店を喜んだ、妙を預かって二年、14の子供も今では顔姿も大人び、すっかり華を持った娘になっていたからである。「あの子は今遣いに出してありまして、おっつけ帰ってくると思いますがお会いなされますか?」「儂の事は?」「滅相も!宗八さんからくれぐれもとそりゃぁ・・・ふふふふふ」「左様か、ならば会うこともあるまい、ちと様子を知りとぅてな、それだけのこと、すまぬが頼む」「何をおっしゃいますやら、あの子はとても気立てもよくって、お馴染みさんにも可愛がってもらって、私も自慢の娘(こ)でございます」と顔をほころばせるほどであった。それからひと月あまりの刻が過ぎた、春先の雨が久しぶりに上がり、市中も少しずつ華やいだ空気に包まれ始めた頃となった。菊川町の役宅を出て伊豫橋を渡りつつ鶸(ひわ)茶色の小千谷紬の袖口に五間堀の川風を通しながら平蔵、傘の陰から前をゆく若い娘を眺めるとはなく眺めていた。菊川町の役宅を出てしばらくした頃、後ろからついて来る気配が気になっていた、が 関わり無かったのか、その気配は先ほど平蔵を抜きさり、そのまま北ノ橋方向に歩みを急かせていたとき、丁度長桂寺に差し掛かったところで突然躓(つまず)いたのか転倒(ころげ)てしまった。よほど転げ方が悪かったのか暫く立ち上がれない様子である。「おい 大丈夫かえ?」平蔵そばに寄り娘を抱え上げようと抱き起こした、その刹那平蔵の胸に鋭い痛みが突き付けられた。(うんっ?!)「動かないで、動けばこのまま一突きにいたします、そのつもりで返答を!!」「相わかった!」平蔵はそう応え、短刀は胸につきつけられたままゆっくりと娘の体を引き剥がし顔を見た。まだ十六・七の町娘である。「そなたは?」「お前に無残に斬り殺された元八王子千人同心秋庭周太郎が娘"妙"、父の仇長谷川平蔵この好機は亡き父上のお引き合わせ、覚悟して返答なされませ!」「そうか お前が妙か・・・・・・あれから六年になるか・・・無理もない、苦労したであろうなぁ、このまま儂を刺すも良かろう、お前の父御を介錯いたしたのは確かにこの儂だからなぁ、儂を恨むも無理からぬ。 [1回]PR