時代小説鬼平犯科帳 2017/09/28 10月号 花筏千人同心 最終章 同じようにわしはそなたの父御を盗賊に追いやったこの世が憎い。儂は若年寄京極備前様のお名指しにより、八王子で盗賊を追い詰めひっ捕らえたのが、後にそなたの父御を追い詰めることとなり、無念なれど父御はその後物盗りになってしもぅた」「ままままっ まさか父上が物盗り!それは何かの間違い!!父上はお役御免を口実に密かに盗賊の探索に当たっていたのを、盗賊と一緒にいたと火付盗賊の長谷川平蔵に斬り殺されただけ」「おお その通り京極備前守様にそう言上したのがこの儂だからな・・・」「えっ!!」「そこもとの父御はこの儂を付け狙いながら、辻斬などの物盗りを続けておった。儂が三ノ輪の蕎麦屋を出た辺りから微行(つけ)てまいり、日本堤で斬り合いになり、その折そなたの父御秋庭周太郎は自害、儂が介錯いたして永久寺に葬ってもろうた」「嘘!嘘!嘘!父上に限って!そのようなことは、あろうはずもありません」「嘘ではない、秋庭周太郎は腹を切る折〔妙を頼む〕と儂に言伝た。儂はそなたを探し出し、あの日そなたが倒れているのを儂の配下の者が見つけ、その後引取り多津に預けたのもこの儂、"さかえや"の女将に長谷川が話して良いと申したと聞いてみるが良い、すべてを承知いたしておる」「そんな!・・・・・」妙は持った短刀をだらりと下げた。そして平蔵が一瞬気をゆるめた隙をついて短刀を自らの喉に突き刺そうとした、それを見逃すはずの平蔵でもない。妙の手首を握り「心のやり場がなくばこの儂を突くもよかろう、苦しいものだ、どうにもやり場のない心の置所を失った者の気持ちはこの儂も昔嫌というほど味おうてきたからな。お妙!そなたまで命を落としては、命をかけた父御のそなたを思う気持ちは無駄になろう、なぜ腹を切ったと思う、それを考えてみるが良い。秋庭周太郎はおのが命と引き換えにそなたの命をこの儂に預けたのだぞ、儂は約定を守りそなたを多津に預け、今日まで陰から見守っておった」妙は打ちひしがれその場に泣き崩れるばかりである。翌々日"さかえや"の女将多津が菊川町の役宅に平蔵を訪ねてきたと取り次いだ酒井祐助が「如何致しましょう」と問うてきた。「何?お多津が参ったと、はて何か問題でも起きておらなければよいが、よしこちらへ回せ」平蔵煙草盆を下げて廊下に進み出て待った。裏の枝折り戸を開いて"さかえや"の女将多津が慌てた様子で入ってきた。「おお 女将いかがいたした?」「長谷川様からお預かりいたしておりましたお妙ちゃんが店を出たまま二日も帰ってきません、これまでそんなことは一度もなく、万が一のことがあったら私は長谷川様に何とお詫びをしてよいやら、どうすればよいかと困ってこうして・・・・・」「ふむ 何か変わったところは見当たらなんだか?」「二日前に夕方戻ってきまして、長谷川様が私のことを話して良いとおっしゃられたので、本当のことを教えてほしいと・・・私は初め聞き捨てましたが、あまりの勢いに、これは長谷川様がおっしゃられたのだと思い、あの娘をお連れになった時のことを隠さず話して聞かせました」「ふむ 左様であったか、やはり思いつめたのであろうなぁ、かわいそうな事をしてしもうた」平蔵は目を閉じ、過日妙が見せた驚きの顔を痛い気持ちで思い出していた。「よし、これはこの儂が引き受けよう、済まぬがこれまで通りお妙が事、よろしく頼む」平蔵多津を帰し、「ちと出かけてくる」と言い捨ててそのまま裏口から浅草に向かった。行く先は秋葉周太郎の葬られている三ノ輪の永久寺坊守に案内を乞い、秋庭周太郎の墓を尋ねた、真新しい華が供えられているところを見ると、おそらく妙が訪れたことは疑いもあるまい。(ふむ 妙が立ちまわる先はい何処であろうか?)平蔵顎に手を添えながら思案に暮れる。「あのぉ 長谷川様」と門前に掛かったところで住職が平蔵に声をかけて来た。「おお これはご住職、儂に何か御用かな?」「もしやお妙さんをお探しでは?」「おっ! 御坊はお妙の行く先をご存知でござるか?」「何やら思いつめたようで、昨日拙僧を訪ねてまいりましてのぉ、人の供養はどうすれば善いかと訪ねおりまして、まぁ金子で済ませる者もあらば、身を持って供養する者もあり、何れが正しいということはない、我が身でできることで良いのではないかと申しましたらば、尼寺を存じおらぬかとの事にて、さて、拙僧も色々と寺は付き合いもござるが、尼寺はのぉと申しました。その折、何かを思いつめておる様子に見えたものだから、あまり我が身を攻めるのではないぞと話しましたらば、心も決まったのか、さわやかな顔で戻って行きもうした」「左様でござったか、儂も少々案じられてこうして寄ってみたのだが、さようであったか」「あまり深く想わず、お妙どのを信じてみるのもまたかと・・・・・」「成る程人を信ずることか、それを儂は忘れるところでござった、いや忝(かたじけ)ない」平蔵住職に礼を述べ役宅に向かった。小名木川に架かる高橋を横切りながら、(人を信ずる・・儂は手下(てか)は信じておるが、それ以外の者に、はてどこまで信じられておろうか、儂が信じなきものは人も又信ずるはずもあるまい、いやぁこいつを忘れるところであった。妙の手向けた花を信じてみるのも悪くはない。平蔵はやっと心の荷の降りた面持ちであった。其の翌日、多津が女連れで再び平蔵にお目通りを願って参っておりますがいかが取り計らいましょうや、と沢田小平次が取り次いできた。「おお 二人連れとな!よしよし構わぬ、こちらへ通せ」平蔵の顔は少し笑味(えみ)が伴っているように沢田は見て取った。枝折り戸の向こうから軽やかな足音が聞こえ、静に戸が開かれ多津の後ろに妙の姿が見て取れた。平蔵は顔にも心にも安堵の色を浮かべながら手招きして中庭に誘(いざな)った。「長谷川様!お妙ちゃんが戻ってくれまして、あたしは胸をなでおろしました、ほらお妙ちゃん長谷川様がお妙ちゃんの事を随分ご心配くださったのよ」と後ろに控えて恐れ入っている妙を引き出すように平蔵の前に押し出した。「お妙!よう来てくれた、儂はあの時以来今日までそなたを信じてみようと思ぅてな、こうして顔を見せてくれるのを待っておった」「長谷川様・・・・・ご心配をいただきありがとうございました、人はどう生きたのかではなくどのように生きるのか、それが大切なことと知りました」「そうか、で どういたすことに決めたのだえ?」平蔵はにこやかに妙を見やった。「あたし、おかみさんにもっと芸事を習って芸者になろうと思います。父上も母上もきっと許してくれると思うのです」「そうか、根を張る居場所が見つかったのか、それもまた生きる道、侍だけが人の道ではないからのぉ」妙のこぼれくる笑顔は、今を盛りの桜の花にも似て輝きを持ち、誇らしげにさえ見えた。昨夜の雨に花が散り、その中を一筋の流れに、まるで花筏のように寄り添って流れてゆく。平蔵は、やっと安堵の色で眺めている。「左馬が申したように、儂も残り後二年か・・・・・」長谷川平蔵四十八歳の春の出来事であった。 [0回]PR