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鬼平犯科帳 鬼平罷り通る
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翌日平蔵は、横内雅之は角鹿(つのが)の喜平次一味召し捕りの折殉職、店の下働き“はつ”は抗争に巻き込まれて死亡したと御調書に記した。
これは相対死(心中)の場合遺体は裸にされ、日本橋南詰の晒し場に3日間晒されのち、試し切りに回されることを避けての図らいであったろう。
二人の遺体は横内雅之の親元で引き取られ、手厚く葬られたと本所渡辺大工町泰耀寺の記録にある。
そののち、この古本屋獺祭屋は“はつ“のさわやかな笑顔とともに、誰もその行方をしらないまま江戸の町から消え、表には古本売買御書物處(かわうそてい)の看板が秋風に揺れているのみであった。
正岡子規は自らを獺祭書屋(だっさいしょおく)主人と号した。
執筆活動を続けた終焉の地が根岸であり、彼の命日である9月19日を獺祭忌と呼ぶ