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鬼平犯科帳 鬼平罷り通る 三嶋山燈

鬼平犯科帳 鬼平罷り通る

10月号  めぐりあい  伊豫吉田藩武左衛門騒動





しかしこの吉田藩との交渉は数日を経ても無回答という
冷ややかな応対となり、交渉は決裂。
強硬手段に訴えるしか手立てがなくなって行った。



こうした経緯(いきさつ)の後、義勇隊との単独交渉に乗り出した
安藤継明儀太夫はそのまま幽閉されてしまうこととなったのである。



こうして安藤継明幽閉の知らせは、安藤継明が妻女から
大名飛脚で長谷川平蔵のもとにもたらされたのであった。



「なんと、安藤殿が幽閉とは・・・・・
何としてもお救い致さねばならぬ、さて如何致さばよいか・・・・・
此処にいては打つ手もなし」



平蔵この知らせに対処するべき手立てのない歯がゆさに
腹立たしいばかりであった。



(何としても!・・・)平蔵の気持ちは日々盗賊改長官としての立場と、
安藤継明幽閉救出の間で大きく揺らいだ。



江戸より海陸ともに275里(1072キロ)の彼方での出来事に打つ手はない。



「佐嶋!どうにも手立てが見つからぬ、これより儂は伊豫に赴こうと想う、
後のことはそちに任せる故よろしく頼む」



と切り出した。



平蔵の苦境を判るだけに、さしもの佐嶋忠介もあえて反対は唱えず



「お頭のお心の儘が宜しゅうございましょう」



と覚悟を決めた。



だが妻女久栄はそう簡単に納得するはずもなく、
この度だけは執拗に食い下がった。



「何故殿様が直々にお出張りなさらねばならぬのでございます?
藩内のことは藩それぞれで収めねばならぬこと、
いくらお親しきお方であっても、
殿様には殿様の御役目がございましょうに」



と日頃伺うこともない強い口調で詰め寄った。



「解っておる!判っておるが安藤殿は儂にとって刎頚(ふんけい)
の交わり、武士の一分がなり立たぬ、征かねばならぬ、
それを判ってくれ」



平蔵は口を真一文字に結び、きっぱりと久栄の窘(たしな)める
言葉を断ち切った。



「殿様!!・・・・・」



これ以上何を言っても聞かないことは百も承知の久栄であったが、
それでも‥‥・・・と言う思いはあった。



粛々と旅立ちの支度をする平蔵に手を添えながら



「殿方には殿方のお覚悟もございましょうが、
残されたおなごにもそれ相当の覚悟がございます、
もはや何も申しませぬ。
聞けば伊豫二名島は海のはるか向こうと伺いました、
そのようなところにては何が起こるやも知れませぬ、
どうぞ1日も早い無事のご帰還を願ぅのみにございます」



と送り出す。



平蔵が慌ただしく旅だったその夕刻、南本所今川町“桔梗や”に
“染香”宛の書状が届いた。



「何んでござんしょうねぇ?急ぎの書状とは、
一体何処のどなたから・・・・・」



と言いつつ書状を読み下る染香の顔色が、
みるみる蒼白になってゆくのを女将の菊弥は見落とさなかった。



「染ちゃん一体どうしたって言うんだい!」



「姉さん、長谷川様の奥方様から・・・・・」



「なんだって!長谷川様の奥方様・・・・・で、
どのようなことなんだね!」



その言葉を最期まで聞かずに染は北川町円速寺裏の自宅に駈け出した。



「急ぎ参らせ候、此度殿様急の御用にて伊豫吉田藩まで
お出張りに相成りました、命を賭してでもなさねばならぬと
申されるほどの事とは申せ、私一人の力にてはいかようにもし難く、
どうにもお聞き入れくださりません。
つきましては、そなたよりどうか殿様をお引留めいただきたく
伏せてお願い申し上げ候。長谷川久栄」



とあった。



「これは大ごとだわ!」



菊弥は青ざめた染香の胸中を想うばかりである。


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