時代小説鬼平犯科帳 2018/12/28 めぐりあい 2019年新年号 伊豫吉田藩武左衛門騒動 長谷川平蔵はその場所を知っている者を探させ、日向谷村出の小作人芳三が連れてこられた。早速平蔵身支度を整え、芳三の案内を頼みに単独での出張りとなった。「長谷川様!! 染は此処で無事のお帰りを待ち焦がれております、死なないで下さい、生きて生きて生きて!戻って下さいませ!」平蔵、染の覚悟を決めた蒼白なまでの顔を振り返りただ一言「染どの行ってまいる!」見合わす互いの目にはそれぞれの顔が映し出されているだけであった。ここは宇和島より北東に9里(35キロ)の奥深いところである。平蔵と案内人の芳三二人が日向谷村に到着したのは翌二日目であった。「お武家様ぁあっしがお侍ぇを見かけたのはこの先の荒れ屋敷でございますだ、今も居るかどうかわかんねぇけども・・・・・」さも居心地の悪い風に案内の芳三は、尻が落ち着かない様子で平蔵を竹やぶに囲まれた百姓屋を指差した。竹藪を進んで家のほど近いところまで寄り、遠くから様子をうかがったところでは、表で剣の素振りをしており、日々の鍛錬を忘れていない敵と見なければならず、おそらく十名は下るまい。しかもその大半が帯刀している様子、迂闊(うかつ)に手出しはできぬ。「間違いない!よくぞあないしてくれた、礼を言うぞ」藪陰に戻った平蔵、身を潜めていた芳三に一朱(6250円)を握らせた。驚いた風に芳三は目を見張り、いくども平蔵に頭を下げて戻っていった。再び竹藪に戻り、更に注意深く様子を伺った平蔵、敵の動きを読み、何処から仕掛け何処へ誘い、我が身を最小限危険に晒せばよいかを腰を据えて普(あまね)く探った。深山の里、廻りは竹藪や雑木に覆われ、崩れかけた囲いの中も荒れ放題で、身を潜めるには良いものの向こうから発見(みえ)にくいということは此方からも視えにくいという事。出来得る限り斬り合いは最小限に止め、此方(こちら)の被害を少なくすることを手立てせねばならぬ、一人二人は殺傷出来ても多数となれば刀に脂が乗り、ガマの油を塗ったようなもので、もはや切殺は無理がある。突き刺す以外に方法(て)がない。平蔵打ち込みに工夫をせねばならない。そうこうしているうちに陽は早々と落ち始めた。(恐らく安藤殿はあの最奥の部屋と見た、そこまで深入りせず、出来得るならば表に誘い出す策がよいのだが・・・さて・・・・・)と辺りを見渡した平蔵の目に入ったものは、秋の枯れ草や落ち葉の吹き寄せ溜まりであった。(おぅ こいつぁ都合が良い、火攻めならば敵を混乱させることも出来るやも知れぬ)これは陽動作戦によく用いられるもので、見せ場を作って相手を動揺させ、その隙に本懐を遂げる策略である。外からの攻撃を見渡すために、庭木や石材など全て取り払われ、身を潜めるものの何一つない構えは家に近づくのも容易ではない事を教えている。(なるほど、この用心深さは只者ではないと見ゆるよほどの知恵者・・・・さてどうしたものか) [0回]PR