めぐりあい 5月号 伊豫吉田藩武左衛門騒動
薄明かりに目を凝らし、それらの一つ一つに眼指しを送り確かめてゆく。
(違・・・違う・・・あのお方ではない・・・・・)
屋根裏へと通ずるのであろうか、釣り階子が少し下がったまま
中に浮いて、そこにもうら若い骸が寄りかかっていた。
囲炉裏端には魚の彫り物を施した自在鉤に南部鉄瓶が架けられており、
天棚から獣の肉と思しき塊が下がり、
あたりに漂う血潮の匂いが一層染の心を萎えさせる。
投げつけたのであろうか竹籠や筵(むしろ)が散乱し、
そこにも黒々とした骸がいくつも転がっている。
これらを一躰ずつ引き起こし確かめて行く。
その板間はおびただしく血糊が流れ、足を取られそうになる。
それを用心しつつ奥の部屋へと用心深く進んだ。
蹴破られた襖の奥の、八畳はあろうかと想われるひと間に
出血と返り血にまみれ、倒れ伏し重なりあって
倒れた二つの骸が出迎えた。
その横に顔半分を切り取られた骸がのけぞった格好で
刃を畳に突き立てたまま果てていた。
「……!!」
残る二体を確かめようと、着ざらしの折り重なった上の骸を
押しのけたその下に長谷川平蔵を見定め、抱え起こし両腕に抱きしめ、「嫌ぁぁぁぁぁ・・・・・・・」
染はあらん限りの声で泣き叫んだ。
その哀しみが、全ての声は、陽の届かない空虚な屋敷の中に
無表情に吸い込まれるだけであった。
それは僅かの時間ではあったかもしれない。
が、染にとって忘れることの出来ないほどに長い刻が
過ぎたように想えた。
薄闇に慣れ、辺りの様子もぼんやりと視えていた中、
絶望の果の哀しみに震えている染の耳元に
「染どの・・・来てくれたのか・・・」
弱々しくはあったものの、聴き覚えの男(ひと)の声であった。
「ばか!ばか!ばか!ばか!ばかぁ!!」
染は胸に抱きかかえた平蔵の肩に顔を埋め、声を殺して哭(な)いた。
その時階上から物音が聞こえ
「誰だ 女の声は誰……」
細々とした声が漏れてきた。
「染どの……恐らく安藤どのと想う、
済まぬが行って様子をみてはくれぬか」
ぐったりと横たわった平蔵の言葉を後ろに、
染は平蔵の脇差しを抜き放って、下がりかけている階子を降ろし、
油断なくその歩を確かめつつ上がっていった。
天井裏は全く陽の光を遮られ、瞳のなれるのに刻を用する。
足元を確かめつつ
「何処に?」
と声をかけた。
声はその奥から聞こえてきたようで、そこには誰の姿もなかった。
染の声に
「此処じゃその奥じゃ、そなたは誰だ!」
染は意を決し脇差しを正眼に構えたまま、
一歩踏み込み油断なく刀を脇に構えなおし、
暗い部屋の中に入って行き、閉ざされた正面の襖を開け放った。
そこには何やら蠢く者の気配があり、
「安藤様?」
と声をかけた。
「うむ、儂は安藤嗣明、そなたは何処の誰だ・・・・・」
寄ってみると、柱に縛られた髭も髪も伸び放題の
座した男と見える物が在った。
急ぎ縄目を切り放ち、
崩れるように横に倒れたその躰を抱き起こす。
「私は江戸より参りました、長谷川平蔵様の供の者にて
黒田染にございます」
染はしっかりとした口調で男の脇に身を入れて立たせた。
「長谷川殿が!長谷川殿が何故、かようなるところまで……」
驚きと歓びの交錯したこの男の表情を薄闇の中にも染は読み取り、
「まずは階下(した)へ」
と脇から抱え上げて階子まで誘った。
後ろ向きに這いつつ、一段ごと確かめる如く
安藤嗣明は現世にと歩を進めた。
階子を下りきり、再び染の肩を借りゆっくりとした足取りで
座敷奥へと歩みを進める。
そこに視たものは、血まみれのまま半身を起こしている
刎頚(ふんけい)の友、長谷川平蔵その人であった。
「長谷川殿・・・・・」
「おお!これは安藤様ご無事で何より、
この長谷川平蔵此処まで罷り越しましたる意味がござりました」
「まことかたじけなし」
後は両者ともに無言であった。
染の手配りにより、近郊の百姓が集められ、
まずは平蔵の止血と安藤嗣明へのおも粥が塩梅された。