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鬼平犯科帳 鬼平罷り通る 三嶋山燈

鬼平犯科帳 鬼平罷り通る

鬼平犯科帳   鬼平まかり通る 9月



「佐嶋、心配をかけたのう。真にすまぬ。だがもう安心いたせ、まだまだ儂(わし)のお勤めは終わらぬとみえ、再びこの世の地獄に舞い戻ってきたぜ」
やつれた顔に平蔵笑顔を浮かべ、大きく息を吐いた。
「ところで染どの、儂の連れて参った子供だが、いかが致しておる?」
平蔵、やっとこの数日の闇(くらがり)の中から抜け出せた安堵感からか、こう尋ねた。
「あのお子なら菊弥姐さんが面倒みてくれておりまして、長谷川様のお陰で大事に至らず、元気を取り戻してございます」
少し平蔵から身を離してのち、染は答えた。
「佐嶋、すまぬがその子を此処に呼んではくれぬか」
平蔵は気がかりであった子供の話を聞きたがる。寝床に横たわったまま、平蔵、染の差し出す重粥を口にすすりつつ、失われた記憶を呼び戻している。
やがて佐嶋に伴われて前髪姿の若者が平蔵の前に両手をつき、衣前を正し
「お陰様を持ちまして一命を取り留めました。真にありがとうございました」
低頭したまま礼を述べる。
「おおよかった!ところでな、そなたの事を話してはくれぬか。何故あのような場所におったのかどうも気がかりでなぁ」
平蔵、身の上話のもとどりを差し向けた。
「真に失礼を致しました。私は元豊前小倉新田家家臣、黒田宗近が嫡男麟太郎と申し、十四歳にあいなります」
ハキハキと応え、平蔵や佐嶋を驚かせた。
「で、何故そこ元一人の旅を致した?」
平蔵は確信を突いた。
「父上は新田家改易により禄を離れました。そのため、父上母上共々、江戸の南町御役所にお勤めなされておられる縁者を頼り、江戸に参る途中、長旅と日頃の疲れから父上が流行病(はやりやまい)で身罷(もまか)り、備前を出たところで、看病の疲れから母上を失いました」
「何と!」
平蔵も佐嶋も言葉を失ってしまった。
染は年端もゆかない子の身の上に起きた、この痛々しい出来事に目蓋(まぶた)を押さえるしかなかった。
「で、そこ元一人旅を続けてきたと言うわけだな?」
「はい。ですが、上方に着いたところで路銀も使い果たし、江戸行きの弁才船に潜り込みましたが、見つかってしまいました。これまでのことをお話いたしましたら、親方が私の願いを聞き届けてくださり、やっと江戸に入ることも出来、南町御役所に近い稲荷橋に降ろしてくださいました。
ですが持ち合わせもなく、お供えを盗んで腹を満たしました所……」
「おお、それで腹を壊したか」
「はい、罰が当たったのでございます」
麟太郎と名乗る若者は頭を掻いた。
「ところで長谷川様は火付盗賊のお頭様とお聞き致しましたが、まことでございますか?」
瞳を開き、まっすぐに平蔵の顔を見上げた。
「真も真!盗人には鬼より怖いお頭様だぞ、お前もお供えを盗むとは真に恐れ多い仕業じゃ。盗人はお定めで死罪と決まっておる。覚悟はよかろうな」
笑いながらそばから佐嶋が口を挟む。
少年は首を縮めて平蔵の顔を……
「安ずるな、此奴の冗談だよ」
目で佐嶋忠介を見やる。
「捕わるかと驚きました」
少年は首をすくめ
「ところで、その夜何人かの足音がしましたので、私は奥に潜みました。
すると(今度は十六日、押し込み先は日本橋難波屋)と言う話し声が聞こえてきました」
「何っ!!」
平蔵と佐嶋、思わず同時に声を発した。
「おい佐嶋、本日は何日だ!」
「はい十二日でございます、まさかお頭!」
「そのまさかだぜ佐嶋」
平蔵が興奮してきたのを見て染
「長谷川様どうかお気をお沈めくださいませ」
と、なだめ、平蔵を再び寝床に押し込むように寝かせた。
「済まぬ済まぬ。どうもこう話を聞くと血が騒いでならぬ。因果な性質(たち)よのう」
苦笑いの平蔵
「ところで儂がそこ元と出会ぅたのが七日前……。のう佐嶋!その日にどこぞの店(たな)が盗賊に襲われたか、急ぎ探索致せ。もし被害が出ておるならばこの話、間違いのない所。早速日本橋の難波屋を探してまいれ」
寝床から佐嶋忠介を見上げ指図を与えた。
「ところで麟太郎とか申したのう、凡そのことは判ったが、その縁者と申す南町御役所ゆかりの者の話を、もそっと詳しく聞かせてはくれぬか?」
この利発な少年の輝きに満ちた眼を平蔵は見上げた。
「はい、父上の叔父上様が江戸南町御役所にお勤めと聞き及んでおりましたので、僅かなつながりを頼りに豊前を出る決心を致しました」
「あい判った、ところでその縁者のお方のお名は何と申す」
「はい、黒田左内様と伺ぅております」
「何となっ!!」
平蔵の驚きと染の驚き様に、麟太郎のほうがさらに驚いて飛び上がった。
平蔵と染、互いに目を見張り、あまりの偶然に言葉が見つからない様子が見て取れる。
「なるほど、偶然などこの世にはない、何れも必然である物があたかも偶然のようにその必要(いる)時に合わせて現れるものと聞いてはおったが……まさになぁ」
 平蔵、その言葉を噛みしめるように身の回りの出来事を改めて振り返る面持ちであった。
きょとんとしている麟太郎に平蔵
「のう麟太郎、そこ元が探し求めておる南町与力の黒田左内、その娘子がこの染どのじゃ」
横に座し、微笑(えみ)をたたえている染を見やった。
「ええっ!──。まことで……。それは真にございますか?」
麟太郎の目元が見る見る潤み、涙が溢れこぼれてきた。
その日の夕刻、平蔵の元へ佐嶋忠介が報告に来た。
「お頭、間違いございません。南町御役所への届けによると、六日夜半、南八丁堀の太物問屋岡崎屋が襲われ、主夫婦と番頭、丁稚(でっち)、女中など、合わせて九名を惨殺し、金子五百両あまりが盗まれたとの報告がございました。
それと、日本橋本石町三丁目に両替商難波屋がございました」
「やはりまことであったか!よし早速日本橋の難波屋に話を持ち込め。あまり刻がないゆえ急がねばならぬ。佐嶋、お前が指図を致し、盗人共をひっ捕らえよ、頼むぞ」
平蔵、この身の動けない思いを佐嶋忠介に託した。
翌日平蔵は佐嶋忠介が役宅より差し向けた乗物に身を納め、ゆるりと本所菊川町の役宅に戻った。
染の手によって、伸び放題の月代(さかやき)や髭も当たり、髷も結い直し、さっぱりとしたいで立ちであった。
見送る板前の秀次に
「秀次世話をかけたなぁ、早うお前ぇの仕込みが食えるようになるぜ。女将まこと世話をかけもうした、かたじけない」
菊弥に深く頭を下げ、その後ろに控えている染に無言で頭を下げ、
「麟太郎が事よろしくお願い申す」
と、念を押し、静かに乗物の戸が閉められた。
上之橋に向かって進む乗物を、じっと見つめる染の双眸(りょうめ)は、いつ果てるとも無い涙があふれていた。
菊川町の役宅では、いつ御頭の籠が到着するかと、門内には与力・同心が集まり、平蔵の乗物が見えるのを今か今かと待ちわびていた。
乗物が北ノ橋西を曲がり、伊豫橋を越えて役宅に向かったのを認めたのは偵察に出ていた木村忠吾同心
「御頭がお戻りになられましたぁ!!」
大声で叫びながら役宅に駆け込んできた。
「取り乱すでない!」
が、そう叫ぶ佐嶋忠介の声は、言葉と裏腹に上ずって聞こえる。
妻女の久栄は、平蔵の常座する奥座敷に衣前を正し、控えている。
玄関のほうで騒がしい物音がし、平蔵の無事の帰宅を案じていた与力や同心が次々と平蔵の無事の帰還を祝っているのが遠くからこの座敷奥まで聞こえてくる。しかしそこには密偵たちの姿は見ることが出来なかった。
これは(我らは密偵、決して日の当たる場所に出てはならない)と言う強い思いを持った大滝の五郎蔵の配慮であった。
佐嶋忠介と筆頭同心酒井祐介に両脇を抱えられ、平蔵が久栄の待つ奥座敷に入ってきた。
「殿様、ご苦労様でござりました」
低頭したその久栄の両の掌(てのひら)の上に、涙があふれているのを平蔵、痛々しい思いで見た。
「久栄!此度はまこと心配をかけた、すまぬ許せよ」
労りの声をかける。
久栄は、ただじっと頭を下げたまま微動だにしない。
それは、この数日間をじっと耐え凌ぐしか出来なかった思いの重さゆえであることを平蔵は判っていた。
だからこそ、この平蔵を支えきれるのであろう。
明けて三日後夜半、日本橋本石町両替商難波屋に兇賊の押しこみが入った。
戸口が金物でこじ開けられ、バラバラと賊が入ってきたのを見届けて、あちこちかに火種(ほだね)から移された龕(がん)灯(どう)が明々と灯され、照らしだされた盗賊団は驚きたじろいた。
「火付盗賊改方である、神妙にいたせ!」
佐嶋忠介の声を合図に、潜んでいた与力や同心が賊共に飛びかかった。
「くそぉ!かまうこたぁねぇ殺っちめぇ!」
怒号と悲鳴が響き渡り、ガタガタと戸を蹴破って表に逃げ延びようとする賊を、陰に潜んでいた同心が、目潰しや袖搦(そでがら)みで取り囲み、一人も残(あま)すことなく捕縛した。
その攻防に半刻は要さなかった。
この江戸市中を恐怖のどん底に陥れた凶賊垈(ぬた)塚(づか)の九衛門一味は、明らかな罪状のため、そのまま大番屋に同心達が周りを固めて護送され、翌日には取り調べることなく南町御役所へと連行された。
報告を床の中で聞いた平蔵
「皆ようやってくれた。これでわしは筑後守様との約定が無事果たせた、礼を言う、これこのとおりだ」
そこに集まった捕り手の与力・同心の者にねぎらいの言葉をかけた。
「お頭!」
その場に居合わせた者は皆目に涙を浮かべている。
思い返せば、この僅か数日間ではあったにせよ、平蔵の姿のないことがどれほど心をいためたか、皆の思いは同じであったろう。

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