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鬼平犯科帳 鬼平罷り通る 三嶋山燈

鬼平犯科帳 鬼平罷り通る

鬼平犯科帳  鬼平まかり通る 11 建言書戦老中奉書



建言書戦 老中奉書
本所菊川町の火附盗賊改方長谷川平蔵役宅に下野国壬生藩主老中鳥居丹波守忠意より呼び出しがかかった。
(はて、いつもなら気軽にお招きあるものを、此度はまたどのようなおつもりなのか、思い当たる事と言えば、これまで幾度も差し出すものゝ、全くなしのつぶてとなっておる人足寄場の建議書……なればよいのだが、ご老中直々ということならば、さてさて……)
翌日指定された西之丸下の鳥居丹波守役宅を訪れた。
接見の間に祗候(しこう)すると長谷川平蔵、そこにはすでに鳥居丹波守忠意の姿があった。
平蔵低頭し言葉を待つ。
この鳥居丹波守忠意とは平蔵が水谷(みずのや)伊勢守勝久によって西之丸書院番四組に取り立てられた頃より昵懇の間柄であり、伊勢守とともに平蔵の後ろ盾となっている人物である。
「長谷川平蔵、此度老中への人足寄場建議に付、少々尋ねたき議これあり、返答いたせ。そこ元はいかなる所存にて此度人足寄場を建議致した」
低頭して控える長谷川平蔵の心底を確かめる如く丹波守、柔和な面持ちの中にも眼光は鋭さを持って臨んでいた。
「ははっ!」
平蔵低頭し、
「されば…人はこの世に生まれしおりより悪事を為す者はござりませぬ。なれど生きてゆく上においてやむなく悪事に手を染めることもござりましょう」
「うむ 確かにのぉ」
「さすれば、罪を憎みしも、人までその憎しみで計るのは御政道の致すことにあらずと存じまする。
まずは罪を犯させぬよう致すことこそが寛容かと、そのために初犯に至らぬ者においてはこれをまっとうなる道に戻す方策も必要と存じまする」
丹波守忠意、このきっぱりと持論を述べる長谷川平蔵をよく解っていた。
(なるほど確かに一理ある、なれど一介の旗本が政に口出すことは罷りならぬ事、それを此奴は想ぅても居らぬ風)
「黙れ長谷川平蔵!そこ元は御公儀の政を批判致すつもりか!」
「ははっ!もとより然様なことは微塵も想ぅてはおりませぬ、が……」
「が、如何致した」
「はい、たとえ強請(ゆす)り集(たか)りであろうと、ただの物乞いであろうと、これもまた物乞いに変わりはござりませぬが、為すことは大いに違いまする。
御法は人を守るためのものでなければなりませぬ。これを政で賄えるものであるならばそれを致すことも大事の一つと心得まする」
丹波守、政事を預かる身としては公儀批判とも受け取られかねないこの言葉は聞き捨てならない。
「そこ元は政事も手落ちがあると申すか!」
「滅相もござりませぬ。なれど、何事も用い方一つではなきかと存じまする。
悪事をひと所に纏めたとて、それで罪が消えるわけでもなくば、再び悪に走ることを止める手立てにもならぬかと存じます。
更に申せば、これで終わるわけでもござりませぬし、益々これらは増えるばかりのご時世、虞犯者(ぐはんしゃ・法に触れてはいないが法を犯す恐れのあるもの)なども何がしかの方策を持ってこれに当たらねば、やがては罪を犯す事になりかねませぬ。これでは江戸の庶民は安心して暮らすこともままなりませぬ」
(丹波守様が此処で剛力下されば、この建議お聞き届けいただけるかも知れぬ、ならば儂にとって百万の味方を得たのも同然)
平蔵、丹波守の心底が視えてきたのでふと口元が緩んだ。
「うむ、それが授産の方策と申すのだな?」
丹波守、平蔵の口元の緩みを逃さず認め、にやりと口元に笑みを浮かべる。
「はい、真然様に存じまする」
(儂の生涯をかけた賽は振られた、あとは御沙汰を待つのみ)
「ふむ、そちの申すこといちいちもっとも……あい判った!しばし待て、追っての沙汰を待つが良い」
丹波守、長谷川平蔵の熱い思いを確かめたことへの安堵の思いがその顔に出ている。
「ははあっ!」
平蔵低頭する間に丹波守退座した。
(ふぅ~さて、此度こそお許しをいただけるやも知れぬ)平蔵の心のなかに爽やかな一迅(じん)の風が吹き抜けた思いであった。
長谷川平蔵が建議した人足寄場の内容は、紙すき・鍛冶職・大工・左官・篭制作・屋根ふき・竹笠作成・彫刻や元結、炭作りや 蛤(はまぐり)の貝殻を焼き砕いて胡粉も作らせ、はたまた草履から縄細工まで生活指導など二十三種の職業訓練を与え、自立支援と更生を図った内容である。
特技を持つものはそれを生かさせ、持たないものには手内職や土木作業を与え、これら労働に対して手当を支給し、売上の二割は道具代などの経費に当て、残り八割の一部三分の1を蓄えさせ、残りは十日毎に与えた。
三年後に出所した折これを再起の元手とさせ、農民には田畑を与え、商売を志すものには人足寄場が保証人となって土地や店を与え、そのほか石門心学(神道・仏教・儒教を混合した教え)、仁義忠孝・因果応報などを教えた。
今日も刑務所で受け継がれている更生プログラムであった。
こうして翌寛政二年二月十九日、千代田城躑躅の間に登城した長谷川平蔵に鳥居丹波守忠意よりお呼び出しあり、平蔵、老中謁見(えっけん)の間に祗候することしばし、
襖が音もなく左右に開かれ、正装の鳥居丹波守忠意の出座があった。
低頭するそれへ
「またせたな」
「ははっ!」
「長谷川平蔵!此度老中よりのお沙汰を申し渡す、心して承れ!」
「はっ!」
「昨年そこもとより差し出されたる人足寄場建議の件、さし許すとの筆頭老中松平越中守様よりのお言葉である、謹んで受け賜れ!」
丹波守、老中奉書を広げ、読み下し、これを正面に持ち替えて長谷川平蔵に指し示した。
「はっははっ!ありがたきお言葉、長谷川平蔵慎みてこれをお受けいたし奉りまする」
平蔵、幾度も建議書を差し出し、やっとその思いが報れたことに心より安堵した様子であった。
それを見て鳥居丹波守忠意
「長谷川平蔵…建議書及びそれに連なるそこ元の思い、中々のものと身共も感じ入り、老中に言上致した。
これには越中(松平定信)殿も剛力下さり、実現の運びと相成った。心に留め置くように」
「ははっ!真恐悦至極に存じまする」
こうして寛政二年二月十九日長谷川平蔵「加役方人足寄場取扱」を正式に拝命。
ここに長谷川平蔵、火付盗賊改役と人足寄場二足のわらじが始まったのである。

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