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鬼平犯科帳 鬼平罷り通る 三嶋山燈

鬼平犯科帳 鬼平罷り通る

鬼平犯科帳  鬼平まかり通る 12

孫よ



時をしばらく前に戻さなければなるまい。                        この事件が起こったのは二十年ほど前の、明和三年、長谷川平蔵宣以(のぶため)の父長谷川平蔵宣雄(のぶお)が、まだ先手弓七番頭であったころである。                                 稀代の盗賊改長谷川平蔵宣以、幼名銕三郎(てつさぶろう)が、後に密偵となるおまさの父親鶴(たずがね)の忠助のところなどをねぐらに、相模の彦十らとつるんで遊び回っていた頃である。  日本橋七軒町と岡嵜(おかざき)町に挟まれた片与力町の一角、冠木門を入ると小砂利の敷き詰められた二百坪の屋敷は、北町与力樫原茂左衛門邸。                                   「大旦那様おめでとう存じます、男の子にございます」慌ただしく廊下を駆ける音がしたのにはそのようなわけがあったのである。                                   「何と!男か!」                                        声が弾んでいるところを見ると、その期待がわかろうというもので                             「はい、見事に丸々とした男子にございます」                                襖の前で低頭したまま声をかけたのは同心楠山清三郎。                              さっと襖が開けられ、満面笑みの樫原茂左衛門姿があった。                      「で、奥は無事か!?」                                      「はい、御医師の申すには、少々ご高齢でもあり、身体には無理があったようではございますが、まずまずは安産かと」                                 「然様か──。じゃがこれで我が家も嗣子(しし)が出来た訳だなぁ。ようでかした!のぅ楠山」      茂左衛門、控える与力大月源吾を見た。                                 「ははっ、真によろしゅうござりました。まずは万々歳にございますから」                      「うむ、早速与左衛門にも戻り次第知らせてやらねば、うむ─。わはははは」                  一方離れでは、内縁の妻とくが、幼子の相手をして居た。                             この女とく。樫原与左衛門が町廻りで浅草界隈を廻っていた頃、東仲町の茶屋で働いていたところで懇(ねんごろ)となり、間に生まれた子は昭五郎と名付けられ、今ここに引き取られ、すでに五歳を迎えていた。                                             これには少々理由(わけ)もあった。                                            元々与左衛門の妻女おりくは、どうしたわけか医師の見立てでも石女(うまずめ)と言うわけでもないのだが、嫁いですでに三年、子を成していなかった。                                それを悩んだりくは                                                  「このままではお家の跡取りが出来ぬままとなりましょうほどに、どうぞ妾女でも─」                      と、切り出したのが元でのことではあった。                                      この夕刻、家督をついで樫原家の総領となっていた与左衛門、奉行所より戻り、敷板に出迎えた父茂左衛門の顔を見るなり                                            「生まれましたか!」                                             居合わせる家内の者の顔を確かめる。                                  「おお!!でかしたぞよ!」                                               「では男子で!」                                                  「そうじゃ男じゃ、丈夫そうな子だぞ」                                                  「で、おりくの方は?」                                    「御医師の言いつけでな、今は産後の肥立(ひだ)ちもあろう故、養生いたしておるが、案ずることはない」                                                      「然様で!一番気になっておりましたからなぁ」                                       「奥座敷には妻女りくの褥(しとね)が敷かれ、その横に小さな命が息づいていた。                    「おりくでかした!!。それでこそ樫原家の奥だ。身体はきつくはないか?」                         いたわりの言葉におりく、目元に涙を浮かべ顔を横に向ける。その先にはすやすやと安んでいる嬰児(みどりご)がある。                                                     「父上、早速ではございますが先より定めておりました名を届けねばなりませんなぁ」                    「うむ、男なら彦四郎と決めておった故、早速届けるがよかろう」                            こうして樫原家の次男として届け出されたのであった。                                 それから五年の歳月が過ぎ、昭五郎は十歳、彦四郎も五歳に成長していた。                   「与左衛門、先のことじゃがな、この家の跡取りを決めねばならぬ」                           茂左衛門、床を背に硬い表情で前にかしこまる与左衛門を見下ろす。                         「はっ?樫原家の相続は昭五郎と─」                                           「そこじゃ、昭五郎は外腹の子─。彦四郎もこれまで恙(つつが)無く育ちおり、先を案ずることもあるまい。                                                       そこでだが、どうだな?昭五郎を出そうと思うのだが」                                「暫く!暫くお待ちくださりませ、父上。それでは昭五郎が不憫(ふびん)ではござりませぬか?」「うむ、儂もそれは思わぬではない。だが考えても見よ、妾腹(めかけばら)を跡取りに据え、嗣子(しし)を他家(よそ)にやるのは妙な話ではないか?おりくの里にも顔が立たぬ。そうは思わぬか?」「で、父上のお考えは一体どのようにと─」                          この時代、上下の力関係は絶対であった。                                      「儂の幼馴染だが、先手持鉄炮組(さきてもちつつぐみ)に同じ与力で小出と言う者が居るが、未だ跡継ぎの無く、先行き不安と言ぅておった。そこへ話を薦めて見ようと思うがどうだ!」                     「ははっ─。父上が其処まで申されますものを、私が反するなぞ出来ましょうか、何卒その話しお進め願いとうございます」                                                 「おおそうかそうか!任せるか!ならば早速明日にでも尋ねてみよう」                              翌日夕刻、四ツ谷大木戸の田安家下屋敷裏自證院門前の御先手鉄炮(つつ)組屋敷に小出政義を尋ねた。                                                         酒商安井屋三左衛門が店先に風呂を据え並べ、玉川上水の工事人夫たちに無料で開放した。                     それが始まりでこの横丁は湯や横丁と呼ばれるようになった。                                 塩町二丁目からこの横丁へ入り、寺社の間を抜けて暗闇坂とぶつかる所が御先手鉄炮(つつ)組十六番屋敷である。                                                    「これは又お珍しい」                                 奥座敷に愛想よく出迎えたのは、少々恰幅もよく赤ら顔は相変わらずではあったが、いつもと変わらない竹馬の友の笑顔であった。                                           「だが、珍しいのぉ、貴様がこの屋敷まで出向いてくれるとは、何ぞ変わったことでも起きたか?もしやこれでも出来たか」                                             と、小指を立ててみせる。                                                       「まさかとは想うがなぁ、だが貴様のことだ、この道ばかりは判らぬものだからな、あははははは」                                                     「はっ、顔を観ろ顔を!これが浮いた話をする顔か?」                                  「許せ許せ、貴様の顔を見ると普段の愚痴をこぼしそうでな、で?」                           「おおそいつよ、のぅ小出!見受けたところ跡継ぎはまだであろうのぅ」                            「ややっ、そいつが事よ、何しろこのご時世、中々良い相手に巡り会わぬ。それが如何致した、まさか貴様が福の神……いやぁそのようなことはあるまい。                               何しろそちらは跡取りを二人もこさえたと聞き及ぶからなぁ」                               「ささっ!その事だ。のぅ政義!どうだ、我が孫を一人受けてはくれぬか?」                          「何と!出すというのか?」                                              「然様─先の孫は与左が外腹に産ませたもの。其処へどういうわけか五年も経ってまた孫が出来た」                                                      「ほぅ、そいつは目出度いではないか。羨ましき限りだぜ、俺にとってわな」                       「この処、下の方もすくすくと育ち、まぁこれで安泰と想うたものの、問題が生まれた」                       「何だそいつは?」                                                    「儂は早ぅから倅に家督を譲り、まぁ好きな事をさせてもろうておる。元々宮仕えは苦手であったからなぁ」                                                     「おお、そう言えば貴様は子供の頃から絵草紙を読むのが好きであったなぁ」                           「それよそれ!お陰で諸国のいろいろなことも知ることも出来る。問題はその先だ。                     いつまでも儂が家に陣取っておっては倅も中々に独り立ちも出来ぬ。そこで儂は旅に出たいと想うておる。                                                      無論、まだ倅どもには内証だがな。で昨日倅とも話をいたし、家督を継がせる話をいたした」                              「ふむ、まぁ解らんでもないがなぁ。でどうするつもりだ─」                             「ははぁ、それで一人を受けろと!」                                            「流石政義!その通りだ、どうであろう、孫を一人そなたの家に引き受けてはくれまいか?」「──で?どっちの方だ。まさか長子ではあるまいな」                                    「まさに──そこだ!表向き嫡男ではあるものの、与左には奥が居る。その子を継がせるが血筋から言ぅても当然と思わぬか?」                                               「うむ─まさに…」                                                     「どうだ?我が家も与力、貴様も与力。釣鐘に提灯とは想うまい?」                               「当たり前だ、ましてや貴様の孫ともなれば、今まで以上に我等の繋がりも深まろう、それは良い。それは良いとしてなぁ茂!その子は十歳に相成るな」                                  「おおまさに─。聞き分けもよく、なかなかに利発な孫だ」                                 「そうか!よし判った、貴様が其処まで言うのだ、俺は承知した!で、日取りはどうする」                                    「お奉行にでもご相談致すまでよ。ところでそうときまったら─持参金はどう扱う」                       「俺と違ぅて貴様は町奉行所。ほれ俗に言うではないか(与力の付け届け三千両)っとな!」「まさか貴様この俺が」                                                「まぁまぁそう息巻くな!貴様の事だ、然様なことはないと十分承知」                         「やれやれ良い年をして、この俺をからこうて何が面白いというのだ」                         「まぁ許せ許せ、貴様と俺の仲ではないか。後の付き合いという事もあろう故、ぱぁっとお披露目なぞしてそれでどうだ?」                                              跡目相続が見つかりほっとしたのか饒舌になってきた。                                  「おお!そうだなぁ、それで良いならこの俺も気が安らぐ。早速戻ってお奉行様にお願いいたしてみよう。その前に貴様の方から御老中に養子跡目相続願いを出して貰わねばなるまい」                        「おお、無論のことだ。(親類・遠類に跡目相続を引き受ける者見当たらず)と添えてお届けすれば然程のことはない。いやぁその日が待ち遠しい」                                    このような経緯(いきさつ)があった後、樫原茂左衛門、戻るや当主与左衛門に事の顛末を告げた。            「では父上、昭五郎を出すと言うことに御座いますな」                                「然様、それが当然であろう、それとも何か?含むところでもあるとか─。あるならば申してみよ」                                                  毅然とした父の態度に、反論など出来ようはずもなく                                  「で、その事は何時話しますので」                                            「それだ、明日お奉行に会ぅて、媒酌を受けて頂ければ、日取りは自ずと定まってこよう。まずは小出の返事待ちじゃ」




 


 

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