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鬼平犯科帳 鬼平罷り通る 三嶋山燈

鬼平犯科帳 鬼平罷り通る

鬼平犯科帳  鬼平まかり通る 7月 煙草の清左衛門



この日長谷川平蔵の姿を認めたのは山谷堀今戸橋を渡り岡町へ出たところであった。            山谷堀から吹き上げる風に裾がはためく、春まだ浅く、時に寒さも覚える。
この山谷堀、水の元は石神井用水で、江戸の町を荒川の氾濫から守る為に根岸から箕輪から大川へと堀られた。                                                  この堀沿いの道を上流に向って進むと浅草新鳥越町を結ぶ新鳥越橋にぶつかる。これを少し戻る様に折れ、再び土手道を進めば今戸町へと出る。川土手傍には馬頭観音寺があり、その先からは日本堤となり、五十間茶屋町には二十軒の編笠茶屋が待ちかまえる吉原が控えていた。この堀の紙洗橋は古紙を元にしに再生紙業が多く、浅草紙(落し紙)の作業場が多くあった。この原料となる古紙を溶かす為に紙船と呼ばれる舟に入れて山谷堀にさらしたが、これを職人達は(冷やかす)と呼んだ。これには時間が多く取られた為に、その待ち時間を吉原に出掛け物色したところから、買わずにながめるだけの客を、ひやかすと呼んだ。
そのもどり道、花川戸の浅草寺風雷神門側の茶店に腰を掛けていた。
左手遠くに吾妻橋が架かっており、行き交う人の忙(せわ)し気な姿が見え、向かいには浅草茶屋町が控え、この辺り一番の賑わいを見せている。
出された茶を飲み終え、煙草盆を取り寄せ一服つける。
緩やかに立ち上る紫煙の香りを、大川から流れてくる風が再び楽しませてくれる。                  その時、隣の縁台から声がかかった。
「お侍様、真にご無礼とは存じますが、そのぅ、火種を拝借願えませんでしょうか?」
視線を横にやれば、見るからにお店(たな)の主、と言うよりも隠居という風情の老爺が平蔵を見ていた。
「おう!こいつぁすまぬ──」
平蔵、気さくに煙草盆をその老爺に差し出した。
「これは……恐れ入ります」
受け取りつゝその老爺、平蔵の銀の延べ煙管(きせる)に目を移し
「おゝこれはまた見事な一品にございますね」
受け取った煙草盆に手をかけたままそれに魅入っている。
「うむこいつか……。これは亡き親父殿よりの形見の品でな、こいつに煙草(くさ)を詰めるたび親父殿を思い出すのさ……」
平蔵、少し先の広小路を幾度となく父宣雄と行き交った頃を見るふうであった。
「あゝ、然様でございましたか。それはまたお心残りでございましょね」
平蔵から目を離し、受け取った煙草盆の火種を煙管に移し、咥えたまま平蔵の横顔を再び見やる。
静かに紫煙が流れ、時が止まったように二人を包む。
「この薫り……国府──では……?」
「うむ、こいつもやはり親父譲りでなぁ……あははは。妙なものだ。なんとなく懐かしさを味あわせてくれる」
「それはまた羨ましゅうございますね。私なんぞ、そのような思い出のかけらもございません。善い思い出をお持ちのようで」
「うむ。ところでそなたの煙草(くさ)は何処のものだ?ちと薫りが違ぅて想えるが」
「あゝ……はい、手前の煙草(くさ)は舞留(まいどめ)にございます。生国(しょうごく)が山城(やましろ)でございましたもので、ついそのまま今持って……」
「ほぅ宗旨(しゅうし)変(か)えもなくというわけだな?」
「あっ……あははは、いや全く相も変わらず……ですが、煙草(くさ)一つにも昔が潜んでいるのでございますね」
「そうだなぁ……。たかが煙管(きせる)と言うが、これも身の一部ともなると愛しいものだ、のぅ?」
「はい、全く然様にございますね。ところでお武家様、真にご無礼なお願いにございますが、出来ましたらそのぅ……。その煙草(くさ)を一服お譲り願う事は叶いませんでしょうか?いや何、先程よりのその国府の薫りが手前の鼻先をくすぐりまして……もう何と申しましょうか」
「おう、構わぬぜ、それではどうだな!そなたのものと互いに変えて飲み比べは?」
「えっ!そのような事をお聞き届け願えますので?」
「なんと言う事もなかろう?お互い好き者同士だ、なぁ」
「あはっ!これはまた、お武家様は砕けたお人でございますね。それならば早速と言うことで」
言いつゝ老爺、懐から懐紙を取り出し、吸口を拭き清め、羅宇(らう)から雁首(がんくび)まできれいに拭って煙草(くさ)を詰め、平蔵に手渡した。
平蔵も同じように懐紙で拭い、煙草(くさ)を詰め、互いに交換し
「まずはお武家様から……」
と盆を差し出され
「うむ、ではまずは一服……」
平蔵早速火種を煙管(きせる)に移し、その手を老爺に差し出した。
「では遠慮なく……」
煙草は、なかなかにそこにもこだわりがあり葉をいかに細く切るかで味は格段に変る。それは空気をふくんで燃える為、いかに多くの空気を含ませ完全然焼させるかに掛っている。その為に専門の葉切り職人がおり、これを賃粉切りと呼ぶ、出張もあり、名人と呼ばれる者ともなれば毛髪よりも細く切ったと言う。
この細さ加減で葉の味や薫りが変るのが、妙味なのである。
こちらも早速火種を煙草(くさ)に移し、ゆっくりと紫煙が喉元に流れるのを楽しむ。
「うむ、こいつぁ成る程、薫りとともに少しの苦味……これが堪らぬのだな?」
平蔵口元を緩めつつ、再び紫煙をゆっくりとくゆらす。
老爺はと見ると、こちらもゆるりと紫煙をくゆらせ
「はぁ……。述べ銀は薫り立ちが早ぅございますね、吸った途端、なんとも喩えがたい薫りがこう……鼻をくすぐり、いやぁ真にお武家様好みというほかございませんね」
ふくよかな薫りの立ち方がよほど気に入ったのか、老爺は更にゆっくりと煙草(くさ)の残りを楽しむ。
「こいつぁ赤銅(あかがね)の四ツ銀、羅宇(らう)は虎(とら)斑(ふ)だな?」
「あはっ!恐れ入りました。流石にお好きなだけに、お詳(くわ)しゅうございますね。確かに虎斑(とらふ)の羅宇(らう)にございます」
「こいつぁお前ぇ、江戸では中々手に入らぬと親父殿も申しておった。やはりそなたは上方の者だなぁ」
お互いに嗜(たしな)んだ煙管(きせる)を眺めつつ、そこに何かあい通ずるものを感じているようであった。
国府とは大隅(鹿児島)の国府(国分)で、鹿児島おはらぶしにある"花は霧島、煙草は国分"と言うあれである。
舞留(まいどめ)は摂津(せっつ)・山城・丹波辺りの産で、立ち枯れ葉をその特徴とし、味わいは薫りたちの良さと、立ち枯れゆえの少しの苦味が好まれ、その上を留葉、中は舞葉、並を薄舞と称した。
長谷川平蔵の拵(こしら)え物は、父、長谷川平蔵宣雄が、京都新竹屋町寺町西入ルの名工、後藤平左衛門の誂(あつら)えで、家紋釘抜を彫刻(ほら)せた銀の延べ煙管(きせる)である。
方や老爺の持ち物は、赤銅(しゃくどう)四ツ銀に虎斑(とらふ)竹(だけ)の羅宇(らう)と言う作りで、これもまた凝った作りである。当時、この虎斑(とらふ)竹(だけ)は備前真庭(まにわ)でしか採れない珍品であった。
これの火皿・口元に銀をあしらい、雁首(がんくび)・吸い口に赤銅(しゃくどう)を合わせる凝った造りに羅宇(らう)(中間部)に虎斑(とらふ)竹(だけ)と呼ばれる一品物で拵えた。煙草(くさ)の燃え方に余韻の残るのが特徴とも言えようか。
又、延べ銀の拵(こしら)えは、何と言っても火付の後の薫り立ちが早いことが挙げられる。
初めからおしまいまで香りを楽しむために工夫されたと想える豪快な拵(こしら)えだ。
平蔵へ、口元から火皿まで、改めて懐紙で拭き清めたものを差し出し
「本日は真に手前の厚かましいお願いをお聞き届けいただきまして、ありがとうございました。申し遅れました手前は花川戸に住まいいたしております小間物を扱わせていただきおります山城屋清左衛門と申します」
「おゝ、儂は長谷川平蔵と申す。花川戸と言えば、ちょくちょくこの辺りを通るが、また遭うやもしれぬなぁ」
「はい、その折はぜひとも手前の店へもお立ち寄りくださいませ。いやもう手前は店を番頭に任せっきりなものでございますから、そのぅ」
「はははっ!暇を持て余しておると言うわけだな」
「あっこれはまたどうもご無礼を申しましたようで、何卒お許しくださいませ」
「いや何の……。儂(わし)も似たようなものだ、気にいたす事ではない。縁があればまた遭おうよ、そのおりはまたこう……あはははは」
平蔵、煙管(きせる)を吹かす仕草をして見せる。
その二日後、長谷川平蔵の姿が花川戸に見られた。
山城屋はすぐに判った。
「入るぞ」
平蔵、藍染に白く抜かれた屋号の暖簾(のれん)を片手に分け、一歩店中へと足を踏み入る。ふっ!と新鮮な煙草の薫りが平蔵を出迎える。
「御亭主は居られるかな」
出迎える若党の頭越しに奥の方へと視線を配りつつ平蔵。
「はい、主、清左衛門に御用でございましょうか」
慇懃(いんぎん)に両掌(りょうて)を膝上にあずけ、平蔵を見上げる。
「うむ、過日浅草で出遭ぅてな。その折店を訪ねてくれと誘われたでな」
その言葉を聞いた若党、おだやかな笑みをたゝえ
「あゝ、お武家様でございましたか。何しろ戻って上るなり、顔を恵比寿様の様にほころばせ、お武家様の事ばかり。家内一同あきれるほどで─。少々お待ちを願います。只今呼んで参りますので」
その声が聞えたものか、
「これは長谷川様。いやいや!今日か明日かとお待ち申し上げておりました。さゝ、ひとまず店先では何でございますので」
手と目線で奥へと誘う。
「うむ、そうだな。まぁそうするか」
平蔵、言われるまゝ框(かまち)から板場に上がり、先を進む。
「あゝその先を右に……」
言われるまゝに右へと曲り廊下を進む。
決して広くはないものゝ、手の行き届いた内露路には枯山水が設(しつら)えてあり、主の趣味の良さを現わしていると平蔵は見た。
その庭に面した濡れ縁に勧められた座布団を当てゝ座し、早速主、清左衛門相好崩し、いそいそと煙草盆を持ち出して来たものだ。

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