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鬼平犯科帳 鬼平罷り通る 三嶋山燈

鬼平犯科帳 鬼平罷り通る

鬼平犯科帳 鬼平まかり通る 8月

互いに煙草(くさ)をつめ、火種から移し、ふぅ──、顔見合せ紫煙の行方を追う。          「袖すり合うもと申しますが、世の中、仲々面白ぅございますね」


清左衛門、ポンと軽く打ち、(ふっ)とひと吹きくれ、煙草盆に預け平蔵へ顔を向ける。


「そうだなぁ、この世に生まれながら、生涯出遭わぬ者もおる。かと思えば、ほれ申すであろう、腐れ縁とか何とか。好むと好まざるとにかゝわらず、つながりを持ってしまう」


「はい、左然にございますね、生まれると言う事も知らずに生まれ、この世に縁を持つ。思えばこれは又これで、面白いものでございましょうか」


「のぅ御老人、この煙草(くさ)の一服の為に、これを植え、育て、これまでにいたす者なくば、我らもかような至福を与えてはもらえぬ。


眼に観えると視えぬにかゝわらず、人は皆こうして関わっておる。


誰かの為に、何かの為にと思ぅてもおらぬであろうにな」


「はい、私もこの商いは親代々のもの、したがって何も思わずここに至っております。ですから、誰の為に商っているのかと聞かれますと、……しいて申しますなら、商品(しな)を手に取り、お求め下さり、それを楽しんで下さる。その悦びの為とでも申せましょうか」


「なるほどなぁ」


平蔵、この清左衛門の言葉が先程吸った紫煙の様に心地よく心に入って来る。


そこへ若い女が手盆に茶を仕度して来た。


「あゝよく気がついてくれたねぇ」


言いつゝ清左衛門、


「おひとつ」


茶卓を両手に持ち、平蔵に薦める。


「おゝこいつは……頂こう」


平蔵、卓を取り上げ、その蓋を取り盆に戻す。ふくいくとした香りが、吸い込む胸の奥深い所まで満たしてくれる。


「ん──、やはりこいつぁ宇治かぇ?」


「はい。幼い頃より親しんでおりますものでございますから」


(おお)い茶の甘さかな?」


「はい、色・薫・丸味(まろみ)・甘味・旨味……これらが互いに助け合って、奥深い楽しみを与えてくれますので。御武家様も宇治をお(たしな)みになられますので?」


「うむ、かって同じ花川戸でな…… 」


「花川戸──にございますか」


清左衛門、ゆっくりと湯飲みを盆に戻し、見るとなし平蔵の面想(おももち)を見やる。


「あゝ、茶は奥の知れぬ深さを持っておるものだな」


平蔵、飲み干した湯飲みを、これも静かに盆に戻し、ふっと目をやるその先に観える、()面積(づらずみ)の手前に構えられた(けい)(せき)に雀一羽……


「枯れると言うものは、よいものだな。あ奴は、今日を、今をどうしようかなぞと思ぅておるのであろうか?思ぅたところで想う様になぞならぬ世に。ふっ!儂と同じか……」


平蔵、自嘲ともとれる微笑(えみ)を持ってこれを眺めやった。


「御武家様、お侍様方は体面をお気になされますが、商人(あきんど)は実を取ります。意地や体面で()いた腹は満たす事は叶いませんもので」


「はっ、成る程、渇すれども盗泉の水は飲まずと言うが、それよりも命が先と言いたいのだな」


「生きるとはそのようなせめぎあいの中にございましょう?そこに(まつりごと)は入り込む余地なぞございません。あるのは今日を、今をどう生きるか!そのためには一体何が必要なのでございましょうか?これを(まつりごと)が代わってやって下さるのなら、人々はつゝがなく生きて行けましょう。


働いても働いても我が身は報われない、そのような所に罪は生まれるのでは?」


「それは屁理屈だ」


「ですが、そこに私達は生きているのでございますよ。太平の世の中、そこまでお武家様は必要なので?もっと生きた(まつりごと)が生まれればと存じますが」


「侍にも(くわ)を持てと?」


「それはご無理でございましょう、私どもに弓、刀を持てといわれるのと同じように……。ですが誰のおかげで日々安穏に暮らせているのかお考えになられるのも大事のことかと、年貢を取る前に年貢を生み出す仕組みを考えるのもよろしいのではと私は思いますが」


「損して得を取れと言うことだな」


「鶏から卵を取り上げては、次の鶏は生まれません。まずは次の鶏を産ませる、そこから卵を頂ければ良いだけのこと。与えずに見返りを求めても何も出てまいらないと存じます」


「かも知れぬな。我ら待は無器用な者よ、些細な流れにさえ泳ぎ切れず、ただ主の顔色を伺う。そいつが正しいかどうかなぞさえ、思わずになぁ」


「御武家様、私共商人(あきんど)も何ら皆様方と変りはございません。ただ何と申しましょうか、(いささ)かしぶといだけ……。は、あは、あはは」


「なる程、(いささ)かしぶといか」


「はい、ただそれだけの心得違いかと」


「へぇ、心得違いとなぁ。ふっ、あは、あはははは」


平蔵、先程の茶のふくいくとした香りにも似た心地良さが湧き上って来る。


「又寄ろう平蔵、茶の礼をのべ、ここを辞した。


 


 


 


 

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