時代小説鬼平犯科帳 2015/10/24 10月第4号 火の女夜叉姫 ここは根岸の一角にある旗本屋敷別宅住人は六十前後の夫婦、それにお側御用警護の侍。主は十五歳を迎えたばかりのにょしょうである。老人夫婦は身の回りの世話が仕事と想われ、主が生まれた時からの従者である。この姫、正室に長らく子がなく、商家より上がっていた奥女中にお手がついたいわば妾腹だが、その後すぐに正室に子が生まれ、これが男であったために正室の企みで側室とともに根岸の別邸に移され時を過ごした。根岸に隠匿され、その後の心労からお満は玉姫が十二歳になる頃病に臥せってしまい玉姫との接触も限られてしまった。とり残された玉姫はやり場のない思いをぶつける場所を求め荒れ放題であった。それでもなお正室への当て付けもあったろうが、お満のしつけは厳しかった。おなごの学ぶべきものはすべて修めさせ、その上に政に関する政策などの基礎的な勉強を強いた、これがせめてものお満の抵抗であったと想われる。だが、それを受けるのは十歳にも満たない童女である、その重圧は比べるものもないほどであったと推察される。正室の妬みとそしりを一身に浴び、屈辱の中で生きてゆかねばならなかったお満のはけ口はすべてこの童女の養育に向けられた。外部との交わりは一切遮断され、英才教育はその極限に達し、泣くことを許されず、涙は恥と教えこまれ、子供らしい遊びなど無用の物、目が覚めれば茶道から華道に始まり文武両道とはよく言ったものでその両方を幼子は血のにじむ思いで受けながら日々を過ごしていた。日々刻限通りに入れ替わる教師の話も、教育以外は皆無で外気に触れることはなかった。息の抜く暇も与えられず、母親の怨念を一身に浴び火のように激しい性格をそのまま夜叉のように育っていったのは無理からぬ話しであろう。周りの者も出入りの者もこの苦海を知るだけに、逆らえることも出来ず姫の傍若無人な振る舞いはしかたのないことと諦めていた。側室の子と言う立場上、いついかなる時に命を狙われるやも知れない、この思いが母親お満は骨身にしみて感じていただけに、玉姫には薙刀よりもより実践的な小太刀を習得させた。主な稽古相手は御側御用人の高山朔太郎であった。この高山朔太郎、長谷川平蔵と同じ高杉銀平門下で、平蔵よりも五才年下である。高杉道場の門弟だけに、その厳しさはまた格別であった。「ひい様は他のお子とは違いまする、甘えなぞという物はひい様に限っては御ざりませぬ」と遠慮会釈なく打ち据え、骨の髄まで身を守ることの重要性を肌で感じさせていた。玉姫が十五歳を迎えたある時、何を間違えたのか玉姫の寝所にミミズクが迷いこんできた。おそらくは虫を追いかけて迷い混んできたと想われる。明かりの中にその姿を認めるや傍にあった乗馬用のムチで叩き伏せてしまった。騒ぎを聞きつけて飛んできた御側御用人の高山朔太郎が見たものは、廊下の真ん中に羽根を折られて瀕死の小さなミミズクの子供であった。「わらわの寝所に飛び込むとは警護に油断がある!」といきなり高山朔太郎の背を持っていたムチで激しく打ち据えた。朔太郎がミミズクを両手に包み懐に忍ばせようとしたのを見て、「わらわに害を与えようとしたものをおまえはかばいだてするのか」と再び激しく朔太郎を鞭打った。このような事は日常茶飯事の出来事で、出来るなら姫様に目のつかないように・・・・・と言うのが老夫婦を始め出入りの商人の思いでもあった。それがまた空気で伝わるから厄介なのである。それだけに、この度の朔太郎の行動に玉姫は怒りを爆発させたのである。その数日後、日課の早駆けに出かける馬の支度が遅いと五助をムチで打ち据えた。昨夜より五助は熱を出してほとんど身動きできない状態であったことを朔太郎は聞かされていた。あらがえないままその場に崩れる五助を更に打ち据えようと玉姫がムチを振り上げた時、供をする予定の朔太郎がその場に通りがかりにその光景を見て割って入り、玉姫のムチを取り上げ逆に玉姫の背を打ち据えた。「なにをする!」烈火のごとく玉姫は朔太郎を見据え「わらわに刃向かうとは気でも狂うたか朔太郎!」と初めて味わう屈辱で火の玉のようにこみ上げる怒りの吐出口を定めることも出来ずブルブルと身震いして顔面蒼白となった。朔太郎はその場に座し、両肌を脱ぎ「御覧ください、この背の傷はすべて姫様より頂きましたる夜叉の爪あと」そこには数えきれないほどの打ち傷が無残に刻まれていた。「人の心の中にはいつも夜叉が巣食っております、荒ぶれた火の神と言われますスサノウも若き頃は手の付けられぬ暴れ者であったとか、しかしこの神様 人間が生きる上で大切な物の煮炊きやタタラを吹いて百姓の用いるスキや鎌などを作るには欠かせぬもの、ですから人々は今も神としてあがめ親しみております。心も要はその使いようで夜叉にも仏にもなります、傷はあれども衣服をまとえば、このように心によりて包み込めるもの、それを人に見せるものでもござりませぬ。人の心の内は誰にも見せぬもの、それが武家の生まれともうす因果でござります」この朔太郎の言葉と背中に刻まれた我が身勝手の傷は玉姫の心を跡形もなく打ち壊してしまった。その場を逃げるように玉姫は馬に飛び乗り荒野に駆け出していった。身仕舞いを済ませた朔太郎がすぐ後を追ったが何処に行ったのか姿を見ることは出来なかった。その夕刻、馬のいななきがあり玉姫が戻ってきた。そのまま自分の部屋に籠もり、夕餉にも手を付けず五助夫婦は気に病んでいた。「姫さま 朔太郎で御ざります、よろしゅうございますか・・・・・」返事はなかった。朔太郎はそのまま返事のあるのをじっと待った。やがてなかから、小声で「何用か!」と声が返ってきた。「姫様にお見せいたしたき物がござります」と朔太郎は返事をする。「何じゃそれは」「ご覧になればきっと姫様のお心が晴れましょう」と言葉を続けた。「苦しゅうない・・・・・・」「ははっ!」朔太郎は静かに玉姫の部屋を仕切るふすまへ静かに手をかけ、左右に押し開き低頭した。「何じゃその見せたいものとは・・・・・」少し期待の掛かったような言葉に朔太郎「過日姫様の夜叉を受けましたるミミズクでござります」と応えて身を起こし、懐からミミズクを取り出した。その場の空気が読み取れるのかミミズクは少し怯えながら朔太郎の掌の上に収まっていた。「そなたが手当を致したのか?」と玉姫は驚いたふうに朔太郎を見た。「はい 命の重さは獣も人も変わりませぬ、いずれもその時を懸命に命かけて生きております」と応えた。「触っても良いか?」と恐る恐る手を伸ばし、その小刻みに震えているミミズクの羽毛に触れた。「あたたかい・・・・・・・このように温かいものだと初めて知った・・・・・・」この事件があって暫くの後、病弱であった正室の子はあっけなく他界、そのために後継ぎを失った上屋敷から根岸の玉姫のもとに呼び出しがあった。まもなく元服して将軍様お目見と言うところまで来ていただけに当家の主の落胆は想像以上であったろう。加えて、これまで我が世の天下であった正室の権威は失墜する憂き目となるは必定、側近共のうろたえぶりは目にも哀れなほどで、迎えられる玉姫に媚を売らんと画策するものも久しからず。屋敷内でも暗躍しうごめくものが眼を覆わんばかりであった。返り咲いた姫の権勢を恐れた正室は姫に影響を及ぼしていると想われる高山朔太郎を取り込もうとするがその画策はあっさりとかわされ、ついに高山朔太郎の暗殺計画が持ち上がってしまった。ここに御家騒動が勃発したのである。正室は下屋敷に移され、替わって側室のお満の方は上屋敷に迎えられた。数日後高杉道場の先輩であった岸井左馬之助の元へ高山朔太郎から書状が届いた。「ご相談いたしたき儀これあり、何卒心中お察しいただきたく・・・・」朔太郎指定の料理屋に出向いた岸井左馬之助、最近は平蔵に似て料理の方にも少々興味を持つようになっていた。「遅れて申し訳もござりませぬ」と久しぶりの対面であった。「逞しゅうなったのう朔太郎!あの頃はまだ前髪姿であった」「そう申されます岸井様も私なぞ、そばにも近寄れぬほど輝いておられました」「と 言うことは、今はもう・・・・・・・」「あっ これはとんだことを、失礼いたしました」「あははは ちょいとからこうただけよ、案ずるには及ばねぇよ」と左馬之助「ところで話してぇことってのは何だ?」朔太郎はこれまでの経緯をかいつまんで話し、左馬之助に助成を願ったのである。聞けばいきなり大所帯の中に放り込まれて戸惑いもあり、また姫様おそば御用が一人では持ちきれないこと、さらに敵対する者の気配もあり、気を許す者の皆無な状態で苦慮していることを包み隠さず話した。「う~む おれも気楽な暮らしに慣れてしもうて今更仕官は難しい、いやさはっきり言えばしたくもねぇというところさ」「やはり左様でございますか・・・・・さすがに姫様のお命までは狙ってはおりませぬが、何とか我が権勢を得ようと、うごめくやからが多く、難渋いたしております」「まぁお屋敷内でそのような振る舞いには出まいと想うが、問題はお前が屋敷を出た時だなぁ、わしでもそこを狙って仕掛ける、うむ・・・・・」左馬之助腕組みをしながら目を閉じて思いを巡らせる、そこへ料理が運ばれてきた。「おっ こいつはまた何だぁ!」ぐつぐつと煮立っている鍋を見て左馬之助が目を見張る。「へぇ 鴨の肉団子鍋でございます」と運んできた中居が説明する。「鴨かい?わしは初めて口にするものだが、こいつは美味そうだ!おい朔太郎、お前いつもこのようなものを食しておるのか?」「とんでもござりませぬ、いつもは一汁三菜、それが普通でござります」「そうであろうなぁ、このような贅沢を毎日致しておらば、身が鈍ってしまうであろうなぁ」と、言いながらもせっせと箸を動かしている。「この鴨の団子鍋はツミレとも申しますそうで、骨付きの鴨肉を包丁でたたき、山椒を入れてとろとろになるまでたたき続けるのが大事だそうでござます。出汁は昆布に酒、みりん、醤油を合わせてひと煮たてさせ、アクを取りながらよくなじませる。煮立ったらここに鴨団子を入れてセリや赤ネギを加えて味を広げるそうにございます」「いやぁ 旨い旨い」左馬之助は脇目もふらずという少々意地汚い場面である。「ところで朔太郎先ほどの話だが、わしは仕官は考えておらぬ、そこでお前さんが屋敷の外に出た折はわしが警護を引き受けよう、どうだな?」「お引き受けくださりますか!かたじけない、何より心丈夫と申すもの」朔太郎は瞳を輝かせて左馬之助を伏し拝んだ。「おいおいやめろ 俺はまだくたばってはおらぬ、わははははは」その翌日、本所菊川町の平蔵役宅を岸井左馬之助が訪ねてきた。「おう 左馬!達者がなにより、で いかが致したその顔つき?」「さすが平さん!お察しの通りよ、なぁ平さんお前さん高山朔太郎を覚えていなさるかい?」「高山朔太郎・・・・・おう!たしか録之助と同輩であったが、あまり話をいたしたことはないのう」「そうであろうよ、お前さんはまだ本所の銕で暴れまわっておった頃だからなぁ」「そのような事もあったかのうあははっははは」「おいおい そのようなとはまた他人の話のように聞こえるではないか、のう奥方どの」「まぁ岸井様、私はその頃の殿様なぞ存じませぬ・・・・・」「おっと奥方さまの前でこいつは禁句でござったなぁ」左馬之助は頭をポリポリ掻いてはぐらかす。平蔵の妻女久栄が平蔵の無頼時代の話を嫌がるのをすっかり忘れていたのである。「で、何だその高山朔太郎の話は」「うむ それだがな どうやらお家騒動の後がごたごたしておるようで、わし仕官を致さぬかとこういうことだ」「お前ぇまさか致しますと返事をしたのではあるまい?」「さすが平さんお見通しかい、その通りよ、だが奴の窮状も判らんではない、そこでまぁ手が不足する屋敷外での警護を引き受けようと思うのだが・・・・・・」「おう それはよい!お前ぇも少しは懐が肥えようというもの・・・・・・」「いやこいつは参ったわははははは、全くその通り、さすればかように酒を目当てに役宅に出向く必要もなくなるという物よ」どこまでもくったくのない左馬之助である。高山朔太郎の務める上屋敷でも異変が起こっていた。玉姫はさらなる姫としての素養と教育に磨きが求められ、高山朔太郎はその分、玉姫から退けられることも多く、中々姫の警護一本では用が済まなくなってきていた。その分玉姫の心を慰めるものはなく、母のお満の病気勝ちが拍車をかける。唯一の慰めは朔太郎が用意した鳥かごの中のミミズクであった。「お前も囚われの身、わらわと同じじゃのう、じゃがっもう少しの間辛抱いたし、わらわの話し相手になってもらえぬか?朔太郎が戻るまでの辛抱じゃ」と話しかける。そうこうしている内に玉姫の縁談が持ち上がった。画策したのは正室一派。相手は五百石取り旗本の次男坊。要するに自分たちの息のかかった者を迎えて、これまで通りの権力を維持しようという策であることは誰の眼にも想われるもので、軟弱な若殿様は恕しやすしという腹が読める。これに反発するものは殿のご意向に反するという名目で徹底的に弾圧された。その筆頭に担ぎ出されたのが高山朔太郎であることは当然であろう。心をいためた朔太郎はお満の方に心情を漏らすが、当然のことながら取り上げられることなく、忙殺される日々の連続であった。それぞれの思惑を尻目に縁談話はトントンと進み、この婚儀が本決まりとなった。屋敷内の争い事が我慢できなくなり、玉姫は密かに屋敷を抜けだしてしまった。翌日このことが明るみになり、お傍御用の警護役高山朔太郎に責を負わそうと正室方が暗躍を始めた。一方玉姫は屋敷を抜け出たものの、行くあてもなく、さりとて戻るところの宛もない。自分の居場所すら判別できず、街なかを彷徨うだけであった。(朔太郎・・・・・お前がそばに居てくれたら・・・・・)スキ腹と不安を抱えながら両国橋界隈をさまよっていた。この日長谷川平蔵は本所菊川町の役宅を出て清水御門前の火付盗賊改方役宅に向かい、ぶらりと両国橋を渡り広小路に差し掛かった。茶店の前を差し掛かった時店の横に何かうずくまっている華やかな色に目が止まった。(こいつぁなんだ?)平蔵は近寄ってみると衣服は汚れているもののどうやら位の高そうな者のようすがひと目でそれと判るものであった。「おい どうした?どこか具合ぇでも悪いのかえ?」女は無言で平蔵をじろりと眺め、俯いた。「お前ぇひょっとして腹が空いているのではないかえ?俺は長谷川平蔵、怪しい者んじゃぁねぇ、おい婆さんすまぬが団子を2つ3つそれに茶だ、急いで持ってきてくれ!」そう店の奥に声をかけ、娘に手を貸して縁台まで連れてきた。「何も言う必要はない、先ず腹ごしらえが先だ、なっ 遠慮無く食え、ここの団子はな、越後名物で小豆の餡をよもぎの新芽のみで包み、い草で巻いたよもぎ団子を蒸し上げたもの、よもぎと笹の優しい香りがいたす旨いものだ、わしも好物でな、時折通りかかるとお内儀殿に手土産にいたす、何しろ朝帰りは家に入り辛ぇからなぁ、あっ いかん!お前ぇのような若ぇ者にこいつは聞かせてはならねぇ話だ、聞かぬことにしてくれよ、わはははは」平蔵の自然体がこの娘の気を少し和ませたのか、娘に微笑みが見えてきた。「どうだ、旨ぇだろう?婆さんすまぬが少し包んでくれぬか、女房殿に袖の下をという下心さあははははは」娘は白い歯を見せてこの男のぬくもりを受け止めていた。「わしは清水御門前に戻る途中だが、その辺りまでで良ければ同道いたすが如何かな?」平蔵はこの娘の様子から何かを感じ取ったようで、このまま見過ごせないと想っての気配りであった。「色々とご配慮を・・・・・私は・・・」「おっとそこまでそこまで、その先はわしには関係のないこと、のう娘子、近くまでじゃ近くまでと申したであろう」平蔵の細やかな気配りを玉姫は涙の出るほど嬉しく思った。こうして平蔵は玉姫を無事上屋敷そばまで同道して別れた。「娘子、世の中は鬼もござるが仏もござる、それを迎えるのもまた我が身でござるぞ」と見送った。一方、玉姫の屋敷出奔で、責任を追求された朔太郎は姫の姿を求めて江戸の町を駆け回っていた。時は容赦なく過ぎ去り夕刻が迫ってきた。警護に頼んだ岸井左馬之助と一度屋敷に戻りその後の様子を探って、また出直そうと言うことになり、屋敷への道をたどっていた。筋違橋御門を通りかかった時土手下から手勢が駆け上がってきた、刀を抜き放ち、左馬之助と朔太郎が身構えるのを待たず、手勢の間からひと張りの弓矢がのぞいた。「半弓だ!用心されよ!」左馬之助が声をかけたがその声の終わらぬ内にびゅっと唸り音とともに朔太郎の胸に命中した「己れ卑怯な!飛び道具まで持ちださねば収まらぬのか」苦しい胸の内で朔太郎がうめいた。手負いと見た侍がバラバラと二人を取り囲んだ、だが左馬之助の刃で三名ほどが腕や足に怪我を負い少々戦意喪失の状態となった時「喧嘩だ喧嘩だお侍の喧嘩だ!」とどこかで声がした。まだ陽は暮れておらず、人通りもまばらではあっても絶えてはいなかったのが幸いしたと言えよう。「引け引け引け!」怪我を負ったものを担ぎながら集団は逃げ去った。「朔太郎しっかり致せ、誰か、籠を呼んでくれ!」左馬之助が叫んだ。四半時が流れ、朔太郎は上屋敷に運び込まれた。そばを左馬之助が護りつつ、どうにか屋敷までたどり着いたのである。騒ぎは瞬く間に屋敷内を駆け巡り、玉姫の耳にも達した。「朔太郎!わらわの身勝手でそなたをこのような目に合わせてしもうた、許せ!」「姫様騒いではなりませぬ、どうか落ち着き遊ばして・・・・・・」苦しい息の下で朔太郎は騒動が拡がって外に漏れるのを警戒した。「朔太郎、誰がこのような卑怯な手立てでそなたを狙うたのじゃ、申してみよ!」「姫様、それはもうよろしゅうございます、何より姫様がこの家を護らねばならぬのでござります、姫様お強ぅなられませ、その激しさは裏を返せば優しさに通じまする。己の夜叉を知ってこそ、その使い道も解ると申すもの、お強ぅなられませ・・・・」そう言い残して玉姫の腕の中に高山朔太郎は息を引き取った。「朔太郎!!」玉姫の絶望的な叫びが、悲しく夜の屋敷の中に響き渡るだけであった。それから半年の月日が流れた。菊川町の平蔵のもとに岸井左馬之助の姿が見えた。「なぁ平さん、あれから姫様はしきたり通り婿を迎えたそうじゃ、そうしてな、正室は髪を下ろし仏門に入ったそうな。今は婿殿をよく支え、まれに見る才女と老中でも評判だそうな。わしは朔太郎を護りきれなんだ、何としても虚しい!」左馬之助は蒼く晴れ渡る空を見上げながら目頭を抑えた。静かに雲が流れ、風が役宅の庭を横切って抜けていった。「おい 左馬!ところでお前ぇいつになったら俺との約定を果たすつもりだえ?」「はて なんでござったかなぁ」「おいおい もう忘れたのかえ薄情なやつだのう、ほれ!鴨団子の鍋だよぉ」「おっとこいつはいかん!すっかり忘れておった、そうだぜ平さん、あの鴨鍋のだんご汁、こいつを温かい飯にかけると、これはもう飯の甘さと汁の旨味がいやこいつはたまらん・・・・」「おいおい 左馬之助、話だけではお前ぇ落ちもつかねぇぜ、さっさと支度をせぬか!わしはいつでも出かけられるぜへへへへへへ」平蔵はいつか浅草で出会った娘のことを思い出していた。「人は何かの定めを持ってこの世に生まれ出るもの、それを受け入れるか入れないかそこに難儀が生まれる、風は好き吹いているように見えても気ままには吹いてはおらぬ、人の世もまた左様であろう、はたから見れば気ままなようでも皆見えぬ糸で操られておるのよ、俺もお前ぇもなぁ」 [0回]PR