時代小説鬼平犯科帳 2017/04/12 4月号 金玉医者 その2 平蔵その後もこの事件が脳裏からはなれない・・・・で「忠吾!忠吾は居るか!」「お頭お呼びでござりましょうか!」見回り支度の木村忠吾が平蔵の前に居住まいを正し控えた「おお 忠吾!以前そちが灰買いやの何とか申したのぉ・・・・ええ・・・」「ああ 吉松でございますか?」「おお それそれ其奴じゃ、其奴に遭うことはあるか?」「はい 毎日浅草から両国あたりの商家や門を付けて回っておりますので、時折出くわしますが何か?」「うむ ちと灰について詳しく知りたいのだがな・・・」「承知つかまつりました、奴に会いましたらその辺りのことを詳しく訪ねてまいります、おまかせくださいませ」と意気揚々に出かけていった。翌日夕刻木村忠吾が戻ってきて報告に上がった。「忠吾 如何であったな?」平蔵調書を見ながら忠吾に言葉をかけた。「はい ちょうど花川戸の辺りで吉松に出くわしましたものでございますから、呼び止めそれとなく聞きましてございます」としたり顔で報告してきた。「ほほぉ 何か良き話にでもなったのかのぉ・・・・・」平蔵ニヤリと忠吾の顔を眺めやる「ははっ それでございますお頭!灰買い・・・・・・(もっこを天秤棒で担ぎ、各家庭や風呂屋、武家屋敷から商家まで幅広く灰を集めて廻る)商売。普通の家庭で出た灰は木箱や叺(かます)に保管し、商家などは灰小屋に貯めており、これを仲買人や問屋に持込、問屋はこれを灰市に出すそうにございます」・・・・・叺(かます)は藁筵(わらむしろ)を2つに折って両脇を閉じた袋で、コールサック(石炭袋)として、戦後もドンゴロス(インド産の麻袋)が入ってくるまで普通に使われていた。千葉県の印旛郡では家どうしの交際仲間を(叺つきあい)と呼んでいる。灰はアルカリ性のために土の改良剤としては必需品、江戸は関東ロームと呼ばれる火山の噴火屑堆積物の長年沈着したものが春風による埃(ほこり)状の形で堆積した鉄分の多い赤土質のために酸性が強く作物は出来にくい、そこにアルカリ性の炭酸カリュームである灰を入れれば作物に適した良い土になる。灰は他に茶道にも必需品、染色には繊維の脱色から脱脂、媒染、清酒の酸味の中和、防カビ、焼き物の釉薬、食器の洗剤、消臭剤とその需要は幅広く必需品であった。肥料の三大要素は窒素・リン酸・カリであるが、窒素とリン酸は下肥(しもごえ)で賄えるものの、残るカリは下肥では取れない、そこに灰が必要というわけである。窒素は葉に効果がある肥料、リン酸は花や実の肥やしとなるが、問題は根に効果のある成分これが木灰(きばい)ということである。当時江戸近郊は木材も豊富で、間引材(間伐材)や枝打ちした小枝、雑木を山で燃やす灰山(はいやま)と呼ばれる作業があった程だ。・ ・・・・「この灰買いは日々集めたものを霊厳島にございます灰問屋に持ち込み、灰問屋は集めた灰を俵に詰めて灰蔵に保管致し、毎月川越の南町にございます灰市場の六濟日(ろくさいにち)で催されます灰市に集まってこれを売買いたします」「六濟日となぁ・・・・・」「はい 確かめましたる所、月の8・14・15・23・29・30の六日にこの市が立つそぅにございました」「おお よくやってくれた、でかしたぜ忠吾、なるほどそれで奴らの押し込みが解って来たのぉ」平蔵少し安堵の色を見せる。だが、事件はここまで。その後松永の報告にもそれらしき見込みの話も出ず、忠吾からもたらされる話となると、やれどこぞの何が美味いのなぞという他愛のないものであった。その中で平蔵の気持ちをそそるような話が"ももんじや"の山鯨の話である。「ふむ 気晴らしに覗いてみるか・・・・・」翌日平蔵はこの話を持ち込んだ同心木村忠吾を伴って本所元町に歩を進めた。菊川町の役宅を出て北に上がり、陸奥黒石藩上屋敷津軽式部少輔(しょうゆう)の津軽藩木戸番所前を通りかかると木戸番の六助が走り出て「これは長谷川様!お見廻りご苦労様にございます」とあいさつをしてきた。横から木村忠吾が「おい六助!お頭は本日はご多忙なんだ、用がなくば下がっておれ!」と居丈高に横槍を入れる。「へへっ へい!」忠吾の言葉に六助驚いて「ご勘弁を!!」と引き下がった。「まぁ良いではないかなぁ六助!本日は孫娘の姿が見えぬが如何いたした?」笑顔を見せながら、退いた六助の方に声をかけた。「あっ へい!先ほどまでおりやしたが さて、川の方へでも行ったのでございましょうか・・・」と竪川の方を見やった。「そうか 見かけたら戻るよう言っておこう」平蔵、六助にそう言い残し竪川の方に足先を向け直した。竪川を左に、大川の方に曲がった先が松井橋、これを超えれば軍鶏鍋やの五鉄・・・(まぁ本日は行き先も定まっている事ゆえこちらの方は渡らずに・・・)と前を見ると少女が二ツ目橋の袂で竪川を行き来する川船を眺めている。「おお 忠吾!あれではないか?」と、平蔵はその童に視線を促す「ああ おせんにございます」と忠吾が幼女に駆け寄り「おせん!おとっつあんが心配しておるぞ、早く帰ってやれ!」と促すと「は~い!」と可愛い返事をして平蔵にむかってペコリと頭を下げ徳右衛門町の方へかけ出した。「素直で良い子だ、なぁ忠吾!誰しもいつまでもあのようでありたいものよのぉ」と忠吾の方に振り返る。「あっ それはもしかしてお頭!まさか私のことではございますまいなぁ」「さぁてどうであろうかのぉ あはははははは」平蔵らは二つ目橋を過ぎ一ツ目橋を北に上がり回向院門前を東に取り、目指す元町"ももんじや"前に着いた。辻の前は両国橋広小路につづいており、人の出入りは誠に多い。両国橋は大川(江戸の人々は隅田川をこう呼んでいた)に架かる橋で武蔵の国と下総の国にまたがったところから両国橋と呼ばれた、長さ94間(200米)幅4間(8米)江戸では千住大橋についで2番目に架けられた橋であり、本所・深川の発展に大いに寄与している。明治30年両国の花火大会で群衆の重みに耐え切れず10米にわたり橋が崩落し、死傷者が出たことから後の橋が鉄橋へ変更となるきっかけとなった。「お頭此処でございます」忠吾が得意気に平蔵に指さした。店は中々小洒落た構えで平蔵好みであった。「許せ!」と忠吾が先に立って中に入る「いらっしゃいませぇ」明るい声で出迎えがあった。「亭主二人だ!」忠吾は小部屋を暗に用意させる気配りを見せた。「はいはい只今ご用意いたします、まずはこちらに・・・」と奥に案内(あない)をする。落着いた拵えの部屋はさすがに両国の橋たもとの地場を生かしていると見た。「亭主、まずは酒だ」忠吾の言葉を引き受けて「早速!」と引っ込んだ。間もなく酒肴が運ばれてきた。「おっ こいつぁもしかしてサヨリじゃぁねぇのかい?」さすがに平蔵この辺りはよく知っている。「やっ これは驚きました、はい正にそのサヨリでございます、生きの良いサヨリの頭を落とし、胴から包丁を入れ腑を取り出しまして中を綺麗に洗います。頭の方から包丁を入れて3枚におろし、腸(わた)のあった処を切り取ります、面白いことにこのように透き通る体なのに腹だけは黒い為に見た目も悪いのでこの所は削ぎ取ります、ここからサヨリのようなと言う言葉が生まれたとか・・・」「へへぇ要するにほかは綺麗に見えるが腹の中だけは黒いと言うことだな」平蔵この亭主の物知りに感心しながらちらりと忠吾を見た。その視線を感じ忠吾「おおおっお頭ぁまさかこの私を・・・・・」「うむ 気に病むことはあるまいそうでないのならばなぁ わぁははははは」「それはあんまりなぁ・・・」べそをかく忠吾である。亭主は笑いながら「皮を上にして皮の上から軽く抑え皮を剥ぎ、たて塩で締めますと甘みが更に増します、それにゆず胡椒と細ネギに醤油をお好みで・・・・・」「へぇ・・・たて塩かえ?」「はい サヨリのような小さなものは振り塩だと万べんなく塩を振るのが難しゅうございますので、塩水と同じ程の荒塩水にほんの少々漬け込みます、これをたて塩と呼んでおります」「なるほど、何事も奥を極めれば深いものもあるものよ・・・どれどれ・・・・・うむ!旨い!確かにこう 甘みが口の中で広がり、かすかな塩味がいやぁこいつぁ甘露甘露・・・ところでなぁご亭主、先程店(ここ)に入ぇる前に両国のそばに駒留橋という橋があったが、あれは藤堂和泉守様の駒(馬)でも繋いだところから付けられたものかえ?」この会話に忠吾(お頭はどこまで見通されておられるのやら、このような何気ないものにまで気づかれるとは)と半ばあきれながら感心している。「ああ あの橋でございますか、あそこは藤堂様のお屋敷に出入りが良いようにと架けられたとか、只その頃は名前なんぞはなかったようで、聞き伝えではございますが、昔本所横網町に住んでおりました留蔵と申します者が三笠町のお駒という娘に惚れましたが、お駒は留蔵になびかず、留蔵はお駒を殺し、片手片脚を切り落としてあの入り堀に投げ込んだそうにございます、それ以来あの入り堀に生える蘆は全て片葉になったとか、それでこの堀は片葉堀と呼ばれるようになり、夜ともなればこの賑やかさは消え、寂しゅうなりますので、夜鷹達が気味悪がって両国の橋番屋近くに集まるようになりました」「ふ~む皆それぞれ何かを抱えておるという話だのぉ」平蔵物事には些細なものであれそれなりの理由があるものと改めて感じた話ではあった。そこへ猪鍋が運び込まれてきた。「おお!来たぜ来たぜ・・・・」平蔵待ちかねたように仕立てられる鍋を覗きこむ。「お待たせいたしました、山鯨鍋でございます、山鯨は先ず鰹と昆布で出汁を取ります、猪肉に粉山椒をまぶしこのように皿に並べてそれから野菜の下ごしらえ。白菜・人参・大根やごぼうもよろしい、蓮根・菊菜やキノコ・下茹でを済ませたこんにゃくを程よく千切り置き、小芋・生麩なぞも中々宜しゅうございます。野菜を皿に盛り上げて土鍋に出汁を張り込み、江戸味噌と八丁味噌を塩梅いたしまして、それに酒、味醂、砂糖を慣らし溶き込み、先ず猪肉を入れ野菜は煮えにくいものから次第にひと煮えするのを待ち、最後に菊菜が宜しゅうございます」「ほほぉ 味噌を混ぜるのかえ?」「はい 味噌は大量の大豆や麹を強く蒸し長らく高温で熟成すると色濃く辛めとなります。また茹でて甘みなどが流れ出した大豆を精白しました米や色目の少ない麹を多く合わせ短い間に熟成させたものが甘い白味噌になります。江戸の甘味噌は留釜(大豆を3日間無圧で加熱蒸し)致しますと、艶のある赤味噌が出来ます、熟成も9~10日と短いのでございますが、塩分も少ないので夏場などは10日ほどしか日持ちいたしません。八丁味噌は駿府の岡崎城下から八帖ほど入った八丁村で作られる豆味噌、蔵樽に川石を山形に積み上げ、ふた夏二冬熟成させたもので、塩気も控えめでありながら沸騰させてもその風味が損なわれず、濃い味のままなところがこの味噌の良さ、そこで江戸前の甘味噌に八丁味噌を程よく塩梅いたしまして、味醂、砂糖、酒を合わせて煮込み味噌を工夫いたしております」「なる程そこまで拘(こだわ)ると、この先が増々楽しみになって来おったわい」平蔵食べごろの合図をそわそわと待たされるのみ。「う~~~~んっ まだダメかのう忠吾!もはや我慢の極みと思うがどうじゃ?」目の前の鍋はグツグツと小気味よい音を立てながら味噌の香りに山椒の微かな薫りが匂い立って平蔵を襲ってくる。「おい もう良い頃合いではないか?!」「お頭、まだ大根に火が通りきってはおりませぬ、ほれかように色目がまだ白く残って見えます」「いや構わぬ、儂は固めの大根が好物じゃ」平蔵すでに箸を取り上げ鍋に顔を埋めるが如き様相。「あれっ お頭は大根はとろけるほど火の通ったものが最上等と仰言りませなんだでございましょうや?あれは私めの聞き間違いと?」忠吾日頃の敵をこの際と平蔵に待ったをかける。「うんっ!いいや間違いではない、間違いではないがな、本日はそのところは忘れて良いぞ忠吾、ほれ猪が儂に喰われたいとそう申しておるようではないか、ななっ!」そこへ亭主が追加の酒を運び寄り「おお!程よく菊菜が色付きました、今が食べころ、お熱ぅございますので小鉢で冷ましながらお召し上がりになられますよう」その言葉も終わらぬ内に平蔵・・・・・・ふうふう息を吹きかけたっぷり合わせ味噌をまとった猪肉を頬張った。「んっ・・・・・・・・・ううっ!美味い!誠に美味い、肉の柔らかさに歯ごたえ、野菜の甘味もしっかりと滲み出し、いやはやこいつぁいかぬ!こいつを喰ってはもうほかのものを食えぬようになってしまうではないか、えっ!のうご亭主!」忠吾はと見ると、この平蔵の想っていたよりも大げさとも思える喜びように箸を持ったまま鍋に手を伸ばすのも忘れ見とれている。「おい忠吾!でかした!でかしたぜ、このような近場にかような美味い猪鍋を喰わせるところがあったとはなぁ、儂もうかつよ」平蔵カラカラと笑い声を上げた。「お頭 その何でございますなぁ、灰屋事件もあのまま正に火が消えたように静かになりましたなぁ、灰問屋の狭山藤二郎・・・再び灰の中から蘇りましたようで火種はまだまだ残っておったようにございますが」とあっけらかんとしている。「ふむ このままおとなしくしてくれておればよいが・・・・・」平蔵はこの忠吾の一言に不安なものがむくむくと膨らんでくるように想えた。だがこの感触は現実のものとなって再び平蔵の耳に届いてきた。時は弥生の月を迎え、町も華やいでいた。「お頭!川越の本町にございます灰商いの大店"白子屋"に賊が入り一千両近くが強奪されたそうにございます」駆け込んできたのは松永弥四郎。「なにィ!!」平蔵は剛力で頭を叩き潰されたほどの衝撃を覚えた。(まさかまさか・・・・・)あの霊岸島の事件以来、ふと頭の隅に湧き上がってくる、言い知れぬ黒雲のような感触が現実のものとなったのである。(ぬぅ・・・・・)「松永、それの出処は何処からのものだ!」「ははっ いつぞやの灰問屋"狭山藤二郎"の前を通りかかりましたる所、どうも人の出入りが尋常でなく、気になりまして尋ねましたる所、先ほど下ってきた平田船の船頭が知らせたそうにございます」「で、詳しいことは聞かなんだか?」平蔵はこの事件はやはり狭山事件と関係があると感がピリピリ走った。「はい 船頭も川越を出る寸前に知ったようで、あまり詳しくは話さなかった様にございますものの・・・・・」「ものの・・・・?」「はい盗賊は十名ほどで、皆顔を隠し刀は差さず無言で、従い言葉訛りも知れず、内の一人、頭と想われるものが「金蔵へ案内しろ」ただそれだけだったようで、主は恐ろしさのあまりただ震えるのみで、代わりに女房が参ったそうにございます」「ふむ それで怪我なぞはなかったのか?」「はい その方は全く皆無事だったようでございますが、全員一つの縄で縛られ大黒柱に数珠つなぎだったようで、翌朝通いの大番当がこれを発見、ことが発覚した模様にございました」「ううううっ おのれがぁ!!」平蔵のこめかみに青筋が走る。喉元まで刃を突きつけているのに、その先が全く展開しないもどかしさばかりがつのる。「で、郡代は!奉行所はいかが致したのか!」「その辺りを南町に立ち寄りおたずねいたしましたが、こちらの方へは漏れていないとの事」「ふぅ~~~」平蔵深い溜息をついて「手口も割れ、目的も判明いたしておるに打つ手が無い!何とももどかしい!」平蔵意を決して南町奉行池田筑後守長恵に目通り願った。そこから判明したことは先の霊岸島大川端町"狭山藤二郎"事件の調書の結果であった。これは平蔵が松永弥四郎より聞き込んだ話とさほどの開きもなく、空振りに終わってしまった。それから数日、平蔵にとって悶々とした時が流れた。此処は下谷二丁目提灯店"みよしや"折しも馴染みの女郎およねに「ねぇ いっささぁん お客が来たのよぉ」と無理やり送り出されて伊三次は表に出た。「しゃぁねぇやな、こっちは半分居候、客とあっちゃぁ四の五の言えやぁしねぇやな」一人ブツブツ言いながらぶらぶらと下谷廣徳寺前を浅草に向かって歩きながら(ちぇっ!)と廣徳寺の溝(どぶ)に石を蹴り込んだ時、廣徳寺から出てすれ違った男が「伊三次じゃぁねぇかい?」と追いかけて伊三次の前に回り、こう声をかけてきた。「だれだいあんたぁ」伊三次は少し警戒しながら相手の顔を見る。「無理もねぇやな、まだお前ぇがガキの頃でよ、小遣い稼ぎにお頭の下で使いっ走りをやってた頃だからなぁ」伊三次に耳打ちするように小声で話しかけた。「お頭?一体どこのどういうお頭でぇ」伊三次は身に覚えがあるだけに無視することも出来ず、その男の言葉に付いていった。上野三丁目泰宗寺向かいの下谷稲荷境内で石段に腰を下ろし、男は背中の荷物を横に下しながら「伊賀の音五郎・・・・・」と小さな声で言った。「なななっ何だとぉ伊賀の音五郎・・・・・」伊三次は二昔近くのことをまざまざと思い出していた。二歳の時伊勢・関の宿で捨て子にされ、そこの宿場女郎達に育てられた。この中に下谷二丁目提灯店"みよしや"女郎およねの母親(お市)がいた。伊三次はこのお市にたいそう可愛がられた経緯(いきさつ)がある。本人同士は知らないが、この伊三次とおよねは一緒に育った時期があったということである。十歳で岡崎の油屋に奉公に出されるが、やがて江戸に流れてくるまで、小遣い稼ぎでほうぼうの無頼者や盗人とも馴染みとなり、後 盗賊四ツ屋島五郎の走り使いをしていたところを御用となり、後長谷川平蔵の密偵になった。「あんたは誰でぃ」「俺かい 俺ぁ番馬の利助、今は伊賀の音五郎親分を離れて久しく、ちょいとしたお頭の下でこうして動いてるってぇことだがよ、お前ぇは今何しているんでぇ?」「俺かぁ 俺ぁ大滝の五郎蔵お頭の手伝いよ」と思わずそう応えてしまった。「大滝の・・・・・そうかい、やっぱりこの道から足は抜けていねぇんだなぁ」ジロジロと伊三次の頭から足のつま先まで舐めるがごとく見定めて「で、ヤサはどこでぇ?」「どこって決まったところなんかありゃァしねぇさ、金があるときゃぁこうやって女郎を買い、無ぇ時ゃぁ橋の下でもおまんまとお天道さまは付いて回るってよっ」「そうかい、じゃぁどうでぇ昔のよしみでちょいと小遣い稼ぐってなぁ・・・・」「小遣い稼ぎかぁ?何でぇその仕事ってぇのは?」伊三次は盗みの手伝いというからには大きな仕事ではないと感じ、水を向けてみた。「なぁにテェしたことじゃぁねぇ、ちょいとした下調べってぇほどのことだけどよ、まぁお前ぇ小遣いぐらいにゃぁならぁな」深く話さないところを見るとまだまだ気心を許しているわけではないようである。「俺ぁどうすりゃぁいいんでぇ?」伊三次は小石を蹴飛ばしながら不服な気持ちを覗かせる。「まぁそう慌てることでもねぇからよ、この辺りで又会おう」そう言い捨てて荷物を担ぎ不忍の弁財天の方へと立ち去っていった。「後を微行るのも何でございやしたもんで・・・・」伊三次は菊川町の役宅を訪れてそう報告した。「おお よいよいそれで良い、何れ向こうから繋ぎをつけてくるだろうよ、まぁそれからってぇことで、で?お前ぇのカンはどう答えを出したな伊三次」平蔵はこの若者の性格をよく把握している。「へい!元は伊賀の音五郎お頭の下に居たってっぇ事でございやすから稼業は同じ盗人と、ですが長谷川様、お頭の名前を聞いてもはぐらかす辺り、まだまだ用心しているものと」「ふむ 儂もそう視る、となるともしかして名うての盗賊(ぬすっと)かも知れねぇなぁ、まぁ其奴が繋ぎをつけてくるのを待つしかあるまい、ご苦労であった伊三次」平蔵は濡れ縁に腰を下ろし、煙草盆を提げて伊三次の報告を聞きながらゆっくりと紫煙をくゆらせる。それから3日の時が流れた夕刻、伊三次が役宅に駆け込んできた。「おお 伊三次!何か繋ぎでも取れたと見ゆるな!」敷居に腰を落とし、後ろ手に煙草盆をまさぐりながら平蔵、裾前をぽんと割って伊三次の顔を見た。「長谷川様 繋ぎが来やした、お頭の名は相変わらず明かしやせんがどうやら大物のようで・・・只 妙な話で、浅草駒形町呉服問屋"多賀屋"の飛脚の出入りを知らせて欲しいってんでござんすがね」伊三次は少々気に食わない様子で平蔵に報告した。「何ぃ 飛脚の出入りとな?」「へぇ 一体それが何になるのかさっぱり・・・・・」「ふむ・・・ で、引き受けたのだな?」「へぇ ですがね長谷川様、野郎は盗人の一味に違ぇありやせん、何で飛脚に興味があるんでござんしょうねぇ」「そうさなぁ、飛脚といえばまぁ大概が連絡とか商いのやり取り・・・ふむ まぁ何だ、とりあえずそいつを続けてみるしか仕方あるまい、何か変わったことがあらば彦を近場に遊ばせておくから、そいつで繋ぎをつけてくれ」そう言って平蔵木村忠吾を呼び寄せ彦十に繋ぎを付けるよう命じた。しばらくこの件は平穏に過ぎていった。伊三次が立ち寄って十日ほどの時が流れた。 その日もそろそろお天道さまも西に傾きかけ、足早に秋の気配が訪れようとしていた。空を見上げれば、秋茜が夕日を背に真っ赤に染めて群れをなし泳いでいた。表から酒井祐介が「お頭彦十が参っております」と報告してきた。それと同時にコトンと小さな音をさせ裏の枝折り戸が開いたようで人の気配がした。「長谷川様」白髪頭を掻きながら密偵相模の彦十が入ってきた。「おお 彦!参ったか、まぁこっちへ入ぇんな、で伊三次からの繋ぎでもあったと見ゆるな」「真平御免なすって!」彦十 平蔵の傍に控える坂井や筆頭与力佐嶋忠介の視線をかいくぐるように平蔵の座している方に向かい腰を落とした。「なにか変わったことでもあったのかえ?」平蔵飲みかけの茶を持ったまま縁側に出てきた。「へい!伊三次が長谷川様にこう伝えてくれと言いやしてね」「おお どのようなことだな?」「へぇ 飛脚はほぼ3日置きに出入りしやす、そいつをつなぎの野郎に伝えやしたら、野郎(やはりくさいいちのようだなぁ)とこぼしやしたのを耳に留めたそうで、そう長谷川様にと・・・」「くさいいち?そいつぁ何だ?誰かこのことを存じておるか?」と居合わせたものに投げかけた。「お頭!もしやそれは市の開催日では?」話を引き継いだのが筆頭与力佐嶋忠介。「何!市だと申すのか?」「はい 市場は三日市・五日市・十日市なぞと呼ばれますように、その市の立つ日にちが決まっております、例えば1と六の日に立つ市を三斎市と呼ぶそうに聞き及びましたが」「あっ!なるほどそうであったか!と言うことは九斎市とはいつであろうかのぉ・・・ふむ」平蔵少々腕組みを拵えてじっと空を見上げ深く息を吸い込んた。「彦十そいつをちょいと探ってぇくれぬか」「合点承知の助まかしておくんなはい」彦十その場からすぐさま枝折り戸の方へと出て行った。その日の内に彦十役宅に舞い戻って来「長谷川様!判りやしたよ判りやしたよ!たいていは三斎市だそうでござんすがね、小江戸(川越)じゃぁ取引が多くて2・6・9に市が立つそうでございやす」「何だと!てぇことは奴らの狙いは川越と決まったようなもの、おまさを呼べ!それと五郎蔵もな」平蔵そう彦十に下知した。「がってん!そう来なくっちゃぁねぇ!へへへへこれで伊三次も張り込んだ甲斐があったってもんでござんすねぇ」と鼻の頭を刷り上げてみせた。しばらくしておまさと五郎蔵の夫婦が平蔵の前に控えた。「おおよく来た五郎蔵、それにおまさ!ちょいと込み入った話になるのだがな、今からすまぬが川越まで足をのばしてもらいてぇんだ」「川越でございますか?それは又どのようなご用向きで?」「それそれそこんところよ、実はな伊三次が昔の仲間に誘われてチョイとした探りを頼まれた、そいつがどうも九斎市と言うものと関わりがあるようでな」「はぁ 長谷川様そいつぁ間違いございやせん、小江戸は他所(よそ)と違い御府内に次ぐ賑わいの所、九斎市(くさいいち)は2・6・9・12・16・19・22・26・29日に市が立ちやす」「やはりなぁ、さすがは大滝の五郎蔵存じておったか」平蔵こっくり頷き関心の様子に [0回]PR