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鬼平犯科帳 鬼平罷り通る 三嶋山燈

鬼平犯科帳外伝

4月号 金玉医者 その3

「ですが長谷川様小江戸は中市と外市もございやして、
両方となると少々広くて時が掛かるかも知れやせん」

「それを見越してお前ぇたちに助(すけ)てもらおうと言うことさ」
平蔵顔を見合す二人の様子を交互に眺めながら口元をゆるめた。

「まず川越の絹問屋を調べてくれ、繋ぎに粂を付けてやろう、
それでわかったことをこっちに知らせてはくれぬか?これは当座の費用だ」
平蔵、懐紙を出して金子を包み五郎蔵に渡すよう控えている酒井祐介に手渡した。

「へい お預かりいたしやす」
五郎蔵おまさの二人が腰をかがめ平蔵に挨拶して出て行った。

「お頭!川越まで10里は優にございます、それに粂八に・・・・・」

「うむ あいつならまだ若ぇ、川船よりも早ぇんじゃぁねえかい?」
この平蔵の読みは当たった、翌々日には粂八から第一報が盗賊改の役宅にもたらされた。
それによると、機織りされた物は取りまとめされるところで商品に名札をつけ、
尺、目方、品質などを書き込んで置く。

川越は相当数の絹宿と呼ばれる絹仲買が存在し、
彼らは地方をまわって養蚕家や機織場を取りまとめている庄屋などで買い付け、
それを毎月の九斎市に出す。
ここに問屋が集まり買い付けをする。
このような定宿や店を構えているものもある。

「その一つに浅草駒形町呉服問屋"多賀屋"の出店で、
はぁこいつがなんとも買次人の宿がございやした」


「何だと!てぇ事は川越で集めたものを己の店に転売するということではないか」
「へぇ 商人はどこまでも抜け目のない者のようで・・・
おまけに御政道のあおりで絹物はご法度、そこで目をつけたのが裏衣・・・
表は粗末な太物でも裏は細糸の平絹・・・こいつぁ飛ぶように売れやす」
粂八、手渡された湯呑みで喉を湿らせながら平蔵の顔を見上げた。

すると飛脚が届けるのは買い求めた物の引受証・・・・・」

「のような格好でございやすね」
粂八は平蔵の読みに合点がいったらしく頷いてみせる。

粂八の報告では、仲買商の絹宿から絹市へ持ち込まれた物を買次人(卸問屋)から
絹問屋が買い付ける、それを川越以外の所は街道を使って江戸に持ち込む。
ところが、浅草駒形町呉服問屋"多賀屋"はそれらを川船に乗せて一夜の内に
浅草花川戸まで持ち込んでしまう。

おまけに、取引額は前もって判明している、ゆえに販売価格もどこよりも早く設定でき、
売りさばくにも好都合というわけである。

当時の飛脚という物は、定飛脚出所(問屋・どいや)では
毎月2の日に3回(2・12・22日)程度集荷があった。

公儀の継飛脚は宿場間を二人一組で取り次ぐので、大抵が2~3里(8~12キロ)
が普通であり、これを時速8キロ程度で走り繋いだ。

大名専用のお抱え飛脚は大名飛脚と呼ばれ、定飛脚(町飛脚)は
東海道に28ヶ所取次所が設けられた、だがそれ以外の場合は取次なく、
通飛脚(とおしびきゃく)と言って一人で走り抜けた者や、
仕立て飛脚と呼ばれる専用の飛脚便もあった。

江戸・川越間は伊能忠敬の計測によると10里34町33間半(約43キロ)
40キロといえば現代のフルマラソン(42,195キロ)でも五時間はかかる事になる。

時は道路整備も無いのであるから、これ以上かかったと考えねばなるまい。
絹は蚕2600頭(匹ではない)で生糸600グラムがまとめられ、
おうよそ着物1着分取れる。

こうした背景の中、武州川越では年間の平絹生産は15000疋 
(3000反)に及んだ。
如何に広範囲に養蚕農家や機織り場があるかがうかがい知れる。
そこへ伊三次が息せき切って飛び込んできた。


「長谷川様!おおっ粂八さんまで」

「おお 伊三次変わったことがあったようだなぁ」

「へぇ 大ありのコンコンチキ!繋ぎを取ってきた野郎が
(ご苦労さんだったなぁ)って一両あっしの袖口に放り込みやぁがり、
さっさと引き上げやした。
慌ててそいつの後を微行やしたが、野郎!川船に乗り込み大川をのぼりやした、
申し訳ございやせん」
伊三次は両手をつき無念そうに平蔵を見上げた。

その頬に一筋の涙を平蔵は認めた。

「伊三次案ずるな、仕方のねぇことだってあらぁな、たとえ俺でも同じことだったと想うぜ」
と伊三次をなだめる。

「だけど伊三さんの気持ちもよっく解りやす、
結局奴らのことは何一つ判らずじまいでござんすからねぇ」と粂八。

翌々日五郎蔵とおまさの夫婦が慌ただしく菊川町の平蔵が屋敷、
火付盗賊改方の前に現れたと山田市太郎が知らせてきた。

「何!五郎蔵が帰ぇってきたとな!すぐにこれへ通せ!」
平蔵は控えている木村忠吾に
「忠吾茶を持ってきてやれ!」と命じた。

「あのぉお頭にでございましょうや?」

「馬鹿者!儂ではない、五郎蔵夫婦だ!」

「あっ 私がでございますか?」

「おい忠吾お前には出来ぬと申すか!」

「あっ はい いえそのようなことではなく」

「どのようなことと申すのだ、早く持ってきてやれ!」

「はっ はい!只今!」
と木村忠吾不服そうに下がっていった。

「すぐに茶も来よう、まずは喉を湿らせ!
でその慌てようから何か引き起こったのであろうな?」

平蔵の引き締まった態度に周りの空気がピンと張り詰めた。
そこへ木村忠吾が湯呑みを持ってやってきた。

「??????!なにかございましたので?」
と、至ってのんびりとした顔を見た筆頭与力の佐嶋忠介

「忠吾!お前にはこの空気が読めぬのか!」と一喝

「はぁ?・・・・・ははっ!面目次第も」

「とにかくまずは喉を湿らせてからだなぁおまさ」

平蔵は疲労の色も濃いおまさにいたわりの声をかけた。

「長谷川様!やられました!!」
大滝の五郎蔵は湯呑みを受け取ったままその場にうなだれた。

「何だ!何が如何致した!?」

「小江戸にございやす買次人の大店"田賀屋"が破られました!」

「何だと!!」

さすがの平蔵もこの五郎蔵の報告は予期していなかった。
「そいつぁどういう事だ五郎蔵!」

「昨日川越南町の"田賀屋"に賊が押し込み、箱(千両)がひとつやられたそうで、
金子の両目は定かではございませんが町奉行所が大騒ぎしておりました。
おそらく粂八さんに繋いだ通り、為替飛脚の引受証を換金した直後を狙ったようでございます。

店の者に怪我人はなく、あっという間の出来事だったようで、
店の者も全員が一箇所に集められ皆数珠繋ぎに縛られて、
賊は金を麻袋に詰め替えて小分けし、立ち去ったそうでございやす」

「くくくくくっ くそぉ!!またしても・・・・・・」
平蔵歯をギリギリと食いしばり、手にしていた調書を床にたたきつけた。

居合わせた面々は一様に沈黙し、無念の顔相で下を向いたまま
誰一人顔を上げることも出来なかった。
後ひと手・・・・・手の内に入りかけたものが、ものの見事にすり抜けて行った無念さを、
平蔵はどうすることも出来ず(ンむ!!!!!)と両腕を組み濡れ縁を行ったり来たり

「あのぉお頭?お茶でもお持ちいたしましょうか?」
木村忠吾気を利かせたつもりではあったのだが・・・・・・

「クソぉ忌々しい!!」
平蔵の語気に圧倒されてその後が続かない忠吾であった。

「お頭!」
後ろに控えていた筆頭与力佐嶋忠介が平蔵を見上げながら恐る恐る声をかけた

「・・・・・・・・」
平蔵無言で佐嶋を見返すその瞼はピクピクと震えているのが手に取るように見えた。

「お頭 これまでに起こった押し込みの調書を元に、
符牒のあうところを書き比べてみましたが・・・・・」

「で? なにか判ったのか!」

「はい まずは霊岸島四日市塩町の灰問屋"狭山藤二郎"この折の調書と
川越本町灰商いの大店"白子屋"それに、先程五郎蔵が申しました川越南町の
"田賀屋"の手口が似通うておりますように・・・・・」
平蔵佐嶋の差し出す手控えを眺めながら

「ふむ 確かになぁ金子を詰め替えるところや、店の者に手出しもなく傷つけることもない。
片や川越、残る一つが霊岸島、なれど何れも川越での九斎市、
しかも、直に店に仕掛けを持つ気配すらなく、何の関わりもねぇように見ゆるが、
そこんところが一番気になるのぉ」
平蔵やっと気を持ち直したのか佐嶋の意見に耳を貸す。

「誠に・・・・・・・」
控えめではあるがこの佐嶋忠介、平蔵が火盗改を拝命した際、
先役の盗賊改堀組、堀帯刀秀隆の筆頭与力であったこの男を借り受けたのである。

ほったて小屋とまで揶揄されたこの組の屋台骨を、
一人で支えていたのがこの佐嶋忠介であった。

平蔵には少しばかり年上の、この剃刀のように切れる無口な男は、
何より頼りとなる懐刀である。

「のう佐嶋、お前ならこの後どうする?大店3軒で盗んだ金は半端なものではない、
押し込みの頭数もさほど多くはないということは・・・・・」

「納金?・・・・・・・では」
(おさめがね=盗賊が引退する時仲間に分け与える手切れ金)

「うむ 儂もそう見たのだが・・・・・やはりなぁ・・・・・・」
平蔵両腕を袖口に引き込めて片手を懐から出し、
顎をはさみながらじっと濡れ縁の板目を観ていた。

それを聞いて、大滝の五郎蔵
(そうならば、出来ることならこのままそっとしておいてやりたいもの・・・・・)と
一瞬そんな思いが脳裏をかすめた。

「おい 五郎蔵!つまらねぇことを考えるんじゃァねぇぜ・・・」

「ええっ!  ああっ はい!承知しております」
慌てた様子の五郎蔵を横目に見ながら

「あのぉ お頭?一体何のお話で?」
と、その場の空気が読めず木村忠吾

「何でもねぇよ なぁ五郎蔵・・おまさ」

「は!長谷川様!」
五郎蔵とおまさが深々と頭を下げた。

「よいよい だれでもこのような時は思うことも又同じよ!だがな!
お前ぇ達ぁ俺の手足・・・
そこんところを忘れるんじゃァねぇぜ」

「はっ長谷川様ぁ・・・・・・」
五郎蔵とおまさの眼が潤んでいた。

「伊三次、お前ぇだけが繋ぎ役の顔を見知っておる訳だな、
もう一度奴らがやるかどうかも今のところ5分と5分・・・
それに、もしこいつが粗奴らの納金ならば、後を誰かが引き継ぐことも考えられよう、
そのあたりも気になるところだ、そうだのぉ佐嶋」

「然様にございます、お頭の申されますように、これで終わったわけではございません、
何一つ変わってはおりませぬゆえ、次の一手を打つべきと」

「よし決まった!猪牙で後を消すところからも、川筋と儂はにらんだ、
となると奴らのねぐらは江戸と川越の間の何処かであろう、
だがこいつを見はるにゃぁ広すぎる。
そこで儂はもう一度伊三次に賭けてみようと思う」

「あっしにでございやすか?」
伊三次が瞼(め)をまん丸にして平蔵を見た。

「うむ もし儂が粗奴らの仲間で、こいつぁ例えだがなぁ、
そ奴らの誰かが後を継いだとすると、てぇげぇは跡目相続の争い事になる、
何しろ気馴れた者がそのまま手に入ぇる、
するってぇと割れるなりなんなりで仲間が減っちまう、そこで・・・」

「誰かを誘う・・・こうおっしゃるんで?」
と伊三次

「さすがだな伊三次、その通りよ。お前ぇなら証明済みだ、で ・・・・・」

「あの当たりに張っていりゃいいんでござんすね長谷川様!」

「正に!俺ならお前ぇを探すにゃぁ一番当たりのいいところだと思うからな」

「では早速・・・」

と立ち上がったところで平蔵
「伊三次ちょっと待て!」

「へっ?」
立ち上がって踵をかえそうとするそこへ平蔵

「そのためにゃぁ戦金(いくさがね)も必要(いる)だろう、こいつぁ少ねぇが持って行きな」
そう言い懐紙に小粒をいくつか挟み、伊三次に渡すよう忠吾に手渡した。

「・・・・・・お預かりいたしやす、そいじゃぁあっしは今から」
と伊三次が裏木戸へとかけだしてゆく。

それを見送りながら木村忠吾
「お頭・・・一体どういうことになるのでございます?」
と聞いてきた。

「忠吾!よく聞けよ、此度の事件は直接我ら盗賊改には関わりのない事、
だがお頭としては伊三次との拘わりがある、故に伊三次を手配りしておけば、
再びあ奴らからの繋ぎが来るかも知れぬ、然様お考えなのだ」
と傍から佐嶋忠介が口を入れる。

「ああ・・・然様で・・・なるほど然様でございますなぁ、さすがはお頭!
なさることに祖つがござりませぬなぁ、あははははは・・・・・」

平蔵頭を掻きながら
「おいうさぎ!人参でも喰って、もっと血の巡りをよく致せ!ったくお前ぇと言う奴は」

「えっ?私が何か?」

「忠吾!見ろ!」
佐嶋忠介が控えている五郎蔵とおまさの方へ顎をしゃくってみせた。

二人とも顔を下に向け横を向いているが目のあたりにシワが寄っている。

「きっさまぁ!おい五郎蔵・おまさ!何がおかしい!」と激情する忠吾に

「めめっ滅相もございません、笑うなどと・・・」
五郎蔵の顔はそれでも目尻の方は緩んでいる

「忠吾!もう良いではないか!下がっておれ!五郎蔵・おまさご苦労であった、
下がってゆっくり体を休めてくれ」
平蔵はそう言い残して襖を閉めた。

外では、まだ何やら忠吾の荒がった声が聞こえていたが、やがて静けさを取り戻した。

「やれやれ やっと気が収まったと見ゆる」
と平蔵苦笑いをしながら冷めた茶をすする。

それから一月ほどの時が流れ、その間何事も無く過ぎたかに想えた。
今日も今日とて、下谷二丁目提灯店"みよしや"言わずと知れた"およね"の部屋

「ねぇねぇ いっさっさ~ん!ゆんべさぁおかしな客がいてさぁァ・・・・・」
およねは伊三次の盃を取り上げ、新しく酒を注ぎ口に運んで上目遣いに伊三次を見た。

「何でぇその妙な事ってぇのは、どうせろくな事じゃァねぇんだろう!」
と、およねの飲み干した盃を取り返す。

「あははははぁ それがさぁ、ちょいといい男でさぁ ふふふふふ」

「なんでぇ気色の悪い、お前なぁこんな時に他の男の話をするかぁ?!糞面白くもねぇ」
伊三次盃を放り投げてひっくり返り、滲みだらけの天井板の模様を睨みつけた。

「あっ!ほらあそこに鍾馗さまみたいな滲みが見えるじゃァない!
変なのってあたいいつも見上げる度に思っちゃって、
ついつい笑ってしまってお客さんに怒られちゃうんだぁ」
とケラケラ笑う。

「馬鹿かぁお前ぇ、客の腹の下で上見て笑われりゃぁそりゃぁどんな客だって怒らぁなぁ」
伊三次呆れておよねの顔を見た。

「ほんとよねぇ、嫌だぁアタシ、あははははは」
大口開けて笑うこの横顔が何故か伊三次は気の安らぐ思いがするのである。

「で そいつがどうみょうなんでぇ」

「ああ それよぉ 一服点けながら
(この辺りで遊び人の伊三次ってぇのを知らないか?ってさぁ、
ネェそれってもしかしたら伊三さんのことじゃぁなぁい?
やぁだぁ、あたしったら伊三さんのことだと思ってその人に話しちゃったぁ、
ねぇ話しちゃぁいけなかったぁ?でももう話しちゃったんだからさぁ仕方ないよねぇ、
ネェもう1本持ってきていい?」

それを聞いた伊三次の顔が変わった。
「おい!およね!そいつぁ何時頃のことだ!」
と寝そべっているおよねの胸ぐらをつかんだ。

「わぁびっくりしたァ、何よ驚かせてさぁ、確か五ツの鐘(午後八時)が鳴った後だからさぁ、
それがどうかしたの?ねぇねぇ!」
およねは伊三次を押し倒し肌襦袢を押し開いて馬乗りになり

「今度はお馬さんごっこしようよねぇねぇ!あたし好きなんだものぉいやぁねぇふふふふっ」

それを振りほどいて伊三次飛び起きた。
「どうしたのさぁ伊三さん???」
驚くおよねに

「そいつぁ他に何か言わなかったか!」と詰問した。

「さぁねぇ・・・・・そうそう そう言えば(もし野郎が来たら、
浅草萱町一丁目の第六天神に来てくれと、昔の馴染みが言っていたと伝えてくれ)ってさ、
剛気に一朱もくれちゃってさぁ、うふふふふ・・・だからさぁもっと遊ぼうよぉ、
ネェネェいいでしょう」

その言葉を聞き終わらない内に伊三次跳ね起きて着替えを始めた。

「どうしたのさぁ、そんなに慌ててどこへ行くのさぁ、ねぇ伊三さん!」

伊三次のただならぬ気配に、さすがに呑気なおよねもその異常さに気づいたようで

「あたしなんかまずいことでも言っちゃったぁ?ネェ」
と真顔で案じているその顔を振り返り

「ほんとにお前ぇは可笑しなやつだぜ」
と言い残して飛び出していった。

それから小半刻(三十分)伊三次の姿は浅草萱町一丁目の第六天神社にあった。
正面南鳥居の奥辺りをブラブラと流すこと二刻(四時間)

「やっぱり来ておくれだねぇ伊三さん」

伊三次がその声に振り向くと、そこに過日の男が立っていた。
「やっぱりお前ぇさんか・・・・・」

「言付けが届いてよかったよ、ここでも何だから、どうだいそこいらでちょいと!」
と盃を空ける仕草をしてみせた。

「いいともよ!」
伊三次は気軽に受けてその男の後に従って歩き始めた。

「ところでお前ぇさん名前ぐらいは教えてくれたって
罰ぁ当たらねえんじゃァねえんですかい?」

「おっと!それもそうだ、これからのこともある、
俺の名は水雉(くいな)の平治と呼んでくんな、で 物は相談だがね伊三さん、
お前さん確かお頭は大滝の五郎蔵お頭とか言いなさったねぇ」

「ああ 大滝の五郎蔵お頭だが、そいつがどうかしたけぇ?」

「そのお頭に俺を引き合わせちゃぁくれまいか!」

「何でぇ?一体どうしてあんたを大滝のお頭に引き合わす必要があるんで?」

「そこだよ伊三さん、実はこれまでのお頭がこの前の盗(おつとめ)を納金に、
足を洗っちまった。
まぁそれなりに歳も歳だし、この辺りでゆっくりと甲府あたりに隠居してぇってんでよ、
お引きなさった」

「隠居だぁ 一体そのお頭は何処のどなたで?」
伊三次この時とばかりに突っ込んだ。

「あはははは、もういいだろうさ、お頭の名は鵯(ひよどり)角右衛門、
噂くらいは聞いているかも知れねぇが、甲州街道から川越あたりを根城に、
盗みの三箇条をきっちりとお守りなさった今じゃぁ少ねぇお頭よ」

「鵯の角右衛門だぁ?で、そのお頭は今何処にいなさる?」

「さぁねぇ 皆に納金渡した晩にさっさと消えちまった、
残った子分どもが跡目を継ぐってんで色々あってよ、
今どき盗人の三箇条を守るなんざぁ古いってぇ奴らばかり・・・・・
俺ぁそんな奴らが嫌になってよ、でお前のことを思い出したってぇことよ、
悪いが大滝のお頭はこっちで調べさせてもらった、
いやぁてぇしたお頭じゃァねぇかい、いいお頭に付いてよかったねぇ」
平治は茶店の南を流れる神田川の方を見やりながら少しさみしそうに盃を干した。

「あんたは今何処に棲んでいなさるんで?」
伊三次はこの際とばかりに聞き出した。

「俺かい?俺はすぐこの先の人形屋"吉徳大光"の裏長屋さ、
表向き平右衛門町の船宿"五色"てぇところで船頭をつとめている。
まぁこいつも悪くはねぇなぁって思って入るがね、
やっぱり餓鬼の頃から染み付いた稼業が背中におぶさっちまって、
あはははは、笑ってくんねぇ、どうも落ち着かねぇ・・・・・で・・・」

「判った!で大滝のお頭にと言う訳だな」

「話が早ぇや、どうだろうね伊三さんかまっちゃぁくれねぇかい」

「いいともよ!そうとなりゃぁ早速大滝のお頭に引きあわそうじゃねえぇか、
ちょいと刻をくんねぇお頭に相談してからでないと、俺としても・・・・」

「ああ 立場はわかるよ伊三さん、よろしく頼むよ」
そう言って二人は別れた。

その足で伊三次は神田川にかかる浅草御門を渡り、用心しながら吉川町広小路を抜け、
両国橋を渡り、幾度科後ろを確かめながら微行のないことを見届けて、本所二ツ目橋、
相生町五丁目の軍鶏鍋や"五鉄"に入った。

伊三次の目配せにすかさずおときは気付き「いらっしゃぁい!」と明るい声で出迎えた。
一番奥に席を取ると、おときが注文をとりにやって来た。

伊三次は小声で「長谷川様に急ぎと言伝ねがいやす」
と言ってから「熱いところを一本」
と注文を出した。

奥でこの五鉄の亭主三次郎が「彦十さん長谷川様に急ぎの繋ぎだ!」
と、小声で耳打ちした。

「合点承知!と来たねぇ」彦十いそいそと前掛けを外し

「ちょいと買い足しに・・・」
と足取りも軽く出て行った。

それから半時ほどして彦十は長谷川平蔵と連れ立って戻ってきた。
平蔵はそのままいつものように二階へと上がってゆく。

しばらく酒を飲んで、伊三次は支払いを済ませ表に出た。
それからゆっくりと一ツ目通りを北に上がって"喜久屋足袋店"へと入っていった。
その後を長谷川平蔵がゆらゆらと追って入る。

お互い背中を合わせるように足袋を手に取りながら
「急ぎだな!」
と平蔵

「へい!野郎から繋ぎが取れやした、ですがここん処は用心してと
長谷川様にご足労をお願いいたしやした」

「なぁに構わねぇよ、ちょうど抜けたいところであったからなぁ、で これからどうする?」

「へい!相方が大滝の五郎蔵さんに引きあわせてほしいといいやすもので・・・」

「あい判った!そいつを儂が肩代わりすればよいのだな?」

「仰るとおりで!では後日どなたかに繋ぎを・・・」

「ああ しからば彦十が良かろう、アヤツなら何処に居っても染まっちまうからなぁ」
こうして万全の対策が取られた。

さいわい、伊三次の心配を他所に、誰も微行や見張りもないようで、
すんなりと話の受け渡しは済んだ。

翌日彦十が上野池之端提灯店"みよしや"に姿を現した。

早速伊三次が平蔵都の待ち合わせ場所を伝え、慌ただしく彦十は店を後にした。

その明くる日の昼八ツ(午後二時)平蔵と伊三次の二人の姿が
本所回向院裏の門前町茶店に見られた。

「遅くなりやして・・・・・」
入ってきたのは水鶏の平治。

「ああ 奥へ入っておくんなさい!」
伊三次が認めて奥へと招き入れた。

その部屋には平蔵が着古した格好で錆鰯(古刀)を横に盃を上げている。
少々大滝の五郎蔵という名と、この平蔵の形(なり)に違和感を感じたのか
戸惑いを見せる平治に、「大滝のお頭でござんす」
と伊三次が紹介する。

「・・・・・大滝の五郎蔵お頭で?」

「おお 儂かえ?儂は長谷川平蔵・・・・・」

「長谷川・・・・?」

平治の戸惑っている隙に伊三次が平治の後ろへ廻った、
と同時にばらばらと浪人姿の者が周りを囲んだ。

「なななっ何んでぇ伊三さんこの出迎えは」
と、驚きと恐怖を顔いっぱいに表し丑をを抑えている伊三次を振り向いた。

「火付盗賊改方長谷川平蔵だ、水鶏の平治とやら、おとなしく観念しろ」
と低く平蔵が発した。

「負けた!負けやした長谷川様!
なるほどお頭が(お江戸にゃぁ恐ろしい鬼が棲んでいるからお盗めだけは用心に用心を重ねても
重ね過ぎはねぇ)とおっしゃった意味がよっく解りやした。
それにしても伊三さんがねぇ・・・・・」

「すまねぇ平治さん、勘弁してくれねえか?俺ぁ今頃の急ぎの盗みをする奴らを許せねぇんだ、
そうは想わねぇかい?」

「ああ、判った伊三さん、これで俺も綺麗さっぱりこの盗賊稼業(かぎょう)から
足が抜けるってもんで、さぁどうなと勝手にしておくんなさいやし」
とその場に居住まいを正した。

その翌日水鶏の平治は本所菊川町、火付盗賊改方役宅のお白洲に引き据えられていた。
取り調べにあたったのは筆頭与力佐嶋忠介。

「水鶏の平治だな、お前のお頭の名は何という?」
「へい 鵯(ひよどり)の角右衛門でございやす」

「其奴は今何処に居る」

「さぁ誰も仲間内で知るものは居ねぇと想いやす、お勤めを終えてそれぞれに納金を私い、
その夜の内に川越から消えやしたもんで。
おそらくは甲府あたりの奥深いところにでも隠居なさっているのではと、へぇ」

こうして平治の口から残党一味の居所が割れ、
すぐさま川越奉行所からの打ち込みでその大半が捕縛された。

(残りの者はすでに行く方知れず)
であったと平蔵の元へ知らせが届いたのはその数日後のことである。
それから半年後・・・・・・

大川をゆったりと流す小舟に平蔵と伊三次の姿があった。

「長谷川様!今日は抜けるように雲ひとつ無くお天道さまが眩しゅうございますねぇ」
船頭の日焼けした顔が明るく晴れ晴れとしている。

「平治!今日あたり釣れるかのぉ・・・・・」

「あはははは 長谷川様ぁそいつぁ難しゅうございますよ、
何しろこの広い大川にたった一本の釣り糸でござんしょう?釣る方も暇なら、
それを見ている者ンのほうがもっと暇、そこいらあたりじゃぁござんせんかねぇ、
おまけに竿の先にゃぁ針も無ぇ、あははははは」

「そうさのぉ・・・・・これでは釣れぬかわははははは」
さわやかな風が三人の頬を心地よく撫ぜて抜けた。

(ああ~ 九十九曲がりゃぁ あだでは越せぬ アイヨノヨ 通い船路の三十里 
アイヨノヨト来て夜下りかい(櫂=かい))川越夜船の粋な船頭歌が登ってゆく

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