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鬼平犯科帳 鬼平罷り通る
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この夕刻、二人は揃って菊川町の役宅へ戻ってきた。
銕三郎には妻女久栄が、生まれて間もない嫡男(ちゃくなん)辰蔵を抱えて出迎えた。
「お義父(ちち)上様お戻りなされませ。銕さまお戻りなされませ」
と出迎えた後、二人の後を奥へと従う。
宣雄は両刀を刀掛けに預け、侍女の運び込んだ衣服に着替え、
床前に座し、脇息(きゅうそく)に左腕を預けた。
「お義父(ちち)上様、御老中松平様より書状が届いております」
と書院棚の手文庫から一通の文を取り出し宣雄に手渡す。
「御老中から?はて何であろう……」
言いつつ宣雄それを開く。
読み進める父宣雄の顔に緊張の色が走る。
「父上!一体どのような!御老中様からいかなる事が」
銕三郎、顔相の変わってゆく様子にいたたまれないのか、
読み終えるのを待てず言葉を発した。
「銕、心して聞け!筆頭御老中松平越智武元(たけちか)様よりの、直々の御沙汰じゃ」
老中首座松平越智武元は上野館林・陸奥棚倉城主で、田沼意次とは協力関係にあり、
この長谷川平蔵宣雄も、嫡男銕三郎(後の鬼平と呼ばれる長谷川平蔵宣以)も
共にこの松平武元と田沼意次には目をかけられている。
「よいか銕!儂は急ぎ京へ参らねばならぬ事と相成った。
御老中よりのお達しでは、今 京において御所賄方(まかないかた)や
口(くち)向(むき)(経理・総務)を治める禁裏附(きんりつき)に不正流用の疑いがもたれ、
これを証さねばならぬ。
何しろ相手は御所の御用を司る立場、並の事では済まぬであろう、
今からすでに気が重い」
宣雄、銕三郎の顔を覗き込むように肩を落として見やる。
「父上!よりによって京とは。又如何様なる理由(わけ)でございましょうか?
口向とはどのようなお役目で、又いずこのお方がお勤めなされますので」
銕三郎、老中よりの密命をおびた父の並々ならない覚悟の言葉に、
何かを感じ取ってのことのようである。
「うむ、口(こう)向役(げやく)とは朝廷の地下官人(じげかんじん)で、
朝廷の出仕を云い、これを監理する為に江戸より禁裏附役が出仕いたしておる。
このあたりに不正ありと言うことだな」
宣雄、顔を曇らせたのは、京都西町奉行への下知を賜って後、知ったばかりの話。
それ以上の詳しいことはつかめていない様子であった。
「何とかようなところにそのような。ですが父上、
京には他に東町も所司代もござりましょうに」
(何で我らが京都くんだりまで出向しなければならぬのだ?)
と言わんばかりに銕三郎の顔へ書いてあるそれを読み取り、
「それよ、その辺りがな!朝廷に関る金子は所司代より支払われる。
この辺りに何やらうごめく者有りとの事だ。
つまりあちらでは袖の下が馴れ合いになってしまっているという事であろう。
それを東西合わせても与力二十騎と同心五十名で京の都を取り纏めるのだ、
並のことではないと想われる」
「何と面妖な……。ところで父上、私と久栄や辰蔵と共に
久助はお連れになられますので?」
押し包むようなこの一件をどう納得すればよいのか混乱の中銕三郎、
宣雄の反応を確かめる。
「銕よ、おそらくは長くて三年と想われるゆえ、そなた親子共々出向ということになろう」
「えっ!で、久助はお連れになりませんので?」
この中間の久助、宣雄の元から勤め上げている忠義者である。
(ふむ、まさかお前の義妹の面倒を見させねばならぬゆえ、
供に加えられぬとは言えまい、さてさて)宣雄一呼吸おき、
「其処だ銕よ、この屋敷の者も目白の組屋敷へ移らねばならぬ。
従いここを護る者がおらぬことになる。そこでだ、久助を残してゆこうと思う」
「はぁ──、然様で」
釈然とはしないものの、父宣雄の決めたことである。そのまま飲み込み
「で、出立はいつ頃と」
「早いほうが良かろう、儂は後々のこともあり、
諸事万端為し終えてと言う事になろうほどに、お前は先に京へ参じ、
引き継ぎの方を預かってはくれぬか」
「えっ!私どもが先に京へ?それにしてもそれなりに支度というものもございますが」
半ば慌てながら銕三郎
「そこだがな銕、お前一人まずは出立いたせ。
ことは急を要するゆえな。後から儂らも出向く、案ずることはない、
妻子(これら)の事は儂に任せておけ」
宣雄の、この件はこれで落着という顔に銕三郎、
半ば諦めの顔で見上げたものであった。
時は明和九年(安永元年・一七七二)九月二十日。
銕三郎は父宣雄より一足先に京へ前入りを果たす為出立したのである。
日本橋から京の三条大橋迄、東海道は五十三次回りで百二十六里六町一間
(四九二キロ)役務引継・居住所等整える為でもあり、少し早めの旅立ちであった。
この時長谷川平蔵宣以(のぶため)二十五歳である。
京の入り口、三条大橋から千本通押小路を入った千本東角の西御役所
(西町奉行所)に着いたのはその十五日後である。
一日おうよそ三十三キロ歩くことになるが、
これは当時平均身長百五十五センチの日本人の速さであるから驚く。
銕三郎、夕刻には京に入る事が出来。
早速西御役所の太田備中守正清へ着任の挨拶に出向き、
残留している与力等から多々引き継ぎの用件を済ませた。
「太田様、ただ一つ用心いたす事なぞあらばお教え願えませんでしょうか」
銕三郎、太田正清を見上げた。
「うむ然様にござろうな─」
太田正清、ちらと控えている筆頭与力の方に眼を配り、
与力が僅かに小首をそのままに、眼を瞬(またた)かせた。
「よろしかろう──」
太田正清机に向き直り、控えの与力に
「長谷川殿にお見せいたせ」
と小さく指図した。
「暫くお待ちを──」
そう云って席を離れ、やがて一綴りの控帳を銕三郎に差し出した。
「これは?」
銕三郎はこれを受取り、目を走らせながら
(何を申し送りたいのであろうか)と、太田正清の真意を読み解こうとした。
数枚めくったところで銕三郎、そこに何か重さを感じたのである。
太田正清が
「それはふた月前に殺害されましたる江戸表より連れて参りし
身共(みども)の配下、隠密廻り同心が残せし手控帳にござる」
ゆっくりと銕三郎の方へ振り向き、膝に両手を揃え
「お頼み申す長谷川殿。何としてもこ奴の無念をはらして下され」
膝の上の拳が小刻みに震えているのを銕三郎じっと視
(これは余程のことのようだ、しかも他言をはばかられるような物)
「この長谷川平蔵宣以!確かにお引き継ぎ致しまする」
と応えた。