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鬼平犯科帳 鬼平罷り通る
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「人が死んどるぅ」
遠くからバタバ夕駈けまわる音がせわしく往き来している。
「おしまはん!あんたはん家ん人が死んでますえ!」
向いの滝が表戸をけやぶる勢いで駆け込んで来た。
昨夜は悶々として一睡も出来なかったのであろうおしまは、まるで兎のようなまっ赤な眸を腫れ上らせ、座したまま出口を見た。
早朝のぼんやりとかすむ陽光を背に、はぁはぁ息をせわしげに滝が戸を掴んで立っていた。
「?……」
「おしまはん!あんたん旦那はんえ」
「へっ?─」
「さっきからお役人はんが調べてはるえ」
おしまその言葉を背にからめる様に素足のまま駆けだして行った。
孫橋の向う、鴨川側には黒山の人だかりがあり、戸板に乗せられ番太が前後で提げ、三条大橋に向き歩き出しているそれへ
「待っとおくれやす!」
素足で髪を振り乱し、血相変えて駆けつけ、九十郎の骸にすがるおしまのただならない風体を視る。
「見知りおきの者か?」
役人が訝しそうに観る。
「あっ──
否え……」
「ならば邪魔立ていたすでない、皆早々に立ち去れ」
役人は群がる人垣を棒六尺で払い除け、去って行くそれを見送るしまの双眸に、もはや涙はなかった。
狛のの話し以来銕三郎、前にも増して探索は多方面に拡げざるを得なくなっていた。だが、その甲斐も日々徒労に終る始末である。
何しろ言葉を話せば他国のものと判ってしまう、勢い視聴覚に頼らざるをえないのが現実であったからだ。
時季はすでに月を越し五月に入っていった。
かすみの奔走によって、安永元年(一七七二)新造営になった仙洞御所へ、後桜町天皇が御移りになった。その慶賀の際、諸大名からの慶賀の授受なども当然あった。
このどさくさに紛れ不正が横行したのではないか、と言う話が噂されているという事であった。
このことに関し、銕三郎の詰問にもかすみはその出処を口にしない。
その理由は、いくら間い正しても堅く口を閉ざし語ろうとしなかった。
(一体どうしたというのだかすみどのは?これまではなんでも話してくれたのに妙すぎる)
銕三郎意を決し、翌日この事を父宣雄に報告すべく、かすみとちよを残し、市井の者にまぎれ、西町御役所に向った。
父信雄に、これまでの経緯を全て話し、
「家族の身に危険が及ぶ恐れあり、御役所には近づかなかったものの、此度の事は書面のみにては伝へる事叶わずと危険を冒し参上致しました」
と銕三郎。
この報告を聞いた宣雄
「銕!御苦労であったな!どうにも踏み込めぬ暗所の扉が開いた思持ちがする」
信雄、少しやつれた顔を悦びであふれさせる。
「ちびっと出て来ます」