時代小説鬼平犯科帳 2021/01/27 鬼平まかり通る 2月号 初代池坊専好立華図専純、さも楽しげに声をあげて笑う。「おうそうじゃ!三条小鍛冶と云うたら東洞院を西に入った辺りに棲まいおったとかも聞きおよんでおりますがな。最も今跡もないようにききますがの…」「おお然様にございましたか、これは又よい事をお教え頂きました」そんな話しをしている間に駕籠は白壁に囲まれた烏丸六角堂前に着いた。これを見届けて銕三郎、駕籠から専純を抱え出し、再び背負い、山門をくぐって本堂前に下ろし「まずはお医師にこの傷をお見せになられてお手当を─。ではこれにて拙者ご無礼つかまります」と軽く一礼し、何やら物言いたげなかすみに「お師匠さまを何卒よしなに」と会釈する。「あの……お武家はん!少しの間でもお立ち寄りおくれやす」と、かすみが云うのへ専純「ああ長谷川はん、それよりも又お立寄りをお待ち申しとりますさかい、今日はこれにておおきにどした」と、深々と会釈した。西町御役所屋敷へ戻りついた銕三郎「久栄、本日は面白い御仁に遇うたぞ、何でも六角堂住職とか申されたな、それと確かかすみ殿と云うたかなあ若い女子だ」と、妻女久栄の反応を楽しむ如く見下ろした。「銕さま若い女子でございますか──」腰の物を袖で受け取りつつ、うらめし気に銕三郎の瞳を瞶(みつ)める。これを観た銕三郎「これはしたり、気を回すではない、ご住職の第子とか言っておられたが」安堵の色を浮べる妻女の背を見やり(やれやれ)と苦笑いを浮べる。翌日は身形(みなり)を整え月代(さかやき)にも刃物をあて、小ざっぱりとした衣服に替える銕三郎に「銕さま、本日は又何処(どこ)ぞにお出掛なされますので」久栄、腰の物を捧げつつ銕三郎を見上げる。「うん、何な、ちと昨日の住職の怪我も気になるので……」「さようにございますか、このところ毎日どこぞにお出掛のご様子─」と怨めしげな眼で見上げた。(やれやれ)と内心思いつつも「これも父上の手助けに多少なれともと思うての事、堪(こら)えよ」「理解っております、判っておりますが、銕さま、しのび香はほどほどになさりませ」と、釘を刺す。銕三郎これを聞き流し、「行って参る」そそくさと屋敷を出る。御役所を出た銕三郎、そのまま南へ下り、十八年前山脇東洋が初めて人体解剖を行ったと言われる六角獄舎横の六角通りへ進み、堀川を越えて丹波篠山、青山下野守忠高屋敷を左手に真っ直ぐ東へ進んだ。烏間通りから六角通りを東に入ると山門があり、その奥に六角堂が控えている。烏丸は川原(かわら)洲(す)際(ま)が源で、応仁の乱当時は鴨川から流れていた烏丸川の洲であったところから付けられている。銕三郎、山門をまたぎ、あざやかに色づいて実を染める公孫樹の下を掃き清めている小坊主に「拙者長谷川銕三郎と申す、御住職様はおられるかな」と案内(あない)を請うた。「ちびっと待っとぉくれやす」と小坊主かけ出して行き、暫くすると昨日のかすみが小走りに駆け出て来、「これはお武家さま、昨日はまことありがとうおました。おかげさまでお師匠様も今日はもう歩けるようにならはりましたえ」と顔をほころばせて銕三郎に輝く眸(ひとみ)を向け「お師匠はんも心待ちになされとられたんどすえ」そい言い、小腰を屈め奥へと誘う。地に達する程に枝垂れる柳を見つつ銕三郎、かすみの後について行く、その後ろ姿は二十前後であろうか、柳もかくあらんと想わす細い腰に丸味を帯びた下肢を包んで青鼠色の地に小菊の白くあしらわれた友禅の裾が小さく乱れ、小股が白く覗く。専純は本堂奥の道場に居、周りには数名の弟子とおぼしき男女の姿があった。銕三郎の姿を認めるや「おゝ長谷川はんようおいでましたなぁ」と、手を休め笑顔で銕三郎を招き入れる。「専純様!お怪我の方はもうよろしいので?」傷の治りを気遣いつつ銕三郎近寄り、誘われるまま縁側に腰を落とす。専純、傷をかばっているのか正座を避け、少しなげめに片足を伸し「おかげはんでこれこの通り、お医師はんも、傷ん手当を心得とるお人のようや、仲々んもんにおすな、云うとぉくれやして、血も止り、傷の中も洗うてあり、わしの出る幕はあらしまへんなぁ云われたんや。あはははは。これもみぃんな長谷川はんのおかげどすなぁ、のぉかすみはん」と身をのり出して来る。 [0回]PR