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鬼平犯科帳 鬼平罷り通る 三嶋山燈

鬼平犯科帳外伝

鬼平罷り通る  3月号 京入り

臍石

「ところで専純様、途中の柳は芽吹けばさぞや見事でございましようね」
と、すでにすっかり裸枝となっていた姿から最前の後ろ姿を想いつつかすみの方へ目を移す。
「おお!お目に留まったんどすなぁ、あん柳は嵯峨天皇はんが、身も心も美しおな子はんを嫁はんにしたいゆうて願わはったとこ、夢枕に六角堂ん柳ん下に行けと云うお告げがあり、そこに参ったら美しおな子はんがおいはって、それを后になされはったんやそうどす。そやさかい縁結びん柳ぃて呼ぶようになったんや。長谷川はんもどうどす?まだお独りやったらあの柳の二本の枝を重ね合せ、おみくじを結ばはったら願いが届きますえ。尤も長谷川はんは男子ぶりもよろしいさかい、もう居らはるやろうけどなあかすみはん」
専純の言葉にかすみ(少し頬を朱らめ、柳のあった山門の方を見やる。
「ところで長谷川はん、父御はんのお勤めはどないなもんでございまひょか─」
専純、銕三郎の心の奥底を見透かす眼差しで正視した。
銕三郎この専純にじっと瞶められ、嘘は通じないと悟り、
「はい、父はこの度西町奉行として参りました」
「で、あんたはんは何をされてるんどすか?」
「私は父の命で禁裏附賄方とロ向役人による宮中の汚職探索をいたております。が、京の都は江戸と違い、我ら江戸者に踏み込めないところがございます」
銕三郎、この京へ上って以頼頭を悩ませている事を素直に専純に語った。
銕三郎の切り出した
「口向役人による宮中の汚職──」
と云った時、銕三郎、一瞬それまで柔和であった専純の両眼が引き締ったのを見逃さなかった。
「ほほぅどないな所やろうか─」
専純さらりと柔和な顔に戻り、銕三郎の応えを待つた。
「何しろ本音と建前がございますようで、内に入りたくも容(い)れていただけません。
したがい真の事を探るにもその手立てがございません」
と苦笑いを漏らした。
銕三郎の話しを聴きつつ専純
「あんたはんはどないしょうと思うておいやすのんや?」
探る風に手にした花を見つめいる。
「私は口向役人の不正矯奢(贅沢)はお上のご威光を笠に着た行いであり、それが真ならば断じて見逃せません。まこと武士の恥と心得ております。これは私の父長谷川宣雄とて同じにございます」
ときっぱりとした口調で言い切つた。
「さようどすか──」
専純少し間を置き、
「長谷川はん、ちびっと待っといておくれやす」
そう断わり
「かすみはん、すまんけど紙と筆持って来てくれまへんやろか」
と、かすみに声をかける。
暫くしてかすみが筆と墨を磨りおろした硯を教机に乗せ運んで来た。
「お師匠はんこれでよろしゅうございますのん」
と専純に手渡す。
「おおきに、長谷川はん!ちびっとお待ちおくれやす」
専純筆をとり、何やらこまかな認めを書き、それをこまかく折り重ね、結び文に仕立て
「長谷川はん、これは昨日のささやかなお礼ん気持どす、受取っておくれやす、お役所の近くにおます壬生村の日下部はんに渡しておくれやす。
後の事は、日下部はんがええように計ろぅてくれはりますやろ」
おだやかな微笑みを口元に浮べ銕三郎の怪訝そうな顔をたのしむかの様に見る専純。
昨日のあの悪戯っぽい笑顔に安心したのか
「専純様その壬生村の日下部様はどのようなお方でございますか?」
銕三郎は恐る恐る専純の顔を覗うように見た。
「そうどすなぁ、壬生村の主みたいなもんどす、お行きになりはったらよう判りますやろ」
専純すでにその先の成り行きを見定めているかのごとく相好を崩す。
「それは真にかたじけのう存じます」
銕三郎その結び文を押し戴き、懐紙にはさんで納め、かすみの運んで来た茶をすすり乍ら、
「かすみ殿は、もう此処は長いのでございますか?」
何やら探りを入れる風の銕三郎の目線を受け流し、訊ねられた意味に少しの間戸惑いつつ
「うちはお師匠はんの下で五年程になります。それまでは祇園の近くでお茶酌みしてました。ある日お師匠はんが草花を摘みに粟田の方へお来しやして、花篭に入れるぶぶ(水)をうちにお求めならはって、それからうちもお花生けとうなり、お弟子に加えて頂きましたんえ」
「然様でしたか─」
「何んかおかしゅうどすか?」
クリクリと眸を耀かせて銕三郎の顔をのぞき込む。
「あっいえ別にそのぉ……」
銕三郎、若い女性にまじまじと見つめられどぎまぎする己におどろいた。
しばしの何気ない話の後、(いつまでもお邪魔するのもどうかなぁ…この辺りで御暇すれば、又お伺いする口実も見つけられるやも知れぬ)と、
「あまり長話はお体に障りましょうほどに、本日はこの辺りでお暇を─」
と立ち掛るそれに
「いつでもおこしおくれやす」
と告げる専純の言葉に深く礼を述べ、かすみに送られて山門に向った。
かすみ(、、、)はほころぶような笑顔を見せて、中ほどに見える大きな枝垂桜を指差し、
「あれが御幸桜どすえ、春ともなるとそら美しゅう咲くのどすえ、お武家はんは気付かへんかったかもしれまへんが、この左の東門の方に京のおへそがありますのんえ」
少々悪戯っぽく銕三郎の顔を伺う。
「へそ?あのぉ腹のまん中にある臍、拙者にもかすみ殿にもある臍…でございますか?」
あまりにまじめな顔の銕三郎の言葉にかすみ、思わず口を覆って笑いをこらえる。
その仕草を観て銕三郎
「これは失礼な事を申しましたようで、お許し下されかすみ殿」
頭を掻き掻き苦笑いするそれを観
「まっ!お武家はんはほんにまっ正直なお方どすな」
と再び口を手で覆い(クククッ)と笑う。
「ところでその臍が何か?」
「へぇ、この左手東門の傍に京のお臍がありますのや、見とおくれやすな」
そう云いながらかすみは銕三郎を誘い、その一角を指差した。
観ると六角形の石の真中に穴があいている。
「やっ、まことこれが京の都のお臍で……」
銕三郎おもわずしげしげとながめるのを、かすみは笑いながら
「こん石は桓武天皇はんが京に遷都されはりましたおり、道のまん中に六角はんが座っとられたさかい、天皇はんの勅使のお方が六角はんへ遷座のお祈りばしはりましたら、いきなり五丈(十五米)ばかり北へ退かはりましたんえ、そん時こん石だけとり残されて。それからずっとここに居てはりますんえ、可愛しゅうおすやろ」
と袖を口に当てて銕三郎の応えを待つ。
「然様な事が、いや実に愉快にございますな。御上に遠慮なされ六角堂が場所をゆずられるとは──実に実にあははは……ああついでながらかすみ殿、そのお武家様はお止めいただきませんか」
「まあ、ほんなら何とお呼びすればええのどすやろ」
「はい拙者幼名を銕三郎と申しますゆえその方がうれしゅうございます」
「てつさぶろうはん……でございますの…うふふ…」
「可笑しゅうございますか?」
「いえ、決してそないな事やおへん、何んやこう……うふふっ」
かすみはふくみ笑いを袖に隠し銕三郎をふりかえった。十一月の空はさわやかにどこまでも碧く続いていた。
銕三郎戻る方角も同じなので、早速壬生村の壬生寺傍にあると聞いた郷士の日下部家を訪ねた。
玄関で案内を請い、出迎えた若党に
「拙者長谷川銕三郎と申します、頂法寺住職専純様より文を言付かって参りし者、主殿に御取次願いたし」と口上を述べる。
若党、銕三郎より結び文を受け取り
「へぇ、少々お待ちを」
腰をかがめた後奥に引込み、すぐ身形りもそれと判る初老の男が出て来
「よろしゅうございます、なんとぞ明日もういっぺんお越し願えませんやろか」
と正座し、両掌を膝に置き、銕三郎の人品骨柄を見透かすまなざしで応えた。
銕三郎身の引き締まる威圧感を覚えながら
「はい、しからば明日この刻限に参上仕ります」

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