忍者ブログ

鬼平犯科帳 鬼平罷り通る 三嶋山燈

鬼平犯科帳外伝

鬼平罷り通る 4月号 再会



深く頭を下げ帰宅した。
銕三郎の高揚した面持を、妻女の久栄差料を受けつつ
「銕さま何ぞ良い事でもおありになられましたので?」
さぐる目つきで見上げた。
「んっ ああいや大した事ではない、六角堂の住職に招かれたゆえ出掛けたまで」銕三郎、外着をくつろげる普段着の袖へ通しながら…
「それより父上はまだお戻りにはならぬか?」
「はい本日はまだお戻りにはなられておりませぬ、何か急ぎの御用でも?」
訝りそうな妻女の眼差しを背に銕三郎
「いやさほどの事ではないが、明日より儂も父上の助役として忙しゅうなるやも知れぬ、その事に関し、父上の判断をいただかねばならぬ」
銕三郎本日の出来事をかいつまんで久栄に聞かせた。
そうこうしている内に父宣雄が戻って来た。
「父上お戻りになられましたか、ところであちらの方に妙な動きはまだ?」
宣雄は立ったまましばし目をとじた後、
「我ら町奉行では歯が立たぬ相手だと太田殿が申しておられたそうだが」
宣雄は苦々しそうに宙をみつめた。
「その事で父上にお話しいたしたき事がございます」
銕三郎これまでの経緯(いきさつ)をくわしく話し、今後の取るべき指図を仰いだ。
「六角堂の主か──。銕!こいつは想わぬ道が開けるやも知れぬな」
信雄の顔に少し安堵の色が浮んだ事に銕三郎胸をなでおろした心地であった。


翌日の昼七つ(午後四時)、銕三郎は身形を整え、壬生村の日下部家を訪れたていた。
主人の案内で通された奥座敷の前、で主は居ずまいを正し
「おこしにおます」
と中に声をかけ、静かに襖を開く、そこは明り取りの雪見障子より漏れる光と、わずかに一本の灯明があるのみので、人の気配すら感じない程の静寂感に銕三郎(はて──)と下げていた頭(かしら)を上げた。
相対主は床の間を背に居、銕三郎に
「どうぞ」
と中に入る様促す。
銕三郎再度低頭し、
「御無礼を仕ります」
と両刀を控える主人に預け、中に進んだ。
襖が静かに閉ざされ、立去る足音ひとつ聞えてこない。
「よぉお見えで─」
低く重味の加わった静かな口調であった。
銕三郎思わず身体に震えを覚えた。言葉と声から放たれた威厳とでも呼べる抗いきれない力である。
「ははっ──」
銕三郎身の引き締まるのを覚えつつ胆気で腹にぐっと力を込める。
「あんたはん、六角はんから会わせたい云われたお人どすか」
恐る恐る顔を上げた銕三郎の双眸(そうめ)の奥底を読み取るかのごとき眼光に、銕三郎脂汗がじっとりと吹き出すのを覚える。(武家などから受ける高圧的な重みではない、この腹の底までものしかかるような威圧感、これが京という物なのか─それにしても恐ろしいほどの威厳だ)
それはほんの一瞬であったろうが、銕三郎には身体が金縛りにでもなった風で、長き刻のごとく想われた。それを破るように
「あんたはん、六角はんからの言付、見てへんのどすか?」
銕三郎やっとこの明るさに眼も慣れ、正面に座している人物の風貌が視てとれた。
すでに七十近くと想われる白髪を、そのまま肩辺りで揃え、縹(はなだ)色(いろ)(淡い藍色)の表に裏は白のお召・同色の羽織、金糸を織り込んだ西陣綴帯に手の込んだ象嵌造(ぞうがんづく)りの真(しん)塗(ぬり)脇差の拵(こしら)えで紫の座蒲団に座していた。
實(まこと)に穏やかそうな人物である、が─銕三郎を瞶(みつい)める眸(ひとみ)の笑っていない事を銕三郎素早く読み取った。
「はい、結び文は一度開けば決して元通りには結べません、しかも専純様よりのお言伝ならば尚更にも」
と低頭して応える。
「ならよろしゅうおす、祇園の狛(、、)の(、)を訪ねなはれ、そこでこれを見せとぉくれやす、あとはあちらはんがええようにしてくれはります」
と云い乍ら懐から懐紙に包んだ物を銕三郎の前に置いた。
「これは?」
縹(はなだ)色の紐を結んだ物のようで、銕三郎は初めて目にする物であった。
「まぁあんたはんのお護りどすな」
「私のお守り?」
「そうどす、何んかの時役に立つやろ、これからあんたはんの眼と耳になりますやろ」
と、銕三郎の反応を味うかのように、先程とは打って変った穏やかな面差しである。
「ははっ真にかたじけのうござります」
 銕三郎低頭して応えた。
少しして襖の外から
「よろしゅうございますやろか」
と声がかかり、襖がすべる様に開き、先程のこの家の主人が控えている。
「真にご雑作をおかけいたしました」
銕三郎あらためて挨拶をのべた。

拍手[0回]

PR