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鬼平犯科帳 鬼平罷り通る 三嶋山燈

鬼平犯科帳外伝

鬼平罷り通る  5月号 壬生の隠居



「へぇお役に立てればよろしゅうおす」
主は銕三郎を部屋の外へと誘う。
玄関を前に銕三郎、先程より心に罹(かか)っていた事を口にしてみた。
「主どの、真に失礼とは存知ますれどお許しの程。
先程の御人はどのようなお方でござりましょうか?」
先に立っていた主人足を止め銕三郎を振り向き、
「あんお人は壬生のご隠居はんどす、これ以上はかんにん」
と、再び前(さき)に立ち、銕三郎を広玄関に案内した。
銕三郎、先程壬生の隠居から渡された紐の事が気になり、
その足で祇園へ取って返すべく足を向けた。
めざす揚屋狛のは祇園町薮ノ下、周りは軒も連なるように茶屋が立ち並び、
目の前は祇園社が控え、後ろは建仁寺とまさに祇園の目貫である。
厨子(つし)二階の緩やかな起(むく)り屋根に、仕舞いは一文字瓦で軒を整え、
表は紅殻格子(こうし)が美しく組まれている。
表は犬(いぬ)矢来(やらい)が組まれ、厨子には木瓜の虫籠窓が漆喰の白さに
囲まれ柔らかな面立ちを見せている。
この角を丸く収めた横窓は江戸で見ることはなく、銕三郎には珍しい眺めであった。
紅殻(から)はインドのベンガル地方から輸入された酸化鉄の出す赤色顔料、
赤土などに含まれる色素は備中岡山の吹屋村で作られ、
また木材などには防腐剤としても多用され、石州瓦や器物などの赤褐色はこの紅殻による。
(京という街はどこまで行っても雅なもの──江戸の荒々しさとは比べるべくもない。
あはははは、東男に京女かぁふふふふ)ふと先日のかすみの柳腰に
チラと覗く引き締まった小股の白さが思い浮かぶ。
隣は仕舞屋(しもたや)(店じまいした店)があり、今は町家になっているようで、
人の出入りもなく静けさの中、侘びた風情を見せていた。
銕三郎云われた通り、あないの者に紐を見せると
「どうぞ」
と先立って厨子(つし)二階へと銕三郎を導いた。
「お見えになりはりました。ほなよろしゅうに」
とそのまま襖の前に銕三郎を残し立去ってしまった。
(何と…) 銕三郎少々戸惑いを覚えつつ
「御免を仕る」
と襖を開いた。
「あっ!」
銕三郎の眸(ひとみ)が大きく見開かれ、あっけにとられた口はそのままに、
その部屋の奥を凝視したまま釘づけになった。
虫籠窓から入る光を背に、匂やかな女性(にょしょう)の丸い肩が飛び込んできた。
「うふふ……」
「か・か・かすみどのが又──」
銕三郎双眸(そうめ)を見開いたまま、
想定外の景色を受け入れがたく呆(ほう)けたようにそれをみつめる。
「銕三郎はん、お待ちいたしとりましたぇ」
利休鼠の大島紬に楓で染めた薄色目に桔梗・白菊・女郎花など秋草を織り込んだ
袋帯の上に茜珊瑚色の帯揚げで身を包んだかすみが座していた。
「いや又、何故どうしてここにかすみどのが……」
銕三郎、辺りをきょろきょろ見回すものの、当のかすみ以外人の気配もなく
狐につままれた面持ちの顔
「可笑しゅうどすか?」
袖を口元に運び、悪戯っぽい瞳で迎える。
「いや驚きました、まさかこの様な処で」
(壬生の隠居は儂のお護りだと言われたが、まさかそれが女性、
それもあのかすみみどの……。悪ふざけとも想えぬものの、
はは─なんとも驚くやら嬉しいやら)そんな顔で見つめた。
「うち、先に云いましたえ、祇園で茶酌みしてたて」
この謀(はかりごと)に見事嵌(は)まって鳩が豆鉄砲食らったような銕三郎の顔を、
目元もほころばせてかすみが見やる。
「んっ確かに、ですが─。壬生のご隠居様とは?又六角堂の専純様は……」
この繋がりからかすみは結びつかなかったからであろう。
「へえ、うちはご隠居はんとお師匠はんの眼と耳の一人どす」
「一人─と云う事は他にも…」
(もしや父上が申されて居られた奥の院への入り口となるのか)
と言う疑念が脳裏の片隅に朧(おぼろ)げながらも浮かんだ。
「そらぎょうさんおいでます」
ちらっと上目遣いにかすみ銕三郎の顔を盗み見るように
「ですが、御隠居様は今後私の目と耳にと申されましたが」
「へぇ、そない云いつかりましたぇ、なあ銕三郎はん、
こん紐のことお知りになられへんのやろう」
「はい確かに、見せれば判ると申されましたので」
(まさかこのかすみどのがそうであろうはずもなかろう、
喩え花界に身を置いていたとしても、とてもそのような形には見えない)からだ。
「そうやろなぁ、これは結び紐云ぅて、結び方や色により色々に意味があるんどすぇ」
「何んと、そこまで裏があるとは」
銕三郎、京と云う町の表と裏、本音と建前の奥深さを初めて思い知らされたのである。
「これはうちのもんどす」
そう云ってかすみ、七分の血赤珊瑚玉簪を抜いて銕三郎の前に差し出した。
紅く燃え立つ珊瑚玉のそこには兎の陰刻(かげぼり)がほどこされてあった。
「これは?」
「これはうちの証しどす、うちらだけに判る標(しるし)どすえ」
「へぇこのようなものにも一つ一つ意味があるのですか」
銕三郎しげしげと珊瑚玉とかすみの顔を見比べる。
「いやそれにしても美しい……」
銕三郎まじまじと眺めつつ思わず口を突いてしまった。
「いやぁほんまに?うちほんまに綺麗?」
かすみ、牡丹の花の一気に開くが如き笑顔をほころばせ、銕三郎の顔を凝視した。
「えっ?……。はいこの珊瑚玉と帯揚げの色目がかすみどのによう似合ぅて──」
代わる代わる両者を見つめる銕三郎
「珊瑚玉?帯揚げ?──。ンもう!銕三郎はんのいけず!!」
拳で銕三郎の肩をトンと打ち据え、横を向いてしまった。
「ああああっ!これはしたり、いやぁかすみどのはそれにもましてお美しい──」
慌てて取り繕うも後の祭りであった。
「んもう知りまへん!」
横を向いたまま口元を真一文字に結び、目を閉じて完全に無視の体
(こいつは困った!はてさて女子と小人は養いがたしというが、
おなごは難しいものだ、どうにかこの場を収めねば…)
頭を抱えつつ……(おお!そうだこの手があった)と銕三郎
「いやぁ又そ"かすみどののすねた横顔、なんとも美しい!しばし見取れてしまいます」
これはまぁほとんど本心であった。
それ程かすみの横顔は虫籠窓から差し込む暖かな日差しに、顔の輪郭が縁取られ、
半日陰にうなじの白さが浮き上がって見え、
ふわりと産毛が陽光に透けて艶めかしさを覚えた。
「またうちをかまされますのやろ?」
プンとふくれたままかすみ
「かます?何ですそれは?」
「んもう銕三郎はんのいけず!!うちをからこうておられますのやろ!」
「違う違うそれは違います、まことそう思うたからそう申しました」
少々冷や汗ものではあるものの、正直な気持ちである。
「ほんま!うちほんまにかいらし?」
弾けそうに顔をほころばせ、大きな瞳を開けて銕三郎に飛びついてきた。
「まままっ真でございます!」
銕三郎、かすみの柔らかな肉体(からだ)の感触と肌のぬくもりを受け止めつつ
引き離そうとするそれに
「こんまま…こんままで……」
かすみの指先に力が籠る。
白く抜けたうなじのあたりから、かすかに誰が袖の白梅香がこぼれる。
「色よりも香こそあはれと思ほゆれ 誰が袖ふれし宿の梅ぞも」(古近和歌集)
そこは静かに穏やかなひと刻(とき)が流れる。


こうして銕三郎、新しい探索の第一歩をふみ出す事となったのである。
この日役宅に戻り、父宣雄に報告に上った。この一部始終の報告を聞いた宣雄、
「太田殿より白足袋者について伺ぅた、彼らは常に白足袋を用いておる者達の事、
言うならば陰翳(かげ)の者とも云える。
我らが江戸表より申しつかった口向役に妙な動きがあるゆえ、
心して探索(さぐる)様との下知であったが、京とはおかしなところ、
我らの立入れぬものがある。
地下官人や武家(ぶけ)伝奏(でんそう)が禁裏附と深い係わりを持っておるが、
この辺りがどうしても我らには入り込めぬそうな。
その入口こそこの白足袋者の持ちしもの、どうやらその壬生の御隠居、
よほど上のお方やも知れぬぞ。六角堂の当主は仙洞御所に出入りする力を持っておると聞く。
それ程のお方がお前の後ろに附いたとなれば、
これはまさに百万の味方を得たのも同じ。だが銕!先の太田殿の隠密同心殺害の一件もある、
せいぜい心して当たらねばならぬぞ」


 

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