時代小説鬼平犯科帳 2015/07/15 7月第2号 「鉄砲」 浅草三社祭 絶品!烏賊の鉄砲春の夜風が程よく袖の中を抜けてゆく浅草三社祭「びんざさら舞を見終え、残るは出店の冷やかしが忠吾の目的、運よくば「むふふふっ」と鼻の下を少々長めに冷やかし始めた。この三社祭は3月17・18日で丑、卯、巳、未、酉、亥、の一年おきが本祭。諏訪町、駒形町、三間町、西仲町、田原町、東仲町、並木町、茶屋町、材木町、花川戸町、山之宿町、聖天町、浅草町、聖天横町、金竜山下瓦町、南馬道町、新町、北馬道町、田町の18ケ町の氏子が担ぎ込む山車が大きな見どころである。が、忠吾の見どころは違っていたようで、清水御門前の火付盗賊改方役宅に戻った忠吾、「村松様!いつ行っても三社祭はよろしゅうございますなぁ、時に食い物がこれ又旨い。私はいかのテッポウが気に入りまして、2本も食べてしまいました」と報告した。「忠吾鉄砲は撃つものじゃ、まぁお前の鉄砲では茶屋女も落とせまいがのう」「あっ 村松様それはあんまりなお言葉、この木村忠吾左様な経験は一度もござりませぬ」とおカンムリの様子に、「まぁよいわ!それより忠吾、イカのテッポウとはどのようなっものであった?」「はぁそれはそれは美味しゅうて、私は2本も平らげたと先ほど」「それじぁ そやつはどのような姿(なり)であった?」「まぁ このイカを丸ごと竹串に刺してタレに浸けたものを火で炙ったもので、中にゲソなどがつめ込まれておりまして、それはそれは香ばしく・・・・・嗚呼今思い出してももうヨダレがそのぉ」「忠吾、そやつはズケ焼き、別名をテッポウと言うやつじゃ」「ずけやき? でございますか?」「よくやられるのは古くなったイカを安く叩いて買い求め、それを濃い目のタレに浸して焼き上げるやつでのぉ、まかり間違えば腹を壊す、そこでイカに当たったと言われるところから、ズケ焼きを裏ではテッポウと呼ばれるのじゃ、それ下手な鉄砲数打てば当たると申すであろう。お前も腹を下さねばよいがのう」「まぁそれはないでしょう、これこの通りモリモリパクパク元気でございます」「やれやれお前には何も通ぜぬ・・・・・・」ところが翌日になっても忠吾は出所してこない、心配になり長屋を見舞うと「村松様、やはり私はこっちの方は下手でございました」「なに 忠吾、そっちの方はお前は名人じゃ、おなごは空打ちでも、食い物はたった2発でそのざまじゃ」「村松様ぁ それは村松様のお言葉とも思えませぬ、あいたたたたぁ」この日は平蔵久方ぶりにのんびりと縁側に煙草盆を引き寄せ一服つけていたところへ・・・「おう猫どのご苦労であった、で、忠吾はいかがであった?」「はい まぁいつものことなれば、さほど案じることもござりません、なにしろ食い過ぎで腹をこわすのはいつもの事、1日寝ておれば治ると医者も申しておりました」「おっ それはそれは わはははは」平蔵も呆れてしまう。「所でそのテッポウじゃが、真はどのようなものなのだえ?」猫どの、すすすすっと膝を乗り出して、「お頭、よくぞお尋ねくださりました」ともうすでに頭の中はその話しで溢れている様子。「富山の氷見の名物にて鉄砲と申すものがございます。作り方もそれぞれ各自に工夫がござりますが、氷見は立山の山並みから雪解け水が流れ込みむ富山湾だからこそ魚類が旨い。こう、深い湾に谷間があり、これを(ふけ)と呼ぶそうにござります。ここに川の水と魚がぶつかるところがあり、これを(ふけ際)と呼んでおります。スルメイカは刺し身などに向かぬ故おろそかに扱われることが多ゆぅございます。それをうまく工夫したのが鉄砲でございます。イカは焼くと少々縮む故それを見越した大きさを選ぶことがコツの一つで、中身を抜いて綺麗に洗い、まちごうてもイカスミを潰さぬよう、潰れたが最後そこら辺りも真っ黒になってしまいます。イカのゲソを細かく刻み、小切りのワタを合わせ、玉ネギ、ニンニク、ショウガを微塵切りにし、鉄鍋に酒を少々入れて、軽くこれに火を通します。出来たなら、これに大葉の細切り、麹味噌、砂糖、酒でよく混ぜてイカ味噌をこさえ、これをイカの胴に七・八分ほど詰め込み、楊枝で口を止めまする。胴に切込みを少し加えて、味噌の味が染み込みやすく細工を施し、こうして、まずは表裏を焼き、次に切り目にも砂糖、酒で伸ばした味噌を塗りこみ火で炙る。パチパチとイカの表が弾け、ポンポンと身が膨れてくる、これと同時に味噌の薫りが・・・・・楊枝を抜くとポンと音がする故これ、テッポウと名付けられたとか申します」。「へへ~ぇ なるほど鉄砲とはウムウム面白ぇ」どうやら平蔵興味を覚えたようすに、「一つ今夜は氷見の鉄砲と参りましょうか」「おう それは良いそれは良い、へへへっ これで酒が又旨い のう 佐嶋」「これは何とも・・・・・はははは」この男が酒豪であることは、平蔵の他に知る者は居ない。その二日後、平蔵は忠吾を供に本所弥勒寺前の茶屋「笹屋」に寄った。「おい おクマはいるけぇ」「誰でぇおらを呼び捨てにする奴ぁ」ブツブツ言いながら骨と皮だけの、まるで干物ように痩せこけた老婆が出てきた。「あれっ 銕ッツアンじゃぁねぇけ!」破れ鍋叩いたようなダミ声で飛びつかんばかりの喜びよう。「なんでぃ 久しく顔を見せねぇでよぉ、銕っつあんも冷てぇじゃぁねえかい」「おい お熊それが挨拶代わりかえ?」「他に何があるってんだぃ」「おかしらぁ」と度肝を抜かれて忠吾。「おや アンタもいたのかい、へぇ青瓢箪見てぇになまっ白くてよぉ、お役に立つのかい銕っつあん」「何だとこの婆ぁ」いきなり生瓢箪と呼ばれて頭に血が上った忠吾。「おい 忠吾よさねぇか、お前ぇの歯の立つ相手じゃぁねぇよ、彦十が持て余す奴だからなぁ」「おんやぁ 銕っつあんアンチクショウの名前を此処で出す事ァねえだろう!」と相変わらずの伝法な老婆である。「お頭、まるで鬼婆ぁでございますなぁ、よくもこのようなところへお出入りなさいます」呆れる忠吾に「なぁに忠吾、鬼の平蔵が鬼婆ぁの所にいても可笑しくはねぇぜ、なぁお熊」「あたぼうでぃ んで、銕っつあん今日は又何か用で来たのかい?」「おうおう それそれその事よ、なぁお熊、お前ぇ聞いちゃァいねぇかい香具師の繁造」「ああ この所しばらくぁ野郎の姿を見かけねぇなぁ」と言いながら茶を出してくる。「アンタもいる(必要)かい?」「おれはお頭のお供をしておる、したがって茶をもらうのは当たり前であろう」「わかったよぉ けどお前さんはお足をちゃんと頂戴するからなぁ」「っくくっ 口の減らない婆さんだな」「当たり前ぇよ 口がへちゃぁ旨ぇ酒も呑めねぇじゃぁねぇか」「おかしらぁ」「忠吾やめておけ!こいつに勝とうと想うのが10年いや30年は早ぇぜ、わはははは」「うううううっ おかしらまでそのように」忠吾完全に切れた様子である。「で、なんでぃ?繁のやろうがどうかしたかい?」「うむ こいつの話では浅草三社祭があったそうだが」「へい この17,18とござんしたよ、それがどうかしたのけぇ?」「うん 大抵1度は本所の役宅に顔を出すんだが、今年はまだ顔を見せねぇ、そんな奴ではないのだがなぁ」平蔵のいぶかる言葉に「そういやぁそうだなぁ、義理堅ぇ野郎だもんなぁ」お熊も不思議そうに平蔵の話を聞いている。「銕っつあん、ちょいと待っとくれよ、どこにも行っちゃぁいやだよぅ」と皺くちゃな前掛けを外しながら出かける様子に「おいお熊 お前ぇどこに行くつもりだぇ」と念を押して尋ねた。何しろ「銕っつあんちょいと出かけて来るから店番頼むよぅ」と、出かけたきり2日も帰らなかった前科がある。「ああ ちょいとこの先の香具師の家さね」言いつつ、もうひょこひょこと出かけてしまった。「お頭、とんでも無い婆ぁでございますなぁ」と忠吾の言葉に平蔵「忠吾、あれで中々役に立つ、ああ見えても上は将軍様から下は在所のゴロツキまで、およそ怖ぇものはねぇ、とうそぶくほどの度胸もある。見た目以上に顔が広くて話が通る」「そんなものでございましょうか」忠吾はお熊婆さんにやられっぱなしで、ふんまんやるかたなしの面持ちでむくれている。「銕っつあん 判った判ったよぉ、あいつの話じゃぁ繁造はこの所見かけねぇんで、親方にたずねてみたら、どうも浅草の三社様で、店放り出して野郎フケちまったようで、それっきり戻っていねぇってよぉ、どうしようよ、ねぇ銕っつあん」お熊婆ぁは首の手ぬぐいで額を拭いながら平蔵の前に座り込み顔を見上げ細い眼を更にショボショボさせていた。「お熊 繁造は確か鉄砲が売りであったなぁ」「ああ 野郎のは中々評判がよくってさぁ、だけんじょどうしてフケちまったんだろうねぇ」「ウムその辺りをもう少し探ってはくれぬか」「お上の御用ってぇんだねぇ、いいねぇ解ったよぅ銕っつあん、だから又寄っておくれだねぇ」「あい判った、また出かけてまいるによって、よろしく頼んだぜぇ」「あいよ!このお熊にまかしなってことよ!」あれから5日が過ぎた。本所菊川町の平蔵役宅に「銕っつあんはいるけぇ、笹屋のお熊が来たと銕っつあんに取次な!銕っつあんに会わせろやぁ、と薄汚い形(なり)のみすぼらしい老婆が長谷川様を訪ねてまいっておりますが、いかが致しましょう」と門番が伺いに来た。「何!お熊だぁ おう こっちに回せ!」と平蔵ニヤニヤしながら待ち構えた。「何でぇい おらの顔を忘れちまったのけぇ 能なしの門番だぜ」とぶつぶつ言いながらお熊が裏から入ってきた。「お熊よく来たなぁ」「銕っつあん 判ったよぉ 判ったよぉ」お熊は汗を拭き拭き平蔵の顔を見上げた。「おお 朝早くからご苦労ご苦労、ところで何かつかめたようだのう」「あたぼうよ!このお熊に抜かりがあるわけぇねえだろう銕っつあん!」平蔵はこの伝法な口調には慣れ親しんで、ニコニコ笑いながら受け応えているが、そばの佐嶋忠介の顔は苦虫を噛み潰した面持ちでお熊を睨みつけている。「あれまぁ この旦那おっかねぇ目ぇしているけんじょ、大丈夫なのけぇ銕っつあん」と佐嶋の気迫に驚いた様子である。「お熊 これはな おれの懐刀で佐嶋と申してな、役宅一のおっかねぇお役人様だぜ」「へぇ~ 道理でこの先(まえ)のうらなり瓢箪たぁ肝の座りが違うはずだよぉ」「お頭、そのうらなり瓢箪とは・・・・・まさか」「わっはっは その 通りよ、さすが佐嶋、まさにその通り忠吾よ」「あっ やはり これは・・・・・」と佐嶋もお熊の言葉に合点がゆくらしく頭を掻く。「おめぇさん 話がわかるじゃぁねぇか 今度弥勒寺の笹屋に寄っとくれよねぇ、ねぇ銕っつあん、いい男だもの えへへへへへへぇ」「おいお熊 お前ぇいつになったらその気が失くなっちまうんだぇ?」「銕っつあん そいつぁねぇだろうよぉ 女は灰になるまでってねぇ ねぇ旦那」流し目を送られて、さすがの筆頭与力佐嶋忠介も無頼の者相手と違い、この歯の抜けた干物のような老婆の毒気にはタジタジと見えた。「繁造じゃけんどよぅ、親方の話だと三社様で向かいの出店の吉松が囲いを解こうとしたら繁造がもう屋台でズケの仕込みをやっていたのをみて「繁造さん早くから精が出るねぇ」と声をかけたんだとさぁ、そしたら繁造の店の裏の桜の木の辺りから野郎が二人出てきて、繁造を連れてどっかに行っちまって、それっきり帰ぇってこねぇってよぉ」「では吉松は繁造を見ているのだな?」「ンだどもそっから先が判らねぇ」「よくやってくれた、ところでお熊!吉松はいまどうしておる?」「親方の話じゃぁ次の縁日の仕込みをしなきゃぁなんねぇで、今ん所は在所にいるんじゃぁねぇかい」「あい判った、そこまで調べてくれりゃぁ大助かりだぜ」「ほんとかい銕っつあん!お役に立てたんだねぇ えへへへへへへ」お熊はしわくちゃの顔を更にクシャクシャにして佐嶋の方へチラと流し目を送り、「旦那! 待っておりやすよぉ」このオババの毒気に、さすが豪快な佐嶋忠介も声も出ず「むむむむっ!」とうなっただけ。「あれまぁこの旦那 うぶじゃぁねかぁよぉ、それが又かわいいよぉ」佐嶋忠介マジ切れ寸前である。「松永はおるか?」平蔵は個人的な事件ということで盗賊改めの事件扱いには出来ないので、探索の名手を指名した。「松永これに控えました」と松永弥四郎が廊下に控えた。「おう 松永個人的な探索でのう、すまぬが香具師の吉松を探してきてはくれぬか、居場所は南本所中之郷瓦町と聞いておる、重要な手がかりを持っておるやも知れず、心して当たってくれ」「承知をつかまつりました」松永はその場から南本所へと出向いた。その夕刻鉄砲町の文治郎から「権現様の裏の畑の中からヤクザ風の男の死体が見つかった」と知らせがもたらせれた。「文治郎 すまねぇが更に詳しいことが分かり次第ぇ知らせてくれねぇか」と平蔵「承知しやした長谷川様、なぁにねおっつけ詳しいことがわかると思いやすよ」文治郎の言った通り翌日その男の身元が割れた。「繁造という香具師のようでございます」と文治郎からつなぎがあった。「何と・・・・・・」平蔵は虫の知らせが的中した時の嫌な気分で膝をついた。この昼前に松永が香具師の吉松を伴って本所深川菊川町の平蔵が役宅に出向いてきた。「おう 吉松済まなかったなぁわざわざ出向いてもらってよ」「とんでもございやせん、ちょいと仕込みに出かけておりやして、遅くなりやしたへぇ」「ところでなぁ吉松、お前ぇ三社様で繁造を見かけたそうなが・・・・・」「へぇ よっく覚えておりやす、と言うのもあっしが三寸の囲いを解こうと出かけやしたら奴さん、もう仕込みに入ぇっておりやして、真面目な野郎だと感心しやしてね、それで声をかけたのでございやすよ、すると小屋の後ろから二人の男がいきなり出てきて繁造さんをひっつかまえるように奥に生入ぇりやした、その一人は長包丁を挟んでおりやした」「で、そ奴らの人相は?」「へぇ あまりに素早い出来事でしたので・・・・・・・」「見てはおらぬのか?」と平蔵無念そうに「へぇ ですがね、あの顔は一度見たら忘れられませんやぁ、何しろこっち・・」と言いながら左の頬を指先で上から斜め下に向かって口元まで引き下げた。「刀傷かえ?」「へぇあれぁ 長包丁でやられた痕とおもいやす」「うむ よくぞ覚えていてくれた、礼を申すぞ、ご苦労であった、ただな 少しの間用心いたせよ、繁造の躯(むくろ)が出た故な」「ええっ!・・・・・・・まさか・・・・・・」「うむ だがな、おそらくそのまさかであろうよ」しかしこの平蔵の心配が的中した。翌々日の朝、南本所の枕橋に吉松の死体が浮いているのを棒振りの魚屋が見つけた。清水御門前の火附盗賊改方役宅に平蔵の姿があった。「人別帳で左頬に刀傷のある奴を洗い出せ」と留守を預かる同心に下知が飛んだ。「おかしら!ございました!」おそらく此奴に間違いございません。「博打手入れのおり捕縛され、浅草人足溜まりに送られております名は無宿者十三と記されておりますが、元はどうやら何処かの禄を食んでおりましたるようで、頬の傷はやくざの出入りで受けた刀傷と」「よし、そやつを捜しだせ、で、捕縛された折の博打場は何処である?」「はい 下谷の当在寺裏の小屋敷と記されております、この辺りは度々賭博が開かれておりますようで、何しろ寺が進んで場所を提供しておる所もあるよし、その売上の幾ばくかを寺に収めることで待ち方からの探索が入りにくい寺はよく遣われるようにございます」「うむ だから寺銭と呼ぶそうな」平蔵苦笑しながら寺社の目の付け所に関心の体である。「五郎蔵を呼んではくれぬか」その昼過ぎ大滝の五郎蔵がかしこまった。「おう遠いところをすまねぇ、下谷あたりで大商いの博打がねぇか、探ってはくれぬか?おれの勘ばたらきだがなぁ、この無宿者の十三はこの界隈がヤサの様に思えるのだ」さすがに大滝の五郎蔵その行動力も素早いが手下の数も多いと見えて、翌日には平蔵の元へ情報がもたらされた。「どうやら下谷のご大身の下屋敷で一日おきに賭博が開かれるようで、近々大きな賭場が開かれるという聞き込みがありました」「おお、さすが五郎蔵だ、てか(手下)の動きが早ぇ下谷と言やぁ上野不忍池、その辺りだとすると・・・・・・」「下屋敷と言えば松平加賀守様か飛騨守様のお屋敷がすぐその先に」と佐嶋忠介「さすが佐嶋よく存じておるのぉ、何と言っても加賀藩下屋敷となれば、出入りの者もその辺りでは上客と見たほうが良さそうだのぅ」その日の内に五郎蔵とおまさの夫婦が松平飛騨守下屋敷に潜り込んで仕掛ける。「こいつで、泳いでくれ」と財布ごと五郎蔵に手渡す。「こいつはどうも・・・・・長谷川様・・・・・」「五郎蔵 餌は大きけりゃぁ食いつきも早ぇ、後は任せる、ただし奴は元を正せば二本差し、用心するにこしたことはなえぇ」「へぇ承知いたしました」こうしてやっと賽の目が転び始めたのである。五郎蔵おまさの二人が最初に仕掛けたのは上野寺前町の松平伊豆守下屋敷・・・・・だが、此処では目当ての十三は見えなかった。翌日、今度は松平飛騨守下屋敷中間部屋。丁方におまさが座り、半方に五郎蔵が陣取っての勝負。終盤までにはおまさの方に分があったようで、半方の勝利となった。客は寄せられたふうで、町人もいれば商人や見るからに博徒の身なりや町屋の御内儀もいて丁半コマが揃うのにも賑やかであった。一進一退の攻防の末、まさは目利きがよく、十両近くを稼いでいた。さて、そろそろお開きというところで、おまさの隣で張っていた遊び人風体の小男が「ねぇさん 、もっと稼ぎたくねぇかい?」と話しかけてきた。おまさは向かいの五郎蔵に目配せを送り「おや、もっと稼げるところをご存知で?」と男を見返した。「まぁ此処じゃぁ何だから・・・・・・」「ああ いいよ!」おまさは換金を済ませて外にでる。おぼろ月が雲を枕にぼんやり外界を眺めている。「その稼げる場所はどこだい?」おまさが口を切ると、植え込みの陰からぬっと陰が出てきた。「その男の顔が月に照らしだされて、はっきりと左の頬に刀傷が」「やはり出おったか、で 其奴は二本差しであったろう」「へい まさしく長ぇのを一本差しておりやした」「ふむ 間違いない十三だ!」平蔵はこの長い事件の仕上げが見えてきた事に少し安堵の色を伺わせていた。「で、明日、場所は上野七軒町松平大蔵の下屋敷、仲間部屋であるな!」「へい 間違いございやせん、おまさも あっしもはっきりとこの耳で確かめておりやす。「よ~し判った、明日はおれが出張ろう」「エッ 長谷川様自らお出向きなさるので」「うむ 敵は盗賊ではないし、かと言うて元は二本差も加わるやも知れぬ、お前ぇ達二人に危ねぇ真似をさせては舟形の宗平父っつあんに申し訳が立たねぇからなぁ、あははははは」こうして三名が、翌日上野七軒町松平大蔵大輔下屋敷の仲間部屋に揃っていた。なるほど前口上の通り昨日の客筋とは打って変わって大店の主や御内儀風の風体が目立っている。うむ こいつなら仕掛けてくる公算が強い。おまさが胴元近くに座り一人挟んで平蔵が座った。五郎蔵は半方の胴元寄りに席を占めた。場も終盤を迎えたころ、末席に月代(さかやき)の伸びた無頼人が腰を落とした。(やつだな!)平蔵はチラと眼を投げ、河内守国助を手前に引いた。それを認めた五郎蔵がおまさに目配せした。結局今夜もおまさの方が目が揃い、五十両近くの札が集まっていた。「此処で差しの勝負を」と おまさが口火を切った。「しばらくお待ちを」と一旦引き下がった胴元が「お引き受けいたしやす」と応え、定位置に着いた。五郎蔵とおまさの一騎打ちという図式だ。「賽の目を替えておくんなさい」と、おまさがサイコロの交換を迫った。「よぉござんす」と新しいサイコロをおまさの眼の目に差し出した。「確かめさせて頂きます」とおまさ 一つ一つ確認して、「そこの旦那間違いないかよく見ておくんなさいよ」と一個づつ放る「うんっ!」その声に一同の目が五郎蔵の方に釘付けになった一瞬、おまさは残りのサイコロをすり替えた。「五郎蔵はさも勿体をつけるふうに掌の上で幾度か転がし、「へっ これでようございます、残りの物を」とその賽の目を代貸しに回した。「よく見ておくんなさいよ」と残りの一つを五郎蔵にポンとおまさが放ってよこした。「結構でございます」と再びサイコロは代貸の手に。「冠ります!」見事な手さばきで壺を伏せた。「丁!」おまさが入る。「半!」五郎蔵が続けて入った。「勝負!」ゆっくりと壺が上げられたその瞬間「その賽の目イカさまだ」と後ろのほうから声が飛んだ。「何ぃ!この賭場がイカサマをやっているってお言いなさるんで!」「先程賽の目を検める時に、その女が賽の目をすり替えた」その場がざわめいた隙にその男が貸元に近づき、「金をもらおう!」と刀を抜いて長火鉢にブスリと突き立てた。悲鳴や逃げ惑う人々を尻目に、ガタガタ震える貸し元の手元に在る箱に金をつめ込ませ、もう一人の小男がそれを抱え込んだ。「おい いい加減にせぬか!」その声に刀の柄に手をかけて浪人が振り返った。平蔵は二尺三寸五分の河内守国助を手挟みながらゆっくり立ち上がった。「ウヌ 邪魔だていたすか!」周りの客は蜘蛛の子を散らすようにその場を逃げ出した。胴元はとっくに腰を抜かしてひっくり返っている始末。土場の用心棒は抜刀すら出来ず壁際に背中を付けて大きく見開いた眼を二人に向け、行く末を見守る始末。「抜け!」平蔵は低く誘いをかけながら腰を落とした。敵はゆっくりと抜刀しジリジリと大上段に振りかぶった。平蔵、くっ と右脚を後ろに引いた。さらに左足をゆるゆると引きながら、重ねて左脚を後ろに逃す。もう一度その動きを見せかけた時「やぁっ!」と男が太刀を振り下ろした。ガッ!と鈍い音がして太刀の切っ先が間仕切りの梁に食い込んだ。その刹那平蔵の溜め込んだ刀が男の右脇腹から真一文字に食い込み「ぎゃっ!!!!」と一声、血しぶきと共に膝をつきそのまま前のめりに崩れ、梁に食い込んだ刃が揺らめく明かりを受けて青白く光っていた。寺銭箱をかかえたまま、小男は失禁してしまった。「おい お前ぇ三社様で香具師を連れ出しこれを殺害、権現様の裏の畑に捨てたであろう」「そそそそっ そいつをやったのは岸本の旦那で」こうして加賀藩下屋敷の一件は解決したのである。この日平蔵は愛用の粟田口国綱を河内守国助に変えていた、これは中間部屋の天井が低いことを見越していた為である。「おうそうだ!遊び金は返ぇしてもらうぜ!」平蔵は胴元の金箱から十両を取り、「残りはそれぞれ返ぇしてやれ」と胴元に指図をした。「あっしらはどのようなことに・・・・・」胴元を始め代貸しなど賭博関係と見られる渡世人が首をうなだれる。「おれはお上の御用で来ちゃぁいねぇから、獄門台だけは逃れられようぜ、だがなぁ阿子木な真似だけはするんじゃぁねぇぜ」「お武家様、かたじけのうございました、せめてお名前なぞお聞かせ願えませんでしょうか?」代表格と見える初老の商人が言葉をかけてきた。「俺かえ、俺の名前を聞いたら、お前ぇ達のそっ首、台から離れねばならなくなるがそれでも良いのか!」とひと睨み。「へへへへっ!」その場に這いつくばって顔もあげられない。「ご法度の賭博だってぇことを、忘れるんじゃぁねぇぜ、博打は商売だけで十分であろう、このような事に身代掛けてやるもんじゃぁねぇよ」「はははっっ!!」「所で五郎蔵、おまさ、一体ぇお前ぇたちはどのように掛けたんだえ?、元手が少しも減ってはいねぇようだったがなぁ」「あはぁ それは・・・・・・」「長谷川様、二人で賭けるときは丁半相対で座るのでございますよ、どちらが負けても元手は残る、よきゃぁ増えるってぇ仕掛けでございます」「それにしても賽の目のすり替えは大ぇしたものだ、アヤツが見ておらなんだら誰も気が付かなんだ」「長谷川様はいつ?」「俺かえ おまさが初めの賽の目を放った時、こいつ仕掛けるなぁとな、わはははは、それから代貸が壺を開けた時の顔よ」「あっ やはり長谷川様の眼は眩(くら)ませませんやぁ、おまさがね、時々奴さんに目配り送っておりやして、それにあわせて野郎賽の目を転がしていたんでございますよ、ところが最後の奴だけは読み切れなかった、で野郎慌てたのでございます。全く女は流し目一つも獲物にいたしやすから・・・・・」「おおおっ! 怖ぇなぁ五郎蔵!目で殺されちゃぁ浮かばれねぇや」「ごもっともでははははは・・・・・」「ちょいとお前さん、はははははは余計ですよ、長谷川様の前でそれを言うことはないじゃぁございませんか」「おいおい 軍鶏の喧嘩なら五鉄で間に合うぜ、わははははは」これが加賀藩仲間部屋事件である。多くの藩邸下屋敷は諸大名が出入りすることもなく、留守居役の藩士数名と門番、中間など極少数にて守護しているのが実情で、暇を持て余している、そんな中では博打場が堂々と開かれている事が多い。また大名屋敷と寺には町方は立ち入ることが許されないため、そこを抜け目なく活用する寺社も多く在り、儲けの一部をご喜捨(きじゅ)という名目で上納させる、そのために寺銭(てらせん)という名前が生まれたほどで、何処も腕と才覚のあるものがしぶとく生き延びる世の中のようである。画像付き 「時代劇を10倍楽しむ講座」 http://jidaigeki3960.sblo.jp/鬼平犯科帳 「薬食同源」http://www.mag2.com/m/0001625220.html/ [0回]PR