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鬼平犯科帳 鬼平罷り通る 三嶋山燈

鬼平犯科帳外伝

7月第2号 さくら散る頃




日本橋通り南詰めに当たる南伝馬町3丁目と新両替町を結ぶ京橋近くに、
こじんまりとした小料理がある、
どこと言って目立つほどのものは見当たらないが、
古い家に手を加えて温もりを殺さず、一歩入ると気の安らぐ拵えは、
中々並のものではないものを感じさせ、
この所平蔵はちょくちょくこの店に顔を出している。

「おお 本日もおでかけか?」

すでに馴染みになっている70を前にした、見るからに商家風の男と目を合わせ、
会釈する。

「お武家様もまた お出かけで?」
とにこやかな言葉が返ってきた。

「うむ どうもこのアサリ酒が癖になっちまったようでな あははははは」
頭を掻き掻き平蔵はその老人の隣座敷に座る。

「いや 私はこの煮込みが気に入りましてな、
ちょくちょく出かけて参るのでございますよ」。

「お武家様、いつものでよろしいので?」
と小女が茶を持って訪ねてきた。

「おお いつもの奴よいつものな ははははは、のうご主人」
と商家の主に眼を流す。

「ああ ごもっともごもっともあはははは」

「おまたせいたしやした、毎度ご贔屓に」
と亭主が酒と一緒に膳に乗せて運んできた。

「おお!来たぜ来たぜ!このアサリ酒が又旨い、
このアサリの焼いた磯の薫りと酒の絡みがこう何と申すか言うに言えぬ・・・・・」

「男女の仲・・・・」
と商家の男が笑いながら口を挟む。

「おう それそれ、あっ いやしかしそのぉ・・・・・」

「この年で、と あはははは、色にも仲にも色々とござって、
それがまたよろしいので」とにこやかに盃を干す。

「あいや 人には沿うても見よと申すが、これほどまでにアサリ酒が旨いとは
思わなんだ、のうご亭主、こいつは又何か工夫でもあるのかえ?」
平蔵の病気がまた出始めた。

「へぇ こいつばかりは木更津産が一番かと、塩水に入れて盲蓋をしやすと、
早々と砂を吐きやす、そいつを洗って開き、貝柱を切り離し、
たすきを切らないようにむきやす、両口に串を打って1日ほど干したものを
火で炙ったものを5ツ6ツ熱燗に入れ、ほんのしばらく置いて戴きやす。

それだけのことでございやすが、寒い時は熱燗が薫りもよく、
口当たりもよろしいかと。

御酒がお望みならば冷にしばらく浸けておきやすとこ
れも又酒の好みが増しますようで」

「ふむ なるほど、薫りを採るか酔を採るか・・・・・これも又楽しみ方よなぁ、
ところでご亭主、この葱の煮付けだが・・・・・わけあり根深かえ?」

「あはっはっは お武家様はまたお好きなようで、
ネギは1本から二又に分れるところから人文字草(ひともじぐさ)ともよばれやす、
熊手葱や砂村葱から工夫して、根深一本葱が作られやした、
これを千住葱と呼んでおりやす。

育つに従って根本に土をかけて白茎を長くする工夫で根の締まりもよく
煮崩れいたしやせん、アサリのむき身を塩と酒、醤油で薄味に仕立てた出汁で、
ネギの5分切りと一緒に手早く煮立てたものでございやす」。

こうしていつしか月も2ツ3つと明けた春なかば、そろそろ月も昇り、
ほろ酔いで火照る身体に川風が優しく触れてゆく。

「それではここで・・・・・」

「おお 又楽しみましょうぞ、そこ元は何処へ?」
と平蔵が尋ねた。

「はい 私はこの先の新両替町でございますので、すぐ先でございます、
お武家様は?」

「俺かえ 本所の菊川町よ」

「おお ではお気を付けられまして・・・・・」
と二手に分かれて歩き始めた。

京橋を半分渡りかけた時「ななっ 何をする!」鋭い叫びが平蔵の耳をかすめた。

振り返ると薄闇に数名の陰が見えた。

(いかん 何か事が起こったな)平蔵は足早に新両替町に踵を返した。

「待て待て!火付盗賊改方である」
そう叫んで駆け寄った。

3名の男に囲まれて商家の主が小脇差を構え相対していた。

「怪我はないか?」
平蔵の問に左腕を抑えながら「おかげさまで何とか軽い怪我で」
と主が答える。

「火付盗賊改方長谷川平蔵である、命のいらぬ奴は掛かってまいれ」
と叫んで抜刀した。

「ちぇっ!」そう叫んで主犯格の男が踵を返し、
それを合図のように残りの二人も刀を構えたまま後ずさりしながら逃げていった。

「おかげさまで危ういところを、火付盗賊改方の長谷川様で・・・・・
申し遅れました、手前は両替商の粟田屋吉右衛門と申します」

「うむ 立ち話もなんだ そこいらまで同道いたそう」

「長谷川様、私の店はここでございます」と吉右衛門が立ち止まったところは
新両替町1丁目のはずれであった。

「うむ 用心いたせよ」
そう言い残して平蔵は立ち去った。

それから数日後、いつもの様に小料理屋(かない屋)に顔を出したが、
この所吉右衛門の姿が見られないと聞き、平蔵は粟田屋を訪ねてみた。

出迎えたのは40半ばと見受ける女で
「旦那様はこの所お出かけを控えておいででございます」
と断りながら取次をした。

「これは長谷川様このような所へわざわざお運びいただき恐縮いたします」
と中庭を見渡せる縁でくつろいでいた。

「いや 何、この所姿が見えぬと店の主が申しておった故、
ちと先日のこともあり、気になり申してのぉ」

「これはまたご足労をありがとうございます」

「で、だなぁ粟田屋」

「はい 先日のことでございますな?」

「うむ そのことだが、何か心当たりはないか?」

「はい 家業が家業でございますから人様に恨みを買うことも些
少はございましょう。
時には厳しい取り立てもやむを得ない場合も生じます。

近頃は金子を用立てましても、それを踏み倒すお武家様などもございまして、
中々住みづろうなってまいりました」

「うむ 何処とも苦しい台所ゆえなぁ、このわしとてご同様なれば、
少々耳の痛い話ではある、そなたの屋号から、出は京の都かえ?」

「はい 全くその通りでございます。京は東山蹴上の出で、元は京都町奉行で、
代々筆頭与力を勤めておりましたが、私が勤番の夜押し込みに入られ
女房と娘が殺害されました。

結局事件は未決のままで、つくづくこの仕事に嫌気がさし、
元々武術よりそろばんのほうが得意でありましたので、
江戸に出てきてこのような家業に手を出した次第で誠にお恥ずかしい」

「なるほど左様であったか、道理で先夜の浪人相手に軽い怪我ですんだのも
納得が行き申した。
そのお手前の腰の業物も中々の物と・・・・・」

「おお さすがお目が高うございますなぁ、これは粟田口吉光でございます」

「身共の差料もその粟田口で国綱でござるよ」

「これはまた奇遇で!」

わしも二十歳すぎに親父殿が火付盗賊改方に任じられたおり同道致し、
しばらく京に住んでおった。
さようであったか、筆頭与力とはまた・・・・・・」

「しかし一人身は少々危のうござるなぁ、と申して下手に用心棒を雇うても、
こいつがまた・・・」

「いやいや  全く仰せの通りで、安全などという者は無縁の家業と存じます」

「ところで先ほど出迎えた女性(にょしょう)は・・・・・」

「はい あの(おせん)は私が心の臓の患い持ちでございまして、
雨の夜道で倒れていたところを通りかかって、その時の手際がよく、
かろうじて一命を取り留めました、それ以来こうして身の回りの世話を
焼いてもろうております」。

「ふむ さようか・・・・・・
まぁ何か事あらばわしを尋ねられるもよし、南町奉行の池田筑前守様を
尋ねられるもよかろう、親父の代からの古い付き合いだから遠慮はいらぬ」

「誠に持ってかたじけのうございます」

時々はこうして見回ろう、又例の所でお待ち申しておりますぞ」
平蔵はそうねぎらって辞した。

帰りがけの(おせん)の視線が妙に気にかかってはいたが、
それが悔いを残す事に繋がろうとは今の平蔵には解っていなかった。

しばらくは平穏な日々が続いたが、鉄砲町の文治郎が清水御門前の
平蔵の役宅にやってきた。

「おう 文治郎久しぶりだが、何か変わったことでもあったのかえ?」

「長谷川様新両替町の粟田屋をご存知で?」
と聞いてきた。

「うむ よく承知いたしておるが、何かあったか?」

「へい 殿様から長谷川様に申し伝えるようにと言伝が」

「何!筑前守さまからとな」
 
「へい さようで」

「で その言伝は・・・・・」

「先日土場の手入れで捕まえやした浪人の話で、
なんでも粟田屋の殺しを依頼されたが、
しくじり金に困って土場にいたところを御用になったようで、
その殺しの依頼が女とまでは吐いちまったそうですが
それ以上はどこの誰だか判らないようで・・・・・」

「あい判った、ご面倒をお掛けしたと筑前守様に伝えてくれぬか」
平蔵は今にしてあの小間使いの(おせん)の素振りが気になったことに気づいた。

「おまさを呼んでくれ!」
と同心部屋に声をかける。
しばらくしておまさがやってきた。

「おお おまさ、ちょいとすまねぇが新両替町の粟田屋におる(おせん)
を張ってはくれぬか、どうも動きに怪しいところが見受けられる、
特に浪人共との関わりが知りてぇ」

こうして平蔵の手のなかで動きは逐一見張られるようになった。

その2日後おまさが五郎蔵とやってきた。

「おお 五郎蔵も一緒かえ、相変わらず仲の良いことで わはははは」

「長谷川様、こいつはどうも、いえね ご指示通りおまさが女を微行て行きやした所
居酒屋で浪人二人と会ったということで、あっしも同道しておりましたので、
今度はその浪人の後を微行たのでございます。

ところが出てしばらくしたらそれぞれ別な方に別れたものでございますから、
それぞれを微行ることに致しました」

「一人は鐵砲洲十軒町の棟割長屋に帰りました」
とおまさ

「もう一人が何と築地の松平安芸守様下屋敷に入りました」

「何と浅野家下屋敷とな」

「へい あっしも少々驚きまして」

「うむ 粟田屋も、近頃は武家も踏み倒す輩がおると呆れておったが、
其奴も禄を離れた者かも知れぬな、引き続き見張りを頼む」

「承知いたしました」
こうしてあらすじが読めてきた。

その翌日平蔵の姿が新両替町の粟田屋そばの茶店にあった。
この辺りは両替に訪れる商家や、小金を借りる町家の人々の出入りもあり、
中々繁盛している。

粟田屋は近所での評判も利息はお定め通りで、
雇い人もない小商いながら信用が高く、武家屋敷からの出入りも多いと言う。

そのうち中から(おせん)が出てきた。

その後を五郎蔵が距離をおいて微行て行った。

その間にも客足は多々あり、人柄の評判が嘘でないこともよくわかった。

「長谷川様!女が戻りました」
と五郎蔵が戻ってきた。

「で相手は誰であった?」

「はい 先日の松平安芸守様下屋敷から浪人が5名ほど連れ立って出てきまして、
そのまま十軒町の長屋に・・・・・・
それっきり出てまいりませんので、ひとまずご報告にと」

「うむ 中間部屋でごろん棒を拾ったな、仕掛けは今夜か・・・・・」

「はい 左様のようで」

「よし、時は未だある、済まぬが役宅に手空きの者がおらぬか
行って連れてきてはくれぬか、俺一人でもと想うたが、
もし中の者に怪我でも出しては相済まぬでな」

「では早速」
と五郎蔵が出て行った。

茶屋のひと間を見張り所において、敵の動きを待った。
時は足早に過ぎ去り、それまでに五鉄の三次郎から差し入れの
ハマグリ飯の握りを腹に収めてじっと待つ。

「おかしら!このハマグリ飯はまた美味しゅうございますなぁ、
いつもは握り飯に新香でござますから、本日は又格別で、いつもこうな・・・・・」

「おい 忠吾、何を申すかお頭の前だぞ」
と沢田小平次が・・・・・

「あっと これはしたり口は災いの元と申しますから」
慌てて忠吾口を抑える。

「おい お出ましだぞ」
見張りに立っていた小林金弥が声をかける。

うっん!平蔵も仮眠から身を起こし身支度する。
向かいの粟田屋の引き込み口がわずかに開いた、暗闇で顔は定かではないが
(おせん)にまちがいはあるまい。

すると物陰から数名の者がバラバラと間口近くに集まった。

「それ!かかれ!」
平蔵の指令に「火付盗賊改方である、神妙にお縄につけ、
あらがう者あらば斬り捨てに致す」と呼ばわった。

「クソぉ!」
相手が4名とあなどってか、抜刀して挑みかかってきた。

忠吾の十手が弾き返され宙を舞った。

「あっ うぬ此奴」
と腰の刀を抜きに掛かったところを大上段から真っ二つに振り下ろされた。

ビ~ンと白刃がぶつかり合い、それは忠吾の頭のすぐ上で止められていた。
沢田小平次が一瞬の間合いで止めたものだ。

忠吾はその間に腰のものを抜き放ちざま横に払った一振りは
相手の右脚に鈍い音を立てて食い込んだ。

「ぎゃっ!」
うめき声を引きずりながら男はその場に打ち倒れた。

「殺してはならぬ」
平蔵の声に一同刃を返し峰で応戦する。

勝負はあっけなく着いた、何しろ忠吾を除いては皆手練の猛者ばかり、
適うはずもない。

わめき散らす(おせん)を捕縛していると、
中から吉右衛門が明かりを持って出てきた。

その場の情景から、(おせん)が手引きしたことは一目瞭然である。

「なななっ 何と!・・・・・」

「おう 粟田屋 起こしてすまぬ、少々の捕物でな、
また明日でも済まぬが役宅まで出向いてもらわねばならぬが、
本日はこれ以上の騒ぎもあるまいよ安心して休むがよかろう」

「長谷川様‥‥‥‥何とお礼を申し上げればよいか」

「ああ よいよい では又明日にでもな」そう言って捕縛した者を引き立てて
朝靄の中に消えていった。

翌日の取り調べで、鐵砲洲十軒町棟割長屋の浪人彦根十三郎と(おせん)は
馴染みで、十三郎の博打仲間が松平安芸守下屋敷の中間部屋の
土場仲間であったことも判明した。

(おせん)は、たまたま縁のあった粟田屋に入り込んだおり、
粟田屋が独り者であることからそこにつけ込んで粟田屋殺しを図ったが、
平蔵の邪魔で成就ならず、最後の一手にと押し込みを図った模様。

「長谷川様、何と人は虚しいものでございましょうか、
あれほど親切に世話を焼いてくれたものが、殺しまで企んでいようとは
世も末でございますなぁ」

「粟田屋 人の心には常に鬼も巣食うておるものよ、
良い行いをしておるときは此奴も身動き取れぬものらしい、
だがひとたび欲が絡めば鬼が解き放たれ、思いもかけぬ事をしでかす。
罪を憎んで人を憎まず、それが我らが目指すところだよ」

「愛染明王様のお姿でございますなぁ」
粟田屋は両手を合わせて平蔵を観た。

その数日後清水御門前の平蔵役宅に粟田屋が訪ねてきた。

「長谷川様過日は大変にお世話にあいなりました。
あの日以来、商いを閉めましてございます」

「ほほう それは又いかようなる訳がござるのかな?」

「ほとほと商いで生きることが嫌になりました、そのために
せめてもの亡くしました家内と娘への供養とおもうて、
これまでの借用証文はすべて焼き捨てましてございます。

そこでこの脇差し粟田口吉光、どうか長谷川様のお手元に収め置き頂けますならば、
これも生きる道が定まろうというものでございます。

それからこれは長谷川様にお世話になりましたる心からのお礼にと包み置きました、
何卒お納め願わしゅう存じます」

「あっ いやそのようなことは・・・・・」

「長谷川様、手前は商人、従いまして商人のやり方でしか御恩返しが出来ませぬ、そ
のところを何卒お汲み取りのほど、それに重ねまして厚かましきお願いをもう一つ、
これは私の部屋の奥にございます金蔵の鍵にございます、〆て千両程ございます、
これを長谷川様に使い道をおまかせ出来ましたらと」

「さようか・・・・・・
いや 相判り申した、お志かたじけなく頂戴仕る、
ところでこの先いかがなされるおつもりじゃ」

「はい この年でございますれば、生まれ故郷も懐かしく思えるようにも
なりました、京に戻り家内や娘の供養で時を過ごすのも侘びた生き方か・・・・・」

「うむ それも又良き過ごし方かも知れませぬなぁ、のう吉右衛門どの、
枯れる生き方を見つけられればようござるなぁ、
わしも枯れてゆきたいと何度想うたことか、だがまだまだこの御役目が
それを許してはくれぬ、あははははは」

平蔵は、今を盛と咲き乱れる八重桜の風に舞う姿が、
この別れを惜しんでいるように想えた。

この粟田屋から託された千両の金は、人足寄場の授産所施設として
生かされたことは言うまでもあるまい。

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