時代小説鬼平犯科帳 2015/08/15 8月第2号 俺の女 本所深川今川町の小料理屋”桔梗屋、”店はまだ客足も少なくいつものようにゆったりとしていた。「おいでなさいまし」女将の言葉の終わらない内にドカドカと上がり込む客に驚いて「ちょいと待っておくんなさいよ、勝手に上がられちゃぁ困りますよ」女将の制するのを無視して無頼風の一団がバラバラと部屋に散らばった。アクの強い見るからに無頼の男が女将の胸ぐらをひっつかんで低いドスの効いた声で「ここに染千代ってぇ芸者がいるだろう?そいつは今どこにいる!?」と睨みを効かせた。「そっ!染ちゃんならまだ上がってませんよ、まもなくきますよ」と震えながら答えた。「よし それまで此処で待たせてもらおう!」と連れの仲間に目配せして一つ奥の間に円陣を組んだ。「困りますよそんな勝手なことをされちゃぁ」と女将の菊弥「うるせぇ婆ぁだ、金ならある、ホレこいつで酒を持ってこい」と小判を1枚投げてよこした。女将はしぶしぶ引っ込んで酒の支度にとりかかった。そこへ「姉さん遅くなっちまってすみませんねぇ」と染千代がやってきた。その声を聞いた女将が「染ちゃんお逃げよ!」と叫んだ。「うるせぇ 婆ぁ!」中の一人が女将を鞘でうち伏せた。ぎゃぁと叫んで女将はその場にうずくまってしまった。事の異常を察知した染千代が踵を返そうとしたが、もう間に合わなかった。入り口は浪人が塞ぎ、背後にも数名の浪人が押し包むように染千代を包囲した。「誰なんでござんすあんた達ぁ、どう見ても客とは思えないし、押し込みなら時刻が早すぎゃぁしませんか!」威勢のいい伝法な口調に、正面の男がせせら笑いを浮かべながら一歩中に入ってきた。「おふざけじゃァないよ!此処は深川!吉原だと想ったらおおきに大間違いさ!辰巳芸者はその程度の脅しでは驚きもなんにもしやぁしませんのさ!」と啖呵を切った。「ほう 中々威勢のいい女だのう」「あたしにいったいどんな御用なのさ!あたしゃぁお前さんたちを知らないね」「おいこいつを縛り上げておけ」首謀者らしき浪人がほかの浪人に指示をした。「何すんのさぁ!」抵抗する染千代の腕をねじり上げようとした瞬間、染千代はかんざしを抜いてその男の腕に突き刺した。ぎゃっと悲鳴を上げて浪人が手を離した。「此奴さすがに与力の娘、多少の心得があると見た」始めから後ろでことの始終を眺めていた目付きの鋭い浪人が、つっ!と歩を進め、染千代に近づいた。「それ以上近寄るんじゃァないよ!」染千代がその男をかんざしで牽制した。「ぎゃぁぎゃぁ喚くではない、静かにしておればお前に危害は加えぬ」と言いつつ刀の柄先を染千代の水月(みぞおち)に放った。(ぐっ!)と低い声を漏らして染千代はその場に崩れ落ちた。それからどのくらい時が過ぎたであろうか、染千代は後ろ手に縛られていることに気づいた。「おう やっと お目覚めか」首謀者格の男がそれに気づいて声を出した。「お前さん達一体何者なんだい、あたしに一体何の用があるってのさ!」精一杯の声で染千代は叫んだ。「お前ぇに用はない、お前はただの餌だ」「餌?何の餌だっていうんだい、こんなあたしで釣れるたぁ、大層な獲物のようだねぇ」「黙れ!女!口の減らねぇやつだ、ならば教えてやろう魚はお前の親父だ」「父上!?」「そうさ、お前の親父、元南町奉行与力黒田左内よ」「父上がお前たちに何をしたっていうんだい?」「おれを地獄の一丁目に送りやがった」「はんっ!それ相当の悪さをしたからじゃぁ無いのかい!」「黙れ!」男が染千代の頬を張った。染千代の頬はみるみる指の跡がミミズ腫れに腫れ上がり、頬の内が切れ、唇から鮮血が糸を引いた。「女将!こいつを、この女のおやじの元へ届けてこい」首謀者格の男が、何やらしたためたものを女将の懐に突っ込んで、蹴りだすように店の外へつきだした。「いいか 此処のことは誰にもしゃべるんじゃぁねぇぜ!喋っちまったらあの女がどうなるかよっく考えるんだな」ダメ押しの決め台詞を押し付けて女将を突き放した。それから半時(1時間)が過ぎた。「確かにお届けいたしましたよと」女将がよろけるように戻ってきた。「後は彼奴の出方次第だ、果報は寝て待てというから、今のうちに体を休めておけ」そう指図してそれぞれ横になった。「お前さん達一体父上にどんな恨みがあるっていうんだね」染千代は少しでも内情を聞き出そうと試みた。「知りてぇか?」「ああ 知りたいねぇ」「ありゃぁ5年ほど前の事だ、・・・・・・・・」時を五年前に戻そう。今日も暑いさなかを南町奉行所与力黒田左内は持ち場の本所深川界隈を見回っていた。永代橋を渡り、下之橋を東にとって千鳥橋たもとから緑橋を越え、黒江橋を渡り猪口橋をまたいで永大寺門前に向かった。永大寺門前の茶店で茶をすすりながら、代々に亙る二半場の御家人の暮らしも、自分の代で終りとなる事に、深く思いを馳せながら、長らく歩いてきたこの界隈の思い出を紐解く‥‥‥‥‥それ程の時が流れていた。左内には染という娘が一人いる、三十路を越えようとしているが、未だ嫁にゆく気もないらしく、料亭で芸者をしながら左内を支えている。残念なことに男子の跡取りはなく、母親は染が十歳の時流行病であっけなくこの世を去った。炊事から洗濯まで十歳の娘はこなし、合間に剣の道場にも通った。この気丈な娘は中条流小太刀をよく学んだ、普通ならば女子は薙刀を学ぶものだが、父左内の深川町廻りから薙刀よりも太刀の方が有用性があると想ったようだ、しかし大刀は女子には扱いにくいため小太刀を選んだようであった。無論左内はおなごとしての教育も忘れてはおらず、苦しい家計の中から芸事も習わせていた。この界隈は左内にとって思い出のいっぱい詰まった故郷のようなところである。人工的に埋め立てられた土地柄だけに整然と整理された堀や川はまだ若く、皆活気に溢れ、まるで少年のようにはつらつとした命の輝きを持っていた。左内は父親に連れられてこの界隈を歩き始めたのが十歳を過ぎた頃、見習い与力の修行を兼ねての日々の日程は、子供にとって難儀なものであった。特に雨や雪の日は足元がぬかって足が冷え込み、しもやけやひび割れを起こす。それを母が温かいすすぎ湯を持ちだして、わらをまとめたたわしでゴシゴシこする。この痛みにに思わず涙を幾度も流した。「男は滅多なことで泣くでない!」父の一言に幼いながら歯を食いしばり耐えた。「お父上もお前と同じようにお泣きになられたそうですよ、でも男に涙は似合わぬとお祖父様から言われて、今のお前のように歯を食いしばって我慢なされたそうです、だからこの辛さはお父上もご存知なのですよ」この母の言葉を左内は忘れることがなかった。父の生きざまを思い出しながら、目の前の川面に目をやれば艶やかに咲き競う桜が川風に色めきを見せてくれる。「旦那ぁ・・・・・」その声の方に目をやると仙台堀の政が駆け寄ってきた。「おう 政七!毎日ご苦労だなぁ」「旦那こそご苦労様でございます」この政七、仙台堀の親分と呼ばれているこの界隈の御用聞きで、左内の下で働いている。「なにか変わったことでもあったか?」「へい それがおお有り名古屋のコンコンチキ・・・・おっといけねぇ旦那の前で」「いいって事よ、それより何だ、その大有り名古屋は?」「あっしの手下(てか)の文助が小耳に挟んだネタでござんすがね、近々本所深川の法禅寺東の御家人太田次郎左衛門の屋敷で大きな賭場が開帳されるという噂があるんでさぁ」「ふむ 御家人か・・・・・」左内は自分も御家人であるだけにその台所事情もよく判っている。博打は当時もご法度であり、露見して捉えられれば流刑もあり、場所の提供者も当然罰せられ、時には家名断絶もある、それほど厳しいものではあったが、何処も同じ苦しい台所事情がそれを暗黙の内に許していた。特に旗本屋敷や寺社は一般に町奉行方が入り込めず、中々検索は難しかった。特に寺は離れが多く、その奥での開帳は取り締まりの目から逃れやすく、そのために多くの土場が開かれ、その上がりを上納させて潤っていた。その為にその上納金を寺銭と呼んでいたほどである。「よし!先ずそいつの出どこを探ってくれ!」「がってんしょうち!任せておくんなさい」政七は茶をぐっと飲み干して懐に十手を差し込み、「旦那 ご無理はなさいませんように!」と左内の身を案じた。「ありがとうよ、お前ぇにそう言われるような歳になっちまったなぁ」と少々さみしげであった。翌日同じ場所で茶をすすっていると、仙台堀の政七と下っ引の文助がやってきた。「おう 文助このたびは面白ぇ話になりそうかい?」と問うた。「黒田のだんな、そいつですがね、どうやらこのたびはかなり大掛かりな様子でござんすよ」それを引き継いで政七「あっしも方々あたってみたんでございやすが、どうも川向うからも出かけてくるようで・・・・・」「おいおいそいつは又・・・・・・・」「で ござんしょう?いえね、鉄砲町の文治郎親分から引き出した話でございますが、呉服商や両替商の旦那衆がわたってくるようでございますよ」「な~るほど、こいつは大掛かりだ、ってぇことは用意もいるなぁ、加勢を頼まなきゃぁ少々無理が出るかも知れねぇ、事によっちゃぁ強ぇ用心棒も居ると踏まなきゃぁなるまい、うん こいつは大変だ」左内はこの捕物が自分にとって最後の大捕り物になるかもしれないと感じていた。幸い敵が御家人ということならば、町奉行所が出張っても何ら差支えはない、問題はその時捕らえた人々の扱いであった。ご法度はご法度、だがその日暮らしの人々にとって丁半博打は単純であるだけに間口も広い。その日その日の稼いだ銭をあぶく銭にと夢を描く者もいる。商家の旦那衆は日頃のウサを晴らすためにひと時の危険に身をおくことで刺激を楽しんでいる。(判らないでもない・・・・・だがおれはお上の立場でそれを取り締まらねばならない身、町方ではその賭場開帳を見逃すために懐銭が入ってくる)、俗に、与力の付け届け三千両とまで言われるほどで、それで潤っている与力、同心が多い。残念なことにそのような者に飲み込まれていないお仕事一筋の不器用な左内であった。「日時が判明したらこの場所で待っておるから知らせてくれ」左内は文助と政七に指示を出し、次に打つ手を塩梅しなければと想った。何しろ、まいないが行き渡っているこの世界、下手に漏らせば逆に筒抜けになってしまいかねない。(さて・・・・・どうしたものか)思案に困り果てた左内は、南町奉行池田筑前守長恵に相談する。この奉行、豪胆でありながら涙もろく、南町の鬼と呼ばれる中にも人情に厚いところを併せ持つ人物であった。「あい判った!」長恵は即座に快諾し、「このことは内密に事を運ぶよう」と左内に釘を刺した。その数日後、此処は本所永代寺門前の茶店(かめや)永大寺の鳥居をくぐる人々の姿を眺めながら今日は団子を一皿前にして、左内は茶を飲んでいた。「黒田の旦那ぁ」左内の姿を見つけて文助が駆け寄ってきた。「判りやしたぜ、どうやら明後日の夜五つ頃、場所は本所深川の法禅寺東の太田次郎左衛門屋敷ということでござんす、政七親分にはこれからお知らせしようと思いやす」「そうか!ご苦労だったなぁ、こいつは少ないが取っておけ」そう言って一朱金を握らせた。「旦那ぁこいつは・・・・・」「いいから取っときな!たまにやぁかみさんにいい顔も出来なきゃぁな!」「ありがとうございやす!」文助は左内にいくども頭を下げて政七のいる仙台堀目指して駆け去っていった。翌日左内は南町奉行池田筑前守長恵にこの事を報告。「あい判った、さほどの開帳ならば大金を賭けるものも出ていよう、さすれば腕利きの用心棒などを抱えた者も出よう、それも対処せねばならぬな、左内そちの眼に叶うた者を書き出せ」と当日手配を左内に任せた。「ははっ!」左内は最後のご奉公と想う故に、抜かりがあっては無念と、念を入れて選別をしたためた。翌日は折悪しく朝から小雨模様。奉行所内町方廻りの控えには、左内により選別された同心が緊張した面持ちで控えていた。「本日の物々しい支度は一体どこでござろう?」そのような空気が流れる中、一旦出所すれば自由に出歩くことはまかりならない定めなので、奉行の出張る合図をただじっと待つだけであった。南町奉行所から鍛冶橋御門を抜け五郎兵衛町を突切り、本材木町を北に上がり、新場橋を越えて細川越中守下屋敷を抜けて亀島川岸を上り、霊岸橋を越え湊橋から北新堀を駆け抜け、永代橋から中の橋、上の橋を渡り万年橋たもとを東に折れ、小名木川沿いに秋元但馬守下屋敷を南に下って目指す御家人太田次郎左衛門居宅まで、一刻足らずの行程である。南町奉行池田長恵の命が下ったのは暮六つ(午後六時)を少し回った時であった。黒田左内は同心三名に若党二名同心は小者を従えるが、ほとんどこれらは戦力にはならない。実質戦うのは与力と同心である。法禅寺には、すでに仙台堀の政七が連絡を取っていたので、本所深川の町方が出張っていた。まずは町人の巻き添えを避けるために、家から出ないように伝達して回る、これは辻番所の者や岡っ引きと下っ引が当たった。次は辻の木戸を閉めさせ、出口を塞ぐ。すでに八ツ(午後八時)は回っており、賭博もたけなわと踏んだ左内は「打ち込め!」と号令し、自ら先に踏み込んだ。屋敷内で見張っていた土場の若党が「ガサ入れだぁ、皆の衆逃げておくんなさい!」と大声で叫ぶ中を左内を先頭に同心三名が現場に突入した。商家の主と見える者や、女将と思しき女に町人など、まるで蜂の巣をつついた騒ぎで、逃げ惑うそれらを選別しながらの捕縛は並大抵ではない。胴元を抑えなければ何にもならない、だがこの時は掛け金も大仕掛けなので用心棒も数名控えていた。捕り方が袖からめで刀を持つ袖を絡めて引き倒す。そこを刺股(さすまた)ですねを突き転倒させ、戦意を喪失したところを早縄で捕縛する。その後を下っ引などがそれぞれに応じた捕縛方法で本縛りを行った。たとえ剣客であっても、この袖搦などで取り囲まれれば逃げ場がない、何しろ狭い部屋の中である、たいていは捕り物道具で深手を負って捕縛される。四半時(三十分)の手入れで胴元を始め、その用心棒三名と逃げ出した商家の主や、木戸口で捉えられた女将や町人達や無宿人、渡世人と総勢二十名ほどが捕縛された大捕り物であった。この時同心一人が浪人の太刀で背中を切られる大怪我を帯びた。武器を帯びた者はそのまま大番所に送られた後、奉行所の取り調べを受けて判決が決まる。商家の主や女将などは所持金を没収され解き放たれる。胴元は遠島、その他の者は人足寄場送りである。こうして左内は大役を無事納め、その年の暮れにお役御免を戴き、娘の染と二人今の長屋に引っ越したわけであった。話はここから元に戻る。「おれの兄者はおれをかばって大怪我を負わされ、おれは役人を傷つけた罪で捉えられ、八丈島送りとなった。5年の刑期を終えて江戸に帰ぇって見りゃぁ、兄貴はそのあと受けた傷が元で牢死していた。その時の町奉行所の責任者がお前ぇの親父、南町奉行所与力黒田左内と判って調べを始めたってわけよ。蛇の道は蛇、てェしたこともなく居所は判っちまった。で、手下を張り付かせていたらお前ぇが見つかったってぇわけだ。おれたちゃぁ仲の良い兄弟だった。親代々の浪人でこのご時世、まっとうな仕事もなく、その日その日を日暮し蝉だ。わんわん泣いてもどうにもならぬ」「そこでわるさを始めたってことだね」「その通り、初めの内ぁゆすりたかりで食っていた、だがそれも取り締まりが厳しくなり、小商いの店を襲うようになり、行き着くところがお定まりの博打三昧」「世間をすねるのはお前さん達の勝手!だけどねそんな中でもまっとうに暮らしたいと毎日汗水たらして働いている人はいくらでも居るさぁね!そんなことが身を持ち崩すわけにゃぁなりませんさね!」「うむ 確かになぁ お前ぇのいうことにも一理はある、だが俺達はそうは出来なかった、それだけのことよ」「それじゃぁあたしの父上を恨むのは逆恨みなんじゃァござんせんかね!」「黙れ!お前ぇにゃぁおれの気持ちが判ってたまるか!」「ああ 解らないねぇ いやさ判りたくもないねぇ、負け犬の遠吠えじゃぁありませんか、世をすね人を憎み、それで何が残るんでござんしょうかねぇ」「うるせぇ!静かにしろ!この減らず口をつぐんでいろ!」再び染千代の頬に平手打ちが飛んできた。染千代は気を失って倒れてしまった。鬢はほつれ、櫛かんざしは外され、紫の袷と真っ白な半衿にかけて鮮血が飛び散り、切れた唇から赤い血が糸を引きながら喉元から胸乳にとゆるやかに流れている。一方、深川北川町万徳院圓速寺そばの黒田左内宅から左内は菊川町の平蔵役宅に向かった。大川沿いに上ノ橋を渡り、万年橋を越えて深川元町を突っ切り北六間堀街を抜け北ノ橋を東に渡り北森下町の五間堀に架かる伊豫橋を越えてまっすぐ東に進めば角に町番屋のある菊川町二丁目火付盗賊改方長官長谷川平蔵の役宅が見える。「お願いの儀がございます、身共はもと南町奉行所与力黒田左内と申すもの、何卒長谷川平蔵殿にお取次ぎを!火急の件でお尋ね申す!」左内は息せき切ってよろめくように長谷川平蔵役宅にたどり着いた。門番は驚いてその日当番の酒井祐助に取り次いだ。「何ぃ黒田左内とな、急ぎこちらへ通せ!」平蔵は刀を掴んで玄関口に向かった。「長谷川様!」「これは黒田殿、血相変えて如何がなされた!」「染が軟禁され申した!」「何と!、でそれは何時のことでござる」犯行者の書状を見せられた平蔵は「馬引けい!」と叫び「ご安心召され!ただいま駆けつける故無事の帰りをお待ちくだされ」そう叫んで引き出された馬にまたがり今川町の桔梗屋に向かった。桔梗屋の表の方で騒がしい物音がして、人の乱れた足音が響いた後、目の前のふすまが突然ビシッと左右に開け放たれた、そこには鬼の形相の平蔵が立ちはだかっていた。「おい!おれの妹(おんな)を返ぇしてもらいに来たぜ!」平蔵は大音響に呼ばわった。「誰だぁ手前ぇ」主犯格の浪人が刀を掴み睨み据えた。「俺が誰だってぇ?知りてぇか、だが俺の名を聞いたらお前ぇ達の首は胴から離れなきゃぁならなくなるがそれでも良いのか?」「長谷川様!」意識を取り戻した染が小さく叫んだ。「長谷川?・・・・・あっあの・・・・・」「そうよお前ぇ達にぁ鬼と呼ばれ、時には仏と呼ばれる火付盗賊改方長谷川平蔵よ。ところで、お前ぇ達今日はどっちの顔が見てぇんだぁ」腰を落とし柄口に手をかけ、鯉口をぷっ!と切ってはばきを親指で押さえた、これは次にどのような動きがあっても刀と鯉口がずれない用心である。主犯格の浪人が抜刀して片膝を落とし正眼に構えた「ほほう真庭念硫か、ちったぁ出来ると見たが、お前ぇにぁこの俺は切れねぇ判っておるなら獲物は収めよ」「うぬっ!!」その姿勢のまま一気に突き出した。渾身の一突きは平蔵の脇腹をかすめて黒の片袖が二つに裂けた。「あっ!」思わず染の口から不安の声が漏れた。だがそれよりも浪人の方が(ぎゃぁ)と叫び声を発した。平蔵の一振りは浪人の右肩から切り下ろされ、肩口から血潮が吹き出したからである。「まだやるかえ!」平蔵の形相と気迫に残りの浪人共は戦意喪失の体で、その場にガタガタ震えて座り込んだ者もある。縛られていた腰紐を(すっ)と切り解くと、染はそのまま平蔵の胸に倒れこんだ。「染どの、間におうてよかった、親父殿に生命を掛けてお守り申すと約束したゆえなぁあはははは」そこへ知らせを受けた町方がおっとり刀で駆けつけた。その後ろから顔にあざを残した桔梗屋の女将菊弥の姿があった。「菊弥ねぇさん!ありがとうござんした」「何言ってんだい、染ちゃんに何かあったら、あたしゃぁ長谷川様に申開きが出来ないじゃァないか、ねぇ長谷川様」女将はそう言って平蔵を見る。染を伴い平蔵は深川北川町万徳院圓速寺そばの黒田左内の居宅に向かった。「長谷川様!あの折たしか(おれのおんなを返ぇしてもらいに来たぜ)とおっしゃいましたわね」「おお そんな事を言ったかえ?さぁてさて、なぁ染どの、左内殿はおれには親父、染どのはおれにとっては大事な妹(おなご)!わははははは」平蔵は照れくさそうに高笑いをした。見上げる空は飛び抜けそうに爽やかに晴れ上がり、大川は満開の桜が艶を競っていた。浪人共はすべて捕縛され、平蔵に片腕を切り落とされた主犯の浪人は手当を受けて一命をとりとめ、後日大番所より南町奉行所のお白州に引き出された。主犯の涌井兵庫は佐渡送りとなり、残りの浪人はそれぞれ取り調べの後石川加役島人足寄場や八丈島送りとなった。 [0回]PR