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鬼平犯科帳 鬼平罷り通る 三嶋山燈

鬼平犯科帳外伝

8月第1号 卵酒



本所出村町の剣術道場主高杉銀平門下、村木丈之介
平蔵より5才若く、道場では平蔵や井関録之助、岸井左馬之助の後輩にあたり、
皆によく可愛がられていた。

腕の方は平蔵達より少々劣るものの、心根の優しいところや真面目一方のところが
好かれていた。

高杉銀平が亡くなり、その後道場は荒廃の一途をたどり、今や見る影もない。
主だった門人はすでに門を離れ、新たに道場を持つものや僅かではあるが士官するものなど、
時代の花形であった頃の門人はすでに出入りも無くなっていた。

村木丈之介は代々の浪人暮らし、仕事とて、剣以外これというものを持ち合わせぬ
不器用な男であった。

口入れ屋からの時折かかる商家の用心棒や、古骨買いで利ざやを稼ぐのが
日々の生業であったようだ。

今日も古骨買いした物に油紙を張った張替え傘を束ねて浅草成田不動の大道で商いをしていた。
何しろ一通りが多いのが何よりの場所である。

江戸の庶民にとって新しい傘なんて物はとても手に入らない、
そこで古くなった傘を買い取り、油紙を張り替えた古骨張替え傘は手頃であったため、
場所さえ良ければ結構よく売れた。

そこへ通りかかった二本差しの侍が「まこと傘張りは儲かるようで、
本日はいかほどかのう、恥という言葉を知らぬようだ!」
と酔った勢いもあったろうが絡んできた。

初めはおとなしく対応していた丈之介であったが、あまりのしつこさに
「商い中でござる、邪魔立てなさるな!」
と 語気強く言い放った。

それが気に食わなかったのか、いきなり傘の束を切り倒した。

「おのれ!何を致す!」
丈之介が腰のものに手をかけたのがまずかった。

「おお!竹光かとおもいきや、これは赤鰯のようでござるわはははははは」
と笑い飛ばした。

「抜けぇい!」
腕に覚えのある丈之介腰を引いて身構えた。

「喧嘩だぁ喧嘩だぁ!」
あっという間に人だかりができてしまい、
双方とももはや引くに引けない状況に陥ってしまった。

少々ふらつきながらもその二本差しが太刀を抜き放った。

「おおっ!やるぜやるぜ!」
やじうまのはやし声に押されるように大上段に振りかぶって一刀両断と切り下げてきた。

丈之介は半歩踏み込んで正眼から受け流し背後に回ってその男の背中をドンと突いた。
その男はカエルのように無様に這いつくばった。
丈之介は散らばった傘を集め、河岸を変えようと歩き出した。

「待てぃ!」
背後から新手の声に振り向いたその顔面に太刀が浴びせられた。

たまらず丈之介持っていた傘束で受け流したが、その大半が切り捨てられてしまった。

「何を致す!」
傘束を投げ捨てて鞘を払って正眼に身構えた。

「出来るな!」
男は再び八双に構えなおした。

「どうしても争うのですか?」

「仲間の無様な姿を見せられちゃぁ後には引けぬ、武士の面目だ」

「やむをえぬ、お相手致しましょう」
静かに丈之介は両足を開き腰を落とし直した。

にらみ合いがしばらく続いた末、丈之介が下段に構え直しながら誘い水を向けた。

「いやぁっ!」
気合鋭く袈裟懸けに切り下ろした。

丈之介はそれを読みきっていたようで、わずかに体を開いて肩先にかわし、
素早く流れに沿うように逆に切り上げた。
びゅっ と血しぶきが飛び散った。
「うがぁっ!」
男が肩口を押さえたが、すでにその肩から先は男の足元に転がっていた。
悶絶しながらその場に倒れこんだ。

「お早くお手当なされば生命には別状はござるまい」
そう言って足早に去っていった。

「すげぇ見世物だったなぁ」
野次馬達はまだ興奮冷めやらぬ様子である。

それを遠くで眺めていた眼を、当の丈之介は気づきもしなかった。

数日後再び丈之介の姿が見られたのは上野仁王門前町三ツ橋の傍近くであった。

「旦那ぁ精が出やすね」
遊び人風体の男が声をかけてきた。

少なくとも客には見えそうもなく、さりとて冷やかしでもない風の男に、
丈之介適当な愛想を浮かべた。

「まぁ旦那そんな顔をなさるこたぁありませんやね、先日の浅草成田様の喧嘩、
いやぁ恐れいりやした、お強いんでござんすねぇ」

「何!貴様もあの時の仲間か!」
と思わず刀の柄に手をかけた。

「おっとっとっと ご冗談を、ご勘弁んなすって!、
いえね!あちらのお方が旦那に会いてぇとおっしゃるもんですから」
と男の後ろの茶店に座っている身なりのきちんとした商家の主じ風の男を顎で指した。

チラと見やると目があった、その男は静かに会釈を返してきた。

「拙者に何の用だ?まさか傘の注文でもあるまいし」

「まぁ行ってみておくんなさい、それまでここはあっしが見ておりやす、
ナァにかっさらってなんか致しやしませんのでご安心なすって!」

「あい判った!」
丈之介は茶店の男の方に歩いて行った。

「お呼びだていたしまして誠に恐れいります」
男はいんぎんに頭を下げ丈之介を店の中に迎え入れた。

「身共に何の御用かな?」
丈之介の無愛想な言葉に、
「まぁまぁまぁ そう杓子定規に構えないで、(お~い酒を持ってきておくれ)
と奥に声を掛け、まずは落ち着き下さいまし、手前三の松平十と申します、
本郷は根津権現一体を束ねる請負を生業に致しております、
実は過日浅草成田様の武勇伝を手下から聞きまして、

ぜひお引き受け願えたらとこうして出張って参ったのでございますよ。
これまでにも何人かのお武家様にお願いいたしまして当たったのでございますが、
皆様返り討ちにあい、ほとほと困っておりました。

「俺に人を切れと申すのならお断りだ、痩せても枯れても俺は侍、

訳の分からぬ殺しは御免こうむる、ではごめん!」
と席を立とうとするその袖を握って

「ままままっ待って下さいませ、お話だけでも・・・・」
と引き止められ「実はこれまで多くの町家の人々が泣かされ続けておりまして、
何とかならないかと相談を頂きました。

まぁ結果は先ほど申し上げました通り、皆様返り討ちに・・・・・」

「さほどの使い手なのか?」

「そりゃぁもう鬼神か不動明王様の成り代わりと思えるほどの強さだそうで・・・・・」
ここまで聞くともう丈之介の心のなかに剣客の血がふつふつと湧きだしても
しかたのないことであった。

「其奴はそれ程に悪いやつなのか?」

「はい、お役人様も中々腰を上げてくださいません、
何しろ現場を押さえなければ取り押さえることが出来ないものですから、
結局被害にあった者の泣き寝入りでございますよ、そこでだんだんとお助け料も値が上がり、
今では五十両にまで値がつり上がってしまいました」

「何と五十両とは又法外な!」

「でございましょう?それでも今ではお引き受けくださる方が、
皆様このお話をいたしましたら逃げ腰で、
いやはや昨今のお武家様の不甲斐なさはもう・・・・・・」

そこまで聞いた丈之介、引き下がるわけにはいかず
「その話乗った!」

「おお お引き受け下さいますか、やれやれこれで私も間に入ったかいがあったという
ものでございますよ、誠にありがとうございます、それでは早速・・・・・・」
と、懐から紫のふくさに包んだ切り餅二つ

「二十五両あわせて五十両、お収め願います」
と卓の上に置いた。

「で、相手の名は・・・・・」
と聞き返す丈之介に

「そこまでおしりにならなくてもよろしいのでは?それとも名を聞いて怖気づくとか??」

「馬鹿を言え、俺とて武士の端くれ、面目にかけてもそのようなことは申さぬ!
あい判った、で期日は」

「明後日、場所は本所深川富ケ岡八幡前でお待ちいたしております」

この日、平蔵は清水御門の盗賊改方を出た直後から、何か重たい気配を感じていた。
刺すようなものでもなく、さりとて無害なものとはとても想えない。
ただ影のように離れずそれは続いていることに違和感を抱いていた。

永代橋を渡った頃からその気配は徐々に威圧的なものに変わり、
それも複数の散逸した嫌な感じが気になった。

いつものように、佐賀町から下之橋を東に取り、緑橋を渡ったあたりでまとまり始めた気配を
ズルズルと引きずりながら黒江橋、猪口橋へと流し、永大寺門前山本町を右に折れ
富ケ岡八幡の大鳥居を潜って(さてどうしたものか)平蔵は後背のまとまりつつある気配を
どう分散させるか思案した。
何しろ一対?名なのである。

右に曲がって木々の落ち葉が堆積した場所を戦いの場所として選んだ。
石畳では足音が読めない、だが落ち葉なぞもあれば小枝も散乱したまま、
さすればそれを踏んだ時の音で背後の居場所も読めると踏んだのである。

その目論見は的中した、背後から分散しつつ足音が時折の小枝を踏む音を残しながら
回りこむように平蔵を包み始めた。

(ひふうみぃ・・・・5つか)余程の手練でない限りこの状況では
一度に斬りかかるおそれはないな、平蔵ゆっくりと振り返った。

「餌に群がるありんこでもあるめぇし、お前ぇら、
俺を長谷川平蔵と知っての微行のようだのう、長ぇ道中ご苦労なこった!
一体ぇ誰に頼まれた!それとも意趣返しか?まぁそいつはどうでもよい、
獲物を抜いたらそっから先ぁ地獄の一丁目と覚悟してまいれ!」

そう言ってゆっくりと廻りの気配を確かめるように腰を落とした。
じわじわと気配の間合いは詰まっている。

刀に手をかけたその瞬間、いきなり背後から
「やぁ!!」
と突き進む足音がして上段から剣風が打ちかかった。

平蔵は左脚を大きく左側に踏み出しそのまま抜刀して横にはらった。
平蔵の残した右足につまずいて身体が泳ぎながら前かがみになった刺客の胸に
平蔵の一撃が食い込んだ。

「ぐへっ!!」
血反吐を吐きながら前のめりに打ち倒れた。

「つぎ~!」
道場稽古よろしく声をかけた。

「いやぁ!」

左右から一度に打ち込んでくる。
左脚を軸に右足を一気に引いて返す二の太刀で左側の刺客を胴から肩口に切り上げた。

「ぎゃっ!」
脇腹を切り裂かれて面を頭巾で隠した一団の一人が前のめりに打ち崩れた。

左へ飛んだもう一人の刺客に
「おい まだやるかえ?」
息を整えながら平蔵
明らかに頭巾の中の眼は狼狽を隠せないでいる。

「参れ!」

平蔵の気迫に飲まれるように乱れた太刀筋はまっすぐ平蔵に突き出された。
肩を少しよけながら刃の下をなめ上げるように太刀筋を外し、
上段からまっすぐに切り下げた。

「ぐわっ!!」

膝をがくりと落とし、落ち葉に刀を突き刺すように支えながら横倒しに倒れこんだ。
その一瞬を狙ったかのように、背後に鋭い気配を感じて素早く振り返った。
これまでとは全く違ったすさまじい刃風が襲ってきた。

体をかわしざま面割に太刀を振り下ろし飛び退いた。
刺客の隠していた頭巾が切り裂かれて面が現れた。

「ううんっ!・・・・・・もしや丈之介!丈之介ではないか?」
男は一瞬たじろいた。

「俺だ 長谷川平蔵だ!いや、本所の銕だ!」

「うっ!!」

「おい丈之介!貴様とは高杉道場仲間でよく悪さをしたではないか!
おぼえておらぬのか!?」

だが相手は額から血を滴らせながら、なおも間合いを詰めてくる。

「おい まてまて 何があったか知らぬが、お前ぇは村木丈之介だろう?
井関録之助や岸井の左馬を覚えておらぬのか・・・・・・」

だが男は無言でじっと間合いを詰める。

「話しても判らぬとは、やむをえん、参れ!」


平蔵が再び剣を深く構え直した瞬間、相手の目線が平蔵の肩に止まった次の瞬間「だぁっ!!!」
と勢いよく突き進んできた。

「ぬぅっ!!」

平蔵は右に姿勢をひねりながら脇から左肩に切り上げた。

「グワッ!!」
低い声を漏らして平蔵を追うように足元にあお向けに倒れた、
その胸に矢が深々と突き刺さっていた。

「ウヌッ!」
振り向くとすぐ向こうの木陰に弓を構えなおそうとしている男が見えた。

「おのれ!!」
平蔵はその場から左右に動きを変えながら突っ走った。

この場合の弓はもはや使いものにならないことをよく承知しているからだ。
敵は慌てて逃げ惑い弓矢を投げ捨てて抜刀してきた。

「あがいても無駄だ!観念せい!」
平蔵が刃を横に流すように構える。

敵は右八双に構え、いきなり足元の木の葉を足先で蹴上げた。
バラバラッ!と落ち葉や小枝が平蔵の顔面めがけて飛んできた。

思わずたじろき、袖で顔を塞いだその瞬間
「ダァッ!」
渾身の力を込めて真横に刃をはらった。

「うっ!」
平蔵は低い声を漏らした、太刀を持った右手で押さえた平蔵の左腕から血筋が流れてきた。

「おのれ!!」
平蔵は更に男との間合いを詰めて行き、腰を大きく後ろにひねった。

敵はそれを見て大きく太刀を振りかざした、その刹那平蔵は軸足を左から右にかえ
、左脚を左前方に踏み込みざま右脇をすり抜けるように太刀を右手に委ねたまま
左に大きく振りぬいた。

「げっ!!」
刺客は腹を押えながら前のめりに平蔵の右側を泳ぐように土手を転げ落ちていった。

平蔵はその太刀にずっしりとした手応えを感じていた。
急いで土手の下に戻ってみると、胸元に深々と矢を打ち込まれた丈之介が虫の息で倒れていた。

「丈之介!しっかり致せ、貴様俺を助けたのだな!」
その声にうつろに目を見開き、見えぬものを探すようにゆらゆらと瞳を動かせ、
ふっ と笑うように笑んで息絶えた。

「丈之介!丈之介!!」
平蔵は丈之介の瞳の動きに気付かなかった己を悔やんだ。

あの時一瞬丈之介の目線が平蔵の肩越しに移った意味が、今初めてわかったからである。

「無念!無念!」
平蔵は己の胸を幾度も幾度も刀の柄で打ち据えた。

弓矢を射掛けてきた刺客の面体を外したが、平蔵には記憶のほかであった。
平蔵は手ぬぐいを引き裂いて左の腕に巻きつけ、とりあえず止血を試みた。

小半時を少し回った頃、深川北川町万徳院圓速寺そばの黒田左内の長屋に平蔵の姿があった。
手傷を負った平蔵の姿を、染は息の止まる思いで迎えた。

「長谷川様!そのお怪我は!」
その声に

「平蔵殿が怪我じゃと!」
奥で左内の驚いた声が飛び出してきた。

「何があったのか俺にもわからぬ、別れて以来20年近い時の流れは、
それぞれの生きる歯車をすり替えてしまったのであろう。

放蕩無頼の俺が火付盗賊改方、一方の丈之介は無頼の暗殺者へと変わっていた。
録之助は乞食坊主が性に合っていると言い、左馬之助は浪々に身をやつし、
恩人の高杉銀平道場は素浪人の集まるさびれ道場。

時の流れとは、まことからくりのごとく先の読めぬものにございますなぁ」

染の手当を受けながら平蔵、ポツリと呟いた。

「長谷川様にこのような事が起こると、染は胸が痛みます。
お命がけのお仕事と解ってはおりますものの、かようなことは嫌でございます」
染は涙を浮かべて平蔵を見上げた。

「わしを付け狙う者はいくらでもおろう、それを恐れておってはこの御役目あい務まり申さぬ。
身共とて生命はおしゅうござる、だがのう染どの、今身共が退けばこの江戸は千々に乱れよう、
盗っ人共や無頼の者共が横行するは火を見るよりも明らか、江戸の治安は誰かが守らねばなり申さぬ。
この平蔵にご指名のある限り、生命を賭してもご奉公致さねばなり申さぬ」

平蔵の毅然とした言葉に染は返す言葉もなく、絞るように染の肩を掴んだ平蔵の無言の言葉に
涙も拭わず見上げていた。

裏の万徳院圓速寺の庭に今年も見事な桜が咲いている。大川の風に運ばれて
ときおり花びらがこの長屋にも流れてくる。

「染どののように、いつもあでやかよのう」

平蔵は胸に顔をうずめている染の肩にハラハラと振りかかる桜を見飽きもせず眺めていた。
この事件のひと月あまり後、平蔵は深川北川町万徳院圓速寺そばの長屋を尋ねた。
桜もすでに翠の葉で屋根を覆うように輝かせていた。

「親父殿に精をつけてもらわねば・・・・・それには一番、深川名物鰻のマムシ!」
と平蔵が鰻飯を下げてやってきた。

「両国橋の広小路に美味い鰻屋がござってな!ぬくぬくをホレ!こうして・・・・はははは」
平蔵愉快げに染に差し出した。

「マムシとは、長谷川様はクチナワまでお召になられますの?」
と少々警戒気味の顔。

「やっ これはしたり、そうか染殿はご存じないか、このような飯は!
まむしと申してな、焼いて味付けした鰻を飯の間に挟んだ為に左様の申すそうな」

「まぁ驚きましたわ、長谷川様は何でもお試しになられるので、

このたびはくちなわまでお試しになられたのかと、うふふふふ」

「実はのう、この焼き加減がキモでござって、一度焼きたる物をどぶろくの熱燗と
醤油に数度潜らせた漬け焼きがみそでござるよ。

醤油は薄口ではのうて、江戸の濃口醤油に味醂、日本橋葺屋町の大野屋のタレ、
これでのうては・・・・・うん?如何がなされた?親父殿の姿が見えぬが?」

「父は少し前より少々風邪気味で、本日は臥せっておりまして・・・・」

「おお そいつはいかぬ、春の風邪は中々に面倒いそうじゃ、
それでは卵酒でも作ってしんぜよう!」

「あれっ!長谷川様は卵酒をお作りになられるので?」

「おっ 可笑しゅうござるかのう?、染どの まずは卵じゃ、それに砂糖と酒・・・・・
まずは卵と砂糖をこう混ぜっ返してよく溶かし、混ざったところで
熱燗をぽちりぽちりと流し込む、酒に卵を入れると白身が湧いて固まり、
まずうござる、酒はこうして・・・・・

ううんっ!これは又、中々の出来でござるぞ親父殿うんうん、
いかがでござる?この酒の香りに卵のまろやかさ、のう親父殿」

「いやぁ これはまこと中々に中々に旨うござるなぁ平蔵殿あははははは」
左内は声を上げる。

「で ござろう、ウム、俺としては中々の出来具合、
こいつぁちともったいのうござるなぁ親父殿」

「長谷川様!私にもそのお味見を・・・・・」

「ふむ、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけでござるぞ染どの、
のう親父殿、卵酒は病人のもの・・・・・・」

「あら それでは長谷川様はどうして?」

「それはこしれぇた者の特権でござるよ染どの うふふふふふ」

「まぁ憎らしい私も風邪を引いて見ようかしら」

「あっ それはいかぬ、それは困る、のう親父殿」

「何故でございます?」

「あ いやこれはその何んだ、うむ 親父殿の世話をしてくれる者がおらなくなるとこう、
ちと不便でなぁあははははははは」

「まぁ憎らしい、おふたりとも覚えておいでなさいまし」

「あいや 染どのの怒った顔が又ようござるのう親父殿、こうなまめかしゅうて、
桜の花もこうまで色めきは致さぬぞ」

「もうお二人共酔っておいでにございますか!」

「染どの、卵酒がこうも美味いとは、今日の今日まで思いもいたさなんだ、」

「まことまこと、身体の中にず~んと温もりが流れ込み、いやはやこれはたまらぬ美味さ!
もう1杯くださらぬか」

「おお何杯でも、まだまだござりますぞ」

「長谷川様!何かお忘れではございませぬか!」

「おっ はて、?おおっ!忘れておった、だがなぁ染どの、
本日はショウガはござらぬ故これまででござるようん!」

「長谷川様の意地悪!もう私にはおすそ分けはございませんので!?」

「さて、こいつは困り申したのう親父殿、これは風邪を引きたる者の飲み物ゆえ、

染どのにまわる余分がござるかのう、いかがでござる親父殿?」
平蔵と左内は染を肴に卵酒で気炎を上げているのである。

「お二人とも染はもう知りませぬ!」
とべそをかきはじめた。

「やややっ これは困った、親父殿、染どのを泣かせてしもうた、
ちといたずらが過ぎましたぞ」

「これ染、本気ではないぞ、冗談じゃよ冗談!」

「おおそうじゃ 染どのには鰻をたらふく食していただき、
精をつけてもらわねば、のう親父殿」

「いや、ちとお待ちくだされ平蔵殿、染に精をつけさせていかが致す所存?」

二人は顔を見合わせてにやにやと染の反応を楽しんでいる様子に

「もうお二人とも許せませぬ、この鰻、染一人で頂きます!」
そう言ってさっさとまむし弁当を持ち去ってしまった。

「あれあれあれ 平蔵殿せっかくのまむしを染にかどわかされてしまい申したぞ、
これはしたり、いや大事でござる、早う召し捕ってくだされ!」

「おお!相手がまむし飯だけに召し取れは、これはよいよい ふわはははははっ」
平蔵と佐内は腹を抱えて大笑い、

「うむ風邪も呆れて飛んでゆきおったぞ」
盃に桜の花びらがはらりと舞い落ちた宵の口であった。

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