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鬼平犯科帳 鬼平罷り通る 三嶋山燈

鬼平犯科帳外伝

10月第1号 人斬り浅右衛門

 
山田浅右衛門といえばこの方 栗塚 旭 でしょうねぇ


最後の 山田浅右衛門吉亮 明治36年50歳

この日平蔵は内藤新宿の正受院まで足を伸ばし、
久しく回っていなかったこの界隈を歩いた。
吉宗の享保の改革で一度は取り潰された宿場ではあったが、
明和元年に再復興し、この度は飯盛女を150人抱える賑いを見せている。

飯盛女とは形ばかりで中身は言わずと知れた岡場所と同じである。

文化5年(1808年)には旅籠50軒、引手茶屋80軒と記されており、
品川宿につぐ賑いでもあった。

仲町の北側内藤新宿中央にある太宗寺には江戸六地蔵
(一番は東海道の品川寺、二番は奥州街道の東禅寺、四番は中山道の真性寺、
五番目が水戸街道の霊厳寺、六番目が千葉街道の永大寺で、
三番目にこの甲州街道の太宗寺があり、飯盛女達からは
「しょうづかの婆さん」と呼ばれる疫病よけと咳止めに効き目があると言うが、
奴楼たちは、衣服を剥ぐというので商売の神様になっている閻魔大王に仕えている
奪衣婆像が知られていた。

この奪衣婆(だつえば)は、三途の川の渡し賃を持たずにやってきた亡者の衣服を
剥ぎ取る鬼で、剥ぎ取られた衣服は懸衣翁(けんえおう)という老爺が
衣領樹(えりょうじゅ)と言う樹の枝に懸け、
その枝の垂れ具合で亡者の生前の罪の重さを量ると言われている。

三途の川は流れが早く深瀬を通る決まりなので衣は濡れて重くなるので、
罪の重さも決まるという、又着衣していない者は衣の代わりに
生皮を剥ぎとって掛けたという。

又ここは四ツ谷から甲州街道に連なる要所でもある。
それだけに江戸から逃げ延びる盗賊や、逆に江戸に入ってくるそれらの者達が立ち寄リ、
逃げる際の拠点にもなる重要なところでも在る。

信州高遠藩内藤家初代内藤清成が徳川家康から
「馬で一息で回れる土地を与える」
と言われ南の千駄ヶ谷から北の大久保、代々木、四ツ谷と走りぬきこの地を得た。

この内藤家の中屋敷があったところから名付けられた
人馬の休憩所であった内藤宿より新しい宿という意味合いがこもっている。

この大宗寺門前町にさしかかった時、
「だつえば」
と言う一杯飲み屋の看板が目に入った。
(面白い)平蔵の好奇心をそそるには十分な仕掛けであった。

使い込んだ縄のれんは手垢と埃で変色している、
又それがこれから起こる予測不可能な展開に油を注ぐほどの興味があった。

網代笠でのれんを分け一歩中へ入る・・・・・・・
4間間口ほどの中は旅人や宿場の様々な住人がたむろする風であった。

「旦那!飯ですかい、それともこっち?」
と席に座っている駕籠かき風体の日焼けした顔が盃を空ける仕草をしてみせ、
親しげに声をかけてきた。

「おう こっちをもらおうか」
平蔵は盃を空ける仕草をして見せながらその男の隣の席に座った。

その男は奥に向かって
「こちらの旦那に酒だよ!」
と注文した。

「お前ぇまさかココの・・・・・・」

「へっ とんでもねぇ、あっしはお見かけ通りの駕籠かきでござんすよ」

「ほう だが・・・・・」

「どうしてっとおっしゃりてぇんでござんしょう」

「うっ まぁな」

「へへへへ そこなんでござんすよ、何しろこの店は女将一人で賄っておりやすんで、
こんな時ぁ猫の手でも間に合わねぇ、で勝手に客が口を挟むのが
普通になってしまいやしてね」

「なるほどなぁ ところで表の看板を見て入ぇって来たんだが・・・・・」

「旦那もその口で、あははははぁ、一見の客はたいてぇそうなんでござんすよ」
そう言っているところに酒肴が運ばれてきた。

女将は50を半ば回ったと想えるものの、顔立ちは整っており所作も
どことなく品を感じさせる
「どうです旦那?ベッピンでござんしょう?」
男は平蔵の反応を楽しむかのように覗きこむ。

「ウム 若ぇ時ぁ中々の美形であったと思えるが何か?」
と水を向ける。

案の定男は待ってましたと言わんばかりに口を開いた。

「おしまさんは昔は吉原でも名の通った花魁だったそうでね、
年季が明けてそのお店の板さんとこの宿場に落ち着いて
小さな小料理屋をやっていなすったんでさぁ、
ところがそれもわずかの間で、無理がたたったのかあっけなく旦那が逝っちまった。

そんとき宿場の世話役が気の毒がって店を売るように
手配りなさって、
そのあとおしまさんはこの店を出したってわけで」
「なるほどなぁ、人の定めは一寸先も見えねぇってわけだ」

「なんせあの器量でござんしょう、宿場の野郎どもが黙っちゃぁいませんや、
押すな押すなの賑で、何しろ元が花魁ということもありで、
この辺りの食売女たぁわけがちがいまさぁね、垢抜けしていてそりゃぁもう、
お判りでござんしょう旦那」
と平蔵の返る言葉を読んでいる様子である。

「うむ だがなぁ この店の屋号が面白ぇ、何かいわくがあるのかい?」
平蔵はさらりと交わしながら確信を突いた。

「それそれそれ!奪衣婆でござんしょう?、ありゃぁね洒落でござんすよ、
こんな宿場だ!金のねぇ奴もいまさぁね、そんな時でもおしまさんは飯を出してくれる、
そのために金を払えねぇ奴らが汚ねぇ着物を脱いでおいて行くこともありましたのさ、
それでいつの間にか奪衣婆ってぇ洒落が生まれちまって、
いっその事看板にしちまおうって事で へへへへへ」

「なるほどここは奪衣婆や閻魔様も居座っておるからのう」
と平蔵

「さすが旦那よくお判りで嬉しくなってしまいやすね」
男は心の底からそう思っている様子が伝わる笑顔を平蔵は嬉しく想えた。

「ところでこの肴だが、こいつはナマズだな?それにしても山椒の薫りがなんとも清々しい」

「で ござんしょう?」
男はココぞとばかり目を輝かせて身を乗り出さんばかりの力の入れようである。

「こいつはね甚助って野郎が近くの川で獲ったやつを裏のいけすに
3~4日泳がせて泥吐かせやす、それから頭に目打ちをくれてやり 
生きを締めやして、ぬめりがなくなるまで塩で洗うんでさぁ。

水で洗いながらはらわたを出して頭を落とし3枚におろし、
程よく切り分けて、砂糖、醤油、みりん、酒、山椒の実で炊き上げやす」。

「お前ぇ馬鹿に詳しいじゃぁねぇか ええっ!、
お前ぇもしかしてこの女将におっぽれているんじゃぁねぇのかい?」
平蔵はこの男の肩の入れようを軽口で誘ってみた。

「じょじょじょ冗談じゃぁねぇですよ旦那、おしまさんはこの宿場の野郎ども
みんなの観音様みてぇなもんだよ」

「わはははは こいつは参った、観音様とはなぁ恐れ入り谷の鬼子母神たぁわけが違うか」
平蔵は楽しげにこの男のやりとりにも舌鼓をうった。

「美味かったぜ、」
と2朱を出した。

「あっ これでは戴き過ぎで」
と困った表情を見て平蔵

「あいつらの楽しそうな姿の褒美よ収めておきな、
それにしてもお前ぇ中々出来るもんじゃァねえぜ、観音様はよ あはははははは」
平蔵のこの言葉におしまは

「人に情けをかけるより、情けをかけられる者のほうが人として深うございます、
あたしはそれを宿場の皆様から頂きました」

と静かなほほ笑みで平蔵を見た。

(ウム この微笑みこそまさに観音様だなぁ)
久しぶりに満たされた思いで内藤新宿を後に平蔵は清水御門役宅に足を向けた。

ゆらゆらと麹町まで戻ってきた。

うなぎ屋(秋本)の看板が目に入った。
優雅な数寄屋造りに心が落ち着くようで、平蔵は格子戸を開けた。

懐の深い居すまいは周りの武家屋敷からも伺えるように客も上客ばかりと見えた。
「生憎でございますが相席でもよろしゅうございましょうか?」
前掛けをした若い男が出迎えた。

「俺は構わぬが、お相手の意向も訪ねてくれ」
と平蔵
「承知いたしました」と引っ込んで
「相席のお許しが出ましたのでご案内いたします」
と近場の間仕切りした小部屋の方へ案内した。

中庭は手入れの行き届いた草木と岩の阿吽の呼吸が見事で、
さすが武家屋敷のそばは違うものだと感心しながら小部屋に入った。

「相席をご承知くだされかたじけない」
と平蔵は丁寧に会釈した。
相手の男は軽く会釈を返して盃を干した。

見れば身なりは整えられて、月代も綺麗に揃えられている、
(ただの浪人にしてはこれは・・・・・)
平蔵はこの見知らぬ相席の男に少しばかり興味がわいた。

「この店はうなぎが得意のようだが、今日は昼にナマズを戴きもうした、
魚の他に何かおすすめのものでもないかのぅ」
注文を取る男に平蔵はそう告げた。

「筍にホタルイカの酢味噌和えを頼まれればよろしかろう」
と相席の男が薦めた。

「おお それは又美味そうじゃ、そいつを頼む、それと酒だ」
そう言いながら平蔵は太刀をぬいて脇においた。

「御貴殿中々の業物をお持ちのようだな」
平蔵の刀を一瞥したその男が中庭の岩にかかる小草が風に揺れるのを
眺めつつつぶやくように言った。

「おお お目に止まり申したか、これは親父の形見にござるよ」
と刀を持ち上げてみせた。

「拝見させていただけますかな?」
物腰も柔らかく男が言葉をつないだ。

「無論のこと 喜んで・・・・・・ところでご貴殿は目利きをなされるので?」
平蔵の言葉を聞き流しながら刀を受け取り、
懐紙をくわえ両手で目の高さに捧げ軽く一礼し、礼節を尽くした。
無論これは武士の魂と言われる刀を拝見するとき
、直接刀に息を吐きかけない配慮からの当然の作法である。

柄口を手元にこじりを向こうに構え鯉口を切り、すらっ と鞘を払った。
上下に目を移し、刃を返してもう一度眺め、刃を上にして反りや肌の沸など
じっくりと眺め、静かに鞘に戻し、

「鍛えは板目肌は強く,刃文も直刃で焼き高く小乱れを交えた小沸の微塵に厚きもの
となると粟田口国綱と見たが・・・・・しかし・・・・・」
と言葉を遠慮がちに残した。

「おう これは恐れ入りまし、まさにその通り親父より譲り受けし業物にござります」
平蔵は刀を受け取りながら、
「申し遅れました、身共は長谷川平蔵と申します」
と名乗った。

「いやいや失礼をいたしたのはこちらの方、私は山田浅右衛門と申します」

「ううんっ もしや御様御用の山田様で?」
あまりの出会いに驚きながら平蔵は確かめた。

「いかにもその山田浅右衛門でござる」
男は少し気を許したのか笑顔で答えた。

「いやまさに奇遇ともうしますか、このような場所でお目にかかれるとは・・・・・」

「長谷川殿と申されたが、そこもとは盗賊改めの長谷川殿か?」

「仰せの通り、今は火付盗賊のお役を勤めております」

「さようであったか、ならば国綱を所有されておられてもおかしゅうはない、
いや出会いとは妙なところでも起こるものでござるなぁ」
浅右衛門は愉快そうにカラカラと声を上げて笑った。

「ところで山田殿、先ほど(しかし)と言葉を残されましたが・・・・」
と平蔵

「あ いや さほどの意味はござらぬ」

「んっ もしかしてこの刀が国綱ではないかも知れぬと・・・・」

「ウムそこまで申されるならば身共の思いをお聞かせいたそう、
元々粟田口は京の洛外にて発したものの、足利将軍家御用達ともうしまするか、
代々を将軍様御用刀としてのみ継がれて参り申した、ゆえに・・・・・」

「いやまさに身共も左様に心得ておりまする、幾ふりも打ちたる中から献上されしゆえ、
残りのものが流出したやも知れませぬ、また似通ぅた業物に銘を似せて打ったものも
ござりましょう、その一つと身共は想い、気軽に手挟みておりまする」

「なんと そこまで承知でござるか、これはまた豪気な長谷川殿でござるな、
いや愉快ですなぁ」

そこへ酒肴が運ばれてきた。

「どれどれ早速頂戴仕る」
美食に目のない平蔵の緩んだ目元を楽しげに眺めながら浅右衛門

「この店も、うなぎは又格別なれど、この炙り筍とホタルイカの酢味噌が又美味い。
塩を入れて少しイカを茹でておく。

ホタルイカは何せ小さい、目玉やくちばしなどを指でつまみ出すように
取り除いて背板をつまみ出し、塩水で痛めぬように軽く洗いぬめりを取る。

軽く水で塩気を流してザルにあけて水気を切る。
それから酢味噌を作る。

白味噌と砂糖、それに酢を混ぜて酢味噌を作る。
この時酢を入れるのに少々好みが出るので、味を確かめながら酢を足してゆく
、これがコツと申すか・・・・。

筍は湯がいたものをゆっくり炙り、水気をしっかりと飛ばすのが肝でござる。
炙り上がった筍の表に格子状に切り目を入れて、白味噌と味醂、
砂糖と卵黄のよく練ったものを軽く塗りこみ器に並べ、ホタルイカを飾り付け、
酢味噌を添えこれに季節の香の物、山椒の葉を飾り付ければ出来上がりでござる」

「いやいや こいつも旨うござるが山田殿の講釈で更に旨味が上がり申す、
これはなかなか、おそれいりましてござります」。

平蔵はほくほく顔でこの炙り筍とホタルイカの酢味噌を口に運ぶのが忙しいようである。

私はこの近くの平川町に住まいおり申す、時には遠慮のう立ち寄られよ、
酒のもてなし程度ならばいつでも歓迎でござる」
浅右衛門は平蔵のくったくのない笑顔が気に入った様子であった。

「お言葉嬉しく頂戴つかまつります」
平蔵丁寧に頭を下げて浅右衛門の申し出を心から喜んだ。

これ以後お互いに近くを通りかかれば声を掛け合うような
付き合いが続いたのは言うまでもあるまい。

それから半月ほど時が過ぎたころ、清水御門火付盗賊改方役宅に
門前に山田浅右衛門が平蔵を訪ねてきた。

「急ぎ座敷にお通し申せ」
平蔵は丁重に招き入れた。

「長谷川殿 先日、千鳥ヶ淵で辻斬がござったのはすでにお聞き及びか?」
と問いかけてきた。

「いえ 身共は火付盗賊なれば辻斬などは町方に回されます故、詳しきことは・・・・・・」

「なるほどなぁ いや 実は過日ある武家屋敷より刀の目利きを依頼されもうした、
その後すぐの出来事ゆえ、少々気になり申して」
と浅右衛門は意味ありげな口ぶりである。

「まさかその刀の試し切りと・・・・・」

「さようには思いたくないのだが、切れ具合が鋭すぎる、
骨まで切り捌かれたところでは余程の業物であろうし、
手練のものでなければあぁも見事に切り裂かれぬ」

「と申されると、その刀の出処が・・・・・・」

「私もそれを心配いたしてこうして参上致した次第」

「あい判り申しました、早速奉行所に問い合わせ致しましょう」
平蔵はこの浅右衛門の助言でこの後幾度も事件の糸口を見つけている。

「おかしら!本日のご来客はあの首切り浅右衛門でございますか!?」

「さすがうさぎの耳は早耳じゃのう」
忠吾の素っ頓狂な返事は決まっている。

「ままままっ まさかと思いましたが、やはりあの御様御用の山田浅右衛門で・・・・・
いつのまにおかしらは浅右衛門とじっこんになられましたので?」

「うさぎ 人の出会いは糸のもつれと同じようなもの、
解けるまでは誰にも判らぬ、解けた時にやっ こいつは!と 驚くものもある。

だがなぁこれもそれぞれが内に育んでおる、秘めたる力と申すか
思いというかそのような物が引きおうて出会うとわしは思うておう」

この辻斬事件はこの後数日の間に3件勃発し、いずれも同じ切り口であった。

それから半月ほど後、刀剣磨師の孫七から浅右衛門に目利きの依頼があり、
過日浅右衛門が目利きをした業物と判明した。

刃こぼれも無く、血溝に残された脂ののり方から、かなりの血を吸った業物と想われた。
浅右衛門の話から依頼人の身元も判明し、ご大身の旗本の子息であることも判明したが、
証拠不十分で取り押さえることも出来ないままこの事件は終わってしまった。

だが、それから数日後再び千鳥ヶ淵に辻斬が出た。

そして幾晩目かに再び夜鷹を襲った辻斬が現れたが、この度は返り討ちにあった。
切り倒したのは奉行所への届け出によると山田浅右衛門と名乗った。

検視した南町奉行所の所見によれば、見事というほかなく、
関節の間を切り裂いて骨には傷ひとつついていなかったと調書に記されていた。

無論のこと、即日何処かの家中の者が遺体を引き取りに出向き、事はそれで終わった。
数日後、とある家中から嫡子病死の届け出がなされたと平蔵は聞かされた。


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