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鬼平犯科帳 鬼平罷り通る 三嶋山燈

鬼平犯科帳外伝

鳥越囃子


浅草寺名物 1795初めて風雷神門大提灯が奉納された。


浅草寺本堂の志ん橋大提灯 広重画

ここは浅草寺本堂(志ん橋)と書かれた大提灯をくぐって朝のお参りを済ませ
広小路に戻りかけ、消失したままの雷門に差し掛かった時、
「喧嘩だぁ喧嘩だぁお侍ぇ同士の喧嘩だぁ」
と声が飛んできた。

大勢の人をかき分けて覗いた浜崎十兵衛の見たものは
いかにも強そうな浪人風体の男と、
すでに勝敗は付いていると想われる若侍が抜刀して対峙している光景であった。

頃は六月中の頃・・・・というと壺坂霊験記・・・・・・あるわけはない、
ということで振り出しに戻って。

頃は六月七日、夜ともなれば鳥越囃子が聞こえてくる、
浅草でも最も気の短い連中がうようよいる場所である。

ここの蛇骨長屋をねぐらにしている浪人浜崎十兵衛
「ちょいと待った!その喧嘩俺が買おう、何しろ今日の食い扶持が底こをついておる、
飯のためにはやむをえぬ、どうだ五両でこの喧嘩引き受けよう、すでに勝負は見えておる」
と喧嘩の仲裁を勝手に買って出た。

「邪魔だていたすな」
浪人が声高に叫ぶ。

「おうおう そう邪険にするなよ、仲裁は時の氏神と申すではないか、
お前さんのほうがどう見ても優勢、こいつぁ面白くもなんともねぇなぁ皆の衆」

すると周りから
「そうだそうだ!それじゃぁつまんねぇ!火事と喧嘩は江戸の花!ッて言うぜ」

「それ見ろ!お江戸の花を今散らして何が面白い、
どうだ!五両ではだめか?うむ仕方がない三両で手を打とうどうかな?」
どう見ても劣勢の若侍の方に寄りながら指三本立ててみせる。

「お構いくださるな!」
若侍が逃げ腰のまま刀を突き出して追い詰められている。

「その通り邪魔立ていたすと貴様の方から先に片付けるぞ」
今度は浪人が威嚇してきた。

「おおそいつぁ怖い、だがその前に商談がまだ決まっておらぬ、
どうだ?三両でも出せぬか!う~んこうなったら清水の舞台だ、
一思いに飛び降りて二両!これ以上は負からぬぜ」

その言葉の終わらない内に浪人が大上段に振りかぶった長刀を一気に切り下げた。
若侍はとっさに目をつむり刀をそのまま固まってしまった。

(ビィ~ン)鋭い音とともに浪人の刀が中に舞い上がり
ギラリと陽を返してドォと地に落ちた。

「むぅ!」
浪人の口から低い声が漏れ、抑えた右腕から鮮血が地面に吸い込まれてゆく。

「糞!覚えておれ!」
浪人は刀を拾い上げて人混みの中に消えてしまった。

「やれやれこれで又今夜も根深汁かぁ」
十兵衛は尻餅をついて刀をガタガタ震わせている若者の腕を掴み
刀を剥がすように取り、鞘に突っ込んだ。

勝負あったと群がっていた野次馬も散って、元の人通りに戻った。

「なぁお前さん、どのような事情があるかは知らぬが、
始めっから勝負は付いている、なのにどうしてやるんだね、
おれにはさっぱり判らねぇ」
と首を傾げる。

この浜崎十兵衛親代々の浪人暮らし、この時代 役にも立たない物の、
腕に覚えの剣術で飯を食おうとこの浅草界隈で喧嘩の仲裁を生業にしている。

若侍を引き起こし、土埃をはらって近くの茶店に抱え込んだ。

「私は挙母(ころも)藩内藤家家臣崎森良太郎と申します。
父が上野国安中より挙母へ移藩の際母とともについてまいり、そこで生まれました。

天明四年(一七八四年)父が小普請を勤めておりまして、
その同僚と工事采配の事であらがいになり怪我を負わされました。
その怪我が元で父は死亡、すでに出奔していた板垣十四郎を追って
、江戸に参ったのでございます」

「なんと、それにしても怪我が元での死亡では仇討ちも認められんだろうに、
そこまでして何があるんだい?」

「武士の一分が立ちません」

「やれやれ、この時代にまだ武士の一分たぁ恐れいったぜ、
おまけに刀の持ち方一つ判っちゃぁいねぇ、俺には皆目判らん世界だなぁ」

「それでも私にとっては意地がございます」

「その意地を通すにも命を捨てては何にもならんだろう、
あっ お前さん路銀が切れたということか!
それなら色好い返事の一つも出なくて当たり前ぇだ、
はっ!こいつぁ俺がしくじりよ」

「申し訳ございませぬ」

「まぁいいさ、所でお前さんこれからどうするつもりだね?
見れば行く宛もないようだが、他に何か才覚はないのかね」

「父が小普請におりましたもので、
剣術よりもと文事、学芸に力を入れておりましたもので」

「ははぁそれで先ほどの・・・・よし判った、
お前さんを、う~ん おうそうだ!花川戸の尾張屋のだんなに相談をぶってみよう、
まぁ今日は俺のねぐらで骨休めして、明日にでも出かけてみよう、
おれのねぐらはその横の奥にある、蛇骨長屋だ」

「蛇骨とは又・・・・・」

「はははっ 気にするねぇその昔、
この長屋の奥の方から大蛇の骨が出たってぇ話しでよ、
それ以来ここいらを蛇骨長屋と呼ぶそうだ」

「左様ですか、まさか夜な夜な大蛇が出てくるとか・・・・・」

「おいおいそれじゃぁだぁれも住み着かねぇ
おっと蛇は棲み着くかも知れねぇがな、はははは」

こうして十兵衛と良太郎の奇妙な生活が始まった。

翌朝、身支度も整えて良太郎は十兵衛に伴われて花川戸の豪商尾張屋を尋ねた。

尾張屋の本家八木下家は鑓水村(やりみず)で
紡がれた生糸をまとめて江戸に持ち込み財を成している。

「これはこれは浜崎様お珍しい、本日は何処からの仲裁に御座いますかな?」
にこやかな表情で尾張屋の主が奥座敷で出迎えた。

「いやぁまった!いつもいつも喧嘩の仲裁ばかりは致しておりませぬぞ尾張屋どの」

「さようでございますか、で、本日はいかようなご用向きで?」
と茶を勧める。

「はい この若者故あって浪々の身、なれど糊口をしのぐにも術なく、
幼少より心得たる算術に長けておりまして、
暫くの間でもこちらのお役に立ちはしまいかと、お連れいたしました」

「おう それはまたお気遣い頂き・・・・・
ですが、手前どもにはすでにそのほうは足りておりまして、
新たにその必要もござりません」

「そう申されると想っておったが、こちらは小普請の御用方も心得ており、
帳面記載の管理などの奥向にも詳しい、若輩なれどお役に立とうかと」

「それはまた・・左様でございましたら話は別、
さてでは、暫くお預かりさせて頂いて、
その後でということもでもよろしゅうございましょうか?」

「おお 勿論、ものは遣うてみよ 人には添うてみよと申しますからなぁ、
何卒よしなに願います」

「ならば お引き受けいたしましょう」

と言うわけで、とりあえず糊口を凌ぐ手立てが出来た。

「さて住むところだがちょうどわしの家の向かいが空いておる、
そこを何とかあてごうてもらおう」

こうして棲み家も決まりひとまず落ち着いて仇を探すこともできることになった。

「この度は誠に数々のお骨折りをかたじけのうござりました」
良太郎は改めて十兵衛に感謝の意を述べた。

「よかったなぁ 崎森どの、俺もこれで喧嘩仲裁の甲斐があったと言うものよ、あははははは」

こうして二月が流れた。

良太郎は蛇骨湯の朝湯につかりに出かけた。
朝湯は夜の商売のものが入ったままなので、
上がり湯と言い入浴にはならない、そこで良太郎
銭湯の掃除をすることを引き受ける代わりに朝湯に入れることになったわけである。

尾張屋の帳簿付けは夕方から本仕事、したがって朝はゆっくりできる。

これは十兵衛が良太郎が仇持ちであることを尾張屋に話し、
尾張屋が任侠心で決めてくれたことであった。

蛇骨湯を出て浅草寺にお参りしようと金龍山山門をくぐった。
すでに人影は多く集まり、忙しげに行き交う人混みで賑わっていた。

(あっ 確かにあの後ろ姿は板垣十四郎・・・・・)
良太郎は背を見せて立ち去る三人組の一人が、板垣十四郎だと確信を持った。

そしてその後ろを付かず離れずついていった。

三人が入っていった先は新鳥越町の貞岸寺横少し入ったところの藪田の中の一軒家。
遠くで暫く様子をうかがってみたが、全く動きがない、
(おそらくここがあいつのねぐらであろう)と、蛇骨長屋に戻り十兵衛に報告した。

「それは何より!あとは奴の動きを見張れば良い、その方は俺が引き受けよう」

「誠でございますか?」

「こうなったら乗りかかった船、とことん付き合うぜ良太郎さんよ、
何日でも奴が一人になるのを待つしか無い」

それから毎日十兵衛は遠くまで野中の一軒家を見張ることになる。

そのころ平蔵は、てかの者から話を聞いたと報告があり
菊川町の役宅で五郎蔵に話を聞いていた。

「何とな!もう一度申してみよ、確かに其奴は音無(おね)の喜三郎だと申すのだな!」

「はい 間違いのない所でございます」

「うむ あ奴には煮え湯を飲まされた苦い思い出が今もこうして胸の奥底でうずいておる。
わしもまだ盗賊改めのお役に付いたばかりで、
同じ御先手組弓頭の堀田帯刀殿より佐嶋忠介を借り受けたばかり、
そのおり堀田殿が持て余して居った盗賊が其奴であった。

おれも若かったせいもあり功を焦って取り逃がした、
そのあと奴はあざ笑うかのごとく市中で暴れ回り、
堀田殿は引かされわしが火付盗賊改方になった」

「左様なことがございましたので・・・・・」
大瀧の五郎蔵はこの長谷川平蔵という人の気持をよく判った。

「で、いかがした、何ぞ手は打っておるのであろうな」

「それがでございます長谷川様、こうしてお伺いいたしましたのは
そのことについて長谷川様のご指示を頂きたく・・・・・」

「うん 何だ言ってみろ」

「はぁそれがどうも妙なことで、あっしの手の者の話では、
そいつらを見張っている者がおりやすそうで、そこのところをどうすればと・・・」

「で、其奴は何者だ!」

「はい 野郎が後を追いかけて着いたところが浅草の蛇骨長屋、
ですが、どうもそっから先が読めません」

「うーむ そやつは確かに奴らを見張っているのだな」

「はい それは間違いございません」

「だとすれば奴らの一味でねぇ事だけは確か・・・・・
もう暫く奴らをそのままで張り付いてくれぬか、
何か動きがあらばすぐにでも手を打てるよう塩梅だけはしておこうからに」

「はい 承知いたしました」

この奇妙な張り込みは此処に始まったのである。

五郎蔵は平蔵の命で早速新鳥越町の貞岸寺の奥まった寺男の空き家を見張り所に借受、
墓地を挟んですぐ向かいが盗賊の盗人宿の横正面に当たり、
昼夜見張るのには絶好の場所となった。

一方十兵衛はというと、墓地の端に身を潜めていたものの(
ここはさすがに墓地があるだけに蚊が多い、こいつぁたまらん)
夕方ともなれば一斉に襲いかかってくるので団扇などで追い払えるものではない。

どこかに良いばしょは・・・・と見回すと、寺の奥に小屋が見える
(うん あそこなら何とか蚊遣りでも焚けば大丈夫であろう)
とそそくさとやってきた。

長らく人の住んでいる気配はなさそうで(よしここなら忍び込んでも良かろう)と、
ガタガタと戸を開けた。

「誰だ!!」
中から声がしたので十兵衛驚いた。

「いやっ これは失礼をいたした、まさか人がおろうとは・・・・誠にご無礼を致した!」
と平謝り。

「当方は火付盗賊改方である、お手前は昨日よりこの界隈で一体何をなされておる、
御役目によりお尋ねいたす」
声を出したのは同心山田市太郎。

「あっ盗賊改めのお方でござりますか!
私は鳥越町蛇骨長屋に住まいいたしております浜崎十兵衛と申します、じつは・・・・」
と今日までのいきさつをかいつまんで話した。

「判りました、ですがあそこに潜みおる者は極悪非道なる盗賊音無(おね)の喜三郎である、
したがってお上の御用の邪魔立ては以後慎まれよ!」
ときっぱりと釘を刺されてしまった。

「とは申せ、こちらも仇を見張らねばならず・・・・・」
十兵衛は何とか食い下がろうとするが

「ここは一旦我らに任せ、捉えたる後しかる処置をお頭に仰ぎ、
そこ元に通達いたす、早々に立ち去られよ」
とけんもほろろの厳しい態度である。

相手が火付盗賊改方となれば、黙って引き下がる他に方策はないと十兵衛、
やむなくその場は立ち去った。

帰宅して、このことを文太郎に報告したが
「文太郎さん、よりによってによって相手は火付盗賊改方、
おまけに密かな探索中ということで、こいつぁ賽の目が揃うまで動けませんなぁ」
と悲観的である。

「盗賊改めの方のお返事は捉えたる後、
然るべきお知らせをいただけるということでございますか?」
とやや不安なれど、逆に考えれば無謀なことをしなくても良い事にもなる。

「ここは一つ考えようでございますねぇ」
と、十兵衛の思いとは裏腹に悲観的ではない。

「判りました、明日からの見張り早めてください、
お上の沙汰を待つのが賢明と存じます」
ときっぱり心を決めた様子で、さすがにこの辺りは文官の素養を伺わせる。

「へ~ぇそんなもんですかねぇ」
十兵衛は少々不満が残るものの、当事者の文太郎がそう言うのだから
それ以上口を挟みこともないと腹を決めた。

「長谷川様、奴らの狙いがどこなのか、それを掴めておりません、
そこんところがちょいと」
と大滝の五郎蔵が平蔵を訪ねて菊川町役宅に現れた。

「そいつよ、俺もなそいつがどうも引っかかる、
その後の奴らの動きは山田より聞いておるが、
それらしき動きは今のところわからぬという話だなぁ」

「はい まったくその通りでございます、ただ・・・・・」

「うんっ ただ・・どうした?」

「はい いつも出かけるときは三人連れ、こいつを微行(つけ)た限りでは
これといった決め場所も定かでなく、何故か決まっていつもの道をいつものように、
そこんところが私には・・・・・」

「うむ 腑に落ちねぇと言うわけだな」
平蔵煙管に刻みを詰めながら頭を少しもたげる。

ギラギラとした日差しが降り注ぐ。
五郎蔵は木陰に身をおいてその暑さを避けている。

「五郎蔵!そ奴らどこを通るんだえ?」
何かが働いたのか平蔵はそう五郎蔵に問いかけた。

「はい ヤサから鳥越町を進み、三谷橋をわたって山谷堀沿いに進み、
山之宿町から花川戸を通って浅草寺境内で茶店により、
しばらくして元の道を戻ります、

ただ帰り道は花川戸の川べりを流して新鳥越町まで戻ってきます」

「ふ~ん ちょいと可怪しかねぇか?一つは浅草寺の茶店、
おそらくはここでつないでも人目には却ってつきにくい、
もう一つ、これはおそらくこの辺りに目星をつけているところがあると見てよかろう」

「はっ?狙い目がこの辺りとおっしゃられますので?」
五郎蔵、少々合点がいっていないふうで

「花川戸を表裏と道筋を変えると申したな・・・・・・」

「あっ!」

「うん さすがに大瀧の五郎蔵だぁ、読めたと見えるな」

「長谷川様!奴らの狙いは花川戸・・・・・」

「そういう事だなぁ」
平蔵煙管の雁首を軽く手で打ってぷいっと吹いて収める。

「早速おまさをその辺りに手配りいたせ、
どこか奴らの狙いそうな大店の有無や規模なぞ、ひと通りのことが知りたい
それから、山谷通いの猪牙以外に川筋に留船が潜んでいないか調べてくれ、
どうも引っかかっていけねぇ」

平蔵立膝で袖に渋扇を当てて風を送りながら目を閉じ、何かを瞑想する様子であった。

「おまかせくださいやし」
五郎蔵はひと声かけて裏の枝折り戸をくぐり、日差しの強い江戸の町に戻っていった。

その夜菊川町の役宅に五郎蔵が再び現れた。

「おお 待っていたぞ、で 手配は終えたな?その後の首尾は如何であった」
と渋扇をゆらゆらとくゆらせながら口元が穏やかである。

「はい 長谷川様の仰るとおり、山谷堀の葦叢の中に小舟が二艘隠されておりやした」

「で、その船の持ち主は判っておるのか?」

「そのところまでは今のところ・・・ですが、こいつを仕込んでいるとなると」

「そうさなぁ 押込みは近いと想わねばなるまい、
問題はその押し込み先が未だ判らぬ」

「おまさはなにか探って帰えりましたか?」

そこへおまさが戻ってきた。

「おう おまさ、遅くまでご苦労であった、
今ちょうど五郎蔵とお前ぇの事を話していたんだ、
どうだぃどっちかの耳が痒くはねぇかぁ、あははははは」

「長谷川様 又そのように・・・・・・」
と言いながら五郎蔵の方をチラっと見やる。
五郎蔵、ばつが悪そうに頭を掻いてごまかす。

「で、如何であった?」

「それが長谷川様、花川戸には豪商が立ち並んでおりまして、
とても絞りきれるものではございません、
お前さんの方からは何もつかめていないのかね・・・・・」
お五郎蔵を見やるおまさであった。

「うむ よし、未だ山田より繋ぎがないということは、
本日は何事も動きがねぇと見てよかろう、
ご苦労であった、身体を休めてくれ、ああ それから五郎蔵、
すまぬがあすからは浅草寺での奴らの動きに少しでも変わったことがねぇか気配りを頼むぜ」

「承知いたしました」
五郎蔵夫婦は舟形の宗平が待つ本所相生町の長屋へと屋敷を下がっていった。

翌朝五郎蔵は浅草寺境内の茶店に陣を張る、傍におまさが付いている。
目的の相手がいつも立ち寄る茶店は決まっている、
そのすぐ横に後ろ向きに五郎蔵、
おまさが正面を向いて茶と団子を横において待ち構えているとも知らず、
いつもの三人連れは腰を据えた。

茶を飲んでいると下働きの形をした女が立ち寄って浪人たちに背中を向けて座った。
五郎蔵から見ると真正面である。

女は茶を一杯頼み、手早く飲むと
「置いときますよ」
と声をかけて立ち去ろうとして、浪人の投げ出している足につまづきそうになり
「あっ ごめんなさいまし!」
と声をかけた。

浪人は
「おっと 危ねぇ!」
と手を添えるように女を支える風を見せたその瞬間をさすがに五郎蔵見逃さなかった
(繋ぎやがった)おまさに目配せした。

おまさは茶代を置いてその女の後をつけていった。
すぐ後を追うように浪人たちが立ち上がったので、
五郎蔵も茶代を置いて少し後を油断なく微行を始めた、
これはおまさに何かが起こった時の用心を平蔵から命じられていたからである。

が、何事も無く浪人たちはいつものように川沿いに歩を進め、
このたびは少し念をいれているのかゆっくりとした足取りであった。

船着場の一つに小舟が繋がれており船頭が忙しげに働いていた。
その男と二言三言言葉をかわして、又そのままいつもの帰路についた。

五郎蔵はその場に残り、先ほどの船頭に声をかけた。

「忙しそうで結構じゃァねえか、いつもそんなに忙しいのかい?」

船頭は
「今日はまだそれほどでも無いがね、
明後日荷が届くんでこの辺りの小舟を寄せておかねぇといけねぇもんで」
と汗を拭きながら真っ白に見る陽を見上げた。

五郎蔵がその船着場のもやい場の表札を見ると㋾と書かれてあった。
菊川町の平蔵が待つ役宅に二人揃って現れたのはその夕刻であった。

「おいおまさ、五郎蔵お前ぇ達の顔に目星がついたと書いてあるようだがどうだ?」

「あっ これは・・・・・恐れいります、
長谷川様の眼はあっしらの背中にでも付いているのでございましょうか?まったく」
・・・と頭を掻く。

「で、 どうであった?」

「はい 浅草寺で待っておりますと、いつもの様に三人でやって来ましたが、
今日は繋ぎと見える女が加わりました。

おまさがその後女をつけていきましたので、あっしは残った奴らの後をついていきました。
すると、川沿いに歩いた中程に小舟が止まっておりまして、
その男と何やら話しておりましたが、そのまま帰って行きましたので、
おそらく変わりはねぇと踏んで、その船頭に話を向けてみましたら
明後日に荷物が入るんで船の片付けをしているとか・・・・・・
みれば台場に㋾と札がかかっておりましたので」

「長谷川様、その㋾は生糸の大店尾張屋だと思います。
私が後をついて行きました女が戻ったのがその尾張屋でございましたので」

「でかしたぞ おい こいつぁ上出来だぁ間違いなく奴らの狙いはそこであろう、
大凡(おおよそ)日にちもこれで読めた!
いやそれにしても暑い中をよくやってくれたありがてぇ、さぁゆっくり休むが良い、
誰か!あいつを持ってきてくれ!」
と奥に向かって叫んだ。

程なくして盆に盛られたスイカが運ばれてきた。
「おい ちょうど冷えておる頃だ、さぁやってくれ、俺も一緒に馳走になるかぁ」
平蔵は二人を縁側に招き、自分も座り込んでスイカに手を伸ばした。

「うん 旨い!!」
爽やかな夏の香りが甘く三人の口元にほころんだ。

「あとは山田の報告を待つのみ!詰めておる者達もさぞかし難儀であろうよ、
御役目とはいえ動くわけにもゆかず、さりとて目を離すわけにもいかぬ、
まこときついお務めよ・・・・・」

平蔵はこの仕事の矛盾さを誰よりもよく知っていた。

「しかし長谷川様、それ以上に長谷川様はさらにご苦労をなさっておられるのを
皆よく存じております」
と、平蔵の心中を察している。

小柳安五郎と交代した山田市太郎が戻ってきた。

「おお 山田ご苦労ご苦労、さぁお前もこっちに来て冷えたスイカを食ってくれ、
で 変わりはなかったろうな?」

「はい 今日のところは別に何の動きもございませんでした、
ただ夕方後ろの方で何やら動いてはおりましたが、別に人の増員もなく、
まぁいつもと変わりございませんでした」

「五郎蔵お前はどう見る?」

「はい おそらく船の確認とか塩梅を確かめたのではないかと・・・・・」

「俺もそう思う、小柳、明日そちは奴らに気取られぬよう、小舟の場所とを確認し、
明後日夕刻を過ぎたら小柳とその小舟を解き放て、
良いか、奴らが休む前に確かめに出向くはず、その後での仕事となる、良いな判ったな!」

「ははっ!」
山田市太郎は平蔵の言葉の奥にためらいのないことを知った。

翌日は何事も無く無事に終わり、いよいよ決行当日を迎えたが、
いつものとおりに過ぎていった。

夕方近く平蔵は全員を招集した。

「一同!連日の昼夜を問わぬ張り込みにさぞや疲れておろう、
だが押込みは今夜と見た、今宵を逃すと又どのような災いを引き起こすやも知れぬ、
相手は音無(おね)の喜三郎、音もなく近づき全員皆殺しにするという兇賊、皆心して掛かれ。

佐嶋を元に一隊は花川戸の裏手の船着場に網を張れ、
おそらくそこでの合流はないと想われるが、万が一の時の手配りと想え。

残りの一隊は新鳥越町の百姓屋の山谷堀に網を張る、
必ず奴らは小舟で仕掛けてくるはずだ。

夜明けまでには決着を見るであろう、それまでは動きを気取られてはならぬ、よいな!」
こうして、網は確実に張り巡らされていった。

両手の掌から水が漏れるの例えがあることを平蔵は身にしみて知っていたのである。

その夜更け、平蔵の見込み通り新鳥越町の山谷堀川筋に百姓屋から十数名の陰が近づいてきた。
その時、
「お頭!船が見当たりやせん!」
と驚きの声が上がった。

「何だとぉ!そんな馬鹿な話があるわけがない!
昨日遅く見まわった時には確かに隠してあったのを見届けやした」
と誰かが叫んだ。

「その通り、昨日では確かにあった、だが今朝方船は流れちまった、
誠に気の毒なことをしたなぁ」

「誰だ!貴様は!」
狼狽しながらも鋭い声が暗闇に響いた。

「俺だよ音無(おね)の喜三郎、火付盗賊改方長谷川平蔵だよぉ」

「何だとぉ 野郎何しやがった!」

その言葉の終わらない内に御用提灯や高張提灯が一斉に掲げられ
、山谷堀の川面を明るく照らした。

斬り合いは四半時(15分)で終わった。

逃げ延びた残党は百姓屋で待ち構えていた木村忠吾達によって取り押さえられたのである。

捕らえられた一党は番屋で予め取り調べを受け、
それぞれの検分内容に従って大番屋に連れて行かれた者もあった。

首領の音無(おね)の喜三郎と浪人板垣十四郎は番屋で平蔵の厳しい詮議を受けていた。

そこへ山田市太郎によって平蔵からの言付けを聞いた崎森良太郎と浜崎十兵衛が駆けつけた。

「長谷川様!板垣十四郎が捕らえられたと伺い駆けつけてまいりました」

「おう これは朝早くから相済まぬ、
いやなに 山田にそこ元二人の話は聞いており申したゆえに
捕縛いたしたことをお伝えしたまでのこと、
崎森とか申されたな?敵討はご法多と存じておろう、
したがってそうさせてやりたいがそれはならぬ、許せよ、
だがなぁこ奴はわしが間違いなく千寿骨ケ原で晒してくれよう、

それだけは約束いたす、だからなぁもうここいらでこのことはすっぱり忘れ
新しき生き方を見つけるのもよいと思うがのぉ、

その二本差は何を繋ぎ止めておるのだえ?
新しい生き方の橋架けをしているのではないかえ?
小難しい生き方よりも己れの心を解き放って穏やかな生き方もあるってことを、
こころのままに生きるってぇ事は、何んにも増してかけがえのねぇものだと想うがなぁ。
のう浜崎殿」

「いやっ これは一本とられましたなぁあははははは、
私はこれしか才覚が無き故に今さらどうにも浮きませぬが、良太郎はまだ若い!
それにヤットウよりも才覚をお持ちだ、まさに長谷川様の仰る通り」

こうしてこの事件は落着を見た。



「時代劇を10倍楽しむ講座」  http://jidaigeki3960.sblo.jp/


 

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