忍者ブログ

鬼平犯科帳 鬼平罷り通る 三嶋山燈

鬼平犯科帳外伝

めぐり逢い 9月号 伊予吉田藩武左衛門騒動





だが安藤継明は従者千右衛門の介錯はあったものの絶命出来ず、
吉田藩は御医師を呼ぶも、あまりの事に



「かような御事態ではお墨付きを頂かねば治療には入れません」



と医師は逃げ腰。



安藤犠太夫継明若党 渡邊千右衛門は主人の首を袱紗に包み、
予め用意していた黒塗り内朱の首桶に納め、
自らも腹を切ろうとするを駆けつけた宇和島藩士に止められ、
事の次第を吉田藩に報告しに戻った。



そのあと吉田藩中見役鈴木作之進はこの安藤犠太夫継明の
骸を取り片付けさせた。



時に安藤儀太夫継明、長谷川平蔵より一つ年上の49歳であった。



 



三間(みま)へ食料調達に出かけていた嘉兵衛は



「大切なお方を亡くしてしまった」
と泣き崩れた。



安藤明継切腹の訃報は会議中であった吉田藩家老尾田隼人、
宇和島藩家老桜田数馬のもとに届き、吉田藩では



「家中はでんぐりかえりて、隼人(家老尾田)が仰天ふだま
(キモ)を抜かして、火鉢を踏むやら、お色も青ざめももたち
(股引=ももひき)とりあげ うろたえ騒げば……」
とちょんがりで語られている。



これに対し宇和島藩では一揆の主導者は処罰せずと裁決する。



二月十五日宇和島藩家老桜田数馬・目付け渡辺平兵衛が
吉田藩陣屋へ赴き、常用書類の引き渡しを迫った。



これがきっかけとなり安藤継明の願い通り、
農民側から十一箇条の嘆願書が出され宇和島藩鈴木忠右衛門が受理



翌二月16日大目付須藤段右衛門は郡代配下を伴い八幡河原に出向き、
吉田藩からは若年寄郷六恵左衛門・
郡代横田茂右衛門・中見役などを伴い出役。



宇和島藩鹿村右衛門裁諾書の読み上げがあり、
農民側は八幡河原から撤収。



二月二十六日吉田藩は二十三箇条の通達を発することで
全面的に農民側の勝利となった。



 



一、上納米、豆計り方の事
一、紙、楮(こうぞ)の事
一、御用紙の事
一、江戸への進物の事
一、江戸夫、地夫の事
一、井川夫良の事
一、庄屋野役の事
一、材木出夫の事
一、炭出夫の事
一、家中頼母子無尽の事
一、酒禁盃の事



以上が十一箇条である。



このほか加えられた項目は



一、地払米斗方の事



一、御船具材木出夫出来の事



一、井川方定夫食米の事



一、永出入改方の事



一、浦方雑穀入相薪他所売の事



一、義倉米の事



一、社倉元麦五百俵拝借の分御引除き下され候の事



一、大工木挽の事



一、在浦賄仕出の事



一、男柱の事、?炭駄賃の事



一、在浦より進物の事



  
  計二十三箇条であった。


拍手[0回]

PR
一、地払米斗方の事



一、御船具材木出夫出来の事



一、井川方定夫食米の事



一、永出入改方の事



一、浦方雑穀入相薪他所売の事



一、義倉米の事



一、社倉元麦五百俵拝借の分御引除き下され候の事



一、大工木挽の事



一、在浦賄仕出の事



一、男柱の事、?炭駄賃の事



一、在浦より進物の事



  
  計二十三箇条であった。


拍手[0回]

PR
" dc:identifier="http://onihei.nari-kiri.com/Entry/161/" /> -->