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鬼平犯科帳 鬼平罷り通る 三嶋山燈

鬼平犯科帳外伝

鬼平まかり通る  7月号


その問に男は油紙を敷いた上り框(かまち)に横たえられ、医者の着くのを待つ。
心配そうに周りをかこむ客に
「明日も早うおす、どうぞ休んどぉおくれやす」
と女将が客を追い払う。
暫くして先程のおしまが医者の手を取り、提灯を掲げて戻って来た。
怪我人をひと目視て、
「刀傷どすな、焼酎があればそれを、そいから箸を一本─気い失うかも知れへんけど我慢しおし、お侍はんどっしゃろ」
と待の切り裂かれた袷をぬがし、傷口を確め、よこされた焼酎を傷口に流し込む。
「ぐぇっ!」
よほど傷口に浸みるのであろうか、男は噛まされた箸を噛み砕き、そのまま気を失ってしまった。
一応開きかけていた傷口を縫い合わせ、手当を終え
「傷はかなり深いもんの、命には拘われへんやろ、ま今日は動かさんといて、多分熱も出て来るやろ、そん時はじゅうぶん冷すのんどすな」
と提灯を受取り戻って行った。
「いやぁどないしょう」
(これ以上関わり合ぅても何の得もない、できればこのまま外へでも放り出したい気持ちや)心のなかでそう想ったか、
「明日までおしまはん、面倒見てくれまへんやろか」
と女将、蝿のように両掌をすり合せる始末。
「仕方あらしまへん、うちが見てます」
と、おしまと呼ばれた女は云ってしまった。
男は一晩中呻き声を上げ、うわ言の様に言葉にならない言葉をもらし、医者の言った様に傷口が熱を持って来たのか、油汗が吹き出して来るのをおしま、休む問もなく冷水でぬぐい取り乍ら、夜通し看病を続けた。
朝方旅人も起きて来、朝の支度をすませ、朝餉を取ったあと出達の用意をして框に出て来、ほとんど気を失いかけている侍の傍に寄り、
「 まだ生きとるかいな?」
と声をかけて来た。
おしまはほとんど寝ずであった為、その声を遠くで聞いたように感じていた。
皆それぞれ声をかけて各々京の町へ散ってゆき、朝五つ(午前八時)頃、再び医者がやって来、包帯を取りかえる。
てぬぐいに水を浸し、軽くしぼってそれを当て、血糊をゆっくりと溶かし、晒を解く。
さすがに傷口は血糊がこびりついており、容易には剥がせない。
「辛抱しなはれ」
そう云いながら、少しずつ傷口に絡みついた晒しを解き、再び出血が始まるのへ蓬を揉んで汁を作り、それを傷口にたらし込む。
「ぎゃっ!!!」
悲鳴をあげて悶絶してしまった。
石灰を溶いて晒しに塗り、それを油紙で包み、これをあてがって晒しを裂いて肩口から腋へ、更に反対側の腋へ巻きつけ、その上から再び腕を固定させる為幾度も巻いた。
「とにかく血を止るこっとす、それから熱うなるさかい十分冷しとったらよぅおす」
医者はそれだけことづけて戻っていった。
女将はこの侍をどうしたものかと思案している模様で
「奉行所にお届けなだめやろぅか…」
「けど女将はん、相手んお人がいーひんのやさかい、どうにもなりまへんよ」
と、おしま(、、、)
「そやなぁ─。おしまはんあんた、こん人看といておくれやすな、お願いや、これこんとおり」
又もやおしまに両掌をすり合せる。(まるで夏場の蠅みたいや)おしまはそう想ったものの、このまま放り出す事もならず、思案にくれた末、
「女将はん、こんお人の気ぃつく迄うちあずからせてもらいます」
と云ってしまった。
それから駕籠を呼んで何んとか乗せ、囲りを縄で縛り、転げ出ないようにして、三条を渡って北に上がり、孫橋を渡った先の若竹町の長屋に連れ戻った。


空蝉


銕三郎はその翌日、訴えかける妻女久栄の眸(ひとみ)を振り切り、そのまま真直ぐ祇園に向い、事の一部始終をかすみに伝えた。
「銕三郎はん、お一人での探索はどうぞやめておくれやす、うち銕三郎はんに何ぞあったら心配でかないまへん、ほんまにほんまにお願いどすえ」
かすみは眸を潤ませて銕三郎の袖にすがる。
確かにこのままではいつ何刻あの刺客が再び襲って来るか判ったものではない。
銕三郎意を決し、かすみに
「のうかすみどの、私は町衆になろうと思うが如何でしょうか」
と、かすみの瞳に同意を求めるごとく見つめる。
かすみ驚きに眸(ひとみ)を見開いたまま
「銕三郎はんが髷(まげ)を落しはるんどすか?」
「いやそうではのぅて町人髷に変え、この辺りに住もうかと考えてみたのですが──。いけませぬか?」
「なら銕三郎はんも此処にいられますのんどすなぁ?そぅやったらいつでも一緒に居れますのんやなぁ」
とかすみ大きく澄んだ瞳を耀かせる。
「いえ、そう言う事ではなく、私の姿を消さねば、いつ何刻又あのように刺客に襲われるや知れません。やはり侍姿より町衆の方が何かにつけ溶け込み易いと想います」
と言葉を足す。
「ほんまどすか?そやったらかすみ、もんむっちゃ嬉しゅうおすえ、明日にでもお師匠はんにお願いしまひょ、御隠居はんが話し通してくれはりますよってに──。 そうやそうや二人して手分けすれば色んな事判りやすうおすえ」
かすみは浮き浮きと一人胸を弾ませている。
こうして翌日夕刻にはかすみの手で髷を町人髷に結いかえてもらい、建仁寺門前の建仁町通りにあるかすみの居する花屋「百花苑」の二階奥をとりあえずの宿とした。
この界隈の門前で寺社や詣(もう)出客に供養用の花を売り、祇園のお茶屋に花を生けて廻る商いがこの頃のかすみの本業であった。
こうして銕三郎は花を抱え、祇園一帯の花街を廻りながら、そこに出入りする口向役や禁裏附役に加え、ひそかに寄り合う武家伝奏や地下官人の動きを昼夜に亙り見張る事となった。
とは云うものの銕三郎は京言葉が話せない、そこで{口の訊けない鉄さん}と云うふれ込みで花篭を背負い、かすみの後ろに随い、先々の出入店で眼を光らせ耳をそばたたせ、彼らの動行を探る事となったのである。
無論この事は壬生の御隠居の力に他ならない。
かすみの店には、店番のちよが通って居、朝届く榊やしきび、草花を分別し、残った物は小把にまとめ一束十文(二百五十円)で売っていた。
草花は紺絣の半着に三幅前垂も同じ絣に手甲脚絆、白い腰巻に帯は縞物で頭に竹駕籠を載せ
「花いりまへんか」
と売り歩く白河女から仕入れたり、ちよが近くで取りそろえて持って来た。
ちよは南禅寺北ノ坊光雲寺近くの農家の娘で、毎朝採れ立ての野菜などを背負って来、それを夕餉の膳にこしらえてくれたものだ。
かすみはこれを銕三郎と二人で戴く事に嬉々としており、一日の終いを待ちこがれていた。
かすみより二ツ三ツ年下と想われるちよも(鉄さん)を気に入った様子で、
「お師匠はん、あん人はどないなお人どす?」
と興味深々の瞳でたずねる。
「ああ、鉄はんどすか?お師匠はんとこにおいでになったお方や、口訊(き)けへんけどええお人ぇ」
かすみわざと素っ気ない態度で応えるが、どうにも口元が緩む。
「へえよぅ解ります、せやけど、おかしなお人おすなあ」
ちょこっと小首を傾げてかすみを見上る。
「なんでやの?」
(何か感づかれたのかしらん…)少し眉根を寄せてかすみ。
「何んかこうお侍はんみたいなとこおすなぁ」
「そないなことあれへんえ、うちやちよが大荷物で難儀してるん知らはって、お師匠はんが付けてくれはったんえ」
どぎまぎとぎこちない返事も信じたのか
「なんやそうどしたんかいな、ほな力仕事頼めますなぁ」
ちよは何の疑いももたない様である。


こうして銕三郎はかすみと共に昼夜祇園界隈で見かけるようになっていた。

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