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鬼平犯科帳 鬼平罷り通る 三嶋山燈

鬼平犯科帳外伝

鬼平罷り通る 10月号


どれほどだったかは覚えがないものの、然程でなかったことは確かである。
煮しめの得も言われない香りに
「おおっ─実に美味そうな─。見ればいずこも温泉気分で御座いますなぁ」
銕三郎、白出汁を吸って程よく色づいた鍋の中を覗き込む。
「銕三郎はん、後ろの水屋の真塗りのお鉢取っておくれやす」
と指図され、銕三郎水屋を開けて真塗りに中が金塗りの鉢を取り出し
「これでよろしいでしょうか?」
と向き直る、そこにはかすみが海老芋の煮付けを箸に挟み待ち構え
「銕三郎はん、はぃあ~~ん!」
と、自分も口を開けて促す。
突然の事で銕三郎驚いたそれに
「ほらぁ─あ~ん!」
先程よりもさらに大きな口を開けて箸を差し出すかすみの真顔に釣られ。
銕三郎おどけながらも小芋を口にする。
熱々小芋のとろろとした舌触りに、目を白黒させながら
(ほっほっほっ…ふぅふぅ)と口をもぐもぐ。
「美味しゅうどすか?」
にっこり笑って満足そうな顔は初々しい新妻のそれのよう。
「美味い!」
それは実に美味かった。
京野菜の持ち味というよりもかすみの気持ちが染み込んでいたからであろうか。
「ほんまどすか?」
口元をほころばせた笑顔に銕三郎、悪びれることもなく
「かすみどのの心がにじみ出てくるような深い味わいですよ」
と口を突いてでた。
「嬉しゅうおすえ」
初々しい恥じらいの表情を見せ、
いやいやをするその仕草に銕三郎思わず手に持っていた祝箸を取り落としそうになった。
(なんと言えば好いのだろう、心がときめくとはこのようなことを言うのであろうか)かすみのきらきら輝く瞳にぶつかると何もかも忘れてしまいそうになる自分に驚いている。
ひと通りの支度も済ませたかすみ、
「銕三郎はん、お鏡はんは、古老(ころ)柿(がき)は、外はにこにこ、中睦まじく云うて、外に二つ、中に六つ──。そいから三方(さんぼう)に裏白(うらじろ)乗せて、その上に四方(よほう)紅(べに)敷いてお鏡さん重ね、御幣(ごへい)を敷き、その上に橙(だいだい)載せますのや。これをお竈(くど)はんに飾りますのんえ、知っとおいやしたか?」
と三宝を前に。
「いやそれは知りませんでした。銕三郎、飾り物を添えつつ手際よくあしらうかすみの手元を眺めていると、
「銕三郎はんちびっと持っておくれやす」
と銕三郎にお飾りを預けると、竈(くど)の周りを掃き清め、手を清水で濯(すす)ぎ清め、竈(くど)に注連縄(しめなわ)を張り
「銕三郎はんおおきに!」
と、それを受取り飾り付ける。
そうして、もう一つの飾り付は三方の上に白米・熨斗(のし)鮑(あわび)・伊勢海老・勝栗・野)老(とろろ)・馬尾藻(ほ)んだわら)・橙を盛りつけた。
「やぁこれは食い積(つみ)ですね」
銕三郎(これなら俺も知っておる)とばかり先に口にした。
「あら!銕三郎はんとこはそない云いますのん?京(ここ)は蓬莱(ほうらい)飾り云いますのんえ、けったいなんやなぁ」
「へェ成程、さすが京は雅だなぁ、それに較べて江戸は武骨で土地柄が表れますね」鬢(びん)に手をやり情けなさそうにするそれへ
「出来た!銕三郎はんそれ持ってついて来ておくれやす」
と先に進み、部屋奥の神棚の前に立ち、パンパンと柏手を打ち、傍に置いてある踏み台を持って来、
「銕三郎はん!うち支えておくれやす」
と台に上り、銕三郎より棚飾りを受け取り、恐る恐ると背伸びする。
銕三郎あわててかすみの細い腰に手を添えて支える。
柔らかな腰の感触が手の内にしっとり感じられ、若い女性の柔肌の温もりが伝わって来た。
飾り終えて
「おおきに」
振り向こうとして、ゆらっと姿勢を崩し
「あかん!」
と叫び銕三郎の胸の中に倒れ込み、そのまま両腕を拡げ、銕三郎を包み込む、かすみの胸の膨らみが銕三郎の腕の中で大きく幾度も波打つのを感じる。
そのまま目を閉じ、顔を胸に埋めたまま時が止った。
どれ程の刻(とき)が過ぎたであろうか、かすみは恥じらいを包むようにうつむいたまま腕を解き、
「そや!銕三郎はん年越しそば食べなあかんなぁ、三十日(みそか)蕎麦いただきに行きまひょ。蕎麦は寶来いうて、塗椀の漆に貼り付ける金箔が作業場に散るのを三十日にそば粉撒いてそれを掃き集め、篩(ふるい)に懸けて集めたところから宝が来るて呼ぶのどすえ、可笑しゅうどすなぁ、これを幸せが細ぅ長ぅ続きますよう願ぅて戴くのどす」
屈託のない笑顔で銕三郎に微笑む。
「細く長くですか……そうありたいものですねぇ」
銕三郎しみじみとした面持ちでかすみに言葉を返す。
かすみ
「なぁ銕三郎はん、寶来頂いたあと、白朮(おけら)祭(さい)連れて行っとぉくれやすな」
銕三郎の藍色の袷の袖を引っぱり甘える目つきで仰ぎ見る。
おけら祭とは、八坂神社で毎年十二月二十八日に執り行われる鑽火式(さんかしき)・火鑽杵(ひきりきね)と火鑽臼(ひきりうす)で鑽(きり)出した御神火が本殿内の白朮(けら)灯籠に移される。
これを大晦日夜七時から始まる除夜祭の終焉後、境内三箇所にある白朮火授与所に設けられた灯籠に白朮火が移され、願い事を書いた白木の{をけら木}が元日早朝まで焚かれる。
これを竹で作られた吉兆縄(きっちょうなわ)(火縄)に移して持ち帰り、無病息災を願い神棚に上げたり雑煮を煮る火種にした。 
火種の白朮(おけら)は生薬として知られている植物で、この根を混ぜて燃やすために特有の匂いが立ち込める。正月の屠蘇散(とそさん)にも入っているあの匂いであり、吉兆縄は火縄作りで知られた三重の名張で作られている。
正月の支度も終え、戸締まりをした後、連れ添って近くの蕎麦屋に向かった。
祇園町の蕎麦屋寶(ほう)来(らい)に入ったかすみ
「おこんばんは蓬来二つくださいな」
と声をかける。

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