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鬼平犯科帳 鬼平罷り通る 三嶋山燈

鬼平犯科帳外伝

鬼平まかり通る 4月第4号 うぐいすの谷渡り


筆頭与力佐嶋忠介

「下等改めと町奉行からもやゆ揶揄されて、俺は火付盗賊になどなりとうなかった。
元の御先手組でいたほうがよっぽどましだ」

下谷金杉町の居酒屋(ちろり)は岡野の居宅のある竜泉寺町からほど近いこともあり、
よく立ち寄る店である。

酔い潰れて居酒屋の土間に座り込んだ同心岡野清三郎、
どうにも手のつけようもないほどにめいてい酩酊している。

「旦那又喧嘩ですかい?その挙句がいつもこうなんだからいけませんやぁ」
「俺はなぁこの太平の世の中、
お先手組なんてぇ今じゃぁなんの用もないお役所で日々のんびりと暮らしていてえんだ、
解るか親父それが何で火付盗賊なんてぇ嫌われものに

この身を預けなきゃぁならねえぇんだ、えっ!クソいまいましい!
見ろよ十手を見せて(火付盗賊改方だ)っていやぁ、皆ビクビクしやぁがる、
その陰でなんて言ってるか知っているかぁ!

下水の蓋だとよ臭ぇ者にフタをする御役目だとさ。
お陰でお前ぇたちの暮らしが守らているってぇのにその言い草は無ぇだろうええっ!
おまけに俺はうちつと内勤め、
日々同心共の報告をしたためる面白くも何ともぇ毎日と来ている。」

「判った判ったよっく解りましたよ旦那、
ですから今日のところはもうお帰りになったほうがよろしいんでは」

「何だとぉ 家に帰れというのか、家に帰りゃぁ帰ったで
クソ面白くも無ぇ女が冷ややかに出迎えるだけの毎日だ!

姑は姑で見栄ばかり張りやがって、俺が火盗改だと言ってくれるなとよ!
あのおやじ義父め!何が旗本でぇ今じゃぁお上の穀潰しじゃぁねぇか」

すでに眼が据わっている岡野を見て、
「やれやれ又岡野の旦那だぜ、又いつものようにざまぁないやね、
お旗本とはいえ3人目ともなれば、あそこまで駄目になっちまうのかねぇ、
上の旦那はたいそうご立派なお役だと聞いちゃぁいるが・・・・・
可哀ぇそうに冷や飯食いはつらいねぇ」

その場に居合わせた旗本奴風体の男が声をかけてきた。
「ねぇ岡野の旦那ぁ酒で憂さ晴らしもなんですがね、
ちょいと面白ぇとこへでも行ってみやせんか?」

「何だぁ 面白ぇところとは何だぁえっ!
この世に面白ぇところなんざぁあるもんけぇ、
どいつもこいつも腹ン中でベロ出しながらロクでもねぇ
御託ばかり並べやがって・・・・・・・

「旦那行きましょうよあたしがご案内しますからさ!」

「女!お前が相手をするってぇんだな?」
「はいはい私がお相手いたしますよ」

「よし!そうと決まれば断るわけにも行くまい、参るぞ何処えでもなぁ」
岡野はよろよろと身体を起こしたが、
ろれつも中々回りにくいほどの酔いたんぼうである、
男に肩を貸してもらいながら店を出て行った。

「大丈夫かいなぁあんなゴロツキ奴の口車に乗りなさって」
店の亭主も少々気になる様子であった。

女と二人の旗本奴に伴われてどこかの居酒屋に入ったまでは覚えている、
だが記憶はそこまでで、後はぷっつり途切れている。

頭が割れるほど痛い、飲み過ぎも度を越すとこのザマだ、
どうにも辛い、それにしても静かだな?

此処は一体どこなんだ?あたりを見回すがとんと覚えのない場所である。
ぼんやりと障子越しに明かりが見える、
目を細めて焦点をゆっくり合わせながら今の居場所の情報を読み取ろうとして、
手が滑っていることに気がついた。

(んんっ?!)みれば右手が真っ赤に染まっている・・・・・・・
ゆっくりと身を返すと、背中沿いに誰かが倒れている、
「おい!」揺り起こそうとしたその者の胸から真っ赤な血潮が
噴き出しているのが薄闇でも観えた。

「んっ!!」・・・・・・
まさか・・・・いや覚えはない、この顔も場所も・・・・・・
一体何があった?

めまぐるしく意識を振り絞りながら状況を把握しようとするが、
記憶が途絶えたままでどうにもならない。

とにかくこの場を離れなければ・・・・・・・
人間というものはこのような時必ずと言ってよいほど同じ行動に出るもので
グラグラする頭を振りながら神経を集中しようと柱に捕まり身体を引き上げる
脇差しの血糊を拭い、鞘に収めてよろけながら外にでる。

(ここはどこだ?)
店の出入口につかまって見渡すと遠くにどこかの寺らしき大屋根が観える。

広い道に向かってふらつきながら歩を進めると、
そこは見覚えのある下谷坂本町のようであった。
寺や寺院がひしめき合うように立ち並ぶところをいつも通るのですぐに判った。

とにかくひとまず家に帰り、ひと風呂浴びねばどうにもならぬ・・・・・・
血と泥にまみれた格好はひど酷いものであった。

「また朝帰りでございますなぁ・・・・・・」
冷ややかな女房の声を背に岡野は水を被り気持ちをシャンとさせようと
風呂場で何度も水を被った。

まだ昨夜のことが飲み込めない・・・・・・
人を殺めた記憶もないし、あの居酒屋に行った記憶が定かではない。
解せぬ!死んでいた奴は一体誰なんだ?

俺とどんなかかわり合いがあったというのか、
どんな経緯で殺めねばならなかったのか・・・・・

岡野は衣服を整え清水御門前の盗賊改めの役宅に向かった。
九段坂をさしかかった時

「あのぉ~お武家様」と声をかけてきたものがあった。

「何物だお前は」怪訝そうな顔の岡野を覗きこむように
「ゆんべは大変なめにお逢いなさいやしたねぇへへへへへっ」

「誰だ貴様は!」

おっと!そのままそのまま・・・・・
油断すりゃぁこっちもついでにバッサリじゃかないやせんからねぇ旦那」

男は間合いを計りながら一定の距離を保つ。
「それにしてもゆんべの旦那はひどく酔ってなさって、
覚えていらっしゃらねぇんじゃぁねえかってね?」
男は誘うように脇道の方へ下がってゆく。

「貴様何を存じておる!」
岡野はその男の後をついて行く格好になりながらも何かを探りだそうとしている。

「何?岡野が出所していないと?」
木村忠吾からの報告を受けて佐嶋忠介は平蔵にそのむね旨を報告した。

「ふむ それで岡野の屋敷では何と申しておる」

「はぁ それが何とも冷ややかなもので
(いつもの気まぐれ、どうぞお構いなきよう)との返事に、こちらが戸惑いました」

木村忠吾が頭を掻きながらそう報告してきたものだ。

それにしてもおかしら・・・・・
忠吾は同輩の岡野の行動が近頃荒れていることは
薄々感づいていたようで「なにか起こさねばよいがと案じておりましたが、
まさか行方不明とは・・・・・」

「おいまだ行く方知れずと決まったわけではないぞ」
平蔵は腕組みしながらじっと眼を閉じている。

「おかしら、岡野の探索に手を回したいのではございますが、
町奉行より先月のお手配引き継ぎにて上方の大盗賊天野大蔵一味が
江戸に向かった形跡があるとのうわさもあり、

此処で探索を分散させるわけにも参らず、いかが致しましょうや?」
佐嶋忠介は困り果てて平蔵の指示を仰ぐ。

「五郎蔵の話では天野大蔵は蛇の平十郎や葵小僧を育て上げた浪人崩れの盗賊で、
そのやり口は凄惨きわ極まりなく、
むごたらしい殺しを平気で犯す悪党とのことだのう」

「はい そのように聞き呼びます」。

「とにかく今は密偵も手一杯であろうし、与力、同心力を合わせて
奴らの動きを探り当てねばなるまい、それが先決ではないかのう」・・・・・・

平蔵もこれ以上密偵や同心達に過剰なおつとめをしいる事には胸が傷んだ。
そうこうしているうちに事件が起こった。

しかも火付盗賊改方が回った後を舐めるように数カ所で同時に勃発した。
まるで小手試しのように目立たないところから炎が上がった。

探索や見回りの情報が漏れている、
まさか・・・・・・平蔵の胸中にそんな火種がくすぶり始めてきた。
「岡野の足取りはつかめたか?」
平蔵の問に木村忠吾は
「それがそのぉ 全くといって掴めませぬ、
あれ以来家にも戻っていない様子で、
さすがの御内儀もあきれ果てておる様子にございました」。

「むむむむむうっ」平蔵の険しい顔が忠吾を震え上がらせた。

重苦しい空気が火盗改の役宅に満ち満ちている。
そんなよどんだ空気の中に岡野の姿を見かけたという密告があった。

「どこだ!」
佐嶋忠介はその情報の出どころを確かめるよう筆頭同心の酒井祐助に下知した。
出処はすぐに知れた。

しかもその出処は岡野清三郎の出入りしていた居酒屋(ちろり)の亭主からであった。

「いえね、今朝ほど岡野様が印籠を此処に落としたようなので
もらってくるように頼まれた使いのもんだと言いやして
遊び人風の男がやって参ぇりやして、

確かに岡野様の印籠はお預かりいたしておりやしたので
渡しやした。お預かりいたしやしたおり、岡野様が
(これを取りに来る奴がおるかも知れぬ、
その時は面倒でもご亭主その者の後を微行てくれ、

決して深追いはするな!遠くで様子が分かる程度で良い、
その後そのことを火付盗賊に伝えてくれ)と申されやしたので、

早速娘のおきよに後をつけさせました」
そばから娘のおきよが
「岡野の旦那様は男連れで、お侍に囲まれるように路地の奥に消えてゆきました」

「で、どこらあたりだ?」
「へぇ 坂本町の養玉院のあたりでございます、
その奥の沼のそばの家にお入りになられました」

「早速その辺りをくまなく探索せよ」
佐嶋忠介の声にも少し力が湧いているようであった。

坂本町を東に入った突き当りに沼があり、
更に向かいは小屋敷などが立ち並び、賑を見せている場所であった。

その傍らにひなびた居酒屋のようなたたずまいの家が見えた。
反対側の沼のはずれにある空き家の土塀の陰に
身を潜めた小房の粂八の姿が見えたのはその後すぐであった。

翌日もその又翌日も交代で密偵たちが二人一組で昼夜なく張り込んだ。
その日は朝から雨が降り止まず、見通しは極端に落ちた。

だが、その雨の中を利用して家の外から動きが見え始めた。
一人二人と三々五々入る人影が増してきた。

「長谷川様にお知らせを!」
五郎蔵が伊三次に指示を出す。

「動きが出始めやしたね頃五郎蔵さん」粂八が口を切る。

「実はね粂さん、この家を張ることが決まった時、
長谷川様が妙なことをお言いなさってね、
おれにもとんと見当はつかねぇんだが、
とにかくお言いつけ通りあの家を見張ることだよ、
ほんの些細な事も見逃しちゃぁならねぇ、
これが長谷川様のお言いつけよ」

「何でござんしょうねそいつは・・・・・」

粂八にもおまさにも全く理解できない様子である。

周りはだんだんと夕闇が迫り始め、人の出入りもそろそろ終わりかと想われた。

「今日はこれでおしまいかねぇ」

そんな話をしていると、沼の方に人影が現れ何かを沼に捨てたように見えた、
人影はもう判別がつかないほどではあったが、
何かを捨てたことだけは水音で確かである。

「粂さん!これまで何日も張っているが、こんなことははじめてじゃぁないかい?」

五郎蔵の言葉に粂八も
「確かに・・・・・」

じゃぁこいつが長谷川様がおっしゃった気を配るってぇ奴?」

「違ぇねぇ、すまねぇがこのことを急ぎ長谷川様にご報告してくれねぇか」
五郎蔵の顔が引き締まっている。

それから二刻(四時間)あまりが過ぎた頃、
平蔵を始め火付盗賊の面々が駆けつけ、
蟻の這い出る隙間もないほどにその居酒屋を取り囲んだ。

月は満天に昇り明々と沼にその姿を映し込んでいた。
「家の前後を固めた捕り方に
「かかれ!」平蔵の号令が闇夜を切って飛んだ。

大槌を振りかざして酒井が戸を叩き壊した。
「火付盗賊改方長谷川平蔵である、神妙にお縄につけ、
さもなくばこの場にて切り捨てる」
と大声で呼ばわった。

「クソぉ!」あちこちで叫びと悲鳴や罵詈雑言が飛び交い、
月夜の明かりだけの交戦が始まった。

素早く盗賊方により明かりが長押などに打ち込まれ、
外には高張提灯が掲げられた。

ぎゃ!グヘッ!
切り伏せられ、あるいは十手で骨を打ち砕かれて悶絶する声にならない声が
飛び交う混戦の様子ながら次々と捕縛や打ち倒された者が外に転がり出て来た。

「きさまぁ岡野清三郎!」
木村忠吾が外に飛び出した男を追って飛び出してきた。

それを認めた平蔵が
「忠吾!岡野はわしが命じ、奴らの懐に飛び込んでくれたのよ、

岡野ご苦労であった、それ!残りのものを残らずひっ捕らえよ」。

こうして今までどうしてもしっぽさえ掴めさせず、
上方から江戸に向かってその名をはせた名うての大盗賊天野大蔵は
平蔵によって切り伏せられ、この地を朱に染めて果てたのである。

斬り合いが始まって小半刻(三〇分)、やっと元の静けさに戻った。

「おかしら!これは一体どのような訳がござりますので」
木村忠吾が平蔵に詰め寄った。

横から佐嶋忠介が
「忠吾、お前も天野大蔵が上方よりこの江戸に入るという町奉行よりの通達は
存じておったであろう、

だがなぁそれ以外何の手がかりもなくこの狂気じみた獣を
江戸に入れる事はいかにしても避けたい。

盗賊改めとしては手をこまねいておるわけにはいかんのだ、
それでおかしらより岡野清三郎に白羽の矢が立ったというわけだ」

「天野大蔵の事は我らもよく承知いたしており、
市中見廻りでもそれとなく眼は光らせておりました」

忠吾は憤懣やるかたなしと、鼻の穴をふくらませてふくれっ面の面持ちである。

「そこでだ、岡野に因果を含めてこの大事なお役を隠密裏に与えたのだ。
お前ぇ達だと顔が効きすぎておる、どこで面が割れるやも知れぬでな、
岡野の腕と知識に頼っての隠密行動であった。

相手が引っかかるかどうかは5分と5分、不案内の土地で仕事やらかすにゃぁ
何が一番大切だと想うかえ?土地カンであろう?

そこで岡野の仕事を逆用させるという戦法に打って出たのさ」

「と言うことは、岡野様の帳面つけ・・・・・
成る程岡野様ならば市中見廻りの刻限なども承知しておりますゆえ・・・・・・
あっ そういう裏がござりましたか」
忠吾もやっと納得がいった様子である。

「そこで下谷の居酒屋(ちろり)での度々の大芝居よ、
美味ぇ事に相手が乗ってくれたまでは良かった」

「はい そこからが問題だと考え、前もって亭主に印籠を渡し、
これを受け取りに来る奴があらばそいつの後をつけてくれるよう頼んでおきました」

「それよ!それがこの度の糸口になったと言うわけさ」。

「しかし岡野、そちを取り込むにはどのような手口を用いたのだえ?」
平蔵は岡野がいとも簡単に仲間にならされた手口に興味があった」

「それがおかしら、私を酩酊させ、その後で殺人の芝居を打ったのでございます」

「おいおいちょいと待てよ、人殺しとな?」

「はい それが又手の凝った芝居でございまして、犬か何かを殺ったようで、
その血を私の脇差しに塗りつけ、
傍に見知らぬ男が血まみれになって転がっておりました。
無論そいつの血も犬の血でございましょう、

私はこれが奴らの仕掛けだと勘付いて、芝居を続けたのでございます」。

「な~るほどなぁ、道理で殺しの話が町方にも届かぬはずだわい。
死人が出れば仙台堀の政吉からつなぎが来るはずだからのう」

「えっ おかしらはそこまでお手配済みで・・・・・・」
と忠吾

「忠吾 人の上に立つということはそこまで気配り無くば、
あい務まらぬものよ裏の又裏それを読み取ることが最後の詰めにつながると言うものだ」
佐嶋忠介の言葉に忠吾、深く納得の様子である。

「で その後はいかが相成った」

「はい 翌日お役宅に出所いたそうと九段坂にさしかかったおり
小者から声をかけられ、私が昨夜仲間に口論の末手にかけたと申すのでございます。
其奴の始末は済ませてあるので心配はいらないと、
その代わりちょいと手伝ってほしいことが・・
とこれが引き込みの手口でございました」。

「ふむ よくある手だなぁ、だがお前の事は相当探ったはずだぜ」

「そのために、あちこちで喧嘩をふっかけ、
酒を喰らいそれなりに仕上げておりましたので」

「うーむ よくぞ耐えてくれた、父御にもさぞや迷惑をかけたであろうのう、
申し訳ないとこう長谷川平蔵が申して居ったと伝えてはくれぬか?」

「いえ それがでございます、
義父どのは、私が火付盗賊になったことを無念に思っているような節がございます」

「さようか・・・・・・」
平蔵はその言葉の意味をよく承知している。
盗賊改めには今以上の立身出世はないのである。

「すまぬなぁ岡野 お内儀もそなたの働きをいずれは判る時がまいろう、
さんざんの悪口雑言を流してくれるほど器が大きければよいのだが・・・・・」

その翌日岡野が息せき切って役宅に出所した。
「おかしら!家内に此度の一件の顛末を話しましたら態度がガラリと変わりまして、
それはそれはよく仕えてくれます、

大盗賊を相手によくぞお勤めを果たされましたとそれは
まぁ今までとは天と地の開き、あはははははは、
おまけに義父どのも(手柄であった、岡野家の面目が立った)
とあちこちに話しておるようでございます」

「ほほう 雨降って地固まるの例えではないか、
いやいや誠に祝着至極!」平蔵もその嬉しさは格別の思いで聞いた。

かつて自分の義理の母親に邪険な扱いを受け放蕩無頼を続けた思いがあったからである。

のどかな春の日差しが役宅の庭にも満々と満ち、
どこからかうぐいすが鳴きながら飛び去った。

ほ~鶯の谷渡りか・・・・・

「はっ?あっ おかしらもまだまだ元気でござりますな」
と控えていた忠吾が口を入れる

「忠吾、そちの申しておるものとはちと違うのだな」

「はぁ何がでございましょうか?」

「忠吾お前は少し心構えが間違ぅておるようじゃな、
うぐいすわな、己の縄張りに鷹なぞが入り込んだおり
巣のあり場所を悟らせないために警戒の声で移動しながら遠くへおびき寄せるのよ、
これを鶯の谷渡りと申すのじゃ、」

「えっ さようで・・・・・・私は又・・あの・・・」

「フム であろうよ!お前はな」

「あっ おかしら、只今のお言葉は少々そのぉ何と申しますか魚の小骨のような響きが」

「おう 判っておるではないか、いやそちも中々修行の甲斐があったと言うか 
わはははは何とも情けないと申すか いやはや わはははは」

「おかしら・・・・・そのわはははは更にこの木村忠吾の胸に・・・・・・

「おい忠吾 岡野はのう、己が隠密同心であることを奴らに悟らせないために
我が身も家名の立場も振り捨てて大芝居を打ったんだぜ、

何事も大声で喚くほど真から離れるものよ、それを吟味する力を養わねばのう!」

「ははっ!真に仰せのとおりかと存じます、
ところでおかしら此度の首尾をいずこかにて喜び合いとうございますなぁ」

「はははっ こ奴め、そういうところだけには目が届きおる、
あい判った!何しろ大物を釣り上げたのだからな、
よしおしはら鴛原の九兵衛のところへ繰り込もうではないか!」

「えっ!あの芋酒の・・・・・
よろしゅうございますなぁ、その後が更にお楽しみでふふふふ」

「おい忠吾 お前ぇ随分と嬉しそうではないか!」

「だって おかしら!芋酒とくれば九兵衛も申しておったではござりませぬか
(今夜はもう岡場所へなと繰り込んで白粉くせぇのでも抱いてみるかぁ
なんて勢いも出てねぇ!)
いやぁ あの親爺の口車に乗っかってみとうございます」

「やれやれお前ぇはどうしてもそこに落ち着かねばすまぬようだのう」
「はぁ かたじけのうございます」
「・・・・・・・・・・」

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