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鬼平犯科帳 鬼平罷り通る 三嶋山燈

鬼平犯科帳外伝

鬼平罷り通る 5月第1号 「赤い糸」



結城紬


長谷川様やっとご注文のお仕立て物が出来上がりまして、

と上州屋が持参した袷に袖を通しながら平蔵
「ウムこれはまた着心地の良い、中々仕立てが良いと見ゆるのう、
わしはちと右腕が長うござっての、それがちゃんと合わせておる」

「はい 仕立てましたのは手前どもの針子の中でも一番の腕前にて
過日お屋敷にて長谷川様に着尺を合わせましたる者でございます」

「うむ 仕立て上がりというものは、どうもどことなく肩が張って
叶わぬのだが、此度のものはそれがなく初めから着馴染みた着心地で、
おう中々うむ よいよい」

「恐れいります、お着物は着込まれた結城紬でございますが」
「うむ 俺の親父殿から下りてきたものだがな、親父殿もその親父殿からの
下がりものじゃと言うておったわ」

「さようでございましょう、特に結城は幾代も着込まれて初めて
その真価が出ると申します。

茨城の結城は絹川(鬼怒川)と呼ばれるように、
絹の生産が盛んでございました。

元々は屑繭をほぐしまして綿の状態から紡ぎ直し致します、
煮繭(しゃけん)と申しまして、マユを重曹を加えた湯で
一刻(2時間)ほど煮込みまして、柔らかくしたものをたらいに移し、
ぬるま湯の中で5つ6つを拳にて広げながら重ねて1枚の真綿袋を作ります。

この時、中のサナギが生きたまま煮たものを(生き掛け糸)と申しまして、
艶のある丈夫な糸になります。

真綿をのしたものを更に拡げて、端から糸を引き出します、
この時指先にツバをつけてヨリをかけながらまとめ糸に致します。

特に女ざかりの物はツバに粘りがあり、照りの有る良い糸が紡がれると申します」

「ほほ~女ざかりとはこれまた上々 う~んなるほどのう、
中々粋なことを申すものじゃな」

「はい そのようで、これをくくります、カスリは絵図面にあわせて
墨をつけたところを綿糸でくくってゆきますが、これは男手でなされるようで、
始めからおしまいまで一人で為されます、人が変われば染も違うてまいります故・・・・・

括(くく)り作業も少ない所で80亀甲から200亀甲まであるそうでございます」

「ほう、その亀甲とはどのようなものかのう?」

「それは一反の一幅に80の模様が入ったものを80亀甲と呼びますので、
200亀甲ともなりますとかすり模様が400となり、
一反では10万箇所にもなり、手の早い男ででも数ヶ月はかかるそうにございます」

「なんと 数ヶ月も手間ひまかけたものか・・・・・」

「結城は甘撚りのために、織る前にノリを付けます、そのために
織り上がったものを湯通しいたしまして糊を落とし、
仕立てに入ります、これが中々の作業で、
もっぱらこの作業のみ行う商いがあるほどでございます」。

「いやいや さような手間ひまかけたものをこうして我らは
着ることが出来るのでござるなぁ」

平蔵は結城紬の温もりがそこからも伝わってくるような面持ちで渋く燿く袖を眺めた

ところでその‥‥何と申したかなこのお針子は?」

「はい 私どもは(おさえ)と呼んでおりますが、本当の名前は明かしてくれませぬ」

「なんと 本名ではないのかえ?」

「はい 何でも昔好きおうた男が居たそうでございまして、
その男が佐渡から帰ってくるのを待っておると申したそうにございます」

「佐渡だと?てぇ事はよほど重てぇ罪を犯したことになるが・・・・・・」

「なんでも人を手に掛けたとか・・・・・・」

「ふむ いつごろの話だえ?」

「もう5年になりましょうか・・・・・・」


さて、その頃に時を戻さねばならない。
師走を控えて江戸の町も慌ただしさが日増しに色濃くなり始めた12月も終わりの頃
昌平橋を渡った神田明神前の金沢町の呉服店(黒姫屋)の
戸口を開けた丁稚が門口で震えている子供がいると主の清兵衛に報告した
ことが事の発端である。

何はともあれと店の中に入れて風呂を沸かし体を温め、
店のものと一緒に朝餉をすまさせた。

半年ほど前に同じ年頃の娘を流行病で亡くしたばかりの夫婦には、
まさに神様からの授かり物にさえ想え、そのまま育てることにした。

ただ、身にはお守りひとつ持っておらず、名を聞いてもただ泣くばかりで、
それではととりあえず亡くした娘の(おさえ)で呼ぶことにした。

それからの5年程は他人も羨むほどの可愛がりようであった。

だが、おさえが拾われて5年目の12月半ば、清兵衛夫婦に子供が授かったのである。

それまで我が子と思い育ててきた娘よりも実の我が子が可愛くなるのは
何時の世にも変わらぬ事のようで、年がいってからの授かった子供だけに
溺愛も一段と激しく、その分おさえに対して手のひらを返すが如き扱いに
なっていったのは自然の成り行きだといえよう。

「おまえを拾うてこれまで育て恩を忘れるんじゃァないよ!」

女房の(お妙)はおさえに事あるごとに口やかましく言うようになった。

子供が泣いたりむずがったり、挙句は子供が自分たちになつかないのは
おたえがそうしているのではないかと、おたえの子守の仕方が悪いと
折檻する始末、それも身体の見えないところを責めるものだから
そんなことは誰にも気づかれない。

おたえの背中と言わず足と言わず、外から見えないところはアザだらけであった。

寝床についた時から翌朝食事が終わるまでがおたえの唯一の慰めの時でしかなかった。

そんなある日、朝からぐずる子供に手を焼き、
又もやおさえに八つ当たりする女房のお妙。

その場にいたたまれなくなったおたえは、いつも子供を背負って
行く近くの神田明神の門に腰掛けて泣いていた。

まだ10才を出たばかりの子供である。

そこへ通りかかった20そこそこと想われる男が
泣いているおたえに腰の手ぬぐいを渡した。

おさえはもうこの男をここで見かけるようになって半年近くになっているので、
あまり警戒する様子もなく手渡された手ぬぐいで涙を拭った。

男はそのおさえの顔を見てにっこり微笑んだ。

おさえは男に名前を聞いたが男は黙って微笑むだけであった。

この男をよく見かける近所の女の話では、どうも口が聞けないようであった。

ただ定職は無いもののこまめに働くところから薪割りや水汲みなど
力仕事に皆重宝して使っているようだが、
棲んでいる場所も定かではないようである。

実はこの男、名を与助と言い奉公先の主から暴行を受け、
争った挙句主に怪我を負わせ逃亡した時、
主の枕金庫から金子が少々無くなっていたと番頭より届け出があった、
そのために厳しい取り調べがありその際の拷問で口が聞けなくなったようである。

そんな与助の気持ちがおさえには唯一の気の安らぐひとときであったのは
当然といえば当然であったろう。

あるときおさえは与助に
「あたしが15になったらあんたのお嫁さんになってあげる、
その時あたしの本当の名前を教えてあげる」と話した。

与助は黙って静かに微笑みを返した。

それを遠くで眺めていた黒姫屋のおかみお妙が、
「こんな薄汚い奴といたんじゃぁ娘に何をするかわかったもんじゃァない、
お前もお前だよこの島帰りのろくでなしと話をするなんてとんでもないことだよ」

と平手打ちでおさえを攻めた、驚いて泣き叫ぶ娘に
「お前のおもりが下手くそだから娘が変になっちまったじゃぁないか!」
と再び手を上げた。

それを与助がおかみの腕を握って押さえつけた。

「何すんだよこのゴロツキが、汚らわしいその汚い手をお離し!」
おかみはかんしゃくを起こし、「奉行所に訴えてやるから覚悟おし!」
と、毒ついて背中におわれた娘を奪い取るように引き剥がして帰っていった。

その夜おさえが再びおかみのお妙にいじめられたのは言うまでもあるまい。

折檻の激しさは店の者が陰で見ていても怯えるほど凄まじいものであったと言う。

翌日与助はお妙の訴えで捉えられ、
町奉行所の門前で100叩きにあい、放免となった。

その3日後黒姫屋に明け方押し込みがあり、黒姫屋夫婦が殺害され、
番頭の話では手文庫の100両あまりが盗られていた。

店の奉公人は奥の離れに皆休んでいたために朝まで何も気ずかず、
丁稚が戸を開けようとして戸が開いているままになっていることに気づき、
その報告をするために主の部屋に番頭が出向いて事件が発覚したと
町奉行所に届けがあった。

奉行所は先日のおかみの訴えを元に与助を捕縛、
拷問の末与助が恨みを持ってやったと自白、佐渡送りになった。

奉行所では与助とみ知り合いであったおさえが手引をしたのではないかとも疑り、
おさえも捕縛されたが、店の奉公人がおさえと同じ部屋であったために
疑いは晴れお解き放ちになった。

与助が拷問によって自白した事を知ったおさえは取り調べに当たった
奉行所与力の帰りを待ち伏せて与助の取り調べの再考を願い出た。

無論一旦決まった事件を蒸し返すことなど出来るはずもなく、
押し問答の中で、はずみからおさえは与力の首を与助のくれたかんざしで刺してしまった。

幸い一命は取り留めたものの、事の重大性は殺害の意思があったと断定され、
おさえは殺人未遂で石川島寄場送りと決まった。

上州屋は話を続けた。「それから2年の歳月が流れまして、
おさえは再犯の恐れなしという事と、
行状すこぶるよろしいと言うことで1年早く釈放された後、
深川のひょうたん長屋に棲みついたそうにございます。

寄場の中の授産所で読み書きや針仕事を学んで、
それが今のおさえの生業になって生きたと申しておりました」

「おお 加役方人足寄場がお役に立てたか・・・・・
何とも嬉しい思いだのう」
平蔵は自分が老中に言上して、石川島に軽い咎人や無宿者を収監し仕事を与えて、
出所厚生の基盤を築いた。

その結果がこうして花開いたことに少なからず喜びを見出したのである。

ところで上州屋、先程の押し込みの件だがな、確か黒姫屋ともうしたな?」

「はい 間違いございません、神田明神前の金沢町でございます」

「フム確かどこかで読んだような・・・・・・

おい誰かある!」

「おかしらお呼びで!」と筆頭同心酒井祐助が控えた。

「おう 酒井、定かではないのだがこの春ひっ捕らえた急ぎ働きの事件で
神田の押しこみ事件の控えを探してはくれぬか」

「ははっ 早速に!」

しばらくして「おかしら!ございました。
神田明神前金沢町呉服屋黒姫屋押し込みのお調べ書でございます」

「おお すまなんだ!
のう酒井そちも覚えてはおらぬか、
忠吾めが出会い茶屋で拾うてきた話が糸口で奴が捉えて参ったこそ泥、・・・・・・
このお調べ書ではあぶはちの千六と書かれておるが」

「はい たしかそのような名前で、
捕らえた忠吾がクモでのうてよかったと申しておりました。」

「はははっ!虻蜂取らずよのう 忠吾めそこまで読みおったか!わはははは。
うむ、やはりそうであったか、のう伊勢屋、先ほどの与助の話だが、
どうやら下手人は他に居ったようだ」

「何と申されます?では与助は下手人ではなかったと・・・・・」

「うむ これは奉行所の勇み足のようだのう・・・・・・」

「何とも酷い話で・・・・・・
長谷川様なんとか与助の身の証を立てることは出来ないもので?」

「あい判った!明日にでも奉行所に出向き冤罪であることを証し、
その与助とやらを佐渡より呼び戻そうではないか、お上とて人の子、
まして採決間違いとなれば文句も出まい」。

翌日平蔵は奉行所に出向き、事の次第と盗賊あぶはちの千六の
聞き取りお調べ書きを提出。

与助の冤罪はこうして晴れることになった。

それから2月あまりの歳月が流れ、長谷川平蔵のもとに一通の書状がもたらされた。

「何と・・・・・・・」平蔵は深い溜息を漏らして空を見つめた。

平蔵は伊勢屋にお針子のおさえを伴って役宅に出向くよう指示を出した。

翌日伊勢の主がおさえを伴って清水御門前の火付盗賊改方役宅に出向いた。

「おさえと申したな、そなたの仕事はいや実に良い、
ほれこうしてわしは気に入って毎日着させてもろうておる、
ところでな、昨日佐渡のお山より与助のことで返事が参った」

その言葉を聞いておさえは目を輝かせて膝を乗り出した。

伊勢屋から与助が冤罪であった話を聞いて、
密かに本日の知らせに胸も高鳴っているのであろうことが平蔵にもよくわかった。

「おさえ・・・・・・
与助は昨年暮れに労咳で倒れ、そのままもう戻っては来れぬそうだ、
最後までお前が与助に渡した神田明神のお守りを離さなんだそうな、
誠に相済まぬ、お取り調べにもっ
と深く当たればよかったものを、
誠に無念でならぬ・・・・・」
平蔵はおさえの顔を見ることが出来なかった。

おさえは平蔵から渡された与助に持たせたお守りを握りしめ、
声を殺してその場に崩れ落ちた。

この哀しみは声さえ奪うほどの重さであることを平蔵は胸にたたんでいた。

「罪を憎んで人を憎まず、のう伊勢屋、人が罪を犯すのではない、
世間や人が罪を犯させるのだ、
その罪を誰が裁けよう、俺とて罪を犯してはおらぬと言い切れるものではない、
人はみなそれなりに罪を犯し、その重さを胸に仕舞いこんで生きておるものよ、
だがそれをせねばこの世も又地獄、誰かが為さねばならぬ辛ぇ仕事だと想わぬか?

皆それなりにわけがあって道を誤り外道の道に進んでゆく、
その裁き場所を間違わぬよう我らとて心を引き締めて当たらねば、
こたびのおさえのような事件は無くならぬ」鬼と呼ばれる平蔵の頬を
止めどもなく涙が流れていた。

後に市中見回りの途中立ち寄ったとおさえの元を平蔵が尋ねたことがあった、
無論これは口実で、その後のおさえを案じての平蔵の優しさである。

「ところでおさえ お前ぇの本当の名前ぇは何てぇ言うんだぇ?」
と水を向けたが、おさえはただ笑って
「あたしの名前は忘れました」と小さく答えたそうだ。

おさえ15歳の春の出来事であった。

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